一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【104】

2011-06-15 08:51:06 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【104】
Kitazawa, Masakuni

 ガラス戸を開けて芝生にでると、さまざまな樹々の花々の香りが、いささか湿った大気のなかにただよってくる。ときおり近くにやってくるウグイス、ホトトギス、クロツグミ(?)の他を圧する囀りに混じり、メジロやジョウビタキやコガラなどガラ類の声が、昔に比べると少なくなったとはいえ、聴こえてくる。

 ニューヨーク・タイムズ書評紙からの雑感 

 仕事の都合でときおり溜め込んでしまうニューヨーク・タイムズの書評紙を、数週間分まとめて読むことになった。そのなかで関心をひいたいくつかを紹介しよう: 

 アダム・カーシュ(Adam Kirsch)の「歴史のための戦い」(The Battle for History)と題するエッセー(May 29)が面白い。イラク戦争やヴェトナム戦争が「汚い戦争Dirty War」であったという悔恨の念をこめた認識は、かなりひろくアメリカ人のあいだに浸透しているが、第2次世界大戦は、ナチズムや日本軍国主義などの諸悪と戦った「正義の戦争または善き戦争Good war」であるという認識は、知識層のあいだでもかなり一般的である。だが全面的にそうであるか、という疑問がここ数年来歴史界のなかで高まってきたという。 

 いうまでもなく戦争末期、ハンブルクやドレスデンを壊滅させた英米空軍による無差別絨毯爆撃(毛布爆撃blanket bombingともいう)、またカーティス・ルメイ将軍の指揮で一晩に10万人の死者をだした東京大空襲、あるいはヒロシマ・ナガサキを一瞬に廃墟と化し、数10万に昇る死者・負傷者をだしただけではなく、戦後何十年にもわたり延々とつづく被曝者の死亡など、非戦闘員を意識的に標的とした──ドイツでも日本でも都市に残っていた市民は、治安・防災要員は別としてほとんど女性と高齢者と中学生以下の子供であった──残虐な戦術・戦略は、はたして正義の戦争や善の名にあたいするかという疑問である。ある学者は、ナチスや日本軍がやったように、小銃や機関銃で非戦闘員を虐殺するのと、上空から爆弾・焼夷弾で虐殺するのとどこが違うのか、と述べている。

 それに加え連合国側でも、ソヴェト軍は枢軸側の捕虜や非戦闘員を意図的に虐殺し、ドイツや旧満州では、女性は見つけ次第強姦するのが敵への正当な復讐だとされた。ドイツ国防軍と赤軍との戦闘の主戦場であったロシア西部からドイツ東部にいたる地域で、両軍に虐殺された非戦闘員は1千4百万人に昇る(そのうち赤軍による虐殺は4百万人であり、ドイツ軍による1千万人のなかには、強制収容所において親衛隊が手掛けたユダヤ人6百万人が含まれる)。またイギリスの植民地インドでは、天候不順とイギリス軍による食糧徴発のため、ベンガルで飢饉が起こり、数万人が餓死するまで人種差別主義者の首相チャーチルは手を打たなかった(日記【84】でも取りあげた)。

 アメリカ歴史学界のこの新しい潮流は、すでに祖父たちの偉大なる戦争として半ば神話化されつつある第2次世界大戦を、「正義の戦争」でも「汚い戦争」でもなく、つねに道徳的問題を人類につきつける「戦争」のリアルな姿として正確に記憶にとどめなくてはならない、それが歴史であり、歴史家または歴史学者の使命なのであるというメッセージを告げている。

『ゲルマニア』とドイツ・ナショナリズム 

 ローマの歴史家タキトゥスに『ゲルマニア』という小さな本がある。現在のドイツの地に一度も足を踏みいれたことのないタキトゥスが、紀元前9世紀にライン河を渡って「未開の地」に攻め入ったクインクティリウス・ウァルス率いる強大なローマ軍団が、アルミニウス率いるゲルマン諸族の連合軍と、現在のオスナブリュック近郊の森で戦い、壊滅的な敗北を喫したできごと──その報を聴いたカエサルは激怒し「わしの軍団を返せ!」と怒鳴ったという──をもとに、野蛮と思われていたゲルマン諸族が、野蛮どころか誇り高く、勇敢で高潔な種族であり、快楽にふける頽廃的なローマ人よりもはるかに高貴だと称えた本である。 

 中世を通じ、長い間『ゲルマニア』は失われたものと信じられていた。だが1455年、ある孤立した修道院でその写本が発見され、のちに活字化されることとなった。18世紀、プロイセンのフリードリヒ大王がこれを読み、称揚して以来、フィヒテやヘルダーといった学者たちが、これぞわれらの祖先たちの偉大さを証する本であり、われらのよりどころである、として聖典のように扱った。 

 当時のドイツは、封建時代以来の無数の小さな領邦諸国からなる国で、統一された王国であるイギリスやフランスに劣等感を抱く「大いなる田舎」であった。50を超える諸部族を統一して勝利を収めたアルミニウスの故事に倣えとばかり、『ゲルマニア』はたちまちドイツ・ナショナリズムの聖典となった。19世紀末、ついにドイツは統一国民国家として成立し、数百年に渡る念願を果たすこととなった。

 だが『ゲルマニア』の影響はさらにつづき、ウルトラ・ナショナリズムつまりナチズムの興隆にまでいたる。ヒトラーやヒムラーはこれを愛読し、権力掌握後の1936年ニュルンベルク党大会──レニ・リフェンシュタールの恐るべき美しい映像が残されている──では、タキトゥスの文章を飾った「ゲルマニアの部屋」まで設置された。それはゲルマン民族の「血の純潔」と読みかえられ、ユダヤ人など「劣等種族」のホロコーストにいたったのだ。

 以上、ハーヴァードの古典学者クリストファー・クレブスの『もっとも危険な本:ローマ帝国から第三帝国にいたるタキトゥスの「ゲルマニア」』(Krebs, Christopher B..A Most Dangerous Book;Tacitus’s “Germania”From the Roman Empire to the Third Reich)とその書評(Cullen Murphy,June 12)による。

訂正●日記【102】で記述した勉強会は、古い日記を読み返して2001年の2月であったことが判明したので訂正します。なおそこでは脱原発の話題は私の持論であるので省略したらしく、懇談の場面で、民主党は新自由主義者小泉純一郎氏などに共鳴する鳩山由起夫氏が駄目にしたし、社民党は土井たか子氏のおかげで護憲のみを唱える新左翼残党と総評残党の弱小政党となってしまい、もはや政治状況に希望はないから、むしろ自民党の加藤紘一氏などと組み、新党を創りなさい。政策が斬新であればブームを起こしますよと助言した、と書かれてある。



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