gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

駒野剛『角栄氏と保守政治・弱者包み込む情 今こそ』

2018-12-11 03:19:00 | ノンジャンル
 11-月29日の朝日新聞の朝刊に、朝日新聞編集委員の駒野剛さんによる『角栄氏と保守政治・弱者包み込む情 今こそ』と題されたコラムが掲載されていました。一部を転載させていただくと、
「(前略)『昭和40(1965)年不況』。前回の東京五輪があった64年から翌年にかけて、公共事業は一巡する一方、日本銀行の金融引き締めもあり放漫経営の企業が次々と行き詰まる。(中略)
 客から預かった債券で資金調達をしていた山一証券も金繰りが悪化。取引銀行が支援をちゅうちょする中、『それでもお前は銀行の頭取か』と一喝、日銀法25条による無制限無期限の特別融資で一気に沈静化させた男がいた。蔵相、田中角栄氏である。
            ◇
 (中略)没後25年。いまだこれほど人々の心を捉える政治家は他にいまい。なぜだろう。
 こんな角栄氏の言葉が残っている。
 『人間は、やっぱり出来損ないだ。みんな失敗もする。その出来損ないの人間そのままを愛せるかどうかなんだ。政治家を志す人間は、人を愛さなきゃダメだ』『東大を出た頭のいいやつはみんな、あるべき姿を愛そうとするから、現実の人間を軽蔑してしまう。それが大衆蔑視につながる。それではダメなんだ。そこの八百屋のおっちゃん、おばちゃん、その人たちをそのままで愛さなきゃならない。そこにしか政治はないんだ。政治の原点はそこにあるんだ』
 飾り気のない優しさと大衆への愛。いまの政治家が失った『情』があふれている。
 看板政策『日本列島改造論』も、底流にあるのは弱者を包み込む情でなかったか。
 『住みよい国土で将来に不安なく、豊かに暮らし』ていくため、都市集中の資源投資を大胆に転換して、工業を全国的に再配置する一方、全国新幹線と高速道の建設、情報通信網のネットワーク形成をテコに、『都市と農村、表日本と裏日本の格差は必ずなくすことができる』と改造論は説く。
 高度成長で栄えた太平洋ベルト地帯に対し、日本海側はおいてけぼりだった。若者は東京などに奪われ寂れた半面、都会は発展の反動で公害や交通地獄が慢性化する。国土の均衡ある発展こそ都市の矛盾を減らし国富を地方に分散させる悲願になった。
 考えは正しかった。『これだけの総合戦略を考えた政治家はいません。しかしタイミングが悪かった』と角栄氏の評伝の著者、新川敏光法政大学教授は話す。米国がベトナム戦争に伴い膨大なドル資金を海外に流出させていた。日本も『過剰流動性』と呼ばれた余剰資金が蓄積された結果、列島改造を当て込んだ土地投機が激化した。
 第4次中東戦争で石油価格が急騰、狂乱物価と呼ばれるほどに。角栄氏は列島改造の旗を降ろし、構想は未完で終わる。
 金権批判で下野後、ロッキード事件で法廷へ。栄光と屈辱と。今太閤から闇将軍と。激変した人生が私には悲劇に見える。
           ◇
 新潟県長岡駅から自動車で20分ほど進むと信濃川と交叉する妙見堰(みょうけんせき)に着く。全長524メートル、八つの水門が上下して流量を調整、幾度も流域を変えた川を安定させた。
 88年5月末、濃紺のベンツが停車した。角栄氏は関わった公共事業の行く末を気にかけていた。最晩年、確かめに来たのだ。
 先日、私が訪ねた堰の記念館には見学に来た小学生の感想文が残され、様々な役割を知り感心したなどとあった。保守政治とは何か、遺産が静かに問いかけてきた。
 弱肉強食を疑い、弱者の救済を掲げた彼の考えは、低成長にあえぐ一方で格差が拡大する今、改めて吟味されるべきだ。五輪と万博という高度成長の夢を後追いする時こそ、『決断と実行』が求められている。」

 金権政治の権化と考えていた私の田中角栄氏への評価が間違っていたことを知りました。著者も書いていましたが、今の政治家(特に自民党の政治家)に決定的に欠けている大衆への愛を角栄氏は持っていたということでした。彼らに是非読んでもらいたい記事だと思いました。

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時の生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山先生、福長先生と私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。)