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蓮實重彦・山根貞男『誰が映画を畏れているか』その2

2020-03-11 08:51:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。

 文学、絵画、音楽などのいわゆる「芸術」諸ジャンルをめぐる批評の中で、映画の批評は、国際的にみても、国内的に見ても、かなり高い水準にある。(中略)
 おそらく、二人がこの「公開書簡」の提案を受け入れたのは、そうした現実と深く関係している。ことによったら、われわれがその一端を担っていたのかもしれない。「映画批評の発展」なるものを、改めて検証してみるべきときが来ていると思われたからである。というより、むしろ、進歩なり発展なりがごく自然に導き出してしまった映画批評における批評の不在に、われわれがともにあるいらだちを覚えており、「本」編集部からの提案は、それを顕在化するための格好の刺激となってくれたのである。
 映画批評家としての山根貞男氏とわたくしとが、出発点として共有していたのは、いわゆる「良質の映画」への批判である。それは、たんに良くできた映画への批判であるにとどまらず、良くできた映画ばかりを安心して受け入れようとする社会的な風土への批判も含んでいた。(中略)二人が漠然とながらいだいていたそうした批判への契機が、この「往復書簡」によってほのみえてきはしまいかと判断されたのである。
 言葉として良くできていながら、読むひとを映画へとかりたてることのない批評は、批評としての存在価値がない。そうした批評を芸もなく書き続けるぐらいなら、どうして一本の映画を━━良質の映画ではなく、刺激的な映画を、ひとびとに見せようとしないのか。映画評論家の仕事は、見せることにつきており、批評として書かれる文章は、そのことにのみ貢献すべきではないか。「本」編集部の依頼は「映画評論家」としての二人が、ともにそうした思いを実践に移し始めた時期にもたらされたのである。
 こうして、『誰が映画を畏れているか』は、書かれた言葉の形式をとりながら、ひとびとをスクリーンへと招こうとする誘惑の実践として構想されたことになる。あらかじめその構想に同意しあっていたのでないが、ごく自然にそうなっていったのである。真の友情にふさわしい厳しさで、ともすればそれて行きそうな軌道を的確に修正しながら、この「交換書簡」における緊張感を維持してくれた「戦友」山根貞男氏には、感謝以上の思いを捧げずにはいられない。映画批評は、何よりもまず「戦い」なのだ。

 それでは最後に、「スクリーンに招こうとする誘惑」に書かれた文章を私が書き写しておきたいと思います。

・いやあ、ほんと、度肝を抜かれました。ただもう衝撃と興奮の連続でした。映画を見て、これほど心を踊らさせたのは、何十年ぶりのことでしょうかね。
 むろんカネフスキーの『動くな、死ね、甦れ!』のことです。あるいはソクーロフの『日蝕の日々』『マリア』『ソヴィエト・エレジー』や、アローノフ/ゲルマンの『何番目の道づれ』や、アラノヴィッチの『海に出た夏の旅』のことです。

・二十五年間に四本の映画しか撮れなかった『戦争のない20日間』のアレクセイ・ゲルマンによると、カネフスキーは、マラソンを短距離のペースで疾走してしまったみたいなものだということになります。

・加藤泰と組んで『真田風雲録』『沓掛時次郎・遊侠一匹』など幾多の名作を撮ったキャメラマン・古谷伸です。

・物理的にいえば、この数ヵ月は「レンフィルム祭」と前記のマキノ雅弘特集のほか、小川紳介全作品上映、内田吐夢特集、市川雷蔵特集と、首都圏ではいくつもの面白い上映会が重なって、見るだけで毎日が終ってしまうどころか、物量的に全部は見きれない。

・(前略)ことしの回顧特集のマリオ・カメリーニの30年代のコメディやメロドラマを見るにおよび、そんな自信がぐらぐらと崩れ落ちてしまったのです。

・(前略)なかに一本、直訳すれば『頭のいかれたマントン嬢』というのがあって、(中略)レイ・ジェイソンという監督の38年の作品で、そのあまりのおかしさには呆気にとられたほどです。

・(前略)不幸にして、いまのところは失われたままの溝口健二の『血と霊』などがそれにあたります。

・(ジャネット・ゲイナーも)FOX社の看板スターだった可憐なメロドラマのヒロインで、フランク・ボゼージの『第七天国』や『幸運の星』などの主演女優として、日本でも大変人気があった。この二本は、近くフィルム・センターで上映されるはずですから、万難を排して見にゆくつもりです。

・とりわけ大河内傳次郎の立ち姿に感動しました。

・セミョーン・アラノヴィッチがレンフィルム祭で来日した折りに話が持ち上がった「北方四島」をめぐる合作映画が完成し、それが日本で上映される運びとなったからです。

・考えてみると、ぼくが映画について文章を書く場合の基本的な姿勢は、「わからないなら、黙って引き下がっていればよろしい」という言葉に要約されるものだったような気がします。

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