徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

カーニバルシーズン開始

2015年11月11日 | 歴史・文化

今日から、「5番目の季節」の始まりです。
「5番目の季節」とは、カーニバルの季節を指し、11月11日、11:11、市庁舎などを占拠したり、その年のカーニバルプリンス・プリンセスのお披露目をしたりすることで始まり、お笑いセッションが年末まで数回開催され、狭義のカーニバルを経て、「灰の水曜日」というカトリックの移動祭日前日で終わります。
デュッセルドルフ、ケルン等のライン川流域及びヘッセン州マインツなどがその中心地で、仮装行列やパーティーで賑わいます。行列は大都市では数万人規模になります。


因みに地域によっては、「5番目の季節」がクリスマスとそれを待つアトヴェント(クリスマスの4週間前に始まる)期間だったり、狭義の意味でのカーニバル(断食の始まる灰の水曜日前のお祭り騒ぎ期間)だけだったりしますが。

それはともかくとして、何年たっても私はこのノリだけはなじめません。カーニバルセッション中心地域にいるにもかかわらず、やはりそもそもお祭り好きではない冷めた性格のせいか、部外者丸出しです。今日もごく普通に会社に行き、ごく普通に帰宅しました(苦笑)。
でも地元の人の中にも冷めている人たちはたくさんいますし、「カーニバル逃避(Karnevalflucht)」を積極的にやる人たちもいます。カーニバル独特の音楽やどんちゃん騒ぎが鬱陶しくてたまらない、と地元だからこそ嫌ってしまうわけですね。だから、その時期に合わせて休暇をとって出かけてしまうのです。

狭義のカーニバルは「灰の水曜日」の前の木曜日の「女たちのカーニバル(Weiberfastnacht)」に始まります。こうしたお祭り騒ぎは中世からあったのですが、ナポレオン占領下の1795年に禁止されてしまい、1804年にふたたび解禁になったものの、街道カーニバルはすっかりすたれてしまっていました。フランス人が去った後はプロイセンの支配下となったケルンでは1822年に「パレード整列する委員会(Festordnenden Comites)」が創立されることによって、街道カーニバルが復活しました。また、この委員会によるパレードは外国支配をユーモラスに批判する政治色も徐々に濃くなっていき、この伝統は今に受け継がれています。19世紀中様にはFestordnenden Comites以外のカーニバル団体がいくつも設立され、競合していましたが、1888年に大きなカーニバル団体同士が合意して新しい「祝祭委員会ケルン・カーニヴァル(Festkomitee Kölner Karneval)が設立され、「パレード整列する委員会」を受け継ぎました。ケルン同様フランス支配下からプロイセン領となったデュッセルドルフでもケルンの例に倣って1825年に「カーニバル委員会(Carnevals-Comité)」が設立され、現在の「デュッセルドルフ・カーニバル委員会(Comitee Düsseldorfer Carneval)」に引き継がれています。マインツのカーニバル団体は1838年創立の「マインツ・カーニバル教会(Mainzer Carneval-Verein)」です。
こうした動きは周辺各地に広がっていきましたが、現在でもこの3都市がカーニバルの牙城と呼ばれています。

カーニバルの挨拶はアラーフ(Alaaf!)ですが、マインツ周辺ではなぜかヘラウ(Helau!)です。この違いを深く追求したことはありませんが。
因みに、カーニバルに積極的に仮装などして参加する人たちのことをイェック(Jeck)と呼びます。複数形はイェッケン(Jecken)。道化(Narr)と同義で、ライン川中流の方言です。語源は英語のgeekと同じだそうですが、英語のような否定的な意味はありません。

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