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瀬尾まいこ『傑作はまだ』その1

2020-03-26 12:42:00 | ノンジャンル
 瀬尾まいこさんの2019年作品『傑作はまだ』を読みました。

 「実の父親に言うのはおかしいけど、やっぱりはじめましてで、いいんだよね? ま、名前と顔は知ってるだろうけど、永原智(ながはらとも)です。はじめまして」
 突然やってきた青年に玄関でそう頭を下げられ、俺はただ、「ああ、まあ」としか声が出なかった。(中略)
 永原智。血のつながった俺のれっきとした息子だ。毎月養育費を振り込んだ後に一枚送られてくる写真を二十年間見てきたから、顔はよく知っている。でもそれだけだ。(中略)
「今の仕事先がこの家から近くてさ。(中略)しばらく住ませてよ。(中略)そんなに長居はしないしさ」
「長居はしないって、君、仕事は何してるんだ?」
「フリーランスで、いろんな店で働いてる」(中略)
「フリーターってことね。八月からここの近くのローソンでバイトしてる。もうすぐ俺の最寄り駅に新店ができるし、そうしたらそっちに移るからそれまでの間ここから通うってこと」(中略)

 永原美月(みつき)と出会ったのは二十六年前。大学を出て二年目の秋だ。
 学生最後の年に書いた小説で新人賞をもらった俺は、そのままいくつか出版者から執筆の依頼を受けているうちに、文章を書くことが仕事となっていた。(中略)
 そんな時、学生時代からの友人である曽村(そねむら)が会社の同僚と飲み会をするからと強引に誘ってきた。(中略)
 曽村が連れてきたのが永原美月だった。(中略)
 まるで好きなタイプではなかったし、興味もなかった。だけど、酔っぱらっているせいか、笑顔だけはかわいい、そう思った。
 そして、その夜、酔った勢いで関係を持ってしまった。(中略)目が覚めると、二人とも「ああ、しまったな」という感じで言葉少なく身なりを整え、美月は「会社あるし、じゃあ」とそそくさと出て行った。(中略)
 ところが、三ヶ月ほどしたころだろうか。美月に、「妊娠した」と聞かされた。
 俺の家までやってきた美月は、けろりとした顔で、「とりあえず、私は産むわ」と告げた。(中略)
 結婚しなきゃいけない。まったく好きでもない女と。人生終わったも同然だと絶望的な気持ちになったが、美月は、俺が言葉を発する前に、
「私も同じこと考えてるよ」
と言った。(中略)
 子どもは美月が産んで育て、俺は養育費を送る。それが俺たちの最終結論だった。(中略)
 養育費と言われても相場がわからず、(中略)毎月十万円を欠かさず振り込んだ。そして、振り込んだ二、三日後に、「十万円受け取りました」とだけ書かれたメモと、子どもの写真が送られてきた。

 「ってことで、決まりだな。おっさん、よろしくね。まあ、食事や洗濯は勝手にするし、ただ寝る場所貸してくれりゃいいんだから、そんな気にしないで」(中略)

「林檎は言った。赤くなったらおしまいだ。もう去る時が来たのだと。……おっさん、この小説の結末、意味が不明なんだけど」
 翌朝。ダイニングに行くと、青年はパンをかじりながら俺の本を読んでいた。(中略)
「ちょっと君には難しかったかな。……って、なんだ、このコーヒー」
 俺は青年が淹れたコーヒーを口にして驚いた。(中略)
 青年は「うますぎる?」と目を丸くした。
「ああ、重厚な味がする。どこの豆を使ったんだ? 君はバリスタなのか?」(中略)
「わかった。おっさん、牛乳を温めて入れてみなよ。レンジでいいから。そうするとほっこりする味になるよ。おっさんと俺のコーヒーの淹れ方の違いはそこだけだな」(中略)
 最後に送られてきた写真には、「二十歳になりましたのでもうお金は要りません」とメッセージが添えられていた。(中略)

 (中略)
「おっさん、回覧板回ってこないだろう?」
「回覧板……」
「そう。地域の活動とか載ってるやつ。おっさん、自治会に入るの忘れてるからだよ」
「忘れてるんじゃない。入りたくないだけだ」
 五十年近く前に開拓されたというこの地域は古く、(中略)面倒な近所づきあいと無縁でいられる。それに惹かれてここに住むことにしたのだ。(中略)
「何かが起こったら、まずは自治会単位で行動するのが主流だよ。防災用品だって自治会の備品倉庫にあるはずだ。体育館に逃げた後も自治会の指示に従って動くんだよ。おっさん、三丁目からも見捨てられたら、誰にも知られずこの家で揉屑(もくず)になるよ」(中略)

(明日へ続きます……

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