朝日新聞で紹介されていた、中島岳志さんの'13年作品『血盟団事件』を読みました。
序章から引用させていただくと、「(前略)血盟団事件とは、1932年に日蓮主義者・井上日召(にっしょう)に感化された若者たちが引き起こした連続テロ事件で、井上準之助(元大蔵大臣)を暗殺した小沼正(しょう)、団琢磨(三井財閥総帥)を暗殺した菱沼五郎の両者は、共に茨城県大洗周辺出身の青年だった。彼らは幼馴染みの青年集団で、地元小学校の教員を務めていた古内栄司(ふるうちえいじ)を中心に日蓮宗の信仰を共にする仲間だった。(改行)当時の日本社会は、世界恐慌の煽りを受け、深刻な不況が続いていた。第一次世界大戦が終結した1919(大正8)年以降、経済は悪化の一途を辿り、貧困問題が拡大していた。特に地方や農村部の荒廃は酷く、出口の見えない苦悩が社会全体を覆っていた。(改行)彼らはそんな閉塞的な時代の中で実存的な不安を抱え、スピリチュアルな救いを求めた。また、自分たちに不幸を強いる社会構造に問題を感じ、大洗の護国堂住職だった井上日召の指導のもと、富を独占する財閥や既得権益にしがみつく政治家たちへの反感を強めていった。(改行)大洗の農村青年を束ねた井上は、上京後、安岡正篤(まさひろ)の金鶏学院に集まっていた東京帝大・七生社(しちせいしゃ)の学生たちに近づき、グループに引き込んだ。当時、七生社を牽引していたのは四元義隆(よつもとよしたか)。彼は戦後政治に大きな影響力を持った人物で、中曽根康弘元首相や細川護煕元首相の指南役として知られる。(改行)さらに井上は、大洗時代から交流のあった青年将校たちと連絡を密にし、国家改造計画を練った。しかし、『三月事件』『十月事件』といったクーデター計画が未遂のまま終わったため、自分たちこそが昭和維新のための『捨石』とならなければならないとの思いを強め、密かに青年たちを鼓舞した。(改行)彼は『一人一殺』をスローガンにかかげ、有力政治家や財閥のリーダーを次々に殺害する連続テロ事件を構想。茨城の農村グループと東大生を中心とした学生グループが連携して計画を推し進め、ついに暗殺テロが実行に移された。団を射殺した菱沼は、事件後、『これは神秘的な暗殺だ』と語った。日蓮主義的スピリチュアリズムとテロリズムがここで結びついたのである。(後略)」
以下は「あとがき」からの引用です。「(前略)その後の血盟団メンバーだが、裁判で井上、小沼、菱沼には無期懲役の判決が下った。他は古内、四元が懲役十五年、川崎(大洗メンバー)が懲役十二年、久木田、須田、田中、田倉(4名とも大学生グループ)が懲役六年、森、星子、黒澤(前2名は大学生グループ、黒澤は大洗グループ)は懲役四年だった。しかし、のちに特赦によって減刑され、井上、小沼、菱沼も1940年に仮出所した。(改行)井上は戦後も右翼活動に関わり、護国団という団体を結成した。小沼は業界公論社の社長となり、業界雑誌の出版に携わった。また、血盟団事件の裁判記録や上申書、手記をまとめ出版した。菱沼は結婚によって姓を変え、小幡五朗として活躍した。彼は茨城県議会議員となり、最終的に議長まで務める地元の名士となった。」
登場人物が多く、またそれぞれの精神史が詳しく述べられていて、エピソードも細かく、途中から飛ばし読みしてしまいました。最近だと『酒井勝軍』さんの本を読んだ時と似ています。結局、血盟団の当事者の方々の“熱意”に少しだけ触れることができたといった感じでしょうか?
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
序章から引用させていただくと、「(前略)血盟団事件とは、1932年に日蓮主義者・井上日召(にっしょう)に感化された若者たちが引き起こした連続テロ事件で、井上準之助(元大蔵大臣)を暗殺した小沼正(しょう)、団琢磨(三井財閥総帥)を暗殺した菱沼五郎の両者は、共に茨城県大洗周辺出身の青年だった。彼らは幼馴染みの青年集団で、地元小学校の教員を務めていた古内栄司(ふるうちえいじ)を中心に日蓮宗の信仰を共にする仲間だった。(改行)当時の日本社会は、世界恐慌の煽りを受け、深刻な不況が続いていた。第一次世界大戦が終結した1919(大正8)年以降、経済は悪化の一途を辿り、貧困問題が拡大していた。特に地方や農村部の荒廃は酷く、出口の見えない苦悩が社会全体を覆っていた。(改行)彼らはそんな閉塞的な時代の中で実存的な不安を抱え、スピリチュアルな救いを求めた。また、自分たちに不幸を強いる社会構造に問題を感じ、大洗の護国堂住職だった井上日召の指導のもと、富を独占する財閥や既得権益にしがみつく政治家たちへの反感を強めていった。(改行)大洗の農村青年を束ねた井上は、上京後、安岡正篤(まさひろ)の金鶏学院に集まっていた東京帝大・七生社(しちせいしゃ)の学生たちに近づき、グループに引き込んだ。当時、七生社を牽引していたのは四元義隆(よつもとよしたか)。彼は戦後政治に大きな影響力を持った人物で、中曽根康弘元首相や細川護煕元首相の指南役として知られる。(改行)さらに井上は、大洗時代から交流のあった青年将校たちと連絡を密にし、国家改造計画を練った。しかし、『三月事件』『十月事件』といったクーデター計画が未遂のまま終わったため、自分たちこそが昭和維新のための『捨石』とならなければならないとの思いを強め、密かに青年たちを鼓舞した。(改行)彼は『一人一殺』をスローガンにかかげ、有力政治家や財閥のリーダーを次々に殺害する連続テロ事件を構想。茨城の農村グループと東大生を中心とした学生グループが連携して計画を推し進め、ついに暗殺テロが実行に移された。団を射殺した菱沼は、事件後、『これは神秘的な暗殺だ』と語った。日蓮主義的スピリチュアリズムとテロリズムがここで結びついたのである。(後略)」
以下は「あとがき」からの引用です。「(前略)その後の血盟団メンバーだが、裁判で井上、小沼、菱沼には無期懲役の判決が下った。他は古内、四元が懲役十五年、川崎(大洗メンバー)が懲役十二年、久木田、須田、田中、田倉(4名とも大学生グループ)が懲役六年、森、星子、黒澤(前2名は大学生グループ、黒澤は大洗グループ)は懲役四年だった。しかし、のちに特赦によって減刑され、井上、小沼、菱沼も1940年に仮出所した。(改行)井上は戦後も右翼活動に関わり、護国団という団体を結成した。小沼は業界公論社の社長となり、業界雑誌の出版に携わった。また、血盟団事件の裁判記録や上申書、手記をまとめ出版した。菱沼は結婚によって姓を変え、小幡五朗として活躍した。彼は茨城県議会議員となり、最終的に議長まで務める地元の名士となった。」
登場人物が多く、またそれぞれの精神史が詳しく述べられていて、エピソードも細かく、途中から飛ばし読みしてしまいました。最近だと『酒井勝軍』さんの本を読んだ時と似ています。結局、血盟団の当事者の方々の“熱意”に少しだけ触れることができたといった感じでしょうか?
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)