うたことば歳時記

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チコちゃんを叱る 「なんで松竹梅は縁起がいい」

2020-03-08 09:33:59 | 歴史
今回は「なんで松竹梅は縁起がいい」というテーマです。答は「冬でも元気がいい植物だから。小松引きから時代を越えてセットになった」ということだそうです。

 放送で使われた言葉を活かしながら、その粗筋を御紹介してみましょう。
 
 松竹梅は「歳寒の三友」と呼ばれ、宋の時代から始まった文人画で画題として好まれたものでした。「歳寒の三友」とは寒い冬に友とすべき三つの植物という意味で、色々な植物の組み合わせが描かれた中でも定番になりました。しかしこのような絵が日本に伝わった頃には、縁起がよいという認識はありませんでした。

 まず松が縁起物になったのは平安時代でした。宮廷儀礼である小松引がその起原です。それは正月の初子の日に外に出て若い松を引き抜く風習です。松は樹齢が長く冬でも青々していることから、若い松は長寿祈願の縁起物になりました。正月の門松のルーツはこの小松引です。

 竹が縁起物になったのはそれより600年後の室町時代です。古来、竹は庶民の生活用具の材料として利用されてきました。室町時代には茶道や華道が流行り、茶室や庭園に使われたことで、イメージがアップしました。そして日本各地で竹が栽培されました。竹は広く根を張って冬でもすくすくと伸びるので、子孫繁栄のシンボルとして縁起物になりました。そしてこの頃から門松に竹が加えられたそうです。

 梅は江戸時代になってやっと縁起物になりました。梅の実は燻製にして早くから漢方薬となり、花は観賞されていました。しかしそれは一部の特権階級の貴族達のものであって、梅が庶民に広まるのは江戸時代のことです。きっかけは幕府が稲の育ちにくい痩せた土地に、厳しい環境でも育つ梅の栽培を奨励したことから、徐々に広まっていきました。その結果、梅干しが庶民の食卓にも並ぶようになったのです。また梅の花を愛でることは桜の花見より通であるとして大流行しました。食べれば身体によく、厳しい寒さの中でも花を咲かせる梅は、生命力の象徴として縁起物になりました。これでようやく松竹梅が縁起物としてセットになったわけです。

 監修者は江戸川大学名誉教授の斗鬼正氏だそうです。

 出鱈目ばかりを垂れ流す「チコちゃんに叱られる」ですが、今回は比較的まともな内容です。門松の起原が小松引にあるというのは、門松が年神の依代であるという出鱈目な解説が伝統行事解説書の定説となっている中で、史実に即した解説です。この点は大いに評価できます。ただし松の樹齢が千年であるという理解は、早くも『万葉集』990番歌に見られます。

 ただ問題は竹が縁起物になった時期と理由です。時期については茶道や華道が流行った結果であるとのことですが、それなら室町時代もかなり下った頃になってしまいます。竹が松と並ぶ長寿のシンボルと理解されたのは、平安時代のことです。『拾遺和歌集』の275番歌には、「色変へぬ 松と竹との 末の世を いづれ久しと 君のみぞ見む」という歌があります。これは承平四年(934年)に藤原穏子の50歳の長寿の祝で屏風に貼られた屏風歌ですから、まさに縁起物としての竹が松と共に詠まれているのです。竹が縁起物となったのは、遅くとも10世紀まで遡ることができるのに、なぜ室町時代まで引き下げてしまうのでしょうか。監修者は八代集を読んだことがないようです。

 ただし門松とセットになったのはもう少し時期が遅れるようです。後白河法皇の命により土佐光長が描いた『年中行事絵巻』には、軒下に身長をやや超える松を立て並べ、軒先には譲葉を挟み込んだ注連縄が張られている場面がありますが、竹は全く見当たりません。少なくとも鎌倉時代初期までは竹が添えられることはなかったようです。

 室町時代後期の天文十三年(1544)に書かれた『世諺問答(せいげんもんどう)』という有職故実書には、門松の起原を問う質問に対して、「門の松立つる事は、むかしよりありきたれる事なるべし。・・・・その門の前に松竹を立侍り、松は千歳を契り、竹は万代をか(ち)ぎる草木なれば、年のはじめの祝事に立て侍るべし」と答えています。国会図書館デジタルコレクションで『世諺問答』と検索し、その6・7コマ目に見ることができます。著者の一条兼良は「無双の才人」と称された大学者であり、有職故実には特に詳しかったことから、その記述は十分に信頼することができます。

 チコちゃん説では「竹は冬でもすくすく伸び」、子孫繁栄のシンボルとして縁起物になったということです。しかし冬も枯れずに栄えるならわかりますが、そもそも冬には伸びることはありません。当たり前のことです。しかも平安時代以来松と並ぶ長寿のシンボルと理解されていました。「松は千歳を契り、竹は万代をちぎる」という言葉は慣用的に用いられ、江戸幕末の子供向け年中行事解説書である『五節供稚童講釈(おさなこうしやく)』(1833年)にも、「正月門松立つる事は、松は千歳、竹は万代を契るものゆゑに、門に立てて千代よろづを祝ふなり」と記され、松と共に長寿のシンボルと理解されています。決して子孫繁栄のシンボルではありません。

梅については、幕府が奨励したことを示す史料を確認できていません。膨大な『徳川実紀』を丹念に探せば見つかるかもしれませんが、絶望的な作業になりそうで諦めます。ただし池坊専応が1542年に著した『専応口伝』には、「専祝儀に用ふべき事」として、真っ先に松・竹・梅を上げていますから、梅が江戸時代になってから縁起物となったというのは、明らかに誤りです。

 江戸時代の日常雑器である伊万里焼には、松竹梅の図柄がたくさん描かれています。デフォルメされていることも多く、よくよく見ないと松竹梅であることがわからないこともあります。とにかく大流行したことは確かです。

 すでにお話したように、今回は比較的良心的な内容でしたが、松竹が縁起物になった時期と理由については、とんでもない出鱈目であることを確認しておきましょう。
 
 私の「うたことば歳時記」というブログには、「うたことば歳時記 チコちゃんを叱る「うたことば歳時記 お握りはなぜ三角形」 、「うたことば歳時記 チコちゃん叱る 雑煮の『雑』ってなあに」、「うたことば歳時記 チコちゃんを叱る お盆の『盆』ってなあに」、「うたことば歳時記 チコちゃんを叱る 牡丹餅とお萩」、「うたことば歳時記 チコちゃんを叱る なぜ桜の下でどんちゃん騒ぎするの」という題で、チコちゃん説の出鱈目さを批判していますから、合わせて検索して御覧下さい。天下のNHKの番組がこれほどいい加減なものとは、ただあきれるばかりです。

 あまりの出鱈目さに憤慨して、番組制作者に手紙を書いたことがありますが、必ず「色々な説がありますと補足しています」ということで、問題はないとのことでした。しかしあまりにも初歩的な誤りであり、説として成立以前の問題であると思います。私は自分の専門以外についてはわかりませんが、専門のことについてだけでもこれだけ出鱈目がまかり通っているのですから、他の内容もどこまで信用して良いものやら、はなはだ怪しいと言わざるを得ません。





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