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斎藤美奈子さんのコラム・その31&山口二郎さんのコラム・その16

2018-12-27 16:27:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている山口二郎さんのコラム。

 まず12月19日に掲載された「12月の変」と題された斎藤さんのコラム。全文を転載させていただくと、
「2013年12月27日がひとつのターニングポイントだった。その日、当時の仲井真弘多知事が、政府が提出していた沖縄県名護市辺野古の埋め立て申請を正式に承認したのである。『普天間飛行場の県外移設』を公約にして当選した知事の、裏切り行為というべき承認だった(そして翌14年11月の知事選で仲井真氏は落選した)。
 次の翁長雄志知事による埋め立ての承認取り消し(15年10月13日)を巡り、県を相手に国が起こした違法確認訴訟で、最高裁が国の請求を認め、承認取り消しは違法とする判決が確定したのは16年12月20日だった(翌17年4月25日、国は埋め立ての第一段階となる護岸工事に着手した)。
 そして今度は、12月14日の土砂の投入である。なんだってこう沖縄では県民感情を逆なでするような暴挙が12月に集中するのか。まあ、脅しですよね。「もう抵抗しても無駄」「おとなしく観念しな」「年内に決着させてしまおうぜ」という。それに呼応するようにメディアも「政府の基地建設 後戻り困難に」(朝日新聞・15日)とか書くしさあ。
 何が後戻り困難さ。今までにも工事は何度も中断してきたのだ。すでに工期は伸び、工費は膨れ上がり、当初の計画は破綻している。土砂の投入量はまだわずかである。後戻りはできるさ、まだまだ」。

また12月26日に掲載された「美しい海」と題された斎藤さんのコラム。
「名護市辺野古の新基地建設をめぐり、モデルのローラさんが来年二月の県民投票まで工事を停止するよう求める署名への参加を呼びかけた。
 それを快く思わない朴念仁が、どうやらこの国にはいるらしい。いわく『政治的発言』、いわく『不勉強で無責任』。
 芸能人が社会的な発言をすると、必ずこの種の非難がましい声が出る。2003年のイラク戦争の際にも、多くのミュージシャンや俳優が戦争反対を訴えて、『不勉強』と非難された。
 相手を不勉強呼ばわりする人は、では普天間飛行場はどうするのだ、といいたいのだろう。
 この件は『普天間か辺野古か』の二択のように喧伝(けんでん)、報道されてきた。だが実際には、辺野古の基地建設によって普天間飛行場が返還されるという約束も保証もない。である以上『普天間飛行場の辺野古移設問題』などの表現はやめて『辺野古の新基地建設』に統一すべきではないか。
 辺野古の案件は第一義的には環境問題だ。よってローラさんの認識は正しい。『この星と、ひとの、美しさのために、私たちにできることはなんだろう』とは、彼女が出演するエステティック・サロンのCMのコピーである。『美しい沖縄の埋め立てをみんなの声が集まれば止めることができるかもしれないの』という投稿とも響き合っている。論難するほうがおかしい。」

 そして12月23日に掲載された「尊厳的部分」と題された山口二郎さんのコラム。
「今日は平成最後の天皇誕生日である。このところ天皇家と政府の関係が不安定になっていることがうかがえる。
 19世紀イギリスの批評家ウォルター・バジョットは、『イギリス憲政論』の中で国家機構を、尊厳的部分と機能的部分に分けている。機能的部分とは実際に社会を統治する政府、尊厳的部分とは人々から服従や忠誠を引きだす権威とされる。そして、国王に代表される尊厳的部分が安定的統治の秘訣(ひけつ)であるとした。
 安倍政権の最大の罪は、尊厳的部分、つまり明文化されていない権威を軽んじている点にある。機能的部分の中にも尊厳的部分のような役割を果たす公的機関がある。従来であれば、法秩序の安定性のために内閣法制局が自立した権威を持ち、通貨の信用維持のために日本銀行が中立的権威を持ってきた。しかし、この六年間、安倍政権はこれらの公的機関の人事を壟断(ろうだん)し、政治的道具とした。
 2013年4月28日に、講和条約から沖縄が取り残されたことに心を痛めていた天皇に主権回復記念式典への臨席を求めたことから始まり、安倍政権は君主制にまで自らの政治的意思を押し付けようとしてきた。
 平成の終わりに当たって、ためにする改憲議論を終わらせ、戦後憲法体制の正当性を広く確認、共有することが日本の秩序のために必要である。」

 どれも正論だと思いました。