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ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

年内にリポートしたい!大阪らしさいっぱいの「法善寺横丁」。大阪名物の「夫婦善哉」を頂きました。

2021-12-26 | 大阪

「あ~どうしよう~もう2021年が終わっちゃう~その前にお伝えしたことがいろいろ残っちゃった~」とここになって慌てるミモロ。
そのひとつが、今年、何度も行く機会に恵まれた大阪のリポートです。「これが有名な夫婦善哉なんだ~」

大阪の道頓堀からほど近い「法善寺」のそばでいただける1人前2椀が並ぶことから、夫婦善哉と呼ばれるようになったという大阪名物の一つです。

さて、まずは「法善寺」への参拝から。

「浄土宗天龍山法善寺」は、もともと京都の宇治にあった寺院で、寛永14年(1637)に、念仏聖の専念法師によって、この地に移されました。千日におよぶ念仏回向を務めるなど、民衆の心と暮らしに寄り添う寺として、以来大阪の人々の厚い崇敬を集めています。
このエリアが「千日前」と呼ばれるのは、この千日回向に由来しているのです。

町中にあるお寺は、何度も火災に遭い、さらに大阪大空襲で焼け野原となり、その中に残っていたのが、「水掛不動尊」だったそう。

「西向不動明王」は、大勢の参拝者に水を掛けられ、全身鮮やかな緑の苔を纏っています。「みんなの願いが苔になってるんだ~」と、ミモロもそばの柄杓で水を掛け、手を合わせました。

境内には、「金毘羅堂」や「お初大神」などの仏様もお祀りし、24時間いつでも参拝できるのです。

この「法善寺」の北側にある2本の路地が「法善寺横丁」と呼ばれ、串カツ、お好み焼き、寿司など約60軒の大阪グルメの店が軒をつられています。


「ミモロちゃん、ちょっと休憩しましょうか?」と、ここに連れてきてくれたお友達。「うん、休憩したい!」とミモロが案内されたのが、すぐそばにある「夫婦善哉」というお店です。

「いらっしゃいませ~」とお店の方。

明治16年竹本琴太夫こと木文字重兵衛という人が始めた「お福」という名の善哉屋。ほかの善哉店との差別化のため始めたのが、1人前2椀の善哉。「こりゃおもろい~」と大いに話題となり、以来「夫婦善哉」と呼ばれ、大阪名物になってゆきます。
もともと「お福」という名の店でしたが、昭和39年に、現在の「和食さと」を展開する「サトフードサービス」が、その暖簾を引き継ぎ、平成18年には、周囲の都市開発に伴って、新たなビルの1階に、昔ながらの暖簾を守る店舗として今に至ることに…。


お店に入ったミモロは、さっそくお品書きを拝見。

「やっぱり名物の夫婦善哉食べなくちゃ~」と、すでに心は決まっています。

この店を一躍全国的にしたのは、昭和15年に発表された織田作之助の小説「夫婦善哉」です。夫婦の愛情劇を描いた小説は、映画化され、一期にその名は全国へ。

店には、歴史を物語る資料が展示されています。

何度も映画化され、その一本が蝶々・雄二の作品で、大阪の人情が人々の胸に迫る作品に。

ここには、多くの芸能関係者が来店。まさに大阪の文化が感じられる場所のひとつ。


「来た来た~」ミモロの前には、2つのお椀。「なんか2倍得した気分…」と。

「ほんのりした甘さがたまらないね~塩昆布との相性も抜群…」とあっという間にペロリ。
訪れたのは、今年の夏だったので、その時は、かき氷もありました。


店の一角には、オリジナルグッズのコーナーも


今もお店のアイドルは「お福」さん。「また来ます~」とお福さんに寄り添うミモロでした。


*「夫婦善哉」の詳しい情報はホームページで

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「四天王寺」門前の[釣鐘まんじゅう]で有名な、創業明治33年の「総本家 釣鐘屋」

2021-11-13 | 大阪

「なんか雰囲気のあるお店~」とミモロが「四天王寺」参拝の帰り道に足を止めたのは「総本家 釣鐘屋」。


いかにも長い歴史を感じさせる佇まいのお店は、この地域では知らぬ人はいない老舗のお饅頭店です。

ここの名物は、「釣鐘まんじゅう」

小さな釣鐘の形をした焼き饅頭で、カステラ生地の中にはたっぷり自家製の餡が詰まっています。
「人形焼きのたっぷり餡って感じかな?」とミモロ。

店の奥では、職人さんが昔ながらの手焼きの技で、丁寧に焼き上げるのだそう。

「残念…焼いてるとこ見たかったなぁ~」と。

「あの~なんで釣鐘の形してるんですか?」と、お店の方に尋ねます。
「これは、『四天王寺』の大きな釣鐘を初代がモチーフに考案したお菓子なんですよ」とお店の方。
「え?『四天王寺』に釣鐘あったっけ~???」と、見損なったのかもと思ったミモロです。
「あ、今はないんですよ~」「あ、そうなんだ~」

実は『四天王寺』の釣鐘は、道路標示にもみられるように、地元では有名なものなのだそう。
今から100年前、聖徳太子没後1300年の記念事業として明治30年に鋳造が計画され、6年後完成した釣鐘です。
その大きさは、高さ約7.8m 周囲約16m 口径約4.8m、口の厚さ50㎝、総重量約157トンという巨大なサイズ。世界最大の釣鐘と言われ、大阪市民の注目を集めたのです。
「すごい~京都の知恩院の釣鐘も大きいけど、それの2倍くらいになるんだって~。きっとすごい音したんだろなぁ~」と、想像するミモロです。


「え~でも、そんなりっぱな釣鐘なのに、どうして今ないの?」とミモロ。
「それは、戦時中の昭和17年に金属回収令で供出したんです」と。「え~京都の『豊国神社』にも大きな釣鐘があるけど、大きくて外せなかったからって、供出できなかったって、お寺の人が言ってたけど…ここよりずっと小さいのに…どうやって鐘楼から外したんだろ?」と不思議に思うミモロです。

どうやって、運び出したかは、残念ながらわかりませんが・・・

供出することになったのは、その釣鐘が鳴らされていなかったことが影響しているのかもしれません。
なんでも、あまりに大きいため撞くと、地響きがすごく、しかもあまりいい音ではなかったため、釣鐘の音としては、評判がイマイチだったそう。
また、京都の「豊国神社」や「知恩院」の釣鐘のように歴史がなく、製造時期が明治末期だったことも、供出対象になった理由のひとつかも…と推察します。

でも、供出された「四天王寺」の「大釣鐘」は、地元の人の心に残るもので、今も語り継がれているのです。

「総本家 釣鐘屋」の初代店主は、その釣鐘をまんじゅうにして、参拝者に大いに喜ばれ、「四天王寺」の名物を作ったのです。
釣鐘は、「四天王寺」にはありませんが、この店には、今も釣鐘がいっぱい。

ちなみに、鐘楼はなんと戦火を免れ、国のために命をささげた戦没者の御霊を供養する「英霊堂」として改装し、今に至っています。

「釣鐘まんじゅう」のほかには、香ばしい玉子せんべいの「釣鐘せんべい」も人気。


「どれかお気に入り見つかりましたか?可愛いクマちゃん…」とお店の方。
「あの~ネコなんですけど…」とミモロ。「あ、ごめんなさい~」と慌てて謝るお店の方。
「大丈夫、よく言われるんで…」と、いつものように答えました。


さんざん悩んだ末にミモロが選んだのは、「釣鐘カステラ」。もっちりとした食感の一口サイズの釣鐘型のカステラです。


店内には、釣鐘の模型など、建物にも釣鐘のデザインが…「本当に、釣鐘愛にあふれたお店だね~」とミモロ。


「四天王寺」の参拝の折には、ぜひ立ち寄ってはいかがでしょ?

*「総本家 釣鐘屋」の詳しい情報はホームページで。お取り寄せも可能です。


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日本仏法最初の官寺「総本山 四天王寺」。聖徳太子が逝去され千四百年。再建後、初の秘仏の御開帳も

2021-11-12 | 大阪

「ここが『四天王寺』なんだ~」と感慨深げなミモロ。大阪天王寺にある聖徳太子が建立された日本初の官寺です。

推古天皇元年(593)に建立された、「飛鳥寺」と並びに本格的な仏教寺院として最古のお寺なのだそう。


京都から京阪電車と大阪メトロ「御堂筋線」を乗り継いで「天王寺駅」から徒歩10分ほど。
「思ったより近いんだ~」と、約1時間半で到着しました。

今年10月から来年4月まで、「聖徳太子千四百年御聖忌慶讃大法会」が行われます。特別な企画が予定されているのです。


中門、五重塔、金堂、講堂が南北に配置された伽藍を中心に、方丈や宝物館などが広い境内に配置されています。


そもそもここは、仏教を人々に広めるだけなく、人々を救う薬局や病院、また身寄りのない人たちのための社会福祉施設の役割を担っていたと言われます。

寺域は、約11万平米と言われる広大なもの。しかし度重なる戦火や天災で何度も建物は焼失。昭和20年の大阪大空襲でも、伽藍の大半を失ってしまいます。一部焼失を免れた建物は、昭和29年に重要文化財に指定。昭和38年に飛鳥時代の創建当初の様式で再建されたのが、現在の伽藍の姿です。

金堂には、ご本尊の救世観世音菩薩さまが祀られています。「なんか法隆寺の釈迦三尊像に雰囲気が似てる~」とミモロ。金色に輝くお姿に手を合わせるミモロです。


「遠くからでもここが「四天王寺」だってわかるよね~」というのが、五重塔。昭和34年に再建された高さ39.2mで鉄筋コンクリート造りです。

中門の両脇にいらっしゃるのは金剛力士像。身長5.3m、重さ1トン、顔のサイズ70㎝で、奈良の「東大寺」の仁王像に次ぐ大きさだそう。
「あれ?夢殿がある~」

そこは「聖霊院 奥殿」で、そこには49歳の聖徳太子摂政像(秘仏)が祀られているとのこと。

それに続く「前殿」が、今回特別公開され、「聖徳太子16歳像(秘仏)」が再建後、初御開帳されます。
「あの黒い像が聖徳太子さまがティーンエージャーだった時のお姿?う~よく見えない…」と目を凝らして見つめるミモロですが、さすが秘仏なので、公開されてもかなり奥にいらっしゃるため、はっきりと拝見することはできませんでした。
「でも、ありがたいよね~」と言いながら、お線香を奉納し、拝むミモロです。

創建当時の姿を建物には見ることができませんが、その当時の遺構と言われるものが出土しています。

排水管や石の棺。当時の優れた建築技術が伺える遺構です。

「あれ~いろんなとこに五色の紐が繋がってる~」と空中を仰ぎ見ると、そこには「結縁綱」が…。

この期間、境内に結ばれた綱で、仏様や聖徳太子とのご縁をいっそう深めることができるもの。

「きっと聖徳太子さまも、コロナ禍で人々が困っているのを心配されているに違いないね~」と、人々を思う太子の思いが感じるミモロなのでした。

*「四天王寺」の詳しい情報はホームページで



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「なみはや講談フェスティバル」三代目南陵の芸の継承と発信。12月6日から12公演 

2021-11-11 | 大阪

「なみはや講談フェスティバルをするので、ミモロちゃん、記者発表会に来てくださ~い」とご連絡を受け、大阪の「光照寺」を訪れました。


このフェスティバルは、コロナ禍で講座が少なくなった講談師のみなさんの支援および講談という日本文化の継承のため、文化庁の支援のもとに行われることになった講談のフェスティバルです。

この日、記者発表会には、「なみはや講談協会」のみなさんが勢ぞろい。


「講談って、何回か聞いたことあるけど…」と実は、あまり知らないミモロですが、記者発表会には、各新聞社の文化担当のベテラン記者さんたちに混じって出席です。


さて「なみはや講談協会」とは…

無形文化財「講談」の保持者認定をうけ、文化勲章なども受賞された三代目旭堂南陵さんの直弟子を中心に2018年に発足。南陵の芸と心意気を継承し、古典だけでなく、新しい講談の模索・研究に取り組んでいる方々がメンバーになっています。

現在、会長を務めるのは旭堂南鱗さん。

「多くの方に、講談の魅力を知っていただきたいですね。南陵の芸は、人々の心を打つもの。時代を超えて、若い人にも講談というのは、わかっていただけるものなんですよ」と。南鱗さんは、幕末から続く名跡を継ぐ講談界の重鎮です。

女性講談師として活躍する旭堂南華さん。

「講談は、男性の社会で、私が講談に惹かれて入門したとき、なかなか大変な状況でした。でも、その中で、南陵師匠は、いつも励ましてくださって…。男女の垣根がない感覚をお持ちだった方なんです」と。母と子の世話物を得意として、心に触れる講談が人気。

若手で、今回の講談フェスティバルで前座を務めるのは、旭堂一海さん。

「今、修業中で、できるだけ多くの講談の演目を覚えることが課題です」と。
昔は、師匠などの講座を見て、そこで覚えていたそうですが、今は、レコーダーなどもあり、習得するやり方もスピードアップされるように…。師匠や先輩の語り口を体で覚える日々を過ごされています。

さて、記者発表会の進行役を務められたのは、旭堂南湖さん。

講談の演目の伝承に向け、研究と収集、記録などにも励まれています。
「講談は、その時代を映し出すもの。講談には、その時代の人々の思いが込められていると同時に、現代の人々が抱く思いをも物語っているんです」。

最近出版された「講談全集」(レベル発行 2200円)。「これを読めば、講談の面白さがよくわかるかも…」とミモロも読みことに。

講談の世界をもっと知りたいミモロです。

今回の講談フェスティバルでは、軍談。世話物、金襖など古典講談の主要ジャンルをすべて披露。新作なども登場します。


特に12月14日は、赤穂義士討ち入りの日。この日は、「赤穂義士伝特集」で、それぞれの方が、名場面を披露します。
「へぇ~赤穂義士のお話って、すごくたくさんあるんって~」と何も知らないミモロ。

さらに講談フェスティバルには、今回の企画実施に携わった落語家の笑福亭たまさん、さらに上方落語協会会長の笑福亭仁智さんも講座に上がります。
また12月30日31日には、東京から宝井琴調さんも講座に。

「講談ファンには、見逃せないものばかりなんだって~。ミモロも興味ある~」と。

「なみはや講談フェスティバル」は、12月6日から12月31日までの6日間に昼・夜の12席あり、神戸新開地「喜楽座」にて開催。
1回視聴券は、3,000円、前半・後半各6回の視聴通し券は5,000円です。
「う~通し券の方が、かなりお得…通っちゃおうかな…」とミモロ。
チケットは、「喜楽館窓口」およびチケットぴあ、セブンイレブン(597-410)で発売中です。


「どうぞ、講談ファンの方も、また講談を知らない方もぜひお運びください~」と。


ぜひ、コロナ禍で疲れた心を癒すためにも、心にしみるひとときを


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菅原道真公が太宰府に行くときに祈願した「大阪天満宮」。天神祭で有名な神社。

2021-11-01 | 大阪

「梅の形の絵馬可愛いね~」と、ミモロがいうのは、「大阪天満宮」の絵馬


大阪の天満橋エリアをトコトコ歩いていたミモロは、「ここにも参拝して行こう~」と雨にもかかわらず訪れたのでした。


「大阪天満宮」の歴史は古く、奈良時代に孝徳天皇が難波に都を遷した時、それを守護するために「大将軍社」という神社をお祀りになったのが、この神社のルーツとか。

「あ、孝徳天皇って第36代の天皇様で、重祚なさった天皇(舒明天皇の皇后だった方)の間に即位されて、難波に置いてきぼりにされちゃったんだよね~」と、御陵印集め以来、歴代天皇の本に夢中になったミモロ。孝徳天皇の時代は、天智天皇がご即位される前の時代で、蘇我氏といろいろあった時代。大和から都を遷したものの、しばらくして中大兄皇子など側近の人たちが、大和へ再び都を遷すことにして、帰ってしまい、ひとり失意のなか難波の宮で崩御なさった天皇です。

もちろんその頃は、ここら辺は、森が広がっていて、そこに社を祀ったとか…。「今なら、町のど真ん中でから寂しくないけど、昔はきっと寂しかったよね~」と、変なことに思いを馳せるミモロです。


平安時代になって、菅原道真が太宰府に流されることになり、その途中で、ここに旅の安全などを祈願しに立ち寄られたのだそう。
太宰府で道真公が亡くなって、50年ほど後になって、参拝された「大将軍社」の前に、突如7本の松が生えて、毎晩、その枝を光らせたのだそう。その話を聞いた村上天皇の勅命で、ここでも社を建てて、道真公の御霊をお祀りすることに・・・。

それが「大阪天満宮」の始まりだと、資料に…。

「へぇ、ここにも道真さん立ち寄ったんだ~」あの~もちろん今のような建物はないのよ…

「うん、わかってるって~」とミモロ。京都から大阪をへて、神戸の須磨から船で太宰府へ向かいます。

時代を経て「天神信仰」が人々に広まり、この地に「天満宮」ができた年(951年)に始まったとされる「天神祭」。1500年以上の歴史を誇る大阪を代表する祭りへと発展してゆくことに。
「あの、川にお船がいっぱい出る祭りでしょ?ここのお祭りだったんだ~」と、以前、見物したことがあるミモロです。
神事は、社頭の浜から穢れを祓うための鉾を流し、それが流れ着いたところに斎場を設け神様をお迎えするもの。
そして、神様に氏子の町を清めていただくために、陸で、神輿や鳳輦の渡御を行い、それから川で船での渡御が行われます。
「あのお祭り、そういうことだったんだ~」と、船渡御のごちそうなどに気を取られていたミモロでした。

「さぁ、参拝しよう~」と、ミモロは本殿へ進みます。


天神さまを象徴する梅の紋が至る所に…


はじめの赤い絵馬もここに奉納されていました。

さて、ここ「大阪天満宮」は、創建以来、なんども火災で焼失したそう。
現在の建物は、江戸末期に再建されたもの。あの「大塩平八郎の乱」天保8年(1837)で全焼。その6年後に氏子や大阪の町衆によって再建されたのだそう。

太平洋戦争でも焼失を免れ、現在に至ります。
「みんなに愛されてる天神さまだね~」とミモロもしっかり参拝。


境内を出て、神社の周りをグルリと回って、至ったのは、「蛭子門」。
この辺りだけなぜか、りっぱな石垣が続きます…


その門の前には、満面の笑みをたたえる蛭子様の姿が…


傍らには石碑があり、なんでもこの門のそばにかつて蛭子社があったのだそう。


毎年1月9日から11日に行われる「天満天神 えびす祭」には、福笹などの授与をはじめ、福娘などの行列も行われ、とても賑わうのだそう。
「来年、来てみようかな?」と、いろいろなえびす祭を楽しみにするミモロです。

また、門のそばには、「大阪ガラス発祥の地」という記念碑が…。

なんでも江戸中期の宝暦年間に長崎の商人、播磨屋清兵衛が、オランダ人により長崎に伝わったガラス製造の技術を大阪に持ち込み「大阪天満宮」のそばでガラス製造を始めたのだそう。

「いろんなことやものが天満エリアにあるんだね~」と、大阪の町についてあまり知らない京都のネコです。

「京都の歴史や産業をもっと知るために、大阪のことも知らないと…」と最近特に思うようなったミモロ。
そう、京都の町の発展は、すぐそばに大阪という大都市があったからこそ…。

「さぁ、帰ろう…」ミモロは、天満宮の門前町の「天神橋筋商店街」を歩きます。

「なんか長い商店街だね~」とキョロキョロ。
実は、「天満橋商店街」は、全長2.6kmにも及ぶ「日本一長い商店街」だそう。
そこは、昔ながらの金物屋さんをはじめいろいろな飲食店などが…。「こんどゆっくり見に来よう~」というミモロでした。

*「大阪天満宮」の詳しい情報はホームページで


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