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高橋義人『ナチズム前夜のフリッツ・ラング』その2

2018-12-22 13:08:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
「邪悪な眼差しは『メトロポリス』(1926)のなかにも出てくる。労働者の娘マリアは平和を説くが、会社の社長が作らせたマリアそっくりのロボットは、労働者に反対を呼びかける。そしてロボットのマリアは本物のマリアとは違い、邪悪な眼差しを有している。その眼差しの命じるままに、労働者たちは決起し、工場を破壊する。だが、そのために自分たちの住む町が洪水に押し流され、子どもたちが死んでしまったことを知ったとき、労働者たちはマリアを『魔女』と呼び、彼女を火あぶりにする。邪悪な眼差しといい、魔女の火あぶりといい、ラングは魔女狩りの時代のモティーフを使いながら、この傑作を作りあげたのだ。
 『ドクトル・マブゼ』のなかで、暗い背景のなかにマブゼの顔だけが意味ありげに繰り返してアップになるシーンがある。このシーンでラングは、マブゼの有する恐ろしい暗黒の力を浮かびあがらせている。
 世の中を動かしているのは暗黒の力である。この力はマブゼのような特定の個人のうちに姿を現わすこともあれば、時代の運命となって現われることもある。これがラングの作品の多くを貫く主題であり、暗黒の力が主題をなしているからこそ、ラングは犯罪映画やフィルム・ノワールと呼ばれるジャンルを切り開くことができた。暗黒の力が出現しやすいのは、ハンナ・アレントの言う『暗い時代』である。『M』の最後で、捕まったMは連続少女殺人事件を起こした理由を述べている。『俺のなかに何者かの影が忍びよってきて、俺を苦しめる。俺は昼も夜も幻想の影におびえている。俺は妄想に襲われて、罪を犯してしまう。どうしようもなかったんだ』と。Mは犯罪者であると同時に、『暗い時代』の犠牲者である。『暗い時代』は悪魔の跳梁跋扈する時代である。Mは『あの声を聞くと、殺さずにいられなくなってしまう』と言うが、『あの声』とは悪霊の声、暗黒の力の声にほかならない。
 Mの弁護人が、『こいつは明らかに精神に異常を来している。彼に必要なのは医者である』と述べているように、Mは暗黒の力に操られる精神異常者だった。同じくマブゼも、『ドクトル・マブゼ』の終わりでは狂人となって現われる。Mやマブゼばかりではない。最初はラングが撮ることになっていた『カリガリ博士』の主人公も、映画の最後では狂人であることが判明する。異常な復讐欲に燃えるクリームヒルトもほぼ狂人である。マブゼのような狂人が強大な権力を手にすると、世の中はさらなる混乱の坩堝へと突き落とされ、クリームヒルトのように復讐欲に燃える人物が政権を取れば、他国との戦争は不可避になる。それがラングの映画にこめられたメッセージである。
 ラングのサイレント映画は、『死滅の谷』(1921)から『月世界の女』(1929)にいたるまで、すべて第一次大戦と第二次大戦のあいだに作られている。第一次大戦に敗れたドイツは精神的にも物質的にも疲弊し、人々は異常なインフレに苦しんでいた。それは、魑魅魍魎や悪霊の数々が跳梁跋扈する『暗い時代』だった。そんな時代にラングの鋭い感性は、眼に見えない魑魅魍魎をドクトル・マブゼやクリームヒルトやMとして形象化したのだった。つまりラングが戦前の諸作品で描いたのは『暗い時代』そのものであり、この時代によって悪の世界へと引きずり込まれる人々のどうしようもない運命だったのである。
 その意味では、ラングの処女作とも言える『死滅の谷』は示唆に富んだ作品である。原題は『疲れた死神』であり、死神は逢引き中のアベックのうち、男の方を死の世界へ拉致してしまう。嘆く娘は死神に、恋人を返してほしいと懇願する。死神もできたら返してやりたいと思い、娘に恋人の身代わりになる人物を探してきたら返してやろうと言う。娘は火事で燃えさかる老人ホームのなかへ飛びこみ、建物のなかに一人残された赤子を死神に渡そうとするが、渡すには忍ばず、赤子を窓から母親に差し出し、自ら火に焼かれて死んでしまう。
 死んだのは、男と娘である。男は第一次大戦中に戦死したドイツ兵なのかもしれない。そして恋人の死を嘆く娘も、戦後の疲弊した社会のなかでは生きつづけることができない。死神もできたら彼らを死なしたくはないが、その秘められた願いも叶わず、彼自身が『疲れている』。要するに、第一次大戦後のドイツで多くの人々が死の坂道をころがり落ちてゆくのは避けられない運命だ、とラングは言いたいのである。」(また明日へ続きます……)