孫崎享の「日米開戦の正体」(510p)、実に示唆に富んだ本です。
日米開戦の発端は既に日露戦争後、ポーツマス条約により日本が得たとされた「権益」とは何かという解釈の違いにあった、ということが様々な証言をもとに示され、私にとってはまさに『目から鱗』でした。
ポーツマス条約を言葉通りに取れば、日本がロシアから得たのは南満州鉄道の経営権のみ。満州は清国が主権を有するということが明記されています。これを陸軍の一部が満州で特殊な利権を得たと(わざと?)勘違いし、その利権を守るために満州支配を画策します。条約を文言通りにとって、国際協調を唱えていた伊藤博文は暗殺されてしまいます。実行犯は朝鮮人の安重根でしたが、陸軍関係者がそそのかした疑いあり。
本来権利のないところで軍隊が駐屯し、現地支配をすれば、当然国際的に非難を浴びます。満州支配は特に英米との関係を悪化させます。中国で台頭していた民族主義・反帝国主義も日本にはマイナスに働きます。こうしたことを予見していて、満州支配や中国への戦線拡大に反対を唱えていた要人たちが次々に暗殺(2.26事件はその一端)、左遷などで葬られていき、中国や米国への理解の足らない陸軍が政局を支配していったため、政治家も外務省も引いては昭和天皇まで、明確な反発を避け、日米開戦への道にずるずると引きずり込まれていったことが克明に描かれています。
陸軍側の読みは実にご都合主義で、アメリカが適当なところで妥協して、停戦の運びになるものと考えていたというから呆れるばかりです。当時の日米の国力(生産力)の差は10対1。まともに戦える筈などなかったのに、一度得たと思われた満州利権を守るため、またそのために既になされた多大なる犠牲を無駄にしないために日米開戦に突っ走り、さらなる犠牲をもたらしてしまった、とのことですが、これは株で大損して、それを更なる投資で補填しようと深みに嵌るあほなケースとそっくりですね。
勝つ見込みがないことは真珠湾攻撃作戦の中心を担っていた山本五十六連合艦隊司令長官もはなから分かっていたようです。彼は「それは是非やれといわれれば、はじめ半年や一年の間はずいぶんあばれてごらんに入れる。しかしながら年三年となれば全く確信はもてぬ」と1940年9月に近衛首相に対して発言しています。
また陸軍軍人でありながら石原莞爾は日米の国力差が分かっていました:「負けますな。(略)アメリカは一万円の現金を以て一万円の買い物をするわけですが、日本は百円しかないのに一万円の買い物をしようとするんですから。」(孫崎享著『日米開戦の正体』、p49)
彼は東条英機と対立して敗れ、閑職に追いやられてしまいました。
「政党の有力者または有能な官僚の一部は、あるいは故意に、あるいは心ならず、軍部に協力を示し、よって権勢の地位につくことに心がけた」と第47代首相で元外交官の芦田均が振り返ってますが(孫崎享著『日米開戦の正体』、p459)、この状況、現在も同じですよね。
マスメディアもまさに「軍部に協力を示し、よって権勢の地位につくことに心がけた」という態度そのもので、読売新聞戦争責証委員会『検証 戦争責任』が、「関東軍が、満州国に国民の支持を得ようと、新聞を徹底的に利用したのも確かだ。しかし、軍の力がそれほど強くなかった満州事変の時点で、メディアが結束して批判していれば、その後の暴走を押しとどめる可能性はあった」と指摘しています。この反省が現在に活かされているようには思えません。
そういう意味で、(安倍独裁政権の)今、真珠湾攻撃というアチソン国務長官(当時)をして「これ以上の愚策は想像もできなかった」(孫崎享著『日米開戦の正体』、p58)と言わしめた愚行を振り返る意味は大きいと思います。
集団的自衛権、原発再稼働、TPPなど、指導者が嘘や詭弁で誤魔化し、マスコミは検証もせずにその嘘や詭弁を拡散し、国民がそれを無批判に鵜呑みにし、一定の方向へ誘導される図式は真珠湾攻撃へ至る道と驚くほど似ています。
昭和天皇の立場も興味深いです。1945年9月27日、天皇が初めてマッカーサー元帥と会見したとき、「もしわたしが戦争に反対したり、平和の努力をやったりしたならば、国民は私を精神病院か何かにいれて、戦争が終わるまで、そこに押しこめておいたにちがいない。また、国民がわたしを愛していなかったならば、彼らは簡単にわたしの首をちょんぎったでしょう」と語った(ジョン・ガンサー著『マッカーサーの謎』、孫崎享著『日米開戦の正体』、p488に引用)、とあります。私見ではここで言う「国民」は陸軍強硬派と置き換えるべきでしょう。マスメディアに踊らされただけの大衆が天皇の斬首を求めるとは思えません。
昭和天皇は初めのうち日米開戦に難色を示していました。その態度を貫かなかったのは恐らく軍部からの圧力があり、保身のために妥協せざるを得なかったのでしょう。国家元首として褒められた態度ではありませんし、国や国民のことよりも保身の方に重きを置いた彼自身の責任は問われるべきだと私は思います。たとえそれで幽閉か暗殺の憂き目にあった上に結局戦争は避けられなかったのだったとしても、すくなくとも一般大衆の戦争に対する見方は違ったのではないでしょうか。なぜならそれは軍部の暴走であり、その統帥権を持つはずの天皇の「お墨付き」がなかったことになるのですから。そして若い兵士たちが「天皇陛下のために死ね」と教え諭され、またその通りにその命を散らしていくこともなかったでしょう。その意味で、不本意とは言え「お墨付き」を与えてしまった昭和天皇の責任は重大です
それはともかくとして、興味深いというのは天皇個人が何を考えているかは右翼団体にとって重要ではないという点です。彼らの掲げているのは「利用する天皇制」で、「ゾルレン(あるべき)姿の天皇を守るためにはザイン(ある)天皇を殺してもいいという暴論まではいた人もいました」と右翼団体「一水会」最高顧問の鈴木邦夫氏が指摘しています。(孫崎享著『日米開戦の正体』、p486)
余談ですが、ゾルレンはドイツ語のSollen(正しい発音はゾレン)という助動詞で、「ーすべきだ」といういみです。ザインはSeinというドイツ語動詞で、英語のBeに相当します。
この考え方は現在にも受け継がれているといえるでしょう。現天皇陛下は度々平和憲法を支持し、安倍政権の暴走を暗に批判していますが、それに対して右翼団体からは「天皇は在日」批判まで上がっています。彼らの理念としての天皇は平和主義者であってはならないのでしょう。実に身勝手なものです。