一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【83】

2010-08-16 22:34:26 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【83】
Kitazawa, Masakuni  

 いわゆる終戦記念日の前後はテッポウユリの季節だ。開いたばかりの純白の花を切って挿しておくと、室内にえもいわれぬ高貴な香りがただよう。人間の女性にもさまざまなタイプがあるが、花にたとえればおまえさんはテッポウユリのタイプだねと、よく生前の青木やよひをからかったことを思いだす。ウグイスが庭の樹でひとりごとをつぶやいていたが、それも絶え、沈黙の季節に入った。 

 台所の壁の薄い代赭色のタイルに、中程度のイエグモが、なにが面白いのか、食器や包丁をかたかたさせているすぐ傍に逆さにとまり、終日眺めている。ほぼ1週間も同じところにいたのだが、昨日から姿をみせない。心配だ。

戦争記念番組 

 この季節、例年のように戦争の記念番組が登場するが、ドラマ仕立てのもののかなりは、当時を知るものにとっては噴飯ものの誤りが散在し、見るに堪えないことが多く、敬遠することにしている。ドキュメンタリーにはよいものが多いが、8月15日にNHKBSハイヴィジョンで、6時間にわたって終戦記念日特集が放映された。その一部「被爆した女たちは生きた・長崎県女クラスメートたちの65年」全体と「満蒙開拓青少年義勇軍・少年と教師それぞれの戦争」の約半分をみたが、前者はとりわけ印象深かった。 

 全編実に静かに淡々と、県立女学校生徒たちの被爆状況とその後を追い、生き残ったひとたちの現在の証言や、被爆死亡者の慰霊碑のまえでの65年目のクラス会を交えて映したものである。過去はすべて俳優たちを登場させたドラマ仕立てであるが、むしろこれは演劇ですとばかり舞台を限定して設定し、誇張も余計な情念もなく、きわめて日常的に演じさせているが、それが逆に想像力をかきたて、ドキュメンタリー全体にリアリティをあたえていた。出色の出来栄えである。 

 また8月13日NHK総合テレビ「色つきの悪夢・カラーでよみがえる!第二次世界大戦の記憶」も出色であった。過去のモノクロームのフィルム画像を、最新の技術で自然な色彩画像に変換したものを流し、それを若いタレントや俳優たちにみせて感想や意見を聴くという番組である。 

 モノクロームでは汚れた染みにしかみえなかった死体の血が、鮮明な赤でよみがえり、まばゆい光にしかみえなかった建築物から噴きだす炎が衝撃的な火炎となり、見るものを圧倒する。かつて見た数々の映像がその仕方で再現されるのだが、すでにみたとは思われない新鮮さである。しかも、ガダルカナル島の砂浜に散乱する日本兵の死体の山、サイパンや沖縄の洞窟から飛びだし、火炎放射器の深紅の炎を浴びて火だるまとなって転げまわる日本兵、硫黄島やノルマンディーの砂浜で血を流して横たわる連合軍兵士の数々の死体、さらには解放された強制収容所で折り重なるユダヤ人たちの青白く痩せこけた裸の死体の小山など、目をそむけたくなる画面が次々と色彩画面で映しだされる。映像の語る圧倒的な力がそこにあった。 

 そのうえ、これらの画面をみた若いひとたちの感想や意見が、きわめて率直でよかった。かつて大学で教えていたときも、「いまどきの若者は」という世論とはちがい、いつの時代でも若者たちは鋭い感受性をもち、新鮮な目で世の中や出来事をみているという感慨をもったが、その思いを新たにしたしだいである。

戦争体験はなぜ伝えにくいか 

 しかし、とりわけわが国では、戦争体験はなぜ伝えにくいのか、という課題はいぜんとして残っている。

 メディアを通じ、またそれぞれの現場で戦争体験を語り伝える機会はかなり多く存在するにもかかわらず、それらがひとびとのなかに断片にとどまり、共有の体験とならない根本的な理由は、それらの根底に据えるべき「視点」がないことに由来する。 

 原爆や空襲の被害者たちの語りが、たとえどのように悲惨なものであっても、個々の断片にしかすぎず、また一方的に被害者の意識でしかないのはしごく当然であり、それ以上を望むのは無理である。だがそれらがほんとうに生きた体験として受け止められ、深く記憶に蓄えられるためには、それら全体をつなぎあわせる「文脈(コンテクスト)」が必要なのだ。 

 それはいうまでもなく、第二次世界大戦を引き起こした一方の当事者である「大日本帝国」の冒した歴史の過ちであり、われわれ日本国国民も、その過ちの責任を負っているという事実、そしてそれにもとづく加害者としての意識である。この季節毎年のように中国や韓国から提起される「歴史認識」の問題がこれである。「色つきの悪夢」でだれかが述べていたように、それは当然教育の問題にかかわる。敗戦後のドイツと異なり、「歴史認識」あるいはここでいう歴史の「文脈」やそれにかかわる戦争責任の問題をひたすら回避し、ただ被害者意識のみで「平和」を訴えてきた戦後教育(文部省とそれに対抗した日教組双方に責任がある)の大きな誤りが、こうした状況を生みだした。 

 北朝鮮による不当で非人間的な日本人拉致事件にしても、戦時下に中国や朝鮮半島から何万というひとびとをいわば拉致し、強制労働をさせた責任という政府・国民共有の認識があれば、状況はもっと違った展開をみせていたかもしれない。 

 私自身の自戒の意味をふくめて、以上を反省したい。



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