わたしの心 

日々の出来事・感動などを日記にして公開したいと思います。
(管理人:Mrs.modest)

なぜ生きる

2021年06月12日 | 思うこと

昨夜(6/11 20:00~)、仏教塾による「なぜ生きる ー蓮如上人と吉崎炎上ー」のオンライン上映会がありました。
(最後のクライマックス場面では、思わず涙が…。)
「歎異抄」「親鸞聖人」を学び始めた私としては、今回の映画によって、親鸞聖人の教えの一端を垣間見たような気がしました。
(あらすじ)
不遇な日々を送る了顕は生まれてくる子供に希望を抱いていたが、事故によって全てを失ってしまう。
自暴自棄になった了顕だったが、ある日、浄土真宗の僧・蓮如の法話を聞いて感動し、蓮如の弟子になる。
そんな中、参詣者が増加し続ける本願寺は他宗派から恨まれてしまい、蓮如や了顕らは京都から北陸の吉崎へ追われ……。

その中で、了顕が自分の命に代えて守った「教行信証」について調べてみました。

親鸞聖人の90年の教えは、すべて『教行信証』に書かれています。
親鸞聖人の主著ですから、浄土真宗の「根本聖典(こんぽんせいてん)」とか「御本典(ごほんでん)」といわれます。
教行信証は、教巻、行巻、信巻、証巻、真仏土巻、化身土巻の6巻で構成されています。
教行信証の草稿は親鸞聖人52歳ごろの成立といわれますが、その後も常に手元に置かれ、生涯をかけて加筆修正された畢生(ひっせい)の大著(たいちょ)です。
 今日、親鸞聖人といえば『歎異抄(たんにしょう)』を思い浮かべる人が少なくありませんが、『歎異抄』は著者不明で、親鸞聖人がじかに書かれたものではありません。
ですから、親鸞聖人の教えを正確に知るには『教行信証』を物差しとしています。
『教行信証』を一読してだれもが驚くのは、その引用文の多さです。
『教行信証』の正式名称は顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)です。
最後に「文類(もんるい)」とありますが、「文類」とは経・論・釈の重要な文章を集めて整理したもののことです。
『教行信証』には「私釈(ししゃく)」といわれる親鸞聖人の作文は少なく、そのほとんどが経(きょう)、論(ろん)、釈(しゃく)からの引用です。
経(きょう)とは、お釈迦さまの説かれたお経。
論(ろん)とは、インドの仏教の先生が書かれたもの。
釈(しゃく)とは、中国、日本の高僧方の書物。
それらの仏教の書物から要の文を集めたもの(=文類)が『教行信証』ということですから、『教行信証』はたくさんの経、論、釈の中から親鸞聖人が大事な文章を選ばれて、集められたものです。
「親鸞さらに私(わたくし)なし」が親鸞聖人の常の仰せでした。
私見(自分の考え)を交えず、正確にお釈迦さまの真意を明らかにされました。
     (インターネット調べ)

親鸞聖人の教えの書と言うよりは、哲学書のような…。
今まで、時々法事などで接することがあったり、仏像が好きで各地のお寺を拝観したことはありましたが、仏教についてはあまり知識がありませんでした。
これから、色々と勉強しがいがありそうです。


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