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山田宗樹『百年法』その1

2013-11-15 10:31:00 | ノンジャンル
 北上次郎さんが推薦していた、山田宗樹さんの'12年作品『百年法』上下巻を読みました。
 内務省で百年法の施行に対する国民へのPR業務の責任者である遊佐は、上司である友成大臣からキャンペーンのやり直しを命じられます。遊佐は鴻池首相が百年法施行を凍結しようとしているという噂の真偽を確かめますが、友成大臣の答えは要を得ません。
 下層労働層であり、老化を止めるHAVIの処置を受けた仁科蘭子は、ある日、幼馴染みの川上美奈の姿を雑踏の中に見つけますが、それは美奈の娘・由基美でした。美奈はHAVIの処置を受けることなく、既に7年前に老衰で亡くなったと知り、蘭子は美奈のことをもっと知りたいと言って、無理を言い由基美の連絡先を聞きます。再会した2人は、美奈が蘭子と2人で写していた写真を思い出の品として大事にしていたことを知ります。そして見かけの年齢と実年齢が異なる今では、同じ経験を経たことで友人となることが困難になったと話し合い、また蘭子は由基美が銀行員というエリートコースを行く人であることも知ります。一方、刑事の戸毛は爆弾事件で有罪になり今は釈放された木場につきまとい、百年法反対のリーダー・阿那谷童仁の存在を追いかけます。
 百年法施行の責任者は、表向きは友成大臣であり、事務方では笹原次官ということになっていましたが、実質的な現場監督は特別準備室の室長である遊佐が行っていました。百年法とは、HAVIの処置により永遠の命を貰い受けた人は処置を受けてから百年経った時に国家によって死を命じられるという法律でした。1945年、6発の原爆が日本の都市部をことごとく焼いて敗戦。戦後冷戦が進む中で、日本国民の自国への好感度をあげる必要に迫られたアメリカはHAVIを日本に導入したのでした。特準に課せられた任務は、残り1年を切った百年法施行に向けて環境を整備すること、具体的には、国民への周知と世論の形成、死を迎える人を受けいけるターミナルセンター(TC)の開設と運営準備、拒否者対策などでした。HAVIには特殊な技術が必要であり、現在、この技術を獲得するには、HALLOと呼ばれる国際機関に加盟しなければなりません。加盟国にはいくつか条件が課せられますが、その最重要項目が生存制限法の制定です。中国はHAVIを受けられるのは一部特権階級に限るとし、韓国は我が国と同じく全国民に開放していますが、韓国の生存制限法は40年と定めて、すでに施行しています。しかも、スポーツや科学技術の分野で著しい貢献のあった場合には大幅に延長、ノーベル賞など授賞すれば百年、さらに国家に財産を寄付しても金額に応じて生存可能期間が加算。みな少しでも長く生きられるように必死になり、それが韓国経済急成長の原動力となりました。新興国もこぞって韓国モデルを取り入れ、同じように発展を遂げています。遊佐は百年法の必要性を鴻池首相に説得し、首相はしぶしぶ世論への呼びかけを行うことを承知します。
 戸毛は相変わらず木場を追い、生きていることに執着していないという木場に戸毛は銃口を向けますが、結局撃てず、自分に残された時間が後1年であることを告白し、木場に助けを請います。
 そして鴻池首相は記者会見で国民投票の実施を発表します。遊佐らは国民に対する啓蒙の強化を周知徹底する必要があると述べますが、部下の一人は光谷レポートのリークを提案します。光谷レポートとは、百年法を凍結した際いかに危険な未来が待っているかを内務省の官僚が書いた文書で、そのあまりの衝撃度に極秘文書扱いされているものでした。そして、首相の記者会見後、光谷レポートはネット上で流布し始めます。
 遊佐と笹原は世論が2分しているのを見て、国民に感情面で揺さぶりをかけようと、百年法に賛成し先日与党を脱退した牛島という国会議員に目をつけます。そして率先して死を受け入れる旗手として、ゼロ戦の生き残りであり、来年に百年を迎える笹原自身が自決すると言い出し、国民へのメッセージを遊佐に委ねるのでした。笹原が自決した後、遊佐が友成大臣に呼ばれると、大臣は笹原の件の揉み消しを図ろうとし、抵抗する遊佐を無理矢理自分の命令に従えます。しかし笹原のビデオは地下でマスコミに流され、万人の知ることとなりました。そして国民投票で、生存制限法施行への賛成票は39.32%の支持しか得られず、百年法の一時凍結との判断がなされることとなりました。(明日へ続きます‥‥)

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エリック・ヴァレット監督『プレイ―獲物―』

2013-11-13 08:44:00 | ノンジャンル
 朝日新聞で山根貞男さんが紹介していた、エリック・ヴァレット監督の11年作品『プレイ―獲物―』をWOWOWシネマで見ました。
 刑務所の面接で妻と裸で抱き合うフランク。強盗仲間のノヴィックからは金の隠し場所を教えろと言われます。散歩の時間に、自分は狙われているので出たくないと言う同房のモレル。フランクはロシア人の囚人から、モレルはどうした?と聞かれます。その夜、ロシア語を話す3人は看守を買収してモレルの部屋に入り、フランクを部屋の外に出すと、モレルに暴行を働きます。途中で止めに入ったフランクは半年の刑期延長となります。また面接に来たアンナは言語障害の娘アメリのために払うお金もなくなったので、お金の在り処を教えてほしいと言います。一方、モレルは娘への暴行が狂言であることが判明し、出所することになります。
 刑務所の演奏会で、ノヴィックはフランクの耳に金属棒を差し込み、金の在り処を聞き出そうとしますが、フランクは答えず、ノヴィックはフランクの家族の写真を見せ、家族は自分たちの手のうちにあると言うと、フランクは金はマルコの家の床下にあると答え、意識を失います。
 4日後に目を覚ましたフランクは、モレルからノヴィックが買収で1週間だけの独房処分になったと言い、あと3日でノヴィックが自由の身になると知ったフランクは、モレルにアンナへ電話をし、フランクの父を頼れと言ってほしいと頼みます。フランクの父の墓が本当の金の隠し場所だったのでした。
 ノヴィックは移送され、フランクは憲兵大尉の訪問を受け、モレルについて尋ねられ、彼が少女失踪事件の真犯人であることを明かします。不安になったフランクは妻に電話をしますが、通じません。
 ある日、また看守を買収したロシア人3人はフランクの部屋に入ってきて、フランクを殺そうとしますが、フランクは逆襲し、看守もやっつけ、看守の服を着て脱走します。先日大物を上げた功績で、今回のフランクの件も担当してほしいとボスに言われる女刑事クレール。フランクはアンナの元へ行きますが、彼女の姿はなく、隠れているところをクレールに見つかり、窓を突き破って逃げ、車道を逆走する追跡劇の後、フランクは列車の屋根に落ちて、クレールの追跡をやり過ごします。列車を緊急停車させ、逃げるフランク。父の墓に着いたフランクは金がなくなっていて、妻の死体が入っているの見て、モレルの仕業だと認めます。モレルに電話すると、悪いのはアンナだったと言うモレルは、自分を探さなければアメリに危害は加えないと言います。
 娘の失踪事件の真犯人の拠点を見つけたクレールたちは、そこで遺体の場所を印す地図を見つけます。フランクは大尉と再会すると、大尉はモレルにハメラれ、免職処分を受けたと言い、またクレールからは遺体の遺留品からフランクのDNAが見つかったと教えられ、自分もハメラれたと知ります。クレールにまた捕まりかけたフランクは、大尉の運転する車で逃げ出しますが、検問で大尉は撃たれ、フランクだけ徒歩で逃げ出します。大尉は警察無線を盗聴し、モレルが南仏の別荘地にいることをフランクに知らせます。妻の協力を得て、また新たな娘を殺すモレル。別荘に侵入したフランクは、ちょうどクレールがモレルを訪ねてきたのに乗じて、アメリを連れ出そうとしますが、モレルに見つかってしまいます。射殺される直前、女の勘で戻ってきたクレールに助けられ、フランクはアメリを抱いて逃げ出します。しかし結局断崖絶壁に追いつめられ、モレルに撃たれたフランクは絶壁に生える樹に引っ掛かります。フランクにとどめを刺そうとしたモレルは、クレールに額を撃ち抜かれ、断崖を落ちていきます。そしてクレールから情状酌量になると言われたフランクも、娘をモレルに殺された親によって撃たれ、落ちていきます。翌日モレルの死体は見つかりますが、フランクの死体は見つかりません。
 「3ヶ月後」の字幕。施設で伸び伸び過ごすアメリの元へ、モロッコからアメリの絵そっくりの絵が送られてくるのでした。

 次から次へと事件が起こり、それを頭の中で追っていくだけでも大変でした。モレルの悪党ぶりは一見の価値ありだと思います。
 
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安住邦夫『自由民権運動史への招待』

2013-11-12 10:06:00 | ノンジャンル
 安住邦夫さんの'12年作品『自由民権運動史への招待』を読みました。
 「あとがき」から引用させていただくと、「自由民権運動史に関心を寄せ、勉強の真似事らしきことを始めてから、かなりの歳月が経つ。しかし、成果と呼べるような研究は何ひとつ出し得ず、ただただ無為に過ごしてきたという思いを免れない。(中略)数多くある自責の念のなかでも、今もって特に消えることのないことは、自由民権運動史に関心をもちこれから学びたいと考えている人から、入門書や研究史に関する書、あるいは主要研究書の所在などを尋ねられたとき、まがりなりにも自分の研究領域としてきた分野であるにも関わらず、即座に充分な応答ができないできたことであった。(改行)そのようなときほど自分の不勉強・無能さを痛感したことはなかったが、同時に、前述のような問い合わせに、最少のことは応え得るコンパクトな書が一冊欲しいとの念を、強く抱いていた。しかし、特に理論面で知識を欠く私にはその任を果たす力量がなく、希望に叶う書の刊行はシャープで鋭利な才を有する方にぜひ、との期待・希望を内心有していた。そのような思念は、『新しい歴史学』の隆盛にともない従来の自由民権運動像が大きく揺らぎ始めるなか、ますます強くなった。が、皮肉にもその状況は、私の期待を遠のかせているというパラドックスをうんでいるようにも思われた。そのために、私のようなきわめてオーソドックスな方法・姿勢で研究に向かう者にはまことに不適任と思いつつも、自由民権運動史に関する学習・研究の手引書ともいうべき書の刊行という作業を、定年後の最初の課題として取り組んでみる気持ちとなった。(中略)そこで浮かんだのが、第一に、自由民権運動はどのような運動史をもっているのか、第二に、研究への関心はどのように持たれてきたのか、どのような問題意識・視点から研究され現在に至っているか、第三に、当該期に刊行された運動に関わる書にはどのようなものがあるのか、また研究する上での主要な文書、基本的文献や主要研究書にどのようなものがあるのか、さらには自由民権運動に関する資料館・記念館の類はどこにあるか、という点であった。そしてこの三点について、前二者に関しては章の形で、最後の点については付録という形で構成してみることにした。(改行)まず第1章は、自由民権運動史概観とし、かつて『ブリタニカ国際大百科事典』〈第三版〉(1995年)に執筆した論考を基本に、現在の見解を加味・修正して叙すことにした。第2章は、福島・喜多方事件125周年記念で行なった講演記録『自由民権運動研究の歩みと現在、そして課題』(喜多方歴史研究協議会・福島自由民権大学共編『喜多方事件125周年記念集会報告書』2010年)を元にまとめることにした。(中略)付録に関しては、大きく文献・史(資)料の類と記念館・資料館ないし関連年表に分けて示すことにし、第一に、『国立国会図書館所蔵明治前期刊行図書目録』の中から自由民権運動関連の諸文献を選ぶ、これらあを発行年次順に並べて一覧とし、第二に、自由民権運動史の研究に関わる諸文献を、研究文献目録・主要原文書目録・基本文献・主要史料集に整理し収載した。また、自由民権運動に関わる専門の記念館・資料館に関しては、福島県三春町・東京都町田市・高知市にそれぞれ開設されているものを開館順に紹介した。(後略)」
 実際読んでみて、私は第1章の終わり近くまで読んで、その先を読むのを断念しました。そもそも自由民権運動が全国的に盛んだった3つの場所のうちに1つが、私が現在住む厚木だということから、読み始めた本でしたが、読み進めても一向に厚木の“あ”の字も出て来ず、1章の内容も大体既知のことだったりし、その先を飛ばし読みしても、学術的な内容の文章がぎっしり詰まっていて、とても読む気になれなかったからです。学術的に自由民権運動をしっかりと勉強したい方にはお勧めかもしれません。

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バート・ケネディ監督『女ガンマン・皆殺しのメロディ』

2013-11-11 08:19:00 | ノンジャンル
 バート・ケネディ監督の'71年作品『女ガンマン・皆殺しのメロディ』をスカパーのBSイマジカで見ました。
 エメット(アーネスト・ボーグナイン)、ルーファス(ストローザ・マーティン)、フランク(ジャック・イーラム)のクレメンス兄弟は銀行強盗を働き、行員が警鐘を鳴らすと、次々に行員を射殺し、逃げ出します。途中一軒家に行きついた兄弟たちは、夫を射殺し、妻のハニー(ラクエル・ウェルチ)を輪姦し、家に火をつけて立ち去ります。夫の死体を埋めたハニーは、ライフルを持って家を立ち去ります。
 廃墟の町の井戸に辿り着いたハニーの前に、賞金稼ぎのトーマスが現れ、ハニーは銃の撃ち方を習いたいと言いますが、断られます。それでもトーマスの後を付いて行くハニーに、トーマスは帽子と水を与えますが、それでも答えは銃の撃ち方は教えません。ある夜、夢にうなされていたハニーは、相手は3人で、夫も殺されたと語ると、トーマスはやっとハニーに銃の撃ち方を教えることにします。
 トーマスはハニーが使いやすい銃を作ってもらうために、メキシコのベイリーを訪ねることにします。途中で訪れた町の酒場でハニーがトーマスの名前を呼ぶと、一人の男がいきなり拳銃を取り出してトーマスを撃とうとし、逆にトーマスに射殺されます。殺されたのはお尋ね者のハリントンで、賞金は生死を問わず750ドルでした。トーマスが有名な賞金稼ぎだったことを知ってビビる保安官は、賞金をトーマスに渡すと、トーマスはその一部を葬式代に当ててくれと言います。旅の道中、トーマスは、男も女も家庭を持って、自分の墓石以外のものを後世に残すべきだとハリーに語ります。
 2人は海岸沿いに住むベイリー(クリストファー・リー)を訪ね、ハニー向きの軽い拳銃の製作を依頼します。一方、クレメンス兄弟は2週間で4回もヤマを外し、次回はソノラを襲うことにします。
 ハリーはトーマスに命じられた腕力をつけるための訓練をし、ベイリーは銃の製作に集中します。ある日、黒ずくめの男がやって来て、ベイリーに1週間で弾倉の交換をしてくれるように頼みます。射撃の訓練を続けるハニー。やがて大勢の男たちが馬でやって来て、ベイリーたちと銃撃戦になります。ハニーはそこで初めて人を射殺しますが、トーマスに1発を当てるだけでなく、止めの2発目を撃つことを習います。
 クレメンス兄弟はソノラの銀行を襲いますが、ルーファスが爆薬の量を間違え、金庫とともに金も吹っ飛ばします。一方、ベイリーに銃を作ってもらったトーマスとハニーはベイリーの元を発ちます。トーマスは兄弟の目撃情報を得て、“風呂・散髪屋”から出てきたフランクを保安官に引き渡そうとしますが、脇から現れたエメットの投げナイフを腹部に受け、倒れます。連中を撃ち負かすことをハニーに約束させ、トーマスは死にます。
 ハニーは酒場へ向かい、売春婦と部屋にしけこんでいたフランクにガンベルトをさせた上で2度撃って射殺します。賞金の百ドルは全額葬式代に使ってほしいと言うハニー。フランクの墓を訪れたエメットとルーファスは近くに自分たちの穴が掘られているのを知り、怒り狂ってハニーの元へ向かいます。香水店にいたハニーを襲ったルーファスは、ハニーの早撃ちで2発叩き込まれ、射殺されます。エメットはこの町では悪いことをしていない一方、殺人を重ねるあんたは町を出てくれと言う保安官に、ハニーはエメットに旧刑務所で待ってると伝えてほしいと言います。旧刑務所でお互いの姿を探し求めるハニーとエメット。先にハニーの姿を見つけたエメットがナイフを投げようとすると、黒ずくめの男が現れ、エメットの手からナイフを撃ち落とします。エメットを2発撃って殺すハニー。ハニーと黒ずくめの男は一緒に去っていくのでした。

 ストローザ・マーティンの悪党ぶりが楽しめ、ウェルチのガンマンぶりもカッコいいものでした。

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中島岳志『血盟団事件』

2013-11-10 17:04:00 | ノンジャンル
 朝日新聞で紹介されていた、中島岳志さんの'13年作品『血盟団事件』を読みました。
 序章から引用させていただくと、「(前略)血盟団事件とは、1932年に日蓮主義者・井上日召(にっしょう)に感化された若者たちが引き起こした連続テロ事件で、井上準之助(元大蔵大臣)を暗殺した小沼正(しょう)、団琢磨(三井財閥総帥)を暗殺した菱沼五郎の両者は、共に茨城県大洗周辺出身の青年だった。彼らは幼馴染みの青年集団で、地元小学校の教員を務めていた古内栄司(ふるうちえいじ)を中心に日蓮宗の信仰を共にする仲間だった。(改行)当時の日本社会は、世界恐慌の煽りを受け、深刻な不況が続いていた。第一次世界大戦が終結した1919(大正8)年以降、経済は悪化の一途を辿り、貧困問題が拡大していた。特に地方や農村部の荒廃は酷く、出口の見えない苦悩が社会全体を覆っていた。(改行)彼らはそんな閉塞的な時代の中で実存的な不安を抱え、スピリチュアルな救いを求めた。また、自分たちに不幸を強いる社会構造に問題を感じ、大洗の護国堂住職だった井上日召の指導のもと、富を独占する財閥や既得権益にしがみつく政治家たちへの反感を強めていった。(改行)大洗の農村青年を束ねた井上は、上京後、安岡正篤(まさひろ)の金鶏学院に集まっていた東京帝大・七生社(しちせいしゃ)の学生たちに近づき、グループに引き込んだ。当時、七生社を牽引していたのは四元義隆(よつもとよしたか)。彼は戦後政治に大きな影響力を持った人物で、中曽根康弘元首相や細川護煕元首相の指南役として知られる。(改行)さらに井上は、大洗時代から交流のあった青年将校たちと連絡を密にし、国家改造計画を練った。しかし、『三月事件』『十月事件』といったクーデター計画が未遂のまま終わったため、自分たちこそが昭和維新のための『捨石』とならなければならないとの思いを強め、密かに青年たちを鼓舞した。(改行)彼は『一人一殺』をスローガンにかかげ、有力政治家や財閥のリーダーを次々に殺害する連続テロ事件を構想。茨城の農村グループと東大生を中心とした学生グループが連携して計画を推し進め、ついに暗殺テロが実行に移された。団を射殺した菱沼は、事件後、『これは神秘的な暗殺だ』と語った。日蓮主義的スピリチュアリズムとテロリズムがここで結びついたのである。(後略)」
 以下は「あとがき」からの引用です。「(前略)その後の血盟団メンバーだが、裁判で井上、小沼、菱沼には無期懲役の判決が下った。他は古内、四元が懲役十五年、川崎(大洗メンバー)が懲役十二年、久木田、須田、田中、田倉(4名とも大学生グループ)が懲役六年、森、星子、黒澤(前2名は大学生グループ、黒澤は大洗グループ)は懲役四年だった。しかし、のちに特赦によって減刑され、井上、小沼、菱沼も1940年に仮出所した。(改行)井上は戦後も右翼活動に関わり、護国団という団体を結成した。小沼は業界公論社の社長となり、業界雑誌の出版に携わった。また、血盟団事件の裁判記録や上申書、手記をまとめ出版した。菱沼は結婚によって姓を変え、小幡五朗として活躍した。彼は茨城県議会議員となり、最終的に議長まで務める地元の名士となった。」

 登場人物が多く、またそれぞれの精神史が詳しく述べられていて、エピソードも細かく、途中から飛ばし読みしてしまいました。最近だと『酒井勝軍』さんの本を読んだ時と似ています。結局、血盟団の当事者の方々の“熱意”に少しだけ触れることができたといった感じでしょうか?

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