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書評:太宰治著、『走れメロス』(文春文庫)とその文学的系譜

2019年03月10日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

『走れメロス』(1940)は、中学だか高校だかの国語教科書に掲載されていたような気がします。日本に年末年始に行った時に本屋で見かけた太宰治作品集の8番目に収録されています。あまりにも有名な短編小説ですが、まともに読んだことはなかったように思います。

「古伝説と、シルレルの詩から」と作品の最後に書かれていることから、この作品が太宰治のオリジナルの創作でないことは明らかです。その文学的系譜を見る前に作品自体の感想を言いますと、文体は軽やかでリズム感があり、ひたすら突っ走るメロスの動きを描写するところは言葉そのものに躍動感すら感じられるようです。

しかし、内容的にはツッコミどころ満載です。一般に『走れメロス』は信頼に基づく固い友情の物語とされていますが、そもそもなぜメロスが友人セリヌンティウスを死刑から解放するために走る羽目になったかと言えば、メロス自身が、人間不信のために多くの人を処刑している暴君ディオニス王(=ディオニュソス2世)を無謀にも亡き者にしようとし、何の計画もなく王城に向かって取っ捕まったことに端を発し、すぐに処刑されるところを「あ、いや、妹を結婚させなければならないので、三日待ってくれ」と猶予を願い、自分が戻ってくるまでの人質として友人セリヌンティウスを差し出したからです。つまり単純な自己陶酔的ヒロイズムによって無謀な行動に出ただけでなく、その尻拭いに大切な友人を本人に断りなく勝手に人質に指定したと言えます。そうして王城に連れてこられたセリヌンティウスはメロスのために人質になることに同意しますが、「なんて馬鹿なことをしでかしたんだ」くらいメロスを責めてもよさそうなのに、それすらしないのはよっぽどのお人好しなのか何なのか、美談にしてもできすぎていて、読んでいて恥ずかしくなってしまうほどです。

このように勝手な都合で友人を巻き込んで命の危険に晒してしまったのですから、それで約束を違えて友人を見殺しにするなどもっての外です。巻き込んだ責任を取るために死ぬ気で爆走するのは当然のことで、自業自得、身から出た錆でしょう。それでメロスがギリギリで戻ってきて、二人の友情を確かめ合うように抱き合い、その姿に感動したディオニス王が改心してめでたしめでたし、と終わるところがなんともご都合主義的で、思わず眉をひそめてしまいます。曲がりなりにも権力者が一介の牧人が約束を違えずに戻って来たからと言って、そう簡単に自分の非を認め、改心などするものでしょうか?しかも「暴君」で通っている人間ですよ?実は素直な善人だったというわけですか?びっくりですよ。

まあでも、これは太宰治の創作ではなく、元のモチーフがそうなってたので仕方がないとも言えます。

古伝説「ダモンとフィンティアス」

元となっている「古伝説」とは、古代ギリシャの伝承「ダモン(Damon)とフィンティアス(Phintias)」のことで、ウイキペディア(ドイツ語版)によると、紀元前6世紀のピタゴラス派教団員間の団結の固さ、無条件の信頼を示す逸話として発生したものです。この伝承には2つのバージョンがあり、1つはダモンとフィンティアスと同時代の哲学者アリストクセノス(Aristoxenos, Ἀριστόξενος)によるもので、もう1つは紀元前1世紀の史料編纂官ディオドーロス(Diodoros, Διόδωρος)によるものです。

アリストクセノスのバージョンでは、ディオニュソス王が固い友情を自慢するピタゴラス派教団員を試すために、フィンティアスを王城に呼び出し、陰謀に加担したと非難し、死刑を宣告します。フィンティアスは刑を受け入れますが、その前に私的な用事を済ませたいと猶予を願い出ます。ディオニュソスはそれを、彼の友人であるダモンを人質として差し出し、同日の日没までに戻らなければ代わりに死刑になることを条件に許可します。宮廷人たちはフィンティアスが戻ってくるはずがないと友情を信じるダモンを嘲笑しましたが、フィンティアスはきちんと戻ってきたため、ディオニュソス王は感銘を受け、その友情の仲間に入れて欲しいと頼みますが、二人はそれを拒絶します。

ディオドーロスのバージョンでは、アリストクセノスのバージョンとは違って、フィンティアスが実際にディオニュソス王暗殺を企んでいたことになっています。その後の経緯はほぼ同じですが、フィンティアスの帰還が本当にギリギリ、ダモンの処刑の寸前となっている所と、仲間に入れて欲しいとディオニュソス王に頼まれた後の二人の反応がないところが違っています。

どちらのバージョンが歴史的に正しいのか議論がありますが、アリストクセノスは、政権転覆後コリントに亡命してきたディオニュソス王本人に聞いたと言っているので、ディオニュソス王自身の役割が軽く扱われている可能性があるのに対して、ディオドーロスは時代が違うとはいえ、ディオニュソス王が支配したシシリアの出身のため、現地の詳細な言い伝えを反映している可能性があるとのことです。

この題材をローマ共和国で最初に取り上げたのはキケロで、次にヴァレリウス・マクシムス(Valerius Maximus、紀元後1世紀)、ヒュギニウス・ミュトグラフス(Hyginius Mythographus、紀元後2世紀)がこれを文学的に装飾しました。

シラーの『保証』

「シルレル」ことフリートリヒ・フォン・シラー(Friedrich von Schiller)はヒュギニウス・ミュトグラフスの『説話集(Genealogiae)』をベースとして1798年に『保証(Die Bürgschaft)』という物語詩(バラード)を書きました。そこでは名前が変えられて、メロス(Möros)とセリヌンティウス(Selinuntius)となっています。メロスのシラクスへの帰還を悪天候や洪水、盗賊の襲撃などで無意味に困難にさせることで友愛と忠誠の絶対的理想(absolutes Ideal freundschaftlicher Liebe und Treue)を際立たせています。その粗筋はそのまま『走れメロス』に反映されています。つまり、わざとらしくツッコミどころ満載の物語にしたのはシラーだったわけですね。

ちなみに、文春文庫に掲載されている「シルレルの詩」の注釈「シルレルの一七九五年作の物語詩「保証」のことである」とありますが、1798年が正しい作成年です。

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