一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

おいしい本が読みたい④

2007-02-04 00:41:28 | おいしい本が読みたい
おいしい本が読みたい●第四話   ベートーヴェンの横顔が見える

 二世紀近く先を歩む人であれば、その後ろ姿は二百年の霧に包まれておぼろげになる。まして個性的なエピソードに事欠かぬベートーヴェンのような人は、なおのこと虚像の歪みも大きくなるだろう。わたしたちの大方は、いびつな「英雄」ベートーヴェンを仰ぎ見てきたにちがいない。

 青木やよひ著『〔決定版〕ベートーヴェン 〈不滅の恋人〉の探求』(平凡社)を読めば、そんな時間の霧や人々の曲解によるオーラのない、鮮明なベートーヴェン像が手に入る。なぜか。

 ひとつには、筆者みずからの足を運んで参照した一次資料が豊富なこと。大学などのアカデミックな制度のなかに籍をおく者ならいざしらず、いわば在野でこのような現地調査をやる気迫はすごい。そして、もうひとつは、透徹した推理と論理性に貫かれていること。おそらく読者は、文体からある種の論理的リズムを受け取り、そのリズムが波線となって音楽家の像を縁取るのを感じるだろう。

 ここに至ってわたしたちが手にするのは、もはや彼の後姿ではない。わたしたちの隣人と呼んでもいいような彼の横顔である。彼との距離が一挙に縮まったのだ。ただし、このことだけは銘記しておきたい。ベートーヴェンがわたしたちに近づいたのではなく、わたしたちのほうが彼に近づいたのだということを。凡百の伝記作家は、才気ある創造者が生活人としてもたねばならぬ世間的、通俗的側面を強調することで、世人の関心を買おうとする。そうやって天才をわたしたちのレベルに引きずり降ろしても、得るものは何もない。

 この本の著者はちがう。音楽家のあまりに人間的な闘いぶりを見つめているわたしたちのほうこそが、しらずしらずのうちに、自分のうちにもそのような闘いに向かう気構えが備わってくるように思えてしまうのだ。勇気がわく、といっていいかもしれない。このとき、わたしたちは少しばかりベートーヴェンに近づいているのだ。もちろん、著者の筆の力によって、である。                                       

むさしまる  


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