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フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ』その1

2018-12-14 06:09:00 | ノンジャンル
 今年亡くなったフィリップ・ロスの2004年作品『プロット・アゲンスト・アメリカ』を読みました。
 訳者の柴田元幸さんの「訳者あとがき」を転載させていただくと、

「英米の小説では、扉の前で1ページを割き、Also by …またはBooks by…というふうに著者のそれまでの著作を列挙するのが常である。そしてフィリップ・ロスの場合、ただ列挙するのではなく、いくつかの『ジャンル』に著作を分類して並べるのが恒例になっている。最新刊『復讐の女神(ネメシス)』(2010)での分類は、〈ザッカーマン本〉、〈ロス本〉、
〈ケペシュ本〉、〈ネメシスたち短い長篇〉、〈雑文集(ミセレイニアス)〉、〈その他〉。このうち〈ザッカーマン本〉、〈ケペシュ本〉は、それぞれネイサン・ザッカーマン、デイヴィッド・ケペシュという、作者ロスの分身的存在を主人公にした小説であり、〈ロス本〉は文字どおりフィリップ・ロスなる人物が登場する作品である。七歳から九歳までのフィリップ・ロス少年を視点人物とするこの『プロット・アゲンスト・アメリカ』も、ひとまず〈ロス本〉として分類されている。
 フィリップ・ロスが出てくるのだから、自伝的な作品かというと、ここが一筋縄では行かないのがフィリップ・ロスである。長いキャリアを通して━━特に、一連の〈ザッカーマン本〉を通して━━ロスは生きられた生と想像された生、書かれた世界と書かれていない世界との錯綜した関係を追究してきた。フィリップ・ロスが出てくるから自伝、という簡単な話では済まない。
 たとえば〈ロス本〉のひとつ『オペレーション・シャイロック』(1993)では二人のフィリップ・ロスが出てきて、作家ロスはもう一人の、見かけも服装もそっくりなロスが自分の名(といってもそれはそのもう一人の名でもあるわけだが)を騙(かた)って講演などをしていることを知る(しかもこの作品は『小説』ではなく『告白』と銘打たれている)。
『事実(ザ・ファクツ)』(1988)もその名のとおり小説家の半生をおおむね 事実どおりに綴っているように見えるが、最期の章には〈ザッカーマン本〉の作中人物ネイサン・ザッカーマンからの手紙が引用され、この本でのロスの語りの信憑性に(それなりに説得力がある)疑義が呈される。
『父の遺産』(1991)はおそらくもっとも率直に自伝的な作品であり、八十六歳の父親ハーマン・ロスを世話する五十代の息子フィリップの感慨がストレートに伝わってきて、病、老い、死、親子の情愛といったテーマを直球で語るまっすぐさが読み手の胸を打つ。
 そして本書『プロット・アゲンスト・アメリカ』も五冊ある〈ロス本〉の一冊であり、その設定はひとまず明快である。まず、1940年、作家の七歳当時の家族とその環境を━━ほかの作品内外での発言・記述から判断する限りおおよそ忠実に━━再現する。ただし、その『環境』にはひとつ大きなひねりが加えられる。すなわち、史実では民主党の現職フランクリン・D・ローズヴェルトが三選を果たした1940年アメリカ大統領選において、初の大西洋単独横断飛行を成し遂げた空の英雄チャールズ・A・リンドバーグが共和党から出馬してローズヴェルトを破るのである。この〈もうひとつのアメリカ〉の大統領となったリンドバーグは、ヒトラーと結託し、アメリカのユダヤ人の尊厳を破壊しコミュニティを瓦解させるための政策を次々展開する。これによって、それまではアメリカ人であることにほとんど何の疑問も持たずに済んでいたロス一家も、父が職を失い、地元の共同体もばらばらになっていくなか、どんどん追いつめられていく……。
 ロスは以前にも、カフカが病で早世せずアメリカに渡って平凡なヘブライ語教師として生涯を終える(そしてもちろん一連の名作を発表しないまま終わる)という事態を思い描いた文章を書いたことがあり(「『みんなから断食をほめられたいとそればかり考えていたんです』または カフカを見つめて」飛田茂雄訳、『海』1974年11月号掲載)、現在我々がカフカを読めるということがどれほどの奇跡かをあらためて実感させる見事な物語をつくり上げていたが、今回のように、長篇一冊を通して歴史の改変を試みたのは初めてである。
 さて、リンドバーグが大統領に選ばれてユダヤ人を迫害するというのは、決して荒唐無稽な設定ではない。現実のリンドバーグが反ユダヤ思想の持ち主だったことはつとに知られているし、ほかにも、自動車王ヘンリー・フォード、人気の『ラジオ司祭』コグリン神父など、この小説にも登場するような反ユダヤ主義著名人は何人も存在し、ユダヤ系の人々はその脅威を感じていた。当時アメリカでは自動車といえばまずはフォードだったわけだが、ロスが少年時代を過ごしたニュージャージー州ニューアークのユダヤ人街では誰一人フォードに乗っていなかったという。」(明日へ続きます……)