徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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ワイマール共和国100周年(2019年2月6日)

2019年02月09日 | 歴史・文化

3日前、2月6日にワイマール国立劇場でワイマール共和国(Weimarer Republik)の国民議会(Weimarer Nationalversammlung)開会100周年記念祝典が行われました。

1919年2月6日に選出されたばかりの国会議員たち423名(女性含む)がワイマール国立劇場に集まり、有名なワイマール憲法の制定に着手しました。ワイマール共和国は、第一次世界大戦での敗戦を受け、1918年に革命がおこり、ドイツ史上初の議会制民主主義体制(Parlamentarische Demokratie)として発足しました。なぜベルリンではなくゲーテやシラーの活躍した場所として知られ、歴史あるとはいえ、たかが地方の小都市であったワイマールで国民議会が開かれたのかと言えば、当時はドイツは崩壊直前にあり、各地で王政と腐敗の象徴であるベルリンから距離をとろうとする動きがあり、バイエルン州では社会主義者のクルト・アイスナー(Kurt Eisner)が「自由国バイエルン(Freistaat Bayern)」を宣言し、独自にアメリカと接触して停戦協定を締結しようとするなど、ベルリンの首都としての政治的権威が失墜していたからで、そんな中でドイツ文人を代表するゲーテとシラーの街であるワイマールはドイツ人を統一するのに象徴として適しており、また地理的にもチューリンゲン州はドイツ領土の中央に位置していたことから、新しい共和国の首都に選ばれたわけです。もちろん反対意見もありましたが、初代大統領のフリートリヒ・エバート(Friedrich Ebert、ドイツ社会民主党党首)がワイマールに固執し、その意志を押し通したとのことです。

ワイマール憲法(Weimarer Verfassung)は1919年7月31日に圧倒的多数の賛成で可決されました。この憲法によって男女平等(Gleichberechtigung von Männern und Frauen)、女性参政権(Frauenwahlrecht)が認められ、また国民主権(Volkssouveränität)、三権分立(Gewaltenteilung)が定められ、集会の自由や信仰の自由などの基本的人権(Grundrechte)が保証されることになりました。しかしこの若い民主主義は脆弱であり、ドイツに過酷な賠償金を課すベルサイユ条約に調印してしまったことで様々な政治勢力から恨みを買い、わずか14年後に民主主義的手段によって民主主義を廃止することになり、ナチス独裁政権に取って代わられてしまいます。このため、今日のドイツ共和国の憲法がワイマール憲法の精神を受け継いでいるにもかかわらず、ワイマールの歴史的評価は低いままでした。

しかし、100周年を機にワイマールの歴史的価値が見直され、民主主義とは「当たり前」ではなく、国民によって防衛されなければならないものであるという教訓を、右傾化が強まりつつある現在の社会においてこそ生かさなければならないという認識が広まってきています。

 

参照記事:

FAZ、06.02.2019、"Einst verdammt, jetzt gewürdigt(かつて蔑視され、今見直される)"

Zeit Online、06.02.2019、"Jede Generation muss wieder für Demokratie kämpfen(民主主義のためには各世代が各々戦う必要がある)"

Spiegel Online, 06.02.2019, "Warum Weimar?(なぜワイマールだったのか?)"

 

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