また昨日の続きです。
金曜日。俺は開店と同時にショッピングセンターで買い物を済ませると、すぐさま家に戻った。
テーブルに並べたのは、太い黒糖かりんとうと細長いごまかりんとうに、季節限定の柚子(ゆず)かりんとう。それに、惣菜売り場で買った大量の揚げ出し豆腐だ。
「おはよう……。何これ」(中略)
「もうすぐ十二時だから昼ごはんだろう。まあ、座って」(中略)
どうやって今まで生きてきたのか。俺のことをどう思っていたか。そんなことを聞いても、どうしようもない。満たされるのは、俺の好奇心だけだ。それより、二人で共有していることを話すほうがおもしろい。(中略)
「もしかしてさ」
「もしかしてなんだ?」
「俺が帰るのを今日まで引き伸ばしたのって、これ?」
智は柚子かりんとうをつまんだ。
「ああ、あの日、十六日から柚子かりんとうが販売されると知って予約したのに、君が帰るって言うから……」(中略)
「そんなことよりさ、聞かなくていいの?」(中略)
「何を?」(中略)
「何をって、俺を引き留めといて、かりんとうや餅の話で終わっていいのかなって」(中略)
「最後だし、だいたいのところは教えてあげるよ。(中略)」
「いや、いい」
(中略)どれも知りたい。けれど、どれも言葉で知りえるものでもない。俺が傷つかないようにと考えて、智が上手に語るそれらは真実から少しずれてしまう。(中略)
「君は、どうして、今、ここに来たの?」(中略)
「今?」
「君はバイトに行くのに便利だからと言っていたけど、それがここに来た一番の理由ではないだろう?(中略)」
「なるほど。改めて考えると謎めいてくるな」(中略)
「おっさんの小説だったらどう?」(中略)
「作家だとさ、どんなふうにこの状況を結末にもってくの?」(中略)
「もずくや林檎に変身する以外で頼むよ」
「ああ。そうだな……、これが小説だったとしたら……、えっと、君は本当は存在しなくて、俺のもう一つの人格だったとか……」
「何それ、どういうこと?」
「君がこの家を出た後、俺は美月に電話をかける。すると、彼女は私には子どもなんかいない。(中略)不思議に思った俺は、君を知っているはずの人物のもとを訪れる。(中略)みんな一様にそんな人物は知らないと首を横に振るんだ。(中略)家に戻った俺は鏡に映った自分を見てはっとするんだ」
「なになに?」
「そこには、いかにも青年らしい服装をした俺の姿が映っていた。そう、君そのものの格好のね」
「怖い! それ、怪談だよ。ホラーだ、ホラー」(中略)
「うーん。だけどさ、その結末を持ってくるなら前半部分軽すぎない?(中略)」
「そっか。それなら、そうだな。俺は記憶が一ヶ月しかもたない病(やまい)で……」
「そんな都合のいい記憶喪失ってあるの?」(中略)
「ちょっとつじつまが合わないか」
「ちょっとどころか全然だよ。おっさん、もうちょい本領発揮してよ。せめて筋が通るような話を聞かせてくれなきゃ」(中略)
「悲しみや不条理さに向き合いたいやつなんているかよ。もし、そんなものに本気で触れたいなら、どこでもいい、一日でいい、いや三時間でもいいから、総合病院の小児病棟に行けばいいよ。(中略)」
「なーんて、むきになっちゃった。このかりんとう、変なもの入ってるんじゃない?」(中略)」
「本当はさ、もっと単純なんだよ」
「単純?」
「そう。ここに来た理由。おっさんの小説、ここ二作連続、主人公が最後に自殺してるだろう」
「そう言えばそうかな」(中略)
「で、今回始まった連載もまた死にそうだねって、おふくろと話してたんだ」(中略)
「三度目主人公が死ぬ時におっさん自身もって話してたら、なんだか落ち着かなくなってさ。で、おふくろとどっちかが様子見に行こうって」(中略)
(中略)
「また来るんだよな」
「元気でいてくれよ」
「連絡くらいしてくれ」
それらは形になる前に消え、かろうじて声になったのは「ああ、また」。それだけで、俺は前の通りを歩いていく智の背中を見送っていた。
翌日、目が覚めると、想像していたよりもはるかに静かな朝が待っていた。(中略)
かすかに起こった気力が閉ざされ、俺がベッドに戻ろうとすると、チャイムが鳴った。
「あ、わしです。朝早くすまんね」
慌てて出たインターホン越しに聞こえる声に、俺は笑いが込み上げた。
身内でもないのに、朝八時前にやってくるおおらかな森川さんに。(中略)
「これ、今できたからさ。母ちゃんが作ったんだけど」
森川さんはそう言って、大きな瓶を差し出した。(中略)
「柚子だよ。今年はよく採れて、母ちゃんがジャムにしたんだ」(中略)
「柚子茶にしたら、あっという間になくなるよ。風邪の予防にもなるし、頭もすっきりする」(中略)
俺みたいな人間の家にも、たやすく人は訪れるのだ。スリッパくらい用意したほうがいいのかもしれない。(中略)
(また明日へ続きます……)
金曜日。俺は開店と同時にショッピングセンターで買い物を済ませると、すぐさま家に戻った。
テーブルに並べたのは、太い黒糖かりんとうと細長いごまかりんとうに、季節限定の柚子(ゆず)かりんとう。それに、惣菜売り場で買った大量の揚げ出し豆腐だ。
「おはよう……。何これ」(中略)
「もうすぐ十二時だから昼ごはんだろう。まあ、座って」(中略)
どうやって今まで生きてきたのか。俺のことをどう思っていたか。そんなことを聞いても、どうしようもない。満たされるのは、俺の好奇心だけだ。それより、二人で共有していることを話すほうがおもしろい。(中略)
「もしかしてさ」
「もしかしてなんだ?」
「俺が帰るのを今日まで引き伸ばしたのって、これ?」
智は柚子かりんとうをつまんだ。
「ああ、あの日、十六日から柚子かりんとうが販売されると知って予約したのに、君が帰るって言うから……」(中略)
「そんなことよりさ、聞かなくていいの?」(中略)
「何を?」(中略)
「何をって、俺を引き留めといて、かりんとうや餅の話で終わっていいのかなって」(中略)
「最後だし、だいたいのところは教えてあげるよ。(中略)」
「いや、いい」
(中略)どれも知りたい。けれど、どれも言葉で知りえるものでもない。俺が傷つかないようにと考えて、智が上手に語るそれらは真実から少しずれてしまう。(中略)
「君は、どうして、今、ここに来たの?」(中略)
「今?」
「君はバイトに行くのに便利だからと言っていたけど、それがここに来た一番の理由ではないだろう?(中略)」
「なるほど。改めて考えると謎めいてくるな」(中略)
「おっさんの小説だったらどう?」(中略)
「作家だとさ、どんなふうにこの状況を結末にもってくの?」(中略)
「もずくや林檎に変身する以外で頼むよ」
「ああ。そうだな……、これが小説だったとしたら……、えっと、君は本当は存在しなくて、俺のもう一つの人格だったとか……」
「何それ、どういうこと?」
「君がこの家を出た後、俺は美月に電話をかける。すると、彼女は私には子どもなんかいない。(中略)不思議に思った俺は、君を知っているはずの人物のもとを訪れる。(中略)みんな一様にそんな人物は知らないと首を横に振るんだ。(中略)家に戻った俺は鏡に映った自分を見てはっとするんだ」
「なになに?」
「そこには、いかにも青年らしい服装をした俺の姿が映っていた。そう、君そのものの格好のね」
「怖い! それ、怪談だよ。ホラーだ、ホラー」(中略)
「うーん。だけどさ、その結末を持ってくるなら前半部分軽すぎない?(中略)」
「そっか。それなら、そうだな。俺は記憶が一ヶ月しかもたない病(やまい)で……」
「そんな都合のいい記憶喪失ってあるの?」(中略)
「ちょっとつじつまが合わないか」
「ちょっとどころか全然だよ。おっさん、もうちょい本領発揮してよ。せめて筋が通るような話を聞かせてくれなきゃ」(中略)
「悲しみや不条理さに向き合いたいやつなんているかよ。もし、そんなものに本気で触れたいなら、どこでもいい、一日でいい、いや三時間でもいいから、総合病院の小児病棟に行けばいいよ。(中略)」
「なーんて、むきになっちゃった。このかりんとう、変なもの入ってるんじゃない?」(中略)」
「本当はさ、もっと単純なんだよ」
「単純?」
「そう。ここに来た理由。おっさんの小説、ここ二作連続、主人公が最後に自殺してるだろう」
「そう言えばそうかな」(中略)
「で、今回始まった連載もまた死にそうだねって、おふくろと話してたんだ」(中略)
「三度目主人公が死ぬ時におっさん自身もって話してたら、なんだか落ち着かなくなってさ。で、おふくろとどっちかが様子見に行こうって」(中略)
(中略)
「また来るんだよな」
「元気でいてくれよ」
「連絡くらいしてくれ」
それらは形になる前に消え、かろうじて声になったのは「ああ、また」。それだけで、俺は前の通りを歩いていく智の背中を見送っていた。
翌日、目が覚めると、想像していたよりもはるかに静かな朝が待っていた。(中略)
かすかに起こった気力が閉ざされ、俺がベッドに戻ろうとすると、チャイムが鳴った。
「あ、わしです。朝早くすまんね」
慌てて出たインターホン越しに聞こえる声に、俺は笑いが込み上げた。
身内でもないのに、朝八時前にやってくるおおらかな森川さんに。(中略)
「これ、今できたからさ。母ちゃんが作ったんだけど」
森川さんはそう言って、大きな瓶を差し出した。(中略)
「柚子だよ。今年はよく採れて、母ちゃんがジャムにしたんだ」(中略)
「柚子茶にしたら、あっという間になくなるよ。風邪の予防にもなるし、頭もすっきりする」(中略)
俺みたいな人間の家にも、たやすく人は訪れるのだ。スリッパくらい用意したほうがいいのかもしれない。(中略)
(また明日へ続きます……)