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懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,235 京都府旧日吉町の民家

2015年08月21日 | 日本茅葺紀行
美山町に行くのは日吉町を通るコースが近い。
今は京都縦貫道の園部インターまで高速で行けるので早くなった。
この沿線は桜のシーズンはしだれ桜もあり美しい。
平地で見て1週間後にもう一度桜が見える。
秋は美山町までもみじを植えてあるので紅葉が見える。

山間に開けた平野に集落が点在する。
ここもやはり若い人が少ない。小学校のあった空地には桜が沢山植えられている。
人が減り桜のシーズンだけでも人が訪れてくれるのが地域はうれしいと
いう。
過疎地は土地は沢山あるので桜で飾った集落が増えてきた。
土手添いの桜並木もずいぶん増えた。
美山町も桜で飾ろうとしている。

茅葺き民家の残る集落は日本の故郷だ。


出合った人々 縁側でお茶

2015年08月20日 | 茅葺き民家
島根県島根県東出雲村

茅葺き民家の撮影をしながら住まれている方や地域の方も撮影させてもらっている。1

民家は撮らせてくれても本人はなかなか撮らせてくれない。

民家は人が住むためにある。住んでいる人も建物同様に貴重である。

日常会話をしながら撮らせてもらう。20分30分と会話が弾むときもある。

最近は他人との会話がわずらしくて旅にてでても地元の人と話もしないし撮影もしない。

歩けなくなり段差のある家には入れないので車の近くまできてもら21い撮らせてもらう。

なんとも厚かましい事である。


東出雲村の茅葺き民家で高齢の御夫婦が縁側で二人そろってお茶を飲んでいる。

庭を見ながら菓子をつまみながら微笑ましい光景である。

年老いて夫婦仲良くこんな事が出来るだろうか


岡山の茅葺き民家   旧加茂町倉見

2015年08月19日 | 茅葺き民家
加茂町の奥に倉見地区がある。
ダムが出来て過疎が進んだ。
高齢者ばかりの集落になった。
これからどのようになるのか土地も圃場整備をしているので若い人が入り農業を始めるか集落が消えるか。
今、日本各地で集落の消滅が問題になっている。集落が生き生きとしていた頃の写真を集め記録するのが必要だ。集落消滅で資料も廃棄されるおそれがある。






茅葺民家 島根県宍道町の民家

2015年08月18日 | 茅葺き民家
この民家は安来と出雲を結ぶ農免道脇にあった。
素朴な暮らしのである、
昔ながらの生活の民家に出合うと嬉しくなる。
住まれている人は撮ってもらいたくない住居かもしれない。
石の階段は来待石を使っていた。
来待石の産地はすぐ近くにある。
来待石は凝灰質砂岩と言われ灯篭や建築材につかわれている。
山陰や中国地方西部で見られる石州川の釉薬に石を粉にして使っている。
砂岩を産するところはあるが火山灰と砂が結合した岩は加工もしやすいし耐久性もある。

古代には石棺にも使われた。この近辺で銅鐸や銅剣が大量に発見されたが鋳型に来待石が作られた。加茂岩倉遺跡で大量の銅鐸が発見された。
国宝に指定された銅鐸が一般公開された。現在の技術で来待石鋳型を使い復元品も公開された。
厚ささ3ミリで加工された銅鐸と文様は現在の技術と遜色ない素晴らしいものだ。
鋳造技術は古代に高いレベルであったのがうかがえる。これも来待石が存在していたので発達した技術でもある。
石は産地の名前をつける。大理石の中国大理や御影石の神戸の御影、大谷石の宇都宮大谷など




日本茅葺紀行 NO,234 岩手県久慈市草棟

2015年08月17日 | 日本茅葺紀行
私が初めて茅葺き民家を撮りに東北へ行ったのは21世に入ってからだった。
仕事をしていたので長い休暇が取れず五日の旅だった。しかも、家内との旅で観光半分の旅だった。青森で茅葺民家を撮っている方の情報や役場の情報を元に北東北を回った。

茅葺き民家は中国地方や関西を中心に日帰りの範囲で撮っていた。自分の住む県や近県に茅葺きが無ければこんな撮影は継続ししていない。人間が趣味に目覚めるのはちょっとしたキッカケと心の琴線に触れる何かある。手短に物があるのも条件であろう。最初は大したこともなくいつでもやめてしまうような物だった。

岩手北部に茅葺きが沢山残っていたので行きたい思ったのが再訪は定年後となった。
再訪して驚いたのは茅葺状態が悪く人口流出による放置家屋になっていた。
集落がごっそりなくなっていたのはショックだった。

定年後に時間がありゆっくり撮れるとおもったのが甘かった。結局、定年後はまったく歩けなくなり自分で撮影にも行けなくなった。
人生にはいろいろなアクシデントは付き物、できない事は諦める。自分ができる楽しみを見つけることか。

茅葺き民家は久慈市山根町の草棟




蒸気機関車 糸崎機関区の給炭設備

2015年08月15日 | 岡山の茅葺民家写真展
給炭塔へ石炭を投入するガントリークレーンと蒸気機関車を撮った。
これは機関車1C62.C59を意識してD51が停まったときは撮っていない。
機関車に石炭を投入する作業は興味のある人しか撮っていない。

各機関区でどんな給炭作業が行われていたかどんな給水塔がありどのように缶の掃除をしていたかも記録すべきであった。蒸気機関車というと撮影ポイントで急勾配の登り坂を煙を吐いた写真ばかりになる。
機関車を走らせるためには掃除や給炭給水、保守点検があって初めて走れることを写真に残す必要があった。
私はこんな給炭設備やクレーンは蒸気機関車が全廃になれば撤去されるという思いがあった。
全部の機関区のを残そうという意識がなかった。
全部残すには時間が無かった。週1日休みで有給も10日位しかなかった。

伯備線の石炭は豆炭にしたものを使っていた。粒形がそろい風の通りもよくなる。
しかし豆炭なので雨に濡らすと燃えが悪くなり割れる。
大きな給炭設備のあるところは雨にぬれてもよい石炭をそのままつかつていたのか
私が仕事を始めたころは会社にも石炭ボイラーがあり広い貯炭場があった。
石炭は山積みにすると内部が蓄熱して自然発火するので定期的に散水し発火を抑えていた。



岡山の茅葺き民家 旧勝山町

2015年08月14日 | 茅葺き民家
旧の勝山町の国道沿いに山谷家という旧家があった。
江戸時代には庄屋を務めた。しかし、今はトタンを掛けた。
新聞に山谷家に沢山残る古文書を読み解くサークルがあると紹介が載っていた。
古文書を読み昔の生活がどうであったか文章にしているそうだ。
土地や水の係争で誰がが誰を殴ったと仲裁事項も記録されている。

武士の家計簿という映画があった。。
古文書コレクターの磯田 道史氏が神田の古本屋で見つけた家計簿を読み解き本にしたものだ。
古文書コレクターと呼ばれているがその当時は国立大学の先生をしていた。
磯田氏は岡山県の出身で話ネタが豊富で面白いのでテレビに出たときは見ている。


茅葺民家 大阪府旧能勢町

2015年08月13日 | 茅葺き民家
能勢町は大阪府の端で京都、兵庫に隣接している。
大阪のチベットと呼ばれ大阪の廃棄物処理場にされた時期もあった。
そんなところにへ平成になっても茅葺民家が50軒ほど残っていた。
私は能勢町に茅葺き民家に残っているは知らなかった。
佐野さんの写真集や昔の写真集にこのあたりの茅葺き民家が載っていたので訪れ1れる。
立派な大きい家も何軒かあった。
佐野さんは能勢町に昭和47年に訪れている。神戸や篠山と合わせて能勢町も訪れている。写真集の家が残っていたのだ。今もあると思う。

昭和50年代ならばまだ沢山残っていたと思われる。
しかし、カラーで撮り現在まで脱色せずに残っているか疑問だ。
プロの人は大型冷凍庫でネガの脱色を防いでいるという。
昭和40年代のカラーフィルムは欠陥使用品だったという人もいる。



日本茅葺紀行 NO,233  茅葺きの聖地、山形

2015年08月11日 | 日本茅葺紀行
茅葺きの聖地をあげろと言えば山形県置賜地方をあげるであろう。
曲がりや屋に複雑な構造の屋根。屋根の博物官である。
聖地というからには茅葺民家が残っていないいけない。
それと周囲の景観も必要だ。
東北に来るときに新潟から入るので山形に立ち寄る。
しかし、この茅葺00がいつまで残るのであろう。
無くなる要因の一番は住む人が高齢化でいなくなる。
息子や孫は田舎に帰る意思もなく放置か解体されている。

日本国中どこでも起きている限界集落や過疎地の崩壊
置賜地方でも放置民家や更地が目につく。