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瀬尾まいこ『傑作はまだ』その2

2020-03-27 18:20:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。

(中略)俺にとって小説を書くのは意外と現実的な作業だ。それでも、少しずつ話が広がっていくこの時間が好きだ。(中略)
「おっさん、外、出てる?」
「ああ。週に一度程度は」(中略)
「案外出てるんだ。人とは話す?」
「支払いはカードでとか着払いでとか、言うかな」
「それ、会話じゃないから」
 青年の指摘どおり、会話と呼べるようなものはずいぶんしていない。(中略)
「会社行ったりしないの?」
「いや。どこかに所属してるわけじゃないから」(中略)
「俺ですらローソンに所属してるのに。あ、そうだ。からあげクン食べる?(中略)まだ温かくておいしいよ」(中略)
「うまいな」
「だろう。これがからあげクン。もはやポッキーやハッピーターンやスタバラテと同じくらい知名度があると思うけど」
「そうなんだ。ポッキーは食べたことあるけど、スタバラテは飲んだことないな。あ、もちろんスターバックスは知ってるけどな」(中略)
「(中略)おっさん、もっと外に出ないと。百冊の本を読むより、一分、人と接するほうが十倍の利益があるって、かの笹野幾太郎氏も言ってるだろう」(中略)
「笹野幾太郎って誰だったかな」(中略)
「俺が働いているローソンの店長だよ。(中略)」
 俺が拍子抜けしていると、
「さあ、行くよ」
 と、青年が立ち上がった。
「どこへだ?」
「スタバだよ。おっさん、スタバのラテ飲んだことないんだろう? 行こう」

(中略)

(中略)
 笹野さんが陽気に言うのに、俺は妙な親子関係だといぶかしがられずにほっとしたものの、愛人という言葉には反論せずにはいられなかった。
「いや、その、私は結婚もしていませんし、愛人とかいう関係ではありません。そもそも、私はけっして女好きではないですし……」
 俺が言い訳するのに、智と笹野さんは顔を見合わせて笑った。
「おっさん、恋人でもない女の子とセックスして子どもができてほったらかしといて、まじめなふりするのはないよ」(中略)

(中略)
「俺の書いたものを声を出して読むのはやめてくれないか?」
「どうして?」
「どうしてって……」
 作り物の話とはいえ、自分の内面を通って出てきた文章を改めて耳にするのは、恥ずかしい。(中略)「でも、俺、この小説が一番好きだなあ」と本の表紙を見せた。
「『きみを知る日』か。それ、デビューしてすぐに書いたものだから、拙(つたな)いし、迫力にもリアリティにもかけるだろう」(中略)

『きみを知る日』は世間から酷評された。(中略)
 デビュー作となった作品は、ある大学生が間違って飲んだ薬によって自分自身の内面にもぐり込んでしまい、そこで今まで知らなかった自分の悪意や自尊感情を見せつけられ、戸惑うというストーリーだ。人間の奥底を正直にとらえた小説だの、若者の本当の姿が赤裸々に描かれているだのと、高評価を得た。(中略)
 しかし、俺自身は、真実や人間の本来の姿などを書いた覚えはなかった。薬を飲んで自分の心の中に入ってしまうんだから、半分はファンタジーのつもりだった。(中略)ここまで自意識過剰だったら愉快だろうと考えながら書いていたら、単純におもしろかった。
 だけど、二作目の『きみを知る日』の失敗から、俺は編集者の意見に従い、人間の奥底にある弱い部分や、嫌らしい部分、自己嫌悪感や自尊心、そういうものを際立たせた小説を書くようになった。(中略)

(中略)

 さあ、続きを書こう。コーヒーを飲み終えると、俺は書斎に戻りパソコンを開いた。
 友達と始めた会社がなくなり、貯金もない。主人公の亮介は、お金のメドをつけようとする。さしあたっての家賃八万円。それを用立てようと、兄妹のもとを回っていく。(中略)
 ここまで書き上げ、俺は苦笑した。
「ちょっと、こいつの周り、やばいやつばっかじゃん」
 と顔をしかめる智の顔が思い浮かんだのだ。(中略)
 俺の親だったらどうだろう。笹野さんに指摘された乏しい想像力を働かせてみる。連絡も取らず、不義理をしているが、頼み込めば無理をしてでもお金は用立ててくれそうな気もする。いや、それは甘いか。(中略)
 そう言えば、いつだったか、泥で汚れた体操服姿で走っていたり、松葉杖で立っていたりする写真が続けて送られてきたことがあった。智は何かスポーツにいそしんでいたにちがいない。(中略)
 今から八年前に送られてきたものだが、この三枚の写真は覚えている。写真自体が印象的なせいもあるが、記憶に残っているのは、ちょうどこの時期、俺がひどい状態だったからだ。(中略)
 八年前の夏、俺の書いた小説が、ある漫画に似ているとネット上で話題になった。(中略)
 批判や誹謗(ひぼう)で俺が汚されたものは、なんだろう。(中略)俺自身は汚されていない。
 三ヶ月も書いていなかったのだ。腕はうずうずしていた。(中略)そこから一気に小説を書き上げた。
 その小説が、『崩れ去るもの』だ。

(また明日へ続きます……)

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