道彦の散歩道

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09/13 銘柄米①

2013年09月13日 | 食・レシピ

【コシヒカリ】

「コシヒカリ」は、福井県で誕生した米の代表格である。コシヒカリという品種は一つであるが、コシヒカリという銘柄にはコシヒカリ(品種)と多数の品種を含むコシヒカリBLという品種群が含まれる。現在、「新潟県産コシヒカリ」という銘柄は、9割以上がコシヒカリBL群であり、コシヒカリ(品種)とは異なる。

コシヒカリは(品種)は、昭和から平成にかけて、福島県、新潟県以南の日本各地で栽培される品種である。1956年、水稲農林100号「コシヒカリ」として命名登録された。

米の粘りが強く食味に優れる品種であるが、栽培上は倒伏しやすい、いもち病などに弱いなどの欠点も併せ持つ。

「育成経過」
1944年、新潟県農業試験場の高橋浩之により「農林22号」と「農林1号」との交配が行われたが、、この雑種は戦時下の状況悪化のため翌年の栽培は見送られた。

1946年、戦争終了後、育種事業が再開され、前述の雑種(雑種第一代)の栽培が行われた。1947年には、雑種第二代の栽培と選抜が行われた。選ばれた雑種第三代の種子の一部20粒は、福井県農事改良実験所に送られ、福井県で育成が行われることとなった。

福井県での1948年から1952年までの育種の結果、有望な2系統が育成され、「越南14号」、「越南17号」の系統名が与えられた。1953年から「越南17号」について、20府県での適応試験が行われた。結果は茎が弱く倒れやすい、穂首いもちに弱い、未熟粒が多い、収量も多くないなど、否定的な結果が多いものであった。

育成地の福井県でも、奨励品種採用が見送られたほどの成績であったが、越南17号を救ったのは、採用県の新潟県とそれに賛同した千葉県であった。1955年に越南17号は、新潟県・千葉県の奨励品種となる。新潟県が奨励品種としたのは、当時の主要品種である農林21号よりも葉もち耐性が優れ、収量が安定しており、米質も農林21号同様に優れていたためである。

一方で有機農業を推進する立場からは、多肥栽培に向かない=有機肥料に向かない、病虫害に弱い=農薬の大量散布が必要、との観点から批判的な意見もある。

新潟・千葉の2県での推奨品種決定を受けて、福井県では越南17号の命名登録を行うことになった。福井県側から、新潟県側に命名の依頼が行われた。新潟県は、両県がかって含まれていた「越国」(こしのくに)に因み、「越の国に光輝く米」と言う願いを込めて「コシヒカリ」と命名した。コシヒカリは、1956年に農林登録され、農林品種としては「農林100号」の番号がついた。後に、育成者の代表として福井農事改良実験所の担当者は、日本育種学会賞や農林大臣賞を受賞している。

「普及」
日本穀物検定協会による平成20年度の「米の食味ランキング」において最高の「特A」を得たコシヒカリの産地は、山形県の内陸、下越以外の新潟県の全域、福島県の会津、群馬県の北毛、長野県の東信、山梨県の峡北だった。この内、新潟県の魚沼産が一番高値で取引されている。すなわち、食味の良い産地は新潟県周辺の内陸部に集中しているが、これらの地域では夏季にフェーン現象などで昼間に高温になりながらも夜間は熱帯夜なりづらいという気候の特徴が共通している。また近年では、誕生した福井県も最高ランクを立て続けに獲得している。
その後普及は進み、南東北から南九州までコシヒカリの栽培地は広がっている。

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【ササニシキ】

「ササニシキ」は、宮城県古川農業試験場でハツニシキとササシグレの掛け合わせにより誕生した。実際には「農林22号」と「農林1号」との交配試験米とササシグレの掛け合わせとて開発された。

コシヒカリと比較するとアミロース含有量が多いため相対的にアッサリしている。寿司酢を入れてもベタベタしないため寿司職人が好み、寿司店によってはササニシキ使用をセールスポイントにしている。

かってはコシヒカリと共に両横綱と呼ばれた人気品種で、1990年には207438ヘクタールに作付けされ、ピークに達した。しかし、耐倒伏性、いもち病抵抗性に弱く、気象被害を受けやすいという短所があり、1993年の冷害では大きな被害を出した。その後、冷害に強い「ひとめぼれ」の作付けが広まり、ササニシキは作付けを大幅に減らしつつ現在に至っている。現在はいもち病への抵抗性を高めたササニシキBL(ささろまん)という派生品種もある。
現在はおもに宮城県で栽培されている。ほとんどが寿司屋向けである。

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