途中に小説や漫画などを挟みつつ、『日米同盟の正体~迷走する安全保障』(講談社現代新書、2009.3初版、2016.1第17刷)を完読しました。初版が2009年ということもあり、第17刷とはいえ、内容は改定されていないので、国際情勢の現状は反映していませんが、戦後スキームの中での安全保障の大きな流れを理解するにはよい教本だと思います。目次は以下の通り。
はじめに:日米安保条約は実質的に終わっている/脆弱な基盤に立つ安全保障/死に値する安全保障政策があるのか/なぜ米国の安全保障政策を学ぶのか
第1章 戦略思考に弱い日本:日本に戦略思考がないと明言するキッシンジャー他
第2章 二一世紀の真珠湾攻撃:9.11同時多発テロが米国国内に与えた衝撃他
第3章 米国の新戦略と変わる日米関係:ソ連の脅威が消滅するショック他
第4章 日本外交の変質:日本外交はいつから変質したか他
第5章 イラク戦争はなぜ継続されたか:人的・経済的に莫大な犠牲を強いるイラク戦争他
第6章 米国の新たな戦い:オサマ・ビン・ラディンの戦いの目的他
第7章 二一世紀の核戦略:核兵器の限定的使用を模索したブッシュ政権他
第8章 日本の進むべき道:日本はなぜ核抑止政策を考えてこなかったか他
大まかに内容をまとめると、大前提として日本は独自の戦略思考をせずに米国の世界戦略に巻き込まれつつあるという事実があります。そもそも、戦後米国に従わずに日本独自路線の外交、特に対中、対ロ(昔は対ソ連)外交政策を模索しようとする政治家たちが米国(CIA)によって排除されてきた歴史があるため、今では盲目的な従米路線が政治家及び外務省の主流派となっており、彼らは米国の遠大な世界戦略の全貌を理解しようとせず、主に経済的な観点から損得勘定を判断する傾向が強いため、戦略的に国益に反する政策を取ってしまいがち。
日本の今後のあるべき外交政策を考える上で、米国の世界戦略を理解することは必須であるので、それを第2章から第7章にかけて詳細に論じられています。戦略の大筋は、ソ連崩壊後、米国が軍事力の圧倒的優位性の保持という選択肢をいくつかあった選択肢の中から選び、そのためにイラン、イラク、北朝鮮を脅威として位置付けたことで、それはブッシュ親子政権下ばかりでなく、強弱の差こそあれ、クリントン政権、オバマ政権でも変わりなく維持されているということです。「悪の枢軸国」云々は何も9.11のテロ後に始まったことではないということ。
興味深いのは、米国の軍事戦略関係者らの間で、9.11同時多発テロが「21世紀の真珠湾攻撃」と位置付けられていることです。これの意味することは、米国が軍事行動を取るきっかけを米国自身が秘密裡に創り出すという謀略です(同書、61p)。真珠湾攻撃は、米国が日本を外交的に死に体にし、日本に「交渉の余地なし」と思わせる様々な措置と日本自身の無謀さの結果でなされたことです。このいきさつに関しては同著者の『日米開戦の正体』に詳しいです。米国側は早いうちから日本軍が真珠湾を攻撃するという情報をキャッチしていながら、これを阻止しようとせずにわざと日本に「嚙ませ」て、愛国心を煽り、参戦に反対だった米国世論をひっくり返すことに成功しました。チャーチル英首相は、著書『第二次世界大戦』に「真珠湾攻撃によって我々は戦争に勝ったのだ。日本人は微塵に砕かれるであろう」と、その日の感銘を記しました(同書、61p)。それくらい米国の参戦が望まれていたのです。
一方、9.11同時多発テロは、その後の米国のアフガニスタン及び中東への軍事介入の具体的なきっかけを与えることになりましたが、こちらもオサマ・ビン・ラディン周辺の飛行機を使った怪しい動きやその他のテロ準備を示唆する情報が事前に当局にキャッチされていたにもかかわらず、ブッシュ政権はそれに関するブリーフィングを無視し、阻止しようとしなかった点で、真珠湾攻撃に共通している、というのです。ある種の陰謀論では、ブッシュ自身がオサマ・ビン・ラディンにそうした攻撃をやらせた、というような説もありますが、その辺はあまり信憑性がないように思います。たとえ過去にオサマ・ビン・ラディンが米国の支援を受けて活動していたことがあったにせよ、いつでも米国のいいなりだったとは考えられません。寧ろ利害が一致している時だけ、もらえるものはもらい、それ以外は好き勝手にやるし、米国を敵に回すことも場合によっては辞さないというスタンスだったのではないでしょうか。その証拠に、ビン・ラディンは、1996年、「二聖地(メッカ、メディナ)の地(サウジアラビア)を占拠している米国に対する戦争宣言」を発表しました。実に具体的かつ明快な戦争目的です。この宣言は、アラーの名の下に米国軍のサウジアラビアからの撤兵を求め、これが達成されない限り米国軍を攻撃するというものです。この宣言が出された年にCIAはビン・ラディン追跡のための特別チーム・アレックス部局を創設するくらい、その宣言を深刻に受け止めていました(本書、180p)。かのイラクの独裁者サダム・フセインも米国に大きく育てられた統治者でした。しかし、彼はイランとの戦争が終わると、今度は向きを変えてクウェートに侵攻し、米国の逆鱗に触れてしまいました。以後米国の目の敵にされ、ありもしない大量破壊兵器をでっちあげられ、滅ぼされてしまいました。つまり、米国とフセインは都合の良い時だけ「お友達」だったわけです。
陰謀の行使には大別して二つあり、一つは偽旗工作で、国際法にも定義があり、攻撃直前に自己の旗を掲げれば違法とはみなされないそうです。もう一つは敵が攻撃に出る際、敵の行動を誘導し、間接的にその実現を支援する工作です。真珠湾攻撃も9.11同時多発テロも後者に属していると言われています。
とにかく、これをもって米国は軍事力強化の(議会向けの)理由付けができたわけです。
その後の、莫大な費用をかけた米国の中東展開はひとえにイスラエルの安全保障のためとのことです。イスラエルにとっては、イランの核保有が最大の脅威なので、米国はイランが妥協しない場合は限定的な核兵器使用も辞さない姿勢だったようです。結果的にはイランが妥協したので、本当に良かったです。
著者はこうした米国の世界戦略に日本が今後より一層一体化していくのは危険であるとし、軍備強化ではなく、グローバリズムと経済的結びつきによる戦争抑止力を中心に据えた戦略を取るべきだろうと説いています。それは日本が以前取っていた、悪者扱いされがちな国を孤立させないように支援する外交政策の流れに戻ることを意味します。そしてこの外交路線こそが日本が国際的に好感を得ていた理由でもあります。従米路線は国際的好感度が米国に近づく、すなわち低くなることを意味し、また経済的・人的負担の大きさに見合う利益は得られないという欠陥もありますので、日本の好戦的な強硬論者たちはそのことをよく心に銘じておく必要があります。