一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

伊豆高原日記【21】

2007-02-13 21:05:01 | 伊豆高原日記
北沢方邦の伊豆高原日記【21】
Kitazawa,Masakuni

 暖冬の影響だろう。早咲き遅咲きの梅がいっせいに満開となり、水仙の白い花の芳香が庭に満ち、椿の花はすでに落ち、地上に真紅の斑点を散らしている。

 年々タイワンリスの被害が増大している。わが家には、ユズ、キンカン、夏ミカン、タチバナ、レモン、グレープフルーツなど柑橘類の樹々があり、かつては季節に応じてゆたかな実りを楽しんでいたのだが、いまは、果実が色づくやいなや、知らぬ間にやってきて食い荒らす。一夜で全滅である。ホンドリスは秋にせっせとドングリなど木の実を巣穴にためこみ、冬眠するのだが、タイワンリスは冬眠をしないので、冬の餌に困り、果実だけではなく、樹皮を食いちぎり、枯らせてしまう。ヴィラ・マーヤの樅の木も被害にあい、いまや茶色に枯れた葉むらをさびしげにさらしている。

母なるものとしてのフープ・ダンス

 「アリゾナ・ハイウェイズ」という雑誌を購読している。アリゾナ州運輸局が発行する州のPR誌であり、ふだんはグランド・キャニオンなど州の観光スポットを、美しいフォリオの色彩写真や記事で紹介している。ときおり地元のアメリカ・インディアンの文化や歴史が、考古学者や人類学者などの正確な解説づきで特集されるので、定期購読がやめられない。

 2007年の2月号が待ちに待ったその特集であった。プエブロ・インディアンの遺跡とその歴史、アリゾナの山岳地帯の各地に残された岩絵(ペトログリフ)芸術とその意味、祭りとしてのナバホ族の伝統的な競馬、毎年州都フェーニクスのハード博物館(The Heard Museum)の中庭で開催されるフープ・ダンス競技会などが、じつに生き生きとした鮮明な色彩写真で紹介されている(いつもながらアメリカの写真家のレベルの高さに圧倒される)。

 そのフープ・ダンスだが、わが国でも昔フラ・フープという名で流行した輪(フープ)を使った踊りである。その起源は、アメリカ・インディアンにひろく伝わるこの儀礼舞踏にある。

 子供のクラスから成人のクラスまで、業を競うのだが、ヤナギの枝で作った輪(近年はプラスティック製も登場するが)もひとつではなく、数個から50個までを身にまとい、地に落さず自在なみぶりで踊る。桶型太鼓の腹にひびくリズム、聖なる歌をうたう男たちの力強い合唱を背景に、華麗な民族衣裳をまとった男たちが、神業のような踊りを繰りひろげる。技術も評価されるが、肝心なのは輪が象徴する霊力をどれほど深く表現し、ひとびとに伝達できるか、である。

 今年優勝したのは、カナダ・クリー族の青年ダラス・アルカン(Dallas Arcand)であるが、おどろくべきことに、ナバホの長老ジョーンズ・ベナリー(Jones Benally)の踊りが、その深遠さと優雅さで観衆を圧倒したという。彼は「風と同じ年さ」といって語らないが、かつて20世紀初頭にアメリカ中を渡り歩いた「バッファロー・ビルのワイルド・ウェスト・ショウ」に子供として参加していたのであるから、百歳を超えていることは間違いない。

 彼らにとって輪のもつ意味とは、母なる地球とその回転(それが50個もの輪をまとう所以である)のなかに、胎児として存在することであり、母なるものが生みだす生命の躍動に身をゆだねることである。ラグナ・プエブロ出身の作家ポーラ・ガン・アレンによれば、アメリカ・インディアンは古代から地球が球体であり、時間は循環することを知っていたという(P.G.Allen. The Sacred Hoop. 1986. P.59)。

ふたたび教育について

 教育再生会議や教育諸法の国会審議など、安倍内閣の「教育改革」なるものが、鳴り物入りで進行中である。その方向は、教育の国家管理の維持、学校間格差・地域格差などの容認、教育に効率性や経済的競争原理の導入などであるらしい。

 小泉「経済改革」がもたらした、国際競争力の養成という名目の多国籍大企業の徹底的優遇、それによる国民の所得格差の増大やワーキング・プーアの出現、零細企業の解体、地域格差の拡大、労働条件と労働環境の劣悪化、激烈な競争社会のもたらす倫理や人間感情の麻痺と犯罪の多発など社会状況の悪化で、それに対する批判がようやく高まりつつあるが、安倍「教育改革」は同じ原理を教育にとりいれようとするものである。後悔先に立たず、いまから批判の声をあげるべきであろう。

 そのさなかに、NHKBS1テレビ「未来への提言」(2月12日)で、フィンランドの元教育相オリ=ペッカ・ヘイノネン(Olli-Pekka Heynonen)氏へのインタヴューを中心にした「フィンランド教育改革」の実情が紹介された。その核心は、教育の国家管理からの解放、教育の機会均等の徹底、教育現場や自治体や市民などによる教育の裁量権の拡大などであり、安倍改革の正反対を行くものである。その結果、OECDの教育判断力(リテラシー)テストでは、近年フィンランドの子供たちはつねに世界のトップでありつづけた。

 ただ番組の時間の制約かもしれないが、実に生き生きとして創造的に立ち働く教師たちの労働条件や給与、さらにひろくフィンランド社会の労働条件など、教育をとりまく状況や環境が紹介されなかったのは残念である。なぜなら、グローバリズムの負の遺産に席巻されているわが国では、教師をとりまく労働条件や環境は劣悪であり、リポートで映しだされた、長椅子や安楽椅子が置かれ、飲み物をとりながら討議や談笑ができるひろびろとした教員室や、教師たちが研究できる時間のゆとりなど、夢のまた夢でしかないからである。毎年30パーセント近くの教員が辞めていく現状の徹底的分析とその対策が打ちたてられないかぎり、フィンランド教育改革のたんなる模倣は失敗に終わるほかはない。

 われわれ「知と文明のフォーラム」でも、3月3日、日本女子大学との共催で教育シンポジウムを行うが、こうした社会状況全体の改革が連動しないかぎり、北欧などのモデルに習う「反安倍教育改革」の提言も、絵に描いた餅で終わるしかないだろう。このことを肝に銘じたい。

● コメントについて
「伊豆高原日記」にコメントありがとうございます。多忙にまぎれ、いちいちご返事できませんが、悪しからずご了承ください。なお北野さん「スバルタン」とはなんでしょう。寡聞にして知りませんのでご教示ください。

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1 コメント

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Unknown (山田さやか)
2007-02-21 23:25:29
なかなかゆっくり見られませんが…先日うちの人にプリントして来てもらいました!全部ではなく最近のだけですが徐々に制覇してもらうつもりです。もうすぐ一年になるんですね面白いです、私は知りたがりのくせに勉強嫌いなところがあり記憶力も悪いので紙に書いてないとだめなんです。教育のお話で教師を取り巻く環境は劣悪とありましたが本当にそう!最近小学校に家庭科のミシンサポーターとして週一で行ってます。五年生。四十名の生徒に先生一人です!ミシンは十数台…無理です楽しい縫い物の世界を教えてあげたいけど、手縫いもまだできないのにさあ…。そんな半端な教育うけてる子供はもっと劣悪な心境だろうなあ~とか考えてしまった。最近ミステリーばかり読んでいて飽きてきたので三木成夫という人の本を読んでみました、内臓の話で面白かったです。次は青木やよひさんのベートーヴェンにいってみたいと思います。
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