今回ご紹介するのは、昔の明石駅の写真です。下の方に「明石民衆駅開業1周年記念 昭40.12.1」と記載されていますので、1965年という今から45年前の写真です。
この写真は父が所有していたものですが、当時の父は明石駅に勤務していたため記念に配布されたようです。
ちなみに、この頃の私は明石駅から徒歩10分ぐらいのところに住んでいました。ですから、写真の明石駅から電車に乗っていましたね。
何せ45年前ですから当時の明石駅の記憶はあまりありませんが、ホームの木製のベンチや水飲み場は憶えています。
今回UPした写真は、少し解像度を上げています。ですから、右クリックで「名前を付けて画像を保存」していただき、部分的にズームしていただくと当時の状況がよく分かります。
たとえば、女性の装いは着物が多いことや、当時のクルマなどがお分かりになるでしょう。
ホームの左側後方に白い建物が写っていますが、私の記憶間違いでなければ「物資部」と呼ばれた国鉄職員専用の売店です。
この時代は量販店など少なく、職員が安価に買物できるように国鉄が設置した福利厚生施設ですね。当時の国鉄の主要な駅には併設されていたものです。
現在と変わらないのは、ホームから改札口への階段やバックに写っている明石城でしょうか。45年という年月を感じます。
この写真は父が所有していたものですが、当時の父は明石駅に勤務していたため記念に配布されたようです。
ちなみに、この頃の私は明石駅から徒歩10分ぐらいのところに住んでいました。ですから、写真の明石駅から電車に乗っていましたね。
何せ45年前ですから当時の明石駅の記憶はあまりありませんが、ホームの木製のベンチや水飲み場は憶えています。
今回UPした写真は、少し解像度を上げています。ですから、右クリックで「名前を付けて画像を保存」していただき、部分的にズームしていただくと当時の状況がよく分かります。
たとえば、女性の装いは着物が多いことや、当時のクルマなどがお分かりになるでしょう。
ホームの左側後方に白い建物が写っていますが、私の記憶間違いでなければ「物資部」と呼ばれた国鉄職員専用の売店です。
この時代は量販店など少なく、職員が安価に買物できるように国鉄が設置した福利厚生施設ですね。当時の国鉄の主要な駅には併設されていたものです。
現在と変わらないのは、ホームから改札口への階段やバックに写っている明石城でしょうか。45年という年月を感じます。
今と違って周りに大きな建物が無いので
明石城の櫓が際立って見えます^^
明石の駅も明石の玄関だけあって、当時から見事なものですね。
当時の車はどれも同じに見えてしまいます^^
その物資部というのが松戸駅にありまして
当時、職員とその家族は、購買(こうばい)と呼んでいた記憶がよみがえりました・・・。
すみません、ウソつきました(^^ゞ
物心ついた時から母は着物は着てなかったような。
けれど、この頃はこんなレトロなんですね、そして数年で
あっという間に近代風に変わった。高度成長期ってホントにすごい!
私も今のおうちに来た時に年に1度の定点撮影とかしとけば
おもしろい画像が残せたかな~と悔やんでます。
ジェームス山自動車学院の看板・・・私の母校です(笑)・・・四輪の方ね・・・。
駅舎そのものは今とそれほど変わってない様に思いますが・・・
ひょっとして、恐れていた、あの担当に?
明石城・明石公園は、それほど当時と変わっていません。ただ堀の水は澄んでいましたので、子供の頃は鮒釣りやザリガニを捕まえに行ったものです。
当時のクルマですが、TOYOTAはパブリカで日産はサニー1000の時代でしょうか。白のレザートップはクラウンやセドリックかと思います。
ソニークロケットさん、うんうん、さすがに関係者ですね。当時は国労や鉄労が強かっただけに、このような福利厚生施設がドンと作られたのでしょう。
さらに職場に散髪屋さんがあるのも普通でした。仕事中に散髪に行くのも、何のおとがめも無かったのどかな時代です。
購買というのは、私が中学の頃に学校内にありました。当時は文具店が少なく、ノートな鉛筆、それに学校指定用品を買いに行ったものです。
青太郎さん、おそらく当時はそんな難しいことは考えずに、単にシャッターを押したと思います。
プライバシーなんて無かった時代ですからね。写真に写っていれば「やった!写っている」なんて喜んだ時代です。(笑)
同年代の青太郎さんですから、「おぶいこ」で赤ちゃんを背負っている女性の姿は懐かしいかと思います。最近は背負わずべビーカーばかりとなりましたね。
たらちゃんさん、年齢のことはともかく・・・(笑)その時々は普通の風景も、あらためて見ると、その変化に驚かされるものです。
そういう意味では仰るように、同じ場所で、毎年、同じ時期に写真を撮られるのも、時代の移り変わりが分るでしょう。
女性の普段での着物姿は見かけなくなりましたね。当時は洋服が高かったことも要因かと思います。そんなところで嫁入り道具の着物を着てられたのでしょう。
現在のようにユニクロようなお店があれば、様相も変わっていたでしょう。昭和41年といえば、明石では洋装品スーパーであるフタギ(ジャスコの前身)が、オープンしていたか?していなかったか?の頃だったと思います。
T2さん、前述したようにクラウンかセドリックかと思います。ちょうどウルトラQが放送された頃ですので、DVDを観ていると似たようなクルマが登場します。
駅舎そのものは現在も同じです。現在のJR明石駅は内装や照明などが変わっているので、何となく新しく見えますが構造(躯体)は何も変わっていないですね。
恐れていた、あの担当に・・・ウーン、3月末ですね。怖いので、あまり考えないようにしています。(笑)