波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

8年前乳がん発覚時のこと【7】・・・退院後の孤独

2012-01-31 16:13:53 | 8年前乳がん発覚時のこと
 
2004年1月下旬に退院。
自宅へと帰るタクシーの中で、「あー、生きて帰れたんだ。」と(大げさではなくて)実感。
窓から見える表参道の景色が眩しい。またここに元気に遊びに来るような日が訪れるのだろうか。

自宅に着き、ドア開けると、義母が息子を抱っこして迎えてくれた。
息子(生後8ヶ月)は嬉しそうにというか半分不思議そうに私に抱っこされる。
あああー、暖かくて柔らかい。ふ~、やっと家だ。またいっしょに生活しようね。
おっぱいないし、髪の毛も無くなるけど、びっくりしないでね。
義母は大阪に帰らず、しばらく私のサポートのためにいてくれる。

(当時の手帳をめくり、思い出しながら書いています。)

なるべく日常を早く取り戻そうと、子供の予防接種や子育て教室やらに通った。
ベビーカーで散歩にも出かけた。駅周辺にはベビーカーを押しているお母さんがたくさんいる。

どのお母さんも健康で元気そう。“がん”なんて無縁に違いない。それに比べて私は
助からないがんになってしまい、その上おっぱいもない。元気そうなお母さんたちは、
子供の将来の事考えたり、成長を楽しみにしているんだろうな、成長を見届けるなんて
母親として当然だし。でもその当然のことが、私には多分叶わないんだ。子供の成人式
どころか、小学生いや幼稚園に通う姿さえ見られるかどうかわからない。まだ赤ちゃんなのに、
いつ別れが来るかわからない。そんな思いを抱えたまま子育てしないといけないんだ。
そんなの辛すぎる。そんなのきっと私だけだ。

他のお母さんを見るたび、必ず条件反射的にそんなことを思ってしまう。そしてその度に
悲しくて情けなくなる。私は、私だけはこっち側の世界に入ってしまったのだ。数年以内に
死ぬかもしれない世界。私だけ・・・世界が違う、景色が違う。すごい孤独感。

若いお母さんだけではなく、私よりうんと年上のおばさんやおばあさんを見ても落ち込む。
あー、こんなに長生きできていいなあ、孫もいるんだろうな、私は恐らくそんなに歳をとる
ことができない。コワイよ、コワイよ、私は、私だけこれからどうなるんだろう。
今ベビーカーで子供連れて散歩しているけど、1ヶ月後は、半年後は、来年はどうなっているんだろう。
考えてもキリがない、意味がないことを、ぐるぐる考えては落ち込む。自分ではどうすることもできない。

こんな精神状態だから、家でダンナにあたることも多い。
「あなたはがんじゃなくていいよね。私はあと数年しか生きられないんだから、何をしても
意味ないし。」
「キミには○○(子供の名前)がいるだろう、まずそのことを考えなよ。」
「そんなこと言ったって、もちろん子供のことは第一だけど、それとこれは違う。
 不治の病は不治の病なの!もうダメなの!」

もう、こうなるとだだっこ状態だ。自分でもどう気持ちを整理していいかわからないのだ。

義母は「○○(子供の名前)もおるんやし、絶対治るて。治ってくれな困るで。
    明るうしてれば病気かて逃げるよって。」

力なく苦笑するしかない私。

(今考えても、ひどい精神状態だったと思います。)

退院後、通院は週1~2回。抗がん剤や傷の処置の他、精神科にも通っていた。
精神科ではカウセンリングのみで、薬の処方は確か無かった。薬をもらっていてもよかったかも、
と今は思う。

抗がん剤CEFの副作用は、投与当日の夜が数時間気持ち悪くて動けないことと、その後数日間
軽い気持ち悪さが続くこと。だるさもあったと思うが、当時は副作用かどうかよくわからなかった。
髪の毛も抜けてきた。洗髪後にごそっと。初めて見るそれは、恐ろしい光景だった。義母も泣いた。
(3回目ともなると、バリカンでさっさと刈って息子に触らせて遊んでいるんだけどね。)

そして、さらに落ち込みのピークがあった。退院後2ヶ月ぐらいのころ。
そう、民間療法のクリニックに行くために用意してもらった、診療情報提供書。
気になって封を開けると、そこに病理診断書があった。数字とアルファベットの羅列で
難しそうだけど、いちばん気になっていた、リンパ節転移数・・・・27個!驚愕の数字が
飛び込んできた。一気に落ちた。少しは前向きになろうと努力していたが、この数字を見ては
もう無理。絶対再発する、いやもうどこかに転移しているかもしれない。
治ると信じてがんばろうよ、なんて周りは言うが、それって無・駄・だ・よ!
ダイニングの机に突っ伏して泣く日もあった。

ネガティブ連鎖から抜け出せない、8年間の闘病生活の中で、いちばん辛くキツイ日々でした。
そうは言っても、毎日、育児、家事、通院などで、一日はアッという間に過ぎて行く。

そして、じたばたの中で統合医療に目覚める、つまりは民間療法にハマってしまったのだ。

つづく・・・。



*** 重苦しい記事になってしまいましたが、今の私は元気でーす。だから気軽にコメントいただければ
   嬉しいです。大阪的突っ込みも大歓迎ですう~。 ***




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コメント (31)
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