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ドイツ連邦議会、「アルメニア人大量虐殺」認定満場一致で決議。ドイツ・トルコ関係に翳り

2016年06月02日 | 歴史・文化

ドイツ連邦議会の「アルメニア人大量虐殺」認定

ドイツ連邦議会は本日(2016/6/2)、第1次世界大戦時のオスマントルコ帝国によるアルメニア人などのキリスト教徒の追放・虐殺が「大量虐殺(Völkermord、フェルカーモルト=ジェノサイド)」であることを認める決議文をほぼ満場一致で採決しました。とはいえ、メルケル独首相、ガブリエル経済・エネルギー相(副首相)などを始めとする大臣らは欠席で、決議に参加した大臣はたったの3人:ヘルマン・グレーエ保健相、アンドレア・ナレス労働省、トーマス・ドメジエール内相。欠席した理由は、他の緊急の用事のためとなっていますが、ただでさえ難民問題解決のためのEU・トルコ協定の不十分な進捗状況で緊張しているトルコとの関係に火に油を注ぐようなことをしたくない、という意図が透けて見えています。

アルメニア決議文が完成したのは5月31日でしたが、その後在独トルコ人団体のデモや議員への圧力・脅迫やエルドアントルコ大統領自らの警告もあり、決議文が採択された暁にはトルコ側からの何らかの報復があると予想されていたので、トルコ側への刺激を緩和するための政府要人欠席という運びとなったのでしょう。

決議文の採択の際は反対1、棄権わずかで、ほぼ満場一致の決議となりました。決議文全文の拙訳はこちら

決議文にはドイツが1915-16年の出来事を「ジェノサイド」と認める理由としてドイツの歴史的責任を挙げています:「その責任にはトルコ人とアルメニア人が過去の溝をのりこえて和解と相互理解への道を探るよう助けることも含まれています。和解プロセスは過去数年滞っており、緊急に新たな弾みを必要としています」。またドイツ国内にはトルコ系住民がおよそ280万人いますが、アルメニア系住民も5-6万人います。この決議文はドイツ国内のトルコ人とアルメニア人の和解を促すものでもあります。和解と相互理解は歴史と正直に向き合うことを礎石として初めて成り立つものであるため、「加害者の罪と現在生きている者の責任を区別する必要がある」ことを踏まえつつ歴史的出来事を徹底的に論究すべきだ、というのがドイツの基本姿勢です。だからこそドイツはこれまでナチスの過去を徹底追及し、その歴史的責任を果たすために謝罪や補償を行ってきました。この決議文にはトルコもそのように責任を果たすべきだとは直接には書いてありません。あくまでも当時のオスマントルコ帝国の同盟国としてのドイツ帝国の歴史的責任を問い、「ジェノサイド」が正しい歴史的認識であることを認め、ドイツの歴史的責任を果たすための措置をドイツ連邦政府に求めているだけです。

2015年4月15日には欧州議会でも「ジェノサイド(大量虐殺)」と表現する決議が採択されており、フランス、イタリア、オランダを含む20か国以上がアルメニア人ジェノサイドを公式認定しています。ローマ法王も昨年「20世紀最初のジェノサイド」と語っていました。1985年には国連の公式文書に「アルメニアン・ジェノサイド」の概念が用いられていました。

ドイツではヨアヒム・ガウク大統領がジェノサイド100周年である2015年4月に「ジェノサイド」の言葉を初めて使いました。ドイツ連邦議会は2005年に「追放(Deportation)と大虐殺(Massaker)」を使い、「ジェノサイド(Völkermord)」は退けられました。昨年になってようやくCDU/CSUとSPDの連邦議会議員団が「ジェノサイド」という言葉を使用した共同声明について合意しましたが、決議文採択はトルコ及び在独トルコ人への配慮から一時中断されました。

 

日本語メディアでもこのドイツの決議が多少取り上げられていますが、歴史的背景が分かるほどの記事は殆ど無いようです。

 

アルメニア人大量虐殺で150万人近く死亡

事件が起きたのは第1次世界大戦中でしたが、そこに至るまでの一連の政治的状況は1909年にオスマン帝国において若い国粋主義者が権力を握り、単一帝国を創設し、トルコ語を標準語と定め、イスラームを唯一の文化的宗教的基盤として定着させることを目指したことに端を発しています。オスマントルコが1915年1月、対ロシア攻勢に失敗した後、4月24日に計画的迫害が始まりました。アルメニア人やその他のキリスト教徒のエリートが数千人逮捕され、処刑されました。そして数十万人が追放後の行進中に命を落としました。1915-1916年の間におよそ80万から150万人が死亡したと見られています。オスマントルコ帝国とドイツ帝国は第1次世界大戦時同盟国でした。歴史研究家はドイツ軍および外交官らはこのアルメニア人に対する大虐殺のことを知っていたため、彼らにはこの大虐殺に対する責任の一端があると言っています。第1次世界大戦終了後、西側戦勝国は戦後裁判を開始し、イスタンブールの裁判でその犯罪が中央政府によって準備されたことが証明され、17人が有罪・死刑判決を受けました。、うち三人が死刑執行されました。首謀者は逃亡しましたが、何人かは後にアルメニア人の死客に殺害されたようです。

 

トルコ及びアルメニアの反応

予想されていたことではありますが、ドイツ連邦議会のアルメニア決議に対するトルコ人の怒りは激しく、過激な発言・反応が目立っています。在独大使は相談のためにアンカラに呼び戻され、トルコ法相Bekir Bozdağは「あなたはまずユダヤ人たちをオーブンで焼き殺し、それから立ち上がって、トルコ国民をジェノサイドの誹謗中傷で訴える。」「ドイツ人は自国の歴史だけを気にかけろ」などと発言。ナイロビにいたエルドアン大統領は「ドイツの国会がした決議はトルコ・ドイツ関係に深刻な影響を与える決断だ」とし、帰国後速やかに相応の対応を審議すると脅しをかけました。しかし、トルコ首相Binali Yıldırımはトルコは過剰な反応はせず、難民に関するEUとの協定は守ると発言しています。トルコ外相Mevlüt Çavuşoğluはドイツ連邦議会の決議は「無責任かつ無根拠」であり、「レイシズムに限りなく近いトルコ及びイスラムに対する敵意」がその根底にあると非難しています。

1915-16年の出来事はジェノサイドであったと既に20か国以上が認めている事実を無視しているのか、それともそれらの国全てが間違っていて、トルコに敵意を持っていると考えているのか腑に落ちないトルコの反応ですが、ファッショ傾向を強めつつあるトルコの今後が要注意であることは確かですね。EUがビザ義務撤廃の条件の一つとして要求している反テロ法改正にトルコ政府は断固抵抗して、国外からの命令は受けないという強硬姿勢を示しており、EU・トルコ間難民協定の先行きが危ぶまれています。それ以外にもドイツのコメディアンがショーの中でエルドアン大統領をコケにした件で、コメディアンを侮辱罪で訴えるなど既にドイツ・トルコ関係は軋み出しています。

一方、アルメニアの方はドイツ連邦議会の決議を概ね歓迎しており、国際的な議論に貢献するものと見ています。まあ、当然ですね。アルメニア外相Edward Nalbandianは、「かつてのオスマントルコ帝国の同盟国としてドイツとオーストリアが相応の責任を認めているのに対して、トルコはジェノサイドの反論の余地のない事実を頑固に否定している。国際社会は、トルコが自国の歴史と向き合うことを既に101年待っている」とコメントしました。

南京大虐殺や慰安婦問題を認めようとしない日本政府とアルメニア人ジェノサイドを頑固に認めようとしないトルコはかなり親和性が高いようです。もっとも現日本政府にとっては100年以上も前のトルコの出来事など微塵も関心がないでしょうけど。


参照記事:
ZDFホイテ、2016.06.02、「連邦議会の複雑な60分」 
ターゲスシュピーゲル、2016.06.02、「アルメニア決議文全文:”私たちは大虐殺の犠牲者の方々に首を垂れる”
ツァイト・オンライン、2016.06.02、「自国の歴史だけを気にかけろ」 
ライニッシェ・ポスト、2016.06.02、「トルコはドイツから大使を呼び戻す」 

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