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ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」などを務めたライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。

近世城郭の原点、京都長岡京市の「勝竜寺城」。細川家の立身出世、細川ガラシャの輿入れ、明智光秀の最後の城

2024-09-08 | 歴史・史跡
「ここって、歴史の変換点のお城なんだね~」とミモロが訪れたのは「勝竜寺城」です。

京都駅から東海道線に乗って訪れた「JR長岡京駅」。「京都駅からも近いね~ここにこういうお城があるんだ~」と。

京都、大阪、奈良への交通の要所である京都西山エリアの長岡京市。桓武天皇が「平安京」に遷都する前に都を10年間「長岡京」を置いたところです。

ミモロがここに来る前に訪れた「神足神社」のエリアには、古くから集落を守る「城」があり、それを攻め落とし、元亀2年(1571)に細川藤孝(幽斎)が、織田信長の命を受けて、それを含んだエリアに「勝竜寺城」を大規模改修し、京都の防衛の要塞にします。


「小さいけど…立派な石垣のお城だね~」


寛永10年(1633)に廃城となり、その後長らく忘れられた城で、昭和63年に発掘調査が行われ、そして平成4年に現在の姿である「勝竜寺城公園」となり、今は戦国時代の貴重な遺構として注目されています。


さぁ、お城の中に進みましょう。


実は、このお城は、近世城郭を代表すると言われる「安土城」の5年前に築かれ、発掘調査から、城郭に欠かせない本格的な瓦、石垣などが使用され、天主もあったことがわかりました。つまり、中世の土造りの城から近世の城への変換期にあったと言われます。

城郭に興味のある人には、見逃せないお城です。

現在、城の天主を思わせる建物に入ると…

1階は、休憩所と立派なトイレが…

「ここから、お庭の景色がよく見える~涼しい休憩しなくちゃ~」と、しばし休むミモロです。

また、この城に係るさまざまな書籍も自由に読むことができます。


さて、この城の歴史をもう少し…
室町の足利家と深いつながりがあり、その後、足利義昭を奉じて上洛した織田信長の家臣となった細川藤孝。信長から京都防衛の要所であるこの地を与えられ、領主になります。

信長の勧めで、同じく家臣であった明智光秀の娘 玉(後のガラシャ)を息子の忠興のお嫁さんに迎えます。

「二人とも16才だったんだって~今なら中学生??」と驚くミモロ。

仲睦まじい二人の間には、2人の子供も生まれます。しかし、そんな幸せは長くは続きません。
そう、玉のお父さんの明智光秀が「本能寺の変」を起こします。

当初、光秀は、細川藤孝と忠興に加勢を願いますが、二人は主君を討った光秀に味方せず、玉を離縁。すでに忠興と共に、京丹後に移っていた玉は、その地、味土野で幽閉。子供たちからも放され、なんと2年におよぶ孤独で悲しい日々を過ごすことに…
「可哀そう…玉さん何も悪くないのに…」と涙ぐむミモロ。それが戦国の世のならい…。

ここ長岡京市では、そんな玉さんを思い、毎年11月2日に「長岡京ガラシャ祭」が行われます。

幸せだった玉のお輿入れを再現する行列など、華やかな祭が…
「今年、見たい!」というミモロです。

さて、2階には、発掘調査で出土したものをはじめ、より詳しく歴史がわかる展示が…
そこは、撮影禁止だったので、ぜひ実際訪れてください…(入館無料)

では、敷地内を巡りましょ!ここには、このお城の歴史がいっそう感じられる遺構などを見ることができます。

「小さいけど、なんか胸に迫る歴史があるお城だね~」と、厳しい陽ざしの中、ミモロは歩き始めました。

*「勝竜寺城」の詳しい情報はこちらから

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京都の西山エリア、長岡京市の古刹へ。平安時代創建と伝えられる「神足神社(こうたりじんじゃ)」

2024-09-07 | 歴史・史跡
「こんなところに神社がる~参拝して行こうね~」とミモロが立っているのは…

「神足神社(こうたりじんじゃ)」の前です。

京都の西、大阪府に境を接する長岡京市は、古代より歴史の変化の折に登場する地域です。
その名は、桓武天皇の時代、延暦3年(784)奈良の平城京から都遷りがされた「長岡京」。しかし、その後、延暦11年、大洪水や桓武天皇の弟の早良親王の死や怨霊などから、延暦13年(794)に平安京へと、また都が遷されることに。わずか10年間の都…その姿は、今は地中に眠ります。

「長岡京って、平安京の基礎を作った都なんでしょ!」とミモロ。そう、そこで培われたノウハウが、平安京に活かされているのだそう。

大阪、京都、奈良への交通の要所であるここ西山エリア…それは、後に明智光秀、また幕末など、日本の歴史のターニングポイントに登場します。さてそのお話は後に…

この日、JR長岡京駅から、トコトコと、猛暑の中を汗びっしょりになりながら、線路に並行して進む、日陰のない県道を歩いていたミモロ。
「ここに神社がある~緑の木々が日陰作ってるのから、少し休憩しようよ~」と境内に進みました。


森の中に姿を見せた「本殿」。まずは参拝を…

ここ「神足神社」は、創建年代は不明ですが、平安時代の「延暦式神名帳」という当時の神社のリストにその名が記された式内社であることから、その前から建てられた神社であることがわかります。

現在の建物は、明治5年に東海道本線の建設に際し、かつての場所から移築され、流造の社殿は、ここに蘇ったとか。建物に関しての情報が見つからなかったので、その年代はわかりません。あしからず…


豪族の神足氏が治めた土地で、もともと旧神足村の産土神社であったと言われます。
現在の標示されているご祭神は、天神立命、舎人親王(天武天皇の皇子)です。

この神社には、なんでも「桓武天皇の夢」という伝説があり、ある日、桓武天皇の夢に「この地に悪霊を祓う神社を建てるよう…」というお告げがあったと…。
「それでできたの?」とミモロ。う~何しろ大昔のお話なので…

ともかく地元の人々に大切にされていたことはわかります。
「絵馬もある~」

今も地元の人たちが参拝する神社です。

「お百度詣りでじゃない…ギャ~千度詣りだって~大変だね~」境内には「御千度詣」でUターンする石碑が

「千回もお詣りしたら、神様もお願い叶えてくれるよね~きっと…」

「神足神社」という名前から、足を守りたいサッカー選手やランナーなどの参拝も多いそう。

*「神足神社」京都府長岡京市東神足2-5 境内参拝自由

さて、神社に参拝したミモロは、次に向かう途中、境内の一角に「土塁の構造」という標示の前に立ち止まりました。

一段高くなっている場所

ここは、城を守るための土塁が築かれた場所で、どのように土塁を作ったか、その構造がわかるように、断面を色のことなるタイルで説明しています。


「土塁?え?ここお城の一部なの?」とミモロ。この地域で現在も進む発掘調査で、かつてあったお城の堀であることが判明。


堀の姿は、草が茂るその中に…

「なんかよくわからない…」とミモロ。でも、そこには、人工的に作られたものがあることはわかります。

さて、その堀などともつながりがある次の目的地へ進みましょう。
それは戦国時代の武将 細川藤孝が築いた「勝龍寺城」です。


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「京の夏の旅」で八坂エリアに聳える「祇園閣」に。スタンプラリーで涼しい味でひと休み

2024-08-31 | 歴史・史跡
文化財特別公開「京の夏の旅」を巡っているミモロ。東山エリアでは、「大雲院 祇園閣」へ

八坂エリアに聳える「祇園祭」の鉾を模した名建築です。

このエリアを訪れる人は、「あれなんだろ?」と。そう、通常は非公開なので、何なのか知らない人も多いのです。

「円山公園」の「長楽館」を見学した後、さらに南へと向かいます。


途中に現れる門。

これが、「祇園閣」が建つお寺の総門です。「ここからは、入れない…」とさらに塀沿いに進んで南側の入口へ。


そこに「京の夏の旅」の受付があります。

「こっちだよ~」と、順路標示に従ってまずは、本堂へ。
そこには、ここ「大雲院」の堂々とした丈六のご本尊阿弥陀如来坐像が迎えます。参拝して、ガイドさんの説明を伺います。

浄土宗の「大雲院」は、天正15年(1587)正親町天皇の勅命で、織田信長と息子の信忠の菩提を弔うために烏丸二条南に建立されました。その後、豊臣秀吉の京都町づくり計画で、寺町四条により大きな寺域をもって移転。時代が移り、その辺りは、京都の町の中心的繁華街に発展。この場所に昭和48年に新たな本堂を建て移転したのです。

「あれ?祇園閣も土地に含まれちゃったわけ?」とミモロ。
そう、この場所の昭和初期まで、「帝国ホテル」などを建てた実業家大蔵喜八郎の別荘で、彼の90才の卒寿を祝すと共に、昭和天皇の御大典記念に、京都を代表する「祇園祭」の山鉾を模した建造物を作ることに。鉄筋コンクリート3階建てで、高さ36m。鉾の先には、大きな金色の鶴が翼を広げている塔です。

その後、この土地は、いろいろな人の手を経て、大丸百貨店の一族が所有していた時、「大雲院」があった寺町四条の土地と、この土地を交換したとガイドの方が教えてくださいました。


「祇園閣」の中は、昭和63年に、中国の画家により、敦煌の壁画を模したさまざまな画が描かれ、そこは仏様の世界。
「え~できた当時は、それはなかったんだ~」とミモロ。そう、「祇園閣」ができた時は、仏教的な色はほとんどない建物だったのでした。

「祇園閣」の塔の上だけでなく、扉や壁面などに、鶴が見られます。

それは、大倉喜八郎の幼名が鶴吉であり、鶴を愛したことから。
でも、実は、この「祇園閣」完成前に、喜八郎は亡くなってしまい、ここを訪れることができなかったそう。

「え~見れなかったんだ~残念だね~。でも、昔の姿、見てみたかった~」と思うミモロです。

「祇園閣」の入口には、大きな狛犬??
  
昭和3年に完成したことがわかる石碑も。

塔の上からの眺望は素晴らしく、遠く大阪の「あべのハルカス」も見えます。(天気がよければですけど…)

お寺と「祇園閣」の内部および周囲の写真撮影は禁止だったので、ぜひ、実際に行ってみてください…。

*「大雲院」の詳しい情報はホームページから

「ねぇ~もうスタンプ2つ集まってるよ~」と、「京の夏の旅」で行われているスタンプラリーの台紙を握りしたミモロ。
じゃ、冷たいもの頂きに行きましょう…ということで、八坂の塔の方向へ、

東大路通との角にある「本家八ッ橋 八坂店」へ。

「ここだ~」と店に飛び込むミモロ。「あの~ソフトください~!」とお店の方に

「京の夏の旅」では、公開場所のそばに9カ所の接待場所があり、スタンプ2つ集めれば、そこでアイスティーやコーヒー、アイスなどが無料で頂けるのです。

「はい、どうぞ~」と渡された抹茶ミックスのソフトクリーム。

「わ~倒れちゃう~」と必死に支えるミモロです。

「ペロリ~美味しいね~」と目を細めます。


「まだ、2つスタンプ押した台紙もってるから、別のとこにも行けるね~」と、文化財特別公開と共に、アイスなどを食べるのが楽しみなミモロなのです。

「あ、虹~」帰りがけ、空を見ると、2重に虹がかかっていました。

「台風、京都に来るよね~」と、不安定な空…台風が次第に接近する様子の京都です。

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文化財特別公開「京の夏の旅」。円山公園の明治竣工の洋館「長楽館」へ。当時の世界的な極上品をふんだんに使った迎賓館。

2024-08-30 | 歴史・史跡
「ここ来るの久しぶり~」と、「京の夏の旅」巡りをしているミモロが訪れたのは、円山公園の洋館「長楽館」です。


通常、レストランやカフェとして人気の「長楽館」。「京の夏の旅」では、通常非公開の最上階の「御成の間」が拝見できます。


「すごく立派な洋館なんだよ~」

ここは、たばこで財をなした明治の実業家・村井吉兵衛が明治42年に国内外の賓客を接待するために建てた別邸です。


内部は、ロココ、ネオ・クラシック、アールヌーボーなど、西洋の建築様式を随所に取り入れ、まるで外国にいるような心地に。

アメリカ人技師のJ.Mガーディナーの設計で、外観は完全な洋館、そして1,2階はゴージャスな洋風、そして3階は、なんと品格ある書院造風の和室という和洋折衷の建築で、その状態の良さおよびあらるゆ面での上質感というたぐいまれな価値から、昭和61年に京都市指定有形文化財に指定されました。

「どんな紳士や貴婦人たちが、この階段上ったんだろ?」と、想像しながら、しずしずと階段を上るミモロ。

それぞれの階の天井が高いため、「わ~結構高~い!」と下を覗いて驚きます。


「京の夏の旅」の受付へ。「はい、ひとりですね~」

「この入場チケットを1階のショップに出すと、焼き菓子が15%オフになりますから、ぜひご利用くださいね~」と。

1階のカフェでは、美味しいケーキやスイーツがゆったりとした雰囲気の中で頂けるのです。


受付の横で靴を脱いで、上の階へと向かいます。
「長楽庵」と名付けられたスペースは、表千家の「残月亭」を写したと言われる広い茶室。

正面の表面が波打つような揺るぎガラスがはまった窓からは、京都の北側を見渡せます。

「あ、平安神宮の鳥居~。あれ~円山公園の枝垂桜もここからだと、よく見える…わ~ここでお花見したいね~」と、

大きな2帖の床の間をもつ茶室にも、洋風な部分が…それは、春と秋を表現した2枚のステンドグラスの窓。

色ガラスを通した光が、茶室の中にも差し込みます。

「どうぞ~こちらの和室へ~」と、ここのガイドを担当する方。

「長楽館」の歴史などをご説明くださいました。

明治初期、煙管用の刻みタバコの行商をしていた村井吉兵衛は、急速に進む日本の西洋化に着目。行商でためた資金で、国内初の両切り紙巻きの製造販売に着手します。「サンライス」や「ヒーロー」と名付けられたタバコは、5年後に年間生産量日本1に。莫大な富を生み出すタバコ産業。そこに目を付けたのが、明治政府…タバコの製造と販売を村井をはじめとする民間企業から買い取り、政府の専売制にします。その権利の譲渡で、村井吉兵衛は巨額の財を手にし、銀行業、石鹸生産、印刷業などさまざまな事業を行う村井財閥を築き上げます。しかし時代の流れの中で、財閥は解体。ここ「長楽館」も、その後いろいろな人の手に渡ります。そして、現在は、土手さんが、土地と建物を所有。その整備、修復などを行い、現在の見事な姿に蘇っているのです。

多くの国内外の賓客をもてなした「長楽館」。その名の由来は、伊藤博文の歌からだそう。

今回公開された「御成の間」は、格式の高い折り上格天井と豪華な金箔の襖絵が見事です。

「いままで洋館の中にいたから、ここに来ると、また別世界にいるみたい~」とミモロ。おそらくここに招かれた国内外の賓客も同じように感激したことでしょう。

「天井に素敵な照明が付いてる…」と天井を見上げるミモロ。

「これは、バカラ製のシャンデリアですよ。当時のものです」との説明が…
さすが、見事な和洋折衷。上質なもの同士は、巧みに調和するもの。

金箔の襖絵などには、千鳥がいろいろなところをノビノビと飛んでいます。


「大切な建物だね~」と、訪れるたびに思います。

「あ、ここから祇園閣が見える…ここから行ってみようよ、ちょうど特別公開してるし~」と、ミモロは、次に近くの「大雲院 祇園閣」へ向かうことに…


*「長楽館」の詳しい情報はホームページから

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かつて「妙法」の送り火も見えたという客間。趣ある素材を活かした松が﨑の「松雲荘」。

2024-08-19 | 歴史・史跡
「お邪魔しま~す」と、和室の座敷にやって来たミモロ。

ミモロがいるのは、松が﨑の建築家、吉村篤一さんの生まれ育った家。

8月17日と18日に無料で一般公開されました。


昭和4年に建てられた家は、洋風な暮らし方を先取りした設計。家に住まう家族の洋風の暮らしと、訪れるお客様へ、伝統の和室のおもてなしができるようになっています。

ミモロは洋間から、廊下を経て、和室へ。


お座敷の位置は、家の北側、床の間は、東向きで、お茶が楽しめるように、炉が切られています。
「床の間拝見…」


「お庭もよく見える~」

お庭は敷地の北側に位置。石灯籠がある和の庭園です。
「もしかして、ここから松が﨑の山もよく見えたんじゃないの?」と今は、マンションで遮られてしまいましたが、その前は、座敷から、「五山の送り火」の「妙法」が眺められたとか。

北側のお庭の植物は、南に向いて枝や葉を延ばすので、南側の庭より、生き生きとした景色が眺められると言われます。


「お庭も歩いてみよう…」と家を出て、お庭の散策へ。


和室の前を通り過ぎ…


「ここから山が見られたらよかったのにね~残念…」と、山の景色を想像するミモロです。


見上げると、緑の枝越しに、2階の窓が見えました。


グルリと庭を巡ると、1階の南側の洋間が…「なんか洒落た雰囲気の窓…」

「奥のテラスまでは、見えない…」と、それ以上は立ち入り禁止。そこで引き返します。


庭で深呼吸するミモロです。


「なんか気持ちいいお家とお庭だね~」現在も、この家を所有なさる建築家の吉村篤一さんのご一族。大切に守られる家は、京都の宝物です。

「さぁ、帰ろう~帰りに、植物園寄ろうかな?」


松が﨑の住宅地から、北山通へ、自転車で向かったミモロです。


*「松雲荘」京都市左京区松が﨑雲路町6番地(通常非公開)

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