うたことば歳時記

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春のお萩、秋の牡丹餅を笑う

2019-08-29 13:43:09 | 年中行事・節気・暦
 もうすぐ九月となります。店頭には早くもお萩が並んでいました。そこでいつもいつも嘆かわしく思うのですが、一般には「春は牡丹餅、秋はお萩」という季節による呼称の使い分けが定説となっています。これがいかに出鱈目であるかは、ブログ「うたことば歳時記」に「春は牡丹餅、秋はお萩は出鱈目」と題して公開してあります。ただ難解な江戸時代の文献史料をたくさん並べているので、気軽には読む気になれないようです。

 ネットで「お萩・牡丹餅の由来」とでも検索すると、呼称の季節による使い分け説が、これでもかというほど出て来ます。そして決まったように「意外と知らない・・・・」「・・・・を御存知ですか」として、教えてさし上げますと言わんばかりの口調で、出鱈目な説を垂れ流しにしています。

 しかし季節による使い分けの文献史料は一切示されず、「・・・・と言われています」というだけなのです。今日は意図して挑発的で過激な言葉を使いますが、江戸時代の文献を読んだことがないのに、よくもまあ得々と書けるものよと呆れてしまいます。

 「そういうお前自身は詠んでいるのか」と言われるでしょうね。もちろん読んでいますとも。季節による使い分けがなかったことを示す史料は、書ききれないくらいたくさんありますよ。それに反して季節による使い分けが共通理解となっていたことを示す史料は、未だかつて見たことがありません。私は一応日本史の研究者の端くれとして、専門の学者には及ばないでしょうが、半世紀もの間江戸時代の文献史料を片端から読んできています。一生かかっても読み切れないのですから、絶対に見落としはないとまでは言いませんが、その私でも、江戸時代に季節による使い分けが共通理解となっていた文献史料を見たことがありません。その反対に、季節による使い分けがなかったことを示す史料は、何十点もあるのです。

 使い分け説を得々と書いている人に尋ねてみたい。あなたは使い分けが共通理解となっていたことを示す根拠を見たことがあるのですか。見たことがないのではありませんか。さも見たかのように書いていますが。見せられるものなら見せて下さい。

 それなら何が本当だったのでしょうか。江戸時代の初期には、「萩の餅」と呼ばれていました。女性は女詞で「お萩」と呼ぶこともありました。しかし「萩」は別名「ぼた」とも言うため、「ぼた餅」という呼称が生まれたのですが、「ぼた」には器量の悪い女性をあざける意味もあるため、「ぼた餅」の「ぼた」を萩に対応して「牡丹」と表記し、「牡丹餅」というようになりました。しかし「ぼた」が下品な言葉であることはみな知っていますから、上流階級の人は賤しい食べ物として「牡丹餅」を食べません。ただし同じ物を「萩の餅」と称して食べていました。今風に言えば「ぶす餅」と言うようなものですから、やんごとない御方は、召し上がるわけにはいかなかったのです。しかし明治時代になると次第に使い分けされることが多くなり、春は牡丹餅、秋はお萩と言うようになりました。

 そんなはずはないと思われるようでしたら、上記のブログを御覧下さい。過激な言葉を使ったことについては、最後にお詫びいたします。不愉快に思われたとしたら、反論・反発を期待してのことでしたので、本心ではありません。重ねて謝罪いたします。日本の伝統文化が正しく伝えられないことに、少々腹が立っているのです。

 支離滅裂なタイトルは、「変なタイトルだな、一寸覗いてみよう」という反応を期待してのことです。これもお許し下さい。


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