先日、ジュンク堂で「兵庫の鉄道廃線を歩く」なんて本を買ってしまいました。この本はタイトルのとおり、現在は廃線となった兵庫県内の鉄道を紹介するものです。
いくつか紹介しましょう。先ずは、以前にもこのブログで紹介したことがある「銀の馬車道」です。この「銀の馬車道」は明治時代に生野から姫路まで銀鉱石を運んでいた鉄道ですが、「馬車道」という名のごとく馬車で運んでいたものです。
しかし「本当にレールはあったのか?」というのが疑問でした。ひょっとして単に道路では?とも思っていたのですが、この写真をみればレールがあったことは明らかですね。本当に馬が引く鉄道でした。
次に「淡路鉄道」です。淡路島に鉄道が走っていたのは知っていましたが、電化されていない気動車と思いきや何と電車だったんですね。洲本から南淡町の福良港までの路線でした。
この本には現在の状況も紹介されています。とりあえず高砂線や三木鉄道、それに鍛冶屋線の跡を巡るツーリングに行きたいと思っています。
いくつか紹介しましょう。先ずは、以前にもこのブログで紹介したことがある「銀の馬車道」です。この「銀の馬車道」は明治時代に生野から姫路まで銀鉱石を運んでいた鉄道ですが、「馬車道」という名のごとく馬車で運んでいたものです。
しかし「本当にレールはあったのか?」というのが疑問でした。ひょっとして単に道路では?とも思っていたのですが、この写真をみればレールがあったことは明らかですね。本当に馬が引く鉄道でした。
次に「淡路鉄道」です。淡路島に鉄道が走っていたのは知っていましたが、電化されていない気動車と思いきや何と電車だったんですね。洲本から南淡町の福良港までの路線でした。
この本には現在の状況も紹介されています。とりあえず高砂線や三木鉄道、それに鍛冶屋線の跡を巡るツーリングに行きたいと思っています。
高速道路かとおもってました!
表紙に小さく映ってるのは、あけのべの一円電車でしょうか?
楽しそうな本ですね(*^ω^*)
私は、そこの “兵庫の鉄道全駅(JR・三セク)“ っという本を買って「無人駅巡り」を始めました・・・(^^;)
他にも{兵庫を知るための本}がイッパイあって、私のお気に入りです・・・
写真を集めるのに苦労されたんじゃないのかなあ。
大事にとっておけば、将来は貴重な資料になるかも。
知りませんでした。
高砂線も走ってる当時は知りませんがあちこちのそれらしき跡がありますね。
そんなところで、現在から見れば中途半端な鉄道ですが、明治初期の道路事情は極めて悪いためこの方法しかなかったのでしょう。結局、播但線の開通とともに消えて行きましたが、現在の播但線やR312は生野銀山のために生まれたと言っても過言ではありません。
Cuteさんのお近くでは、福崎町の西光寺交差点(ご存知ですか?)の南北道路は銀の馬車道の線路跡のようです。表紙に小さく写っているのは、あけぼの鉱山の一円電車ですね。
グッチさん、ぜひ買いましょう(笑)。廃線鉄道によっては、「ここで本当に鉄道が・・・」というのもありますが、何となく雰囲気は感じられると思います。
とりあえず以前に三木鉄道は行きました。そして昨日は鍛冶屋線に・・・次は高砂線か播磨港線ですね。一緒にいかがですか。
ピィさん、神戸新聞社さんが編集されていますので、当時の新聞記事(写真)を掘り起こしたのではないでしょうか。それでも膨大な資料を要約するのは大変だったでしょうね。
廃線だけではなく、昔の写真ってあまり残っていないです。記念館あたりに行っても、地元の方の資料を懸命に集めた苦労が見えてきます。
そんな中、欲しい本があるのです。戦後、進駐軍が撮影した蒸気機関車の写真集です。なんとコダクロームで撮影した写真集です。SLもしかりですが、当時の街並みをフルカラーで撮影した貴重な資料です。
takさん、淡路鉄道は昭和41年(1966年)に廃止されたそうです。親会社は現在の淡路交通ですね。さすがに私も見たことがありません。takさんはお生まれには・・・です。
高砂線は昭和59年に廃止されましたが、私は何度か乗りました。曖昧な記憶ですが、一旦、現在の加古川線と並走して走り、その後、山陽本線の下をくぐって、現在の加古川市役所方面に向かって南下したものです。さらに鶴林寺近くを通った後、西に向かい加古川を超えて、最終は高砂港駅でした。
山陽線の線路を挟んで、現在のニッケパークタウンの北側には加古川機関区があり、加古川線はC12、高砂線はC11蒸気機関車が停まっていましたね。野口駅のモニュメントは加古川市役所近くにあるそうです。