今日の朝日新聞に面白い記事が出ていました。死んだ場所のグラフが年代順に載っていて、自宅で死ぬ人は右下がりで減って行くのに対し、病院・診療所で死ぬ人は右上がりに増加していて、それがちょうど左右対称の図になっていました。'51年には自宅で死ぬ人が80%を越し、病院などで死ぬ人は10%超だったのが、'05年には自宅で死ぬ人が10%超、病院などで死ぬ人が80%超と全く逆になっていました。
'04年の調査では、「終末期をどこで過ごしたいか?」の問いに、6割の人が「できるだけ自宅で療養したい」と答える一方、「最期まで自宅で」と希望する人は1割にとどまったとのことです。理由として多かったのは「介護してくれる家族に負担がかかる」と「症状が急変した時の対応に不安がある」だったそうです。
以前は今程医療が発達せず、事前の検査で病気を早期発見することが少なかったことが、病気の発見を遅らし、自宅で死んでしまうというケースが多かったのかな、とも思います。また、今までだったら死んでいた人が医療の発達で死ななくなり、介護を必要とする人が増え、それが介護をする家族への思いから病院で死にたいという人が増えているような気がします。
私はできるなら自分の家で家族に見守られながら死にたいですが、介護という問題が生じた場合には一概にそうも思えなくなるかもしれません。ただ、いずれにしても独りぼっちで死ぬよりは、愛されている人に手を握られながら死にたいという思いはあります。これは、私が逆の立場にたって、愛している人の臨終に立ち会う際にも同じことが言えると思います。
交通事故などで路上で死んだり、世界では、戦火の中で死んだり、そうした死を迎える人たちは不幸です。そうした人たちを少しでも少なくするために、自分ができることをして行きたい、と思う今日この頃です。
'04年の調査では、「終末期をどこで過ごしたいか?」の問いに、6割の人が「できるだけ自宅で療養したい」と答える一方、「最期まで自宅で」と希望する人は1割にとどまったとのことです。理由として多かったのは「介護してくれる家族に負担がかかる」と「症状が急変した時の対応に不安がある」だったそうです。
以前は今程医療が発達せず、事前の検査で病気を早期発見することが少なかったことが、病気の発見を遅らし、自宅で死んでしまうというケースが多かったのかな、とも思います。また、今までだったら死んでいた人が医療の発達で死ななくなり、介護を必要とする人が増え、それが介護をする家族への思いから病院で死にたいという人が増えているような気がします。
私はできるなら自分の家で家族に見守られながら死にたいですが、介護という問題が生じた場合には一概にそうも思えなくなるかもしれません。ただ、いずれにしても独りぼっちで死ぬよりは、愛されている人に手を握られながら死にたいという思いはあります。これは、私が逆の立場にたって、愛している人の臨終に立ち会う際にも同じことが言えると思います。
交通事故などで路上で死んだり、世界では、戦火の中で死んだり、そうした死を迎える人たちは不幸です。そうした人たちを少しでも少なくするために、自分ができることをして行きたい、と思う今日この頃です。