波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

8年前乳がん発覚時のこと【4】・・・入院直前、赤ちゃんと初めてのお正月

2012-01-13 17:40:58 | 8年前乳がん発覚時のこと
 前回の【3】では、2003年12月19日に大学病院に初受診し、生検と入院予定が決まったところまで。

19日の翌日は土曜日。私の両親もそのまま我が家にお泊まり。朝起きるととても寒いが空は快晴。
気持ちは複雑で揺れ動いているけど、家族がみんな集まっているから何となく安心。
気分転換に、皆でベビーカーをひいて散歩に出かけた。子供はにぎやかな雰囲気でお散歩ができて
ご機嫌な様子。私もお日さまを浴びながら、がんではなくてこんな穏やかな日々が続きますように、
と願わずにいられなかった。

週末が明けて12月22日月曜日は、断乳のため、○ケタニに行った。
いつも施術をしてくれる助産師に事情を詳しく話し、断乳のためのマッサージをしてもらう。
しこりを触りながら助産師曰く「ほら、よく動くしこりだし、まさかこれががんだなんて考えにくいよ。」
私も、そうだよそうだよ、と思いつつ、でも脇のぐりぐりはどう説明するんだ、と思い悩む。

街はクリスマス一色。イブの24日は子供の予防接種に、25日はまた○ケタニへ。
クリスマスなのに、私は必死にパンパンのおっぱいを絞り、頭はがんのことでぐるぐる。
25日は父が来てくれて、私の代わりにクリスマスケーキでささやかなお祝いをしてくれる。
子供はまだ赤ちゃんでクリスマスはわからないだろうけど、子供ができて初めてのクリスマスは、
こうして寂しくならずにすんだ。家族って有難い。

クリスマスが終わり年末モードに突入。乳がん騒動がなければ、30日から大阪に帰省の予定で、
荷造りしていたころだろう、それが同じ荷造りでも入院の準備になってしまった。
お正月は、私の両親のいる横浜で新年のお祝い予定。

大みそかは自宅で静かに迎える。子供を寝かし付けて、ダンナと二人で紅白歌合戦と年越しそば。
この年の大トリは、SMAPの「世界にひとつだけの花」で、白組圧勝。

明けて2004年元旦は我が実家へ。両親にとっては、待ちに待った初孫を迎える初めてのお正月。
加えて、弟夫婦にも子供ができたようで、9月出産予定。もうおめでたいことだらけ。
みんな知っているけれども、間違っても自分の乳がんの話題はできない。少しでも触れたら、
絶対父が泣き出すだろう。私も、子供と初めて過ごす幸せなお正月を味わった。
そう、乳がんの疑い濃厚だなんて何かの間違いだ、と考えないようにして。

夜になりそろそろお開きという頃、おもむろに父から、これからの入院の予定とかどうなってるんだ、
スケジュールを確認しよう、ということで、現実に引き戻された。
父も実は心配で頭から離れてなかったんだろう。
でもこうして楽しくお正月を過ごせてよかった、私のせいで暗い雰囲気にならなくて本当によかった。

あくる日2日は、義母が大阪からやってくる。私の入院は明後日4日からの予定で、
手術になれば3週間ほど入院になるので、その間子供の世話と家事を一手に引き受けてもらうのだ。
実母は、入院中の私の世話を担当。もう、老親総出でアッピア乳がん手術プロジェクトのスタート。
(アレ?ダンナの役割は?一応医師の説明の同席とか、お見舞いとか・・・。でも両母の活躍で
 だいぶ助かったと思う思う。)
ちなみに、義母は10年以上前に乳がん手術をしており、今回の私の手術にすごく胸を痛めている。

かわいい孫の世話ができて有難いと言ってくれているが、0歳児の世話は生半可ではない。
オムツやミルクや昼寝や離乳食のことなどノートに書いて説明した。義母も必死。
私はその間、断乳と入院準備でバタバタ。

そしていよいよ2003年1月4日、入院。翌5日に生検。結果を待って7日に手術予定。
私は、もしかしたらシロかもしれないとまだ希望は持っていたのだが、実はすでに腫瘍マーカーCEA
が高く、病院側はクロという前提で手術に向けて準備していたのだ。

つづく・・・。



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コメント (5)
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