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私の授業 地球の自転を確かめる

2020-03-17 08:49:03 | 私の授業
以下の授業風景は、私が近所の小学校でボランティアで行っている、ミニ授業の様子を可能な限り忠実に再現したものです。「  」内は生徒や担任の先生の発言です。私は現在は定年退職後に非常勤講師として市内の某進学校で地歴科の非常勤講師をしていますが、近年もてはやされているアクティブラーニングには賛同できない立場です。授業では多少の会話はありますが、100%私が主導権を掌握しています。しかし生徒の反応や、時々書かせる感想など見る限りは、知識の一方的な注入ではなく、生徒にとっては学ぶことが楽しい授業となっていると思います。

 小学校のミニ授業も基本的には同じことです。会話が高校より増えますが、主導権は絶対に生徒に預けることはありません。今日の授業の対象は6年生です。テーマは「地球は回る」というのですが、さてどうなりますか。

 みんなお早う。さあ今日は何のお話をしようかな。「地球儀で何するの?」。そう、今日はね地球が回っているよというお話だよ。ねえ、皆さんは地球が回っているということを知っていますか。「知ってるよ」。うん、みんな知ってるみたいだね。でもどうしてそれがわかるの。先生や親がそういう風に教えてくれたから、そう思い込んでるだけじゃないの。「本に書いてあった」。よく本を読んでるね。感心感心。でもね、本に書いてあるから全部本当とは限らないよ。やっぱり自分で確かめたいよね。

 それじゃあ地球が回ってるって、どうやったら確かめられるか考えてみよう。「人工衛星に乗ればいい」。「できるわけないじゃん」。うん、確かにそれができれば、要するに外から地球を眺めれば、わかるかもしれないな。でもできっきないし・・・・。さあ、どうするどうする。宇宙に行かずに、地球にいながらわかる方法はないかな。「いいこと考えた。南極にいってね、地球が回っている軸の所に立てば、くるくる回って目が回るかも」。やあ、面白いこと考えたねえ。行ったことないけど、そこに立てばそうなるのかなあ。こんな答があるとは予想もしなかったよ。でもね、目が回る程早くまわらないよ。だって地球は一日でやっと一回りだろ。「目なんかまわらないよ」。まあそういうことなんだろうな。でも面白い考え方だ。これはこれで素晴らしい。

 そこでちょっと違うことを考えてみよう。太陽が一日で地球を一回りするように見えるけど、太陽は本当に地球の周りを回ってるの。「違うよ、太陽は動かなくて、地球が自分で勝手に回ってるんだよ」。勝手にっていうのがおかしいね。そう、勝手に回ってるんだ。太陽は地球から見ると東から西に動いて見える。それは地球が回っているから、太陽の光が当たる部分が、地球の上で東から西の方に少しずつずれていくからだね。ちょっとカーテン閉めて暗くしてごらん。この懐中電灯が太陽だとして、地球儀を照らす。そして地球儀を少し回していくと、光が当たるところが西にずれていくのがわかるかな。光が当たるようになるっていうことは、別の言葉に直すとどういうことかな。光が当たらないところは夜なんだから・・・・ 。「朝になること」。当たり。そうだね。つまり太陽の見えるようになる時間は、東の方から段々西に動いていくっていうことだ。ここまでわかったかな。「わかったよ」。

 そこまでわかったら大したもんだね。驚いたよ。そこでね、この写真を見てほしいんだ。これはね、NHKの朝6時少し前の天気予報の画面なんだけど、まず東京の空の様子、次に仙台にの様子、そして名古屋・広島・福岡の様子が出て来る。みんな仙台や福岡がどこにあるか知ってるかな。「知ってるよ」。知らない人もいるかもしれないので日本地図に場所を記入しておいたんだけど、わかっていそうだね。

 さあこれらの場所の朝の様子を見て、何か気が付いたことがあるかな。順番に並べてみるよ。「わかった、西の方が暗い」。そうだね、よく気が付きました。よくできました。仙台はもう明るいのに、福岡はまだ薄暗いよね。ということは、どういうことになるのかな。「地球が回ってるから、朝が段々東から西にずれていく」。僕が言いたいことをみんな言ってくれるね。

 時間がなくなるのでそろそろ終わりにするけど、地球が回っているっていうことが、少しは自分の経験としてわかったかな。でもね、これは春と秋にはよくわかるけど冬の同じ時間の天気予報を見ると、どこも真っ暗、夏ならばどこも朝になっちゃうので、6時前の天気予報じゃだめなんだ。まあそれは難しい話になるから今日はしないけど、今度早起きして、6時前の天気予報を見るといいよ。はい、今日のお話はこれでお終い。

 こんな話しをしているうちに、私の持ち時間の20分は終わってしまいました。6年生にはかなりレベルの高い話しでしたが、小道具があれば十分に理解できます。小学校の先生の中には、手間のかかる教材を作る方がいらっしゃいますが、私はずぼらな性格で、それができません。あり合わせのものでいつも何とかしてしまいます。それでも本当に何とかなるのです。

 一方的に私が主導権を握っていても、生徒の理解度は決して低くなることはないと思います。もちろん生徒達が自分たちで言い合って同じ結論までたどりつければ、素晴らしいとは思います。しかしそのために費やす時間を考えると、とてもその様な時間的余裕はないのです。


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