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一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【70】

2009-11-18 03:05:23 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【70】
Kitazawa, Masakuni  

 今年の秋は雨が多く、また寒暖の差もはげしい。植物たちも戸惑っているとみえ、まだ青い樹は青々とし、芝生も緑なのに、枯葉をすっかり落した木々やら真紅のハゼなど、奇妙なとりあわせである。吹き寄せられた落ち葉が、緑の苔の浅い谷間に溜まっている。

マキムク遺跡とヒミコ 

 奈良盆地の纏向(巻向)に、3世紀頃の大規模な遺跡が発掘されたというので、考古学界やメディアは大きな騒ぎとなっている。つまりそれはヒミコの時代の遺跡であり、邪馬台国の位置をめぐる九州か大和かという長年の論争に決着がつきそうだというのである。 

 私自身はこの論争にほとんど興味をもたなかった。なぜなら『魏志倭人伝』の記述が全面的に正しいとは思わないし、神話を分析していると、むしろこうした論争自体がこっけいに思われてくるからである。なぜなら、神話や伝説は史実を部分的に取り込んではいるが、それを超えて種族の思考体系をみごとに具体的に啓示していて、逆に歴史を再考する手がかりにさえなっているからである。 

 事実、11月16日のNHK「クローズアップ現代」でこの問題が取り上げられていたが、そこに登場した専門家の発言に、思わず耳を疑ってしまった。つまりマキムク遺跡以後の大規模遺跡では、宮殿などは中国の影響で南北を軸に建てられているが、マキムクの祭祀場や宮殿などと思われる遺構は東西を軸としていて、それがなにを意味するか不明だというのだ。 

 いうまでもなく中国では、暗黒の天の北極が天帝の玉座であり、宇宙の中心であるとされ、北がもっとも聖なる方角とされていた。わが国でもその影響で、「天子」の宮殿は北に位置して南面している。ただヤシロでは東南または北西に面するものが多いが、東南は太陽の冬至点であり、神々や祖先の霊のいます「常世(とこよ)」であるとともに、その守護神である雷神の坐すの方角とされた。北西はそのいわば逆数として、冬の気象の「荒らぶる女神」(風神)の坐す方角である(厳島神社が典型である)。 

 東西が軸であるというのは、中国の影響以前では、冬至から夏至にいたる太陽の運行の中心点が軸であることであり、神々の中でもっとも尊崇されていた太陽の女神アマテラスの歩みを軸にしていたということである。 

 そもそもヒミコとは、『魏志倭人伝』の当て字「卑弥呼」で書かれるが、太陽の子を意味する「日御子」であるし、それはむしろ特定の女王の名ではなく、のちにスメラミコトとよばれるようになった天皇の古代名称といえるだろう。また邪馬台国という語の魏の発音がどのようなものであったかつまびらかにしないが、ヤマトの誤伝か、逆にヤマタイがのちに音韻転訛でヤマトになったことも考えられる。 

 私は古代の人名や固有名詞は必ずカタカナで表記するが、それは漢字の当て字にまどわされることが多いからである。一般名詞でさえも本来そうである。たとえば古語で天をアメというが、天から降る恵みだからアメ(雨)という。例をあげればきりがない。 

 いずれにせよ、考古学的事実や歴史的事実の「解釈」は、狭い専門性を抜けでて、神話や伝説が語っている種族の自然環境や生活という「意味するもの」と、それのうえに構築された思考体系という「意味されたもの」とが結びついている「構造」を認識することで、はじめて可能となり、真実となることを知らなくてはならない。


北沢方邦の伊豆高原日記【69】

2009-11-06 17:20:33 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【69】
Kitazawa,Masakuni  

 枯葉を落しはじめた木々と、まだ青々とした雑木類のあいだに海が輝いてみえる季節となった。まだ緑の芝生の片隅に、サフランの花がいくつか、淡い紫の花びらを陽射しに向けている。ヴィラ・マーヤの庭をあちらこちら彩っていたツワブキの黄色い花の塊も、もう終りに近い。

レヴィ=ストロースとはなんであったか 

 クロード・レヴィ=ストロースが百歳で死去した。1960年代の末、わが国ではじめて彼の思想とその「構造主義」を紹介したものとして、いささかの感慨はある。 

 彼の業績の最大のものは、なんといっても1962年に出版された『野生の思考』(原題のLa pensee sauvageには「野性の三色スミレ」と「野蛮な思考」の二つの意味が含まれていて、発売された頃は園芸書の棚に並べられたといわれている)である。いまとなってみれば、私の知っているホピやナバホの記述にすでに数カ所の間違いがみられるように、細部に誤りが多いが、レヴィ=ブリュール以来幼稚で野蛮であるとみられていた「未開」の思考が、驚くべき超合理的な体系をもっていることを明らかにした点で画期的であった。 

 ただそれが近代の抽象的な科学的思考と異なるのは、つねに具体的な事物のレベルで体系化されていることである。彼はそれを「具体的なものの科学」と呼んでいるが、その命名は正しい。だがそれを、近代の抽象的な科学的思考と対立するものと考えた点で彼は誤っている。「具体的なものの科学」はまず第一にナチュラル・ヒストリーとよばれる自然科学そのものであり、「科学的思考」なのだ。近代と異なるのは、この「野生の」科学的思考は、薬草学や精密な暦などそれ自体として応用されるだけではなく、自然や宇宙の諸事物を、鷲や蛇などいわゆるトーテム的・神話的記号に置き換えて考える「神話的思考」と矛盾なく重ね合わせられていることである。 

 またその後の大著「神話論理学四部作」(『生のものと料理されたもの』『灰から蜜へ』『食卓作法の起原』『裸の人間』)は、南北アメリカ・インディアンの約1000の神話の構造分析を行い、それらが相互に関係するゆるやかな「変換群」をなしていることを明らかにした。私もそれにならって『古事記』『日本書紀』各『風土記』からの神話数百を構造分析し、それが同様に「変換群」を形成していることを確認した(『天と海からの使信』1981年)。 

 こうした彼の60年代から80年代にかけての業績は、高く評価されるべきであろう。だがそこにさえ問題があるのは、「構造主義」の提唱者と見られているにもかかわらず、「構造」概念が明確ではないからである。

構造とはなにか 

 1960年代後半を席巻した「構造主義」は、ほとんど思想革命といってよいものであったが、その意味は50年経った今日でもいまだに理解されているとはいいがたい。 

 それは二つの点で、近代思想の立脚点をくつがえすものであった。第一は、デカルト以来の主観・客観の二元論の否定である。言語記号であれトーテム記号であれ、具体的な記号は、物質的または「客観的」な部分としての“意味するもの”(言語であれば発音されるもの)と概念的または「主観的」な“意味されたもの”(たとえばイヌという発話に対応する概念や意味)は不可分であり、切り離して考えることはできない。記号は人間にとって宇宙・万物の表現であるから、世界すべてはこの両者の一元性のうえに成り立つ。ただし身体と精神など、すべては一元性のなかの対立項であって、私はそれを「記号の対称性(シンメトリー)」と名づける。 

 第二は、上記と不可分に、人間の文化だけではなく世界あるいは宇宙は、具体的なもの(または物質的なもの)と抽象的なもの(または思考的なもの)とを不可分に結びつける「構造」によって成立しているということである。 

 レヴィ=ストロースのつまずきも、この構造概念の不徹底さにある。 

 もっとも正確な構造概念は数学、とりわけ抽象数学にある。具体的なものの集まりは「集合」であるが、それら個々の諸要素がなんらかの相互関係で緊密に結ばれるとき、そこに「構造」が生じる。その関係(法則)のあり方によってたんなる「集合」は、群や環などといった諸種の構造を示すにいたる。 

 レヴィ=ストロースの「野生の思考」、ジャーク・ラカンの精神分析における「無意識の構造」(無意識を非合理的なものと考えたフロイドの主張をくつがえした)、チョムスキーの言語学における言語能力という先天的構造など、60年代にいわば同時多発した各学問分野における「構造革命」(数学でははるかに先行していたが)は、いわゆる先進諸国で、近代文明にはじめて疑いの目をむけた60年代末の学生運動や「文化革命」と呼応するいわば60年代の時代精神Zeitgeistであったのだ。

構造主義余波 

 だが70年代以後のポスト構造主義や記号論(セミオティックス)や記号学(セミオロジー)は、構造主義の真の遺産を継承することなく、マスメディアで踊る思想的流行で終った。その原因はいうまでもなく、それらが上記のような構造概念をまったくもたなかった点にある。ミシェル・フーコーについてのジャン・ピアジェの厳しい批評のように、それらは「構造なき構造主義」にほかならない。 

 むしろ構造主義の遺産は、人類学や考古学などに継承されていった。かつては経験論や実証主義一辺倒であったアングロサクソンで、むしろいまや構造主義が主流である。また80年代「新考古学」を自称していたプロセッシュアル・アーケオロジーは、その名のとおり、ゴミにいたる遺跡から出土するあらゆるものを電子計算機で分析し、遺跡の生態学的様態を明らかにしてきた。その業績を認めたうえで、それを批判する構造考古学なるものが出現した。それは生態学的データその他すべての物質的資料は、かつての住民たちの思考体系をモデルとして想定し、両者を不可分なものとして対応させ、分析すべきだというものである。 

 この意味で、脱近代科学の烽火をあげた「60年代構造主義」を再評価しなくてはならないし、幾多の欠陥はあるとしても、レヴィ=ストロースの先駆的業績も再評価されるべきであろう。


北沢方邦の伊豆高原日記【68】

2009-10-26 21:40:13 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【68】
Kitazawa, Masakuni  

 柿の葉が、それこそ柿色に色づき、散りはじめた。より高いクヌギやナラに陽光を奪われて、わが家の柿の実はもうながいあいだ実らない(実ってもタイワンリスに食べられてしまうだろう)。夜、台所でカネタタキが静かに鳴いているので、音のする方向の壁に懸かっているホピのカチナを手書きしたテーブル・クロースをそっとめくってみると、布のあいだに小さなカネタタキがいた。このまえは食卓においたパン篭の布のあいだにコオロギが休んでいたが、虫たちは温かな布が好きらしい。

ホピを荒廃させる日本人たち 

 先日、在米三十数年、ホピに定住して十数年の日本人、今井哲昭さんが訪ねてきた。束ねて腰近くまで垂らした白髪、ジーンズの上下、長身で大柄の彼は、ハーレイ・ダヴィッドスンのライダーで、映画『イージーライダー』にでも登場しそうな颯爽とした初老である。ヴィラ・マーヤに一晩泊まり、心行くまで話しあった。 

 彼の話で心痛めたのは、いわゆるニューエイジ・グループと称し、心の拠り所を求めてホピにやってくるという日本人のある種の集団が、ホピに葛藤と混乱をもたらし、ホピ荒廃に手を貸しているという事実であった。 

 1960年代に出版されたフランク・ウォーターズの『ホピの書』(ひどい日本語抄訳があるが)は、60年代末の「文化革命」の大波に乗って全米の記録的ベストセラーとなり、白人の若者たちに大きな影響をあたえた。だが若者たちの“巡礼”の津波がホピに襲いかかり、大きな混乱をもたらした。青木と私がはじめてホピを訪れた1971年でさえも、村々の入り口に、ホピの生き方を尊重し、村の静寂や秩序を冒してはならない、裸で村内を歩くな、などといった警告の大看板が立てられ、ホピ文化センターのモーテルは白人の若者でいっぱいであった。 

 近代文明に絶望し、インド哲学やヨーガ、中国の道教哲学に道を求め、またアメリカ・インディアンの生き方を学ぼうというこの知的・感性的欲求は正しいものであり、大自然や宇宙との共生をめざすその新しい生き方の探求は、いまなお、というよりもいまこそ必要であることはいうまでもない。しかし、この高原日記【62】の結論で書いたように「ホピに自己を発見しにいくのではなく、われわれ自身のなかにそれぞれのホピを見出すことこそ、脱近代の枠組みを造りだし、世界を変革する手がかりとなる」のだ。 

 だが誤った「自分探し」のホピへの巡礼の波は、アメリカ白人からヨーロッパにいたり、さらに90年代には、日本へも到達したようだ。それには宮田雪氏のドキュメンタリー映画『ホピの予言』とその上映会が大きな力となっていると思われる。 

 氏はこの映画を撮りにいくまえ、東京のわが家を来訪し、ホピやナバホについての話を長時間にわたって聴きいていった。協力するつもりで私たちも雑誌などに書いたさまざまな資料も提供した。だがそれいらい一度も音沙汰はなかった。映画も、完成後かなり経ってから、たまたま知人がもってきたヴィデオで見ただけである。作品としては評価できないし、むしろホピやナバホの世界観や生き方のすばらしさはほとんど伝えられていない。むしろ誤解をまねくところも少なくない。そのうえナバホの鉱夫たちのウラニウム被曝の事実をつたえる場面のナレーションは、私が書いた論文の一部をそのまま無断で使用している。 

 問題は、たとえそうした映画であっても、それが誤った「自分探し」の日本人によるホピ巡礼の波をつくりだすきっかけとなり、ホピ荒廃の一因をもたらしたことである。宮田氏自身もアメリカ白人の活動家や他の外国人とともに、マーティン・ガスウェセウマやダン・エヴェヘマといった自称長老たちと組んで、ホテヴィラの村の土地に勝手にヤシロをつくり、村人たちを怒らせた。1997年、ホテヴィラの四つの宗教結社のほんとうの長老たちが、彼らを糾弾する声明を出すにいたったのも当然である。 

 こうした事情は私も把握していたが、日本人の集団が厳粛な祭祀の場に無作法に乱入したり、ホピのマナーを無視して村を闊歩したりという生々しい話を今井さんから聴くのは、まったく心痛む時間であった。そのうえ、この巡礼が商売になるとばかり、日本人の職業的ガイド・グループがセドナに巣食ったり、文化人類学者と称するひとがホピ文化の紹介と称してジュエリーを安く買いあさり、日本で高値で売るとか、もはや醜聞に属するようなことすら起こっているという。 

 わが国で最初にホピを紹介した私たちも、この荒廃の最初の一因をつくりだしたのだはないか、と深く反省する一日でもあった。


北沢方邦の伊豆高原日記【67】

2009-10-02 19:18:07 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【67】
Kitazawa, Masakuni  

 晴れた日には梢高く、あちらこちらでモズが高鳴きし、窓を開ければ、キンモクセイの香りがあたり一面に漂う。夜は深いしじまを、フクロウの神秘な声が遠く引き裂く。秋を実感する。10月3日は旧八月十五日、つまり仲秋の名月だが、東海地方には秋雨前線が停滞するという予報、白い穂を出したヴィラ・マーヤのススキ、つまり月の神ツクヨミの剣の象徴も、毎年行っているようには供えられないかもしれない(残念ながらいつも月見団子を作るほどの余裕はないが)。

二酸化炭素排出25パーセント削減の国際公約 

 鳩山新政権は、国際的・国内的に次々と新鮮な政策課題を打ちだし、まずは順調なすべりだしといえよう。そのなかで二酸化炭素排出量を、2020年までに1990年比で25パーセント削減という国際公約を高く掲げた。そのこと自体には諸手を挙げて賛成であるし、それを日本を環境先進国に飛躍させる踏み切り板にすべきであるが、この課題の達成は容易ではない。鳩山政権にその覚悟と政策的裏づけはあるのだろうか。 

 いうまでもなく、こうした高い目標を掲げることによって、かつてきびしい自動車の排ガス規制を設けて自動車産業の技術革新をもたらしたように、産業界全体に技術革新への強い意欲を刺激することはたしかである。だがことは一自動車業界の話ではない。すべての産業から家庭にいたるきわめてきびしい削減目標である。 

 そのうえグローバリズム崩壊後の停滞する現在の経済状況である。にもかかわらずこの公約は実行する価値があるし、またわれわれの子孫の未来や人類の未来のために実行しなくてはならないが、そのためには以下のことが必要である。 

 まず第一は、環境先進国としての日本の未来像を提示しなくてはならない。民主党のエネルギー政策が不透明なのが気になるが(なんと小沢鋭仁環境大臣〔!〕は原発推進を主張している)、このフォーラムの食料シンポジウムなどですでにたびたび述べてきたように、自然エネルギーの大規模開発と関連する第一次産業の再開発など、文明や生活のあり方を根本的に転換する未来像が描かれなくてはならない。 

 第二は転換のための過渡的財源として、たんなる炭素税ではなく、広範囲にわたる環境税が必要である。二酸化炭素排出量から産業廃棄物などを厳密に査定し、課することは、たしかに企業にとっては大きな負担となるが(逆に法人税は引き下げるべきである)、産業構造の転換にとって大きな動因となる。また家庭に対しても、たとえばLEDではない白熱電球には消費税のほかに環境税若干を加えるなど、環境に負荷をあたえる商品に環境税を課することで、国民の生活と意識の転換に大きな刺激をあたえることとなる。試算によれば炭素税だけでも数十兆円の税収になるといわれているから、それは産業構造の転換や文明と生活の転換のためのかなりの財源となるだろう。 

 環境税はまた、国家の財政赤字を徐々に減少させていく良い副作用もあるし、すべての商品に一律にかかる消費税の引き上げよりは、はるかに社会的富の再配分に寄与する(エコロジー生活をするものにとってはある種の減税であるがゆえに)。小泉改革またはグローバリズムによって切り捨てられてきた医療や福祉、あるいは教育や文化にもかなりの予算をつけることもできるし、環境に適応する新しい産業の興隆に応じた労働・技術教育の推進など。雇用問題にも大きな展望をあたえることができる。 

 鳩山政権および民主党にそれだけの明確なヴィジョンがあるかどうか、いまや世界から問われている。


北沢方邦の伊豆高原日記【66】

2009-09-14 21:05:53 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【66】
Kitazawa, Masakuni  

 桜や梅の樹々の葉が色づきはじめているのに、まだ蝉時雨である。夜は、すだく秋の虫の音が心地よくかまびすしい。ただ何度も書いたが、虫の種類は恐ろしく減っている。生物多様性が地球の生命を護り、人間にとっても住み良い環境をもたらすのに、現実は逆行している。

身体的喜びとしての芸術や思想 

 コレクションというほどではないが、室内にパプアやアフリカ、あるいはアメリカ・インディアンなどの仮面や彫刻を飾っている。いつ見ても飽きることはないが、それがなによりもデザインの新鮮さや形や色調の美しさといった、視覚的であるとともに身体的な喜び(フィジカル・プレジャー)からきていることに気づく。そして同時にその喜びが、それぞれに特徴的な秘儀的な宇宙論をおぼろげに喚起する。 

 感覚的で具体的なものを通じて精緻な論理を展開する、誤って未開と呼ばれている諸文化の思考体系を明らかにしたのはレヴィ‐ストロースであるが、われわれの祖先たちも、身体的な喜びをともなう芸術的表現と思想や宇宙論が不可分であることを示してきた。『古事記』や『万葉』といった言語表現だけではなく、御神楽などのパフォーマンスや建築や絵画にいたるすべてがそれである。 

 このわが国固有の精密な感性の論理を見落とした、あるいはまったく気づかなかったがゆえに、丸山真男流の日本思想史は挫折せざるをえなかったといってよい。また多くの「戦後民主主義者」の日本論が誤ってきたのもその点からである(そうかといって右翼的日本論や日本人論もイデオロギーが逆であるだけでまったくの観念論である)。 

 彼らが依拠してきた学問的方法論は、構造主義以前の伝統的な諸観念論――主観主義と客観主義とに二元論的に分裂していて、主観主義のみを「観念論」と名づけてきたが、客観主義もその裏返しの観念論にすぎない――であり、誤って「理性」と「感性」とを分裂させてきた。学問は理性と知性の作業であって、感性や感覚といった非合理的なものとはかかわりがない、というものである。こうした二元論で「未開」や古代の思想や宇宙論が理解できるはずがない。 

 構造主義の画期的な点はここにある。それらの思想だけではなく、たとえばいまわれわれの味覚や料理といったもっとも感覚的に思われるものでさえも、その方法によって科学的に分析可能なのだ(たとえば私の「いなり寿司」の構造分析をお読みいただきたい〔『知と宇宙の波動』平凡社1989年、第五章参照〕)。

音楽の観念論 

 音楽はもっとも感覚的な芸術と思われてきたが、西欧の古典音楽は、こうした古代や「未開」の芸術と同じく、理性と感性の精妙な均衡のうえに展開してきた。バッハやヘンデル、あるいはモーツァルトやベートーヴェンの諸作品の深い魅力はそこにある。彼らの音楽のかもしだす身体的な喜びは、同時に彼らの思想の深みを開示してくれる。 

 ロマン派音楽は、こうした古典派への反逆ではなく、18世紀末からはじまった産業革命に代表される経済的合理主義の社会、つまりロマン主義者たちの嫌悪した「ブルジョア(ビュルガー)的俗物社会」の合理主義(理性至上主義)への反逆であった(シューマンの『謝肉祭』は、終曲で、当時流行の「先祖の踊り」に象徴される「俗物性」に対抗してそれを粉砕するダヴィッド同盟員の行進で終る)。 

 だが、感性というよりこの「感情または情念の反逆」は、それ自体、しだいに観念論の罠に陥る。ブラームスの苦渋に満ちた「矛盾」(感情と観念との相克)や、後期ワーグナー、とりわけ『指輪』の指導動機の迷路での彷徨から、マーラーにいたるポスト・ロマン主義は、情念の膨大な流れを観念によって閉じ込めようと苦闘する。 

 この「感情の観念化」から音楽を解放し、音の純粋な身体的喜びを回復しようとしたのがドビュッシーの束の間の「革命」であるが、むしろ時代の閉塞感や暴力化は、20世紀音楽をより抽象的な観念化の袋小路に誘うこととなった。それが12音やミュジーク・セリエルである。今世紀なっても、作曲技法だけは新しいが、こうしたニヒリズムから脱出できない音楽や、思想も宇宙論もなく、ただ微細な感覚的喜びだけを追求する音楽が、依然として会場に溢れている。 

 こうした状況のなかで私が西村朗や新実徳英の諸作品を高く評価するのは、彼らの音楽が芸術本来の身体的喜びを感じさせ、日本やアジアの古代宇宙論を遠く喚起しながら、しかもわれわれ現代に生きるものの共鳴を呼び起こす「音の思想」を表現しているからである。 

 最近現物ではないが、田村能里子の天竜寺塔頭宝厳院本堂の襖絵「風河燦燦」の写真を見る機会をえた。燃えるような緋色の地に、白くおぼろな菩薩の化身三十三人衆が、自在な姿で浮かび上がる幻惑的な絵に、すっかり魅入られてしまった。視覚芸術の身体的喜びを通じて「彼岸」あるいは「浄土」のヴィジョンが啓示される。アクリルという西洋画の技法を通じてアジア的宇宙論が表現されるこの様式に、西村や新実の作品との思想的共通性を見出した。 

 最近のこうした芸術動向に、私は新しい希望を見る。なぜならそれらは脱近代の文明を先取りしているからであり、実はこの感性と理性との動的な均衡こそ、私のいう弁証法的理性、つまり真の理性の実現にほかならないからである。


北沢方邦の伊豆高原日記【65】

2009-09-02 19:29:58 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【65】
Kitazawa, Masakuni  

 9月に入り、急に秋めいてきた。3日は旧のお盆、つまり七月十五日の満月である。秋のはじまりを告げる七夕につづくお盆は、かつてはこうしたしっとりとした初秋の気配のなかで迎えた。夕闇にあちらこちらの門口で焚く迎え火の仄明かりと、苧殻(おがら)の燃える独特の香りがただようなか、大人も子どもも、彼岸あるいはあの世とはどんなものか、しばし瞑想にふけったものである。無意識の深みにアイデンティティや感性のよりどころを蓄積する、季節に応じたこれらほんとうの伝統行事は、もはやこの国から失われてしまった。

民主党の「圧勝」 

 メディアの予想どおり、民主党が「圧勝」した。高度成長時代の残滓を一掃する真の改革を実行せず、もっとも瑣末な「郵政民営化」つまり「郵政改悪化」というお粗末な「改革」を行っただけで、貧富の格差拡大や地方の切り捨て、福祉や医療の荒廃といったグローバリズムの負の遺産を残した「小泉改革」に対する審判として当然といえよう。鳩山新首相や民主党には大きな期待を抱けないが、これら負の遺産を少しでも改善できれば上出来といえる。そのためには、多くの大衆メディアが危惧している「小沢院政」を阻止し、社民党や国民新党とも対等に協力して、民主党や支持者たち全体の意思をまとめることであり、地道に真の改革を推進することである(幸いなことに、メディアのアンケートによれば、自民党と異なり、民主党当選議員の多数は憲法第九条改正に反対であるという)。 

 問題は、たとえば「官僚主導から政治主導へ」といっても、現行制度や体制の根本改革をしないかぎり、挫折するか、せいぜい半端な改革で終ることである。 

 近代民主制は、立法・行政・司法の三権分立体制といわれるが、わが国では立法が制度的・機能的にきわめて弱体である。それが行政府である官僚主導を生みだしてきた。高度成長期には、「先進諸国に追いつけ追い越せ」という国家目標や戦略がきわめて明白であり、国民にいたるまでその理念を共有していた。したがってそれに沿って官僚が描き、主導した青写真を政治は実行すれば済んでいた。 

 だがいまや、近代文明そのものが袋小路に陥り、グローバリズムは崩壊し、わが国に限らず世界全体が漂流状態にある。「政治主導」によって明確な国家目標や戦略を立てるためには、そうしたヴィジョンを生みだせるような体制や制度が必要である。 

 そのためにはまず、立法府の改革が必要である。たとえば参議院をアメリカの上院なみに改革し、議会スタッフを充実し、中・長期政策の立案と立法化を行う(今回民主党提案の「国家戦略局」設置は、現行制度のもとでは悪い案ではないが、大きく見れば政府つまり行政府に従属する一部局を作ることになり、立法府の自立を損なう)。 

 これは一例にすぎないが、わが国が近代民主主義に立脚するかぎり、三権分立の徹底化をはかり、制度の改革をはかるべきである。選挙目当ての党利党略に狂奔する現状(それは近代民主主義制度がもたらすもっとも悪い側面である)には、ほとんどの国民は飽き飽きしている。経済や社会の閉塞状況を打破する、少なくとも遠い仄明かりでも望めないとなれば、鬱積した不満や不安はどこに向かうか。歴史が教えるように、それはイデオロギーの左右を問わず強力な権力的指導者(フューラー)、または「ビッグ・ブラザー」への渇望となる。 

 民主党はそれをわきまえて欲しい。


北沢方邦の伊豆高原日記【64】

2009-08-09 10:57:52 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【64】
Kitazawa,Masakuni  

 ようやく夏らしさが戻ってきたと思えば、もう旧暦の立秋である。ヒロシマの日の前日が旧6月15日の満月であったが、折悪しく曇り、空一面の雲がいたずらに明るんでいるだけであった。またいつも立秋を境に、ウグイスたちは鳴きやみ、蝉時雨に交じり、ときおりひとりごとをいうのが聞こえる。

核廃絶は可能か 

 ヒロシマ・ナガサキの日が近づくと、メディアは一斉に核兵器問題をとりあげる。なかでも8月7日NHK総合で放映された「ノー・モア・ヒバクシャ」は感動的であった。ヒロシマ・ナガサキだけではなく、旧ソ連のセミパラチンスク(現カザフスタンのセメイ)核実験場から約100キロメートル離れたいくつかの村の被爆者たち、フランス領ポリネシアでいまも核実験の後遺症に苦しむ原住民たち、さらに「黒い雨」の放射能にさらされ被曝したヒロシマ北東20キロの山村の被爆者たち(まだ原爆被害者と認定されていない)など、世界の直接・間接の被爆者たちを結んで、その被害の深刻さと被爆者の連帯による核廃絶を訴えたドキュメンタリーである(アメリカのネヴァダ実験場周辺の被爆者やミクロネシア・ビキニ環礁周辺の被爆者などは、すでにたびたび取りあげられているので省略したのだろう)。 

 そのなかでも映しだされていたが、オバマがプラーハ演説で、アメリカ合衆国大統領としてはじめて「世界唯一の核兵器使用国としての道義的責任」を認め、「核廃絶」を唄ったことが、今年の核廃絶運動に大きな力をあたえたことはたしかである。世界最大または最強の核兵器所有国の元首のこの宣言は、ながいあいだ暗闇のなかを手探りで進んでいたひとびとや運動体に、たとえはるか彼方であっても、出口の仄明かりをかいまみせたといえる。 

 だが現実はむしろ、核拡散や核対立の方向にある。北朝鮮の核武装に対してわが国ではアメリカの核の傘の再確認や独自の核武装論まで台頭している。イランの核問題をめぐって、核兵器所有国イスラエルがその施設の空爆を計画し、実施されれば中東大戦が勃発するだろう。旧ソ連の核物質やパキスタンの核兵器がいわゆるテロリストの手に渡る危険性も指摘されている。 

 こうした状況のなかで、われわれは核廃絶をいかに考え、行動すべきなのか。

近代の二律背反 

 近代の思考体系の根本を明示したデカルトそのひとに責任があるわけではないが、すべてを二元論的に分裂させるこの思考体系は、社会そのものをも二元論的に分裂させてしまった。たとえば国と国家との分裂、あるいは国を構成する国民と国家との分裂である。 

 わが国でいえば、『古事記』や『万葉』以来、たとえ王朝や支配者が変わったとしても、この国土や風土はわれわれをはぐくみ、育ててきたのであり、それが「国(くに)」なのだ。お国訛りといえば、それぞれの地域や郷土のダイアレクトであり、ニュアンスのゆたかな言語のあらわれであった。英語でも、ときには田舎とも訳されるcountryがそれに当る。 

 だが他方国家stateとは、近代になってはじめて登場した政治的・法的な体制であり、制度である。独裁制であるか民主制であるかなど、その形態はいろいろあるが、なんらかのかたちで国民nationから委託された権力(ナチスでさえも国民からの全権力の委任を定めた受権法を必要とした)によって国家の統一と維持をはかる。しかし、富の蓄積によって国家が強大になればなるほど、国家はその管理機構と化し、国民は管理の対象にすぎなくなる。マルクスの用語を使えば、「国民の自己疎外」とでもいうべき現象がはじまる。セミパラチンスク近郊の被爆者たちが、旧ソ連の「診療所」でいっさい手当てを受けず、被曝のデータと症状のみを記録され、われわれは核実験のモルモットだと怒っていたが、それがきわめて象徴的である。国民は国家利益(国益)のためのモルモットにすぎない。 

 国民と国家との分裂と背反、英語でいうnation-stateからハイフンが失われ対立するこの現状が、世界のすべての近代国家の宿命である。

国民的トラウマと国家的トラウマの分裂 

 したがって逆にいえば、わが国のヒロシマ・ナガサキ問題も、国民のレベルでは深いトラウマとなっているが、国家のレベルではトラウマではなく、その記念日もときには総理大臣が出席して挨拶するたんなる年中行事にすぎないといえる。 

 また国民的トラウマではあるが、被害者意識のみが先立ち、最終的に原爆投下となったあの戦争を引き起こした加害責任が往々にして忘れられるのも、この分裂ゆえであろう。つまりヒロシマ・ナガサキは英語でいえばナショナル・トラウマであるが、これに先立つ日本のアジア侵略やそれにともなう太平洋戦争開戦という、アジア・オセアニア荒廃の責任も、同じ英語のナショナル・トラウマであるはずだ。だが前者は「国民的」、後者は「国家的」という分裂が国民の加害者意識を消し去っている。 

 だが国と国民が一体であった時代ではなくなった近代といえども、国民と国家の分裂にもかかわらず、国民はみずから負う国家への責任から逃れることはできない。この二つトラウマの絆を結びなおし、国家に対するわれわれの責任を声高に主張することこそ、核廃絶という果てしない道を歩む第一歩にほかならない。

 


北沢方邦の伊豆高原日記【63】

2009-07-22 06:47:03 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【63】
Kitazawa, Masakuni  

 数日晴れ間が覗いたが、もどり梅雨らしく雨がつづく。わが家の庭もヴィラ・マーヤの庭も、草木の濃い緑を背景にヤマユリの大輪の白い花々がたわわに開き、むせるような芳香があたりに漂う。とりわけ今年はヴィラ・マーヤのユリが盛りである。居間の花瓶に差した二輪ほどの花が、家中に悩ましいほどの香りを振り撒く。 

 これが『古事記』や『万葉』に登場する古来の花とは思えない華麗さである。すでに述べたが古語でサヰといい、信濃の犀川や大和の狭井川などの地名はこれに由来する。石塊〔いしくれ〕の多い荒れた河原ほどみごとな群落をつくる不思議さも、古代人の畏敬の念をそそったにちがいない。カムヤマトイハレヒコ(神武)の妃〔きさき〕イスケヨリヒメの伝説にからむのも、そのためであろう。

「小泉改革」の歴史的審判 

 7月21日衆議院が解散され、8月30日に総選挙が行われることとなった。 

 麻生太郎氏が首相の任にふさわしくなかったのは予想どおりであり、そうかといって鳩山由紀夫氏がそれに値するというわけでもない(どちらもふさわしくないという答えが世論調査でも過半数である)。かつて旧民主党代表時代の鳩山氏に、八ヶ岳山麓のホテルで行われたある政策集団の会合で顔を会わせたがことがある。たまたまオブザーヴァーとして同席した青木やよひが、「民主党は自民党に比べてさえ女性の支持率が低いが、これをなんとかしないととうてい政権はとれませんね」と水をむけたが、鳩山氏はきょとんとしてあいまいな返事しかしなかった。女性の支持率を上げるためにはどうすればいいのかアドヴァイスしてください、という返事を期待していたわれわれは唖然としてしまった。そのうえ現在彼には、小沢氏の疑惑ほどではないにしても、政治資金規正法違反がある。 

 だが今回の選挙は、どちらの党首が次期首相にふさわしいかといった矮小な問題ではない。端的にいえば、「小泉改革」への歴史的審判にほかならない。 

 「自民党をぶっ壊す」と称して、アメリカ合衆国の政治的・軍事的覇権主義に全面的に協力し、その経済グローバリズムのために徹底した規制緩和を行い、結果として政治的・経済的に「日本をぶっ壊した」小泉政権の評価を国民が下す選挙なのだ。 

 たとえば前回の「郵政民営化」というシングル・イッシュー選挙で、眩惑された大都市住民の圧倒的支持で小泉政権は圧勝したが、いまだに「郵政民営化」は正しかったというひとは少なくない。実は郵政問題の根本は、郵貯や簡保の蓄積された庶民の膨大な預貯金(地方では銀行の支店などはない)であり、それが高度成長期(そのときには有効であったが)以来の惰性で、硬直した財政投融資としてしか投資されなかった点にある。そこをあたらしい経済状況に応じて大胆に改革し、次の時代を切り開く投資として活用すべきであったのだ(そのためには高度成長期に対応していた特殊法人などの徹底的整理統合が必要であったが、道路公団改革ひとつを見ても、小泉改革はその大改革にはほとんど手をつけなかった)。

郵政民営化とはなんであったか 

 大都市の住民は郵政民営化にほとんど影響を受けず、むしろサーヴィスがよくなったと思っているかもしれないが、地方はひどい状況である。わが家の近くには伊豆高原郵便局(特定局ではない)というりっぱな局があり、かつては20名以上の体制で集配なども行っていたが、民営化後、集配は伊東本局に移管され、5・6名の窓口業務者のみとなり、広大な局舎の大半は鼠の棲家となっている。本局からはここまでスクーターで30分以上かかり、かつての午前の配達はときには夕暮れになってしまう。また集配業務は最低賃金ぎりぎりの時給の非正規雇用者であり、住所や氏名を覚えた頃には辞めてしまう。過疎地の特定局などは次々と廃止され、いわゆるユニヴァーサル・サーヴィスは絵に描いた餅となっている。これが郵政民営化の地方の実態である。 

 この小泉改革に内心は賛成であった新自由主義者・新保守主義者が民主党の若手にはかなりいるが、もし今回野党が過半数をえて連立政権を樹立することになれば、社民党と国民新党が加わり、彼らには大きなブレーキとなるだろう。とりわけ私は国民新党にその役割を期待したい。 

 意外に思われるかもしれないが、国民新党は公明党と並んでいわゆる社会的弱者にもっとも深い配慮をもつ党である(公明党は少なくとも前代表時代、小泉改革に賛成したという点で政治責任はある。私は知人である太田昭宏現代表には個人的には期待しているが)。 

 私はまた亀井静香氏ともかなり面識があるが、警察庁出身ということでかつて右翼的なひとかと誤解していたが、まったくちがっていて好印象をもった(かつて60年安保時代警察庁長官であった故後藤田正晴氏なども実に開明的で、彼こそ総理大臣にふさわしいひとであった)。亀井氏が建設大臣時代、徳島県の吉野川河口堰建設や鳥取県の中海干拓問題が地元で大きな問題となっていた。例の政策集団の会合で、私は市民運動家の仲井富氏とともに、この問題が環境破壊であるだけではなく、財政的にもまったくの無駄遣いであると彼に説いたが、彼は黙って聴いていた翌日に現地に視察に出かけ、仲井氏が紹介した現地の反対運動のリーダーに会い、数日後それらの工事の中止を命令したのだ。私たちもその行動力と決断のすばらしさに驚嘆した。 

 いずれにせよ今回の総選挙は、小泉改革への審判と、それがもたらした貧富の格差や地方の疲弊、労働条件や自然環境の荒廃など、大きなひずみの根本的是正への一歩とならなくてはならない。とにかくその一歩を踏みだすことで、はるか彼方に蜃気楼として浮かぶ文明の大転換という目標も、現実の地平線にその姿を現わすこととなるだろう。


北沢方邦の伊豆高原日記【62】

2009-07-07 21:19:49 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【62】
Kitazawa, Masakuni  

 ときおり晴れ間が顔をのぞかせるが、梅雨らしい日々がつづく。ウグイスやホトトギスの声も、心なしかくぐもって聴こえる。梅雨がなかなか明けず、冷夏となった敗戦の前年の夏を思い出す。小さな茶碗摺り切り一杯の雑穀飯にひもじい思いをしながら、冷たい海水に震えあがり、「サイパン島玉砕」の新聞の大見出しに暗澹とした気分となったその夏の遠泳合宿の記憶がよみがえる。 

 毎日ではないが、冬に餌をだしてやったヒヨドリたちが、挨拶に姿をみせる。パーゴラの白い棚の下にやってきて、空中で羽ばたきながらホヴァーリングをし、われわれが声をかけたり、手を振ると、喜んで飛び去る。

ホピ、脱近代の枠組みについて 

 人類学者で立教大学教授の阿部珠理さんの依頼で、比較文明学会全国大会の「Indigenous Thoughtsと還流文明」というセッションでホピについて話すこととなった。以下はそのメモである: 

 近年ホピではトラブルがつづいている。かつては伝統派対進歩派の葛藤であったが、いまはホピ対外部の葛藤といってよい。1990年代には、日本人の映画監督を含むアメリカ白人などのグループが、ホテヴィラのある「長老」の土地や畑にいくつものヤシロを造り、擬似的な儀礼を執り行うという事件が起こり、村人たちを怒らせた。 

 母系制のホピでは土地は母系氏族の所有であり、「長老」の妻をはじめ女たちの管理下にある。「長老」といえども母系氏族の許可がなければ、土地を勝手に使用することはできない。また村人といえども、正式の儀礼でないかぎり、村から離れた聖なるヤシロの周辺に立ち入ることはできない。まして仮設のヤシロや儀礼暦にも従わない擬似的な儀礼など、冒涜行為以外のなにものでもない。 

 1997年に、ホテヴィラの宗教結社の首長たちが集まり、こうした行為の厳禁や自称長老・自称スポークスパースンの排除などを記した声明を発表したのも当然である。 

 2009年、NPC(日本でいうNPO)「文化の目覚め協会」(The Institute for the Cultural Awareness)が、アースデイの期間中ホピの土地で「祖先たちの集い」(The Gathering of the Ancestors)という大規模な集会(予算150万ドル)を行うとして、ホピ部族議会に許可を求めてきた。 

 伝統派の村の首長たちを含め、部族議会は不許可を通知した(伝統派と進歩派である部族議会が一致するのは珍しい)。その理由は、あなた方が主張するように「異なった集団が異なったフィロソフィーをもち、それを実践する権利は認めるが、残念ながらあなた方のフィロソフィーは、ホピの伝統的で祖先伝来の道とは異なっている」からであるとする。 

 あまり説得力のある理由とは思われないが、われわれはその根底にあるものを理解しなくてはならない。それは近代の思考の枠組みと、ホピのみならず一般に野生の思考の枠組みとの大きな断絶である。 

 上記ICAのホームページも開けてみたが、マヤの長老の言を冒頭に引用しながら、アメリカ・インディアン(インディオ)の生き方に共鳴し、それぞれの祖先の霊たちと秘儀的な交流を図りながら、いまの地球環境を救おうという、いささかオカルト的ではあるがきわめて真面目な善意の団体である。だがそれは日本人を含む90年代のグループ同様、近代的思考とその尺度でホピをはじめとする野生の思考を理解し、自己の「善意」の支持を押しつけようとする点で、たんに有難迷惑というより、むしろ犯罪的でさえある(「罪を知りながら犯罪を犯すものよりも、罪を知らずして犯罪を犯すもののほうが、より罪深い」というインド『マヌ法典』のことばを思い起こそう)。

プラクシスとプラティーク 

 すなわち近代の思考はすべて、意識のレベル、つまり私のいうプラクシス(意識的実践)のレベルを基本としている。なにごとにもよらず、とにかく近代人は自己の「主体」あるいは「主観」を確立するために、意識的に認識し、行動する。社会的にはつねにそれが「権利」の確認と行使となる。 

 わが国の憲法第21条の「言論の自由」の保証、合衆国憲法修正第1項のいわゆる「知る権利」、あるいはわが国の憲法第13条に保証された「幸福追求の権利」などは、その法的な裏書となる。法体系からはじまり日常生活にいたるまで、すべて言語化可能な認識や行動に支配され、それが「理性」の証しとされる。それ以外の行動は理性に反する「非合理」なものである。 

 上記のイヴェントにしても、善意の参加者はホピのフィロソフィーを理解しようと努力し(「知る権利」)、相互に、また村人ともコミュニケーションを図ることで、自己と人類と地球環境の調和を実現しよう(「幸福追求の権利」)という、きわめて合理的な行動にほかならない。 

 だが野生の思考にとっては視点はまったく異なる。なぜならそこでは、思考体系はすべて無意識のレベル、私のいうプラティーク(無意識的行動)を基本としているからである。そこでは「理性」や「正義」などといった抽象語はまったく存在せず、言語化された法体系もない。だが価値判断の基準は「感性」や「身体性」にいわば埋め込まれ、それはきわめて厳密であり、プラクシスのレベルで起こりがちな恣意的なもの(個人や集団相互で起こる齟齬、その調停のために民法はある)の介入はほとんどない。 

 ホピでは幼児の躾から村の集会の討議にいたるまで、最終的にすべては「ホピ」か「カ・ホピ(ホピでない)」かの2語で決定される。ホピであるとは、平和である、礼儀正しい、生き物を殺さない、自然を尊重し、必要なものは儀礼とともに頂くなど、1語では表現できない行動の規範を包括している。 

 むしろこうした無意識のレベルの構造が確固としてあるからこそ、ひとびと相互には絶対的な信頼関係があり、「知る権利」などを行使する必要はまったくない。個人相互だけではない。兄弟姉妹といえども所属が異なっている宗教結社の伝承や儀礼は相互に秘密であり、話すことはタブーである。だがそれぞれの結社がその伝承された無意識のレベルの思考である儀礼や儀式(もちろん祭壇の造成や儀礼の手順などは綿密な意識的行為であるが)を厳密に行うことが、ホピ全体の、さらには人類全体の平和と繁栄を保障することになるのだ。 

 ここでは種々の権利の行使は、自然や部族の調和を破壊し、ひとびとを離反させる悪といわなくてはならない。

プラティークの復権と脱近代の枠組み 

 プラティークのレベルに埋め込まれたこうした構造こそ、人間を人間たらしめる倫理の源泉であり、文化の基盤である。この点でプラクシスのみに依存する近代社会ほど倒錯した人間社会はないといってよい。 

 だが一旦成立した近代社会を、一気にホピ風に逆転させることなど不可能である。ではどうすればよいか。それは、プラクシスの合理性追求ゆえに非合理的なものとなり、肥大した欲望に支配されているわれわれのプラティークのレベルから、それらを排除し、感性や身体性に本来の姿をとりもどすことである。

 まず、欲望を肥大させるメディア情報の氾濫に溺れる自己を救いだすためには、ホピがひとつのモデルであるような、宇宙や大自然のなかの人間の姿をもう一度見つめなおし、老子のいう「足るを知る」ことの充足感をとりもどすことである。いいかえれば、個々の人間がそれぞれの内部に宇宙論を確立することで、われわれはこのグローバルな消費社会の蟻地獄から脱出することができる。ホピに自己を発見しにいくのではなく、われわれ自身のなかにそれぞれのホピをみいだすことこそ、脱近代の枠組みを造りだし、世界を変革する手がかりとなるのだ。


北沢方邦の伊豆高原日記【61】

2009-06-23 21:33:38 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【61】
Kitazawa, Masakuni  

 いつもは緑の海の彼方にみえる隣家の屋根も消える濃い霧のなか、樹々の影が水墨画のように浮かび、深山幽谷のおもむきを醸しだしている。雨と風にも負けずウグイスが鳴き競っている。賢治の「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」の詩句を思いだす。濡れたアジサイの鮮やかな青だけが、唯一の色彩として映える。

ヘンデル没後250周年 

 今年はヘンデルの没後250周年にあたる。いくつかの記念コンサートやオペラの上演などが企画されているようだが、盛り上りはみられない。日本経済新聞にも池田卓夫記者が「作曲の巨星なぜ不人気?」と、ヘンデル、ハイドン(没後200年)、メンデルスゾーン(生誕200年)をとりあげて論じていた(6・20)。かつてロマン・ロランの『ヘンデル』の下訳をしただけではなく、どちらかというとバッハよりもヘンデルの好きな私は、ここでとりわけヘンデルが、なぜわが国で「不人気」なのか考えてみたい。 

 ひとつはわれわれが、その膨大な作品群を展望する尺度をもっていないことに由来する。つまりバッハであれば、教会オルガニストやワイマール宮廷オルガニストであった時代のオルガン作品群、ケーテン宮廷楽長時代の器楽作品群、彼にとっては不本意な「就職」であったライプツィヒのカントール時代の宗教作品群と晩年の難解な器楽曲などと、ほぼ内容とともに分類できる。 

 だがヘンデルの代表的作品群であるバロック・イタリアオペラは、わが国ではほとんど上演されず、イメージすらない。『メサイアー(救世主)』を除き、イギリス時代後期のオラトリオや合唱作品群も同様である。『水上の音楽』(前ハノーファー選帝侯だったジョージ1世との和解という誤った伝説でも有名だが)や『王室の花火の音楽』、『ハープ協奏曲』やチェンバロの『陽気な鍛冶屋』などごく少数の器楽曲はポピュラーだが、彼の器楽の頂点である数々のコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)や各種協奏曲、また心をゆさぶるオルガン曲やオルガン協奏曲などはほとんど聴く機会がない。 

 ピアノのベートーヴェン同様、悪魔的とさえいわれた彼のオルガン即興演奏は、彼の内部から泉のようにほとばしりでる楽想を暗示している(ロンドンでのオペラ上演の失敗による破産と脳出血に倒れた心身を癒すため、フランス南部のエクサン・プロヴァンスで温泉療法をしていたが、あるときかなり回復した彼は、訪れた大聖堂でひとり神に感謝するオルガン即興演奏を行った。たまたま堂内にいた一群の修道女たちは、あまりのすばらしさに電撃に打たれたようになり、「奇蹟が起こりました!」と叫んだという)。 

 そのほとばしる豊かな楽想が、がっしりとした土台に支えられ、次々と壮麗な音のバロック建築を作り上げていく。そこから湧きあがる壮大な気分は比類がない。ベートーヴェンのある種の作品が醸しだす「英雄性」と親近感があるが、ヘンデルのそれはより古代的な叙事詩のおもむきをもつ(晩年のベートーヴェンが知り合いからヘンデル全集を送られ、深く傾倒し、影響をうけたことは意外と知られていない)。 

 ヘンデルの世界を、この意味で「旧約の世界」といっても誤りではないだろう。彼がオペラやオラトリオの題材としてギリシア・ローマ神話や伝説、あるいは『旧約聖書』に多くを求めているが、それだけではなく、その音楽世界全体が旧約的なのだ。ユダヤ・キリスト教と姉妹宗教イスラームだけではなく、多くの古代文明や宗教が混交し、地中海文明とも名づけうるひとつの普遍的な文明が造りあげられたが、その背景なくして『旧約』を理解することはできない。たんにイタリア・ドイツ・フランス・イギリスなどヨーロッパ各地の音楽様式(細かくいえばヴェネツィア楽派の金管楽器対位法やプロテスタント・ドイツのオルガン様式などなど)を統合しているだけだはなく、彼の音は、こうした古代の普遍的世界の面影を鳴りひびかせている。 

 対照的にバッハの様式は、ヘンデルよりもはるかに緻密であり、音の建築というよりも精密な音の織物というべきだが、同時に彼の世界は、「新約の世界」と名づけてよい性格をもっている。晩年のライプツィヒ時代の受難曲やカンタータが『新約』の世界、つまりイエス・キリストの受難やひとびとの苦悩を直接うたっているというだけではなく、彼のケーテン時代の純粋な器楽曲といえども、バッハの心情の奥底を形成する敬虔主義(ピエティズム)の信仰とその感情のありかたが、深く反映している。 

 つまり、バッハの「新約の世界」は、繊細な情緒を好み、ときには感傷主義にさえ陥りがちな日本人の芸術的嗜好に大きく訴えるものがあるが、ヘンデルの「旧約の世界」は、叙事詩という芸術ジャンルさえもたない抒情詩的な日本人の芸術文化をはるかに超えているがゆえに、「作曲の巨星ヘンデルはなぜ不人気?」となるのである(いうまでもなくわが国には神話や伝説は豊富であり、また『平家物語』を代表とする数々の語り物はあるが、これはユーラシア大陸でいう叙事詩ではなく、あくまで歴史的事実に感情移入する長大な抒情詩といってよい)。

【付記】 
ブログ読者のみなさんご愛読ありがとうございます。また数々のコメントも貴重に読ませていただいています。多忙で直接ご返事できず失礼しています。とりわけ日記51に対する内藤修さんのコメント、たいへん参考になりました。お礼申しあげます。


北沢方邦の伊豆高原日記【60】

2009-06-07 12:27:44 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【60】
Kitazawa, Masakuni  

 庭先でウツギの花、つまり卯の花が白く咲き零れている。ツツジの根元にひろがるドクダミの可憐な花も白く、芝生や背景の樹々の緑に映えて美しい。森のさまざまな樹々の花も白一色であり、6月の風景を特色づけている。それらのほのかな匂いと小鳥たちの囀りが、五月晴れ(本来の意味、つまり梅雨の晴れ間)のわずかな陽射しとともに、心を温めてくれる。

「正義」とはなにか 

 創文社のPR雑誌「創文」は、知的刺激を受ける論文をときどき掲載するので、比較的よく読んでいる。その5月号(519号)に、法哲学者で東大大学院教授の井上達夫氏の論文「リベラリズムをなぜ問うのか」が掲載され、良かれ悪しかれ強い刺激を受けたのでここで批判的に論じておきたい。 

 その趣旨は、かつては戦前体制への回帰をもくろむ保守反動勢力とマルクス主義との対立の狭間に埋もれ、冷戦終了後は、近代を批判するポスト・モダン諸思想(たとえば多文化主義やフェミニズム)によって切り捨てられたリベラリズムの真の復権こそが、「戦後日本社会の根本的な自己改革」に結びつくものである。「戦後日本の思想界において、リベラリズムが周辺化されてきた」のは、リベラリズムに対する根本的誤解があるからである。なぜなら、それがつねに権力を批判し、権力の統御とその責任の明確化(氏はレスポンシビリティの直訳らしいが「答責性」という語を使用する)をはかってきたように、「リベラリズムの基底的理念は自由ではなく、正義である」からである、と。 

 氏の論旨は、部分的には傾聴に値するものが多い(たとえば経済グローバリズム批判やアメリカの覇権主義的行動批判など)し、関心をもたれる方にはこの論文の一読をお奨めするが、問題はこの「正義」の観念にある。 

 すなわち、これほど近代キリスト教の宗教的色彩を帯びたことばはない、という点である。宗教改革以後のキリスト教とりわけプロテスタンティズムは、すべてを神と信仰者個人との問題に還元し、神のコトバすなわちロゴスを理解し、日常的に実践するのは個人の理性(ロゴス)の力であるとした。もし個人の理性による判断に差異があれば、それは公的な場(司法であれ行政であれ)での討議や検討をへて決定されるべきであり、それが公的なロゴスとしての法体系となる。ここに自由と民主主義の根源があるとする。 

 だが神のロゴスは、同時に善悪や正邪の二元論的価値判断であり、この神の審判を人間が自己の理性にもとづいていわば代行する。いいかえれば価値判断としての神のロゴスが「正義」であり、それが人間によって担われることになる。しかし近代キリスト教的な価値体系をもたない諸文化は、このような「正義」観念にまったく無縁であり、むしろその導入に反発するだろう。なぜなら、「正義」は「道徳」同様、人間の意識のレベル、いいかえればプラクシスのレベルでの判断でしかなく、全体的なものではない。極端にいえば文化や社会によって「正義」の基準、「道徳」の基準(たとえば同じ合衆国でも、時代が異なると宗教的な悪であった同性愛が許容されるにいたる)は異なってくるからである。非近代諸社会では、「倫理」はむしろ無意識のレベル、つまりプラティークのレベルにいわば埋め込まれているのであり、それが日常的な実践、つまりプラクシスを規定する。 

 たとえばホピ語には「正義」(justice)にあたることばはない。むしろ英語のjustやfairに当るsun’ta(公平な、公正なの意〔ダッシュはグロッタル・ストップ〕)があるが、富の配分などに使われ、倫理的意味は少ない。むしろ「ホピ」「カ・ホピqa hopi(ホピでない)」の方が日常的に使われ、倫理的な判断となる。平和である、温和である、礼儀正しい、などなどの意味をもつこの語は、部族の名称にさえなっているが、彼らの無意識で感性的なレベルでの根本的な倫理を表現している。ホピであることは個人に要求されるだけではなく、氏族全体、村全体、部族全体に要求される規範である。 

 これは一例にすぎないが、イスラーム諸国をはじめ、西欧的・近代的「正義」に無縁な種族にとって、井上氏の議論は倒錯した観念的なものと映るだろう。むしろそれはイスラーム原理主義などと等価の、西欧近代リベラリズム原理主義としか受け取られないにちがいない。

新聞記者の知的レベル 

 漢字の読めない首相をいただくわが国であれば、マスメディアの知識人たちの知的レベルが低下するのもやむをえないのかもしれない。それにしても噴飯ものの誤りが目立つ作今である。 

 毎日新聞に、二葉亭四迷がロシアの革命家に送ったロシア語の手紙が発見されたとの記事がでた(5・25夕刊)。その一節に「(日露戦争のロシア軍司令官)クロパトキンが書いた本をどこで、どのように入手できますか。東京のある新聞が要点を書き、センセーションを巻き起こした」とある。カッコ内はこの記事を書いた記者の補注であるが、クロパトキン将軍が革命的な本を書いたとは初耳である。クロパトキン(ロシア語のオは日本語のアに近く発音される)家は帝政時代の名門貴族であり、多くの俊秀を輩出した。二葉亭のいうクロパトキンはいうまでもなく生物学者で無政府主義者のピヨートル(ピーター)・クロポトキン侯爵(後半生ロンドンで活躍した)、つまり当時の社会ダーウィン主義や優生学に反対し、生物学的共生の概念にもとづくユートピア社会主義を提唱したひとであり、のちに堺利彦や宮沢賢治にも大きな影響をあたえた。社会主義に関心をもつ二葉亭四迷が、ロシア極東軍司令官などに興味をもつはずがないだろう。 

 また同じく「毎日」(6・5)に、パリの治安悪化が報じられていたが、暴漢が警察車輛を止め「機関銃を乱射」とあって、ギャングもここまで重武装したかと驚いたが、文中AK47銃と書かれ、自動小銃であることがわかった。この記者は自動小銃と機関銃の区別もつかないのか、とこれもまた驚いたしだいである。口径は同じ(AK47自動小銃は7.7mm)で、同じく自動連射が可能でも、機関銃は1分間あたりの発射量が大きく、また炸薬量がちがい、したがって初速(発射速度)が早く、装甲貫徹力や射程距離がはるかに大きい。それに応じて銃身が長く(空挺部隊用の短機関銃は別として)、発射機構や冷却機構も複雑で全体は重い。軍用装甲車ならぬ警察車輛を襲撃するには、重くて扱いにくい機関銃などは不要である。 

 そのほか、これは毎日にかぎらず、英語の人名発音の表記が誤っているのも気がかりである。たとえば、昨年の共和党合衆国大統領候補マケイン氏が指名した副大統領候補がサラ・ペイリンとどの新聞・テレビにも表記され、発音されていたが、英語のSarahはセラである。また巨額詐欺事件で逮捕されたNASDAQ前会長はメイドフMadoffであってマドフではない。マスメディアには私などがおよびもつかない英語の達人が多いと思うが、なぜだろう。 

 とにかくこれらは、メディアの記者たちの知的レベルの低下を示しているのだろうか。気がかりである。


北沢方邦の伊豆高原日記【59】

2009-05-26 22:14:37 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【59】
Kitazawa, Masakuni  

 朝、窓を開けると、柑橘類の白い花々が放つ甘美な香りにむせる日々も過ぎ、いまや樹々の緑の海の上高く、ホトトギスがけたたましく鳴いて飛ぶ季節となった。夜、フクロウの神秘な声が森に木魂し、二階のデッキにでてしばし聴き惚れる。冬の寒夜、晧々とした月明かりに鳴くことはあったが、この季節には珍しい。

北朝鮮の核実験 

 今朝(5月25日)、北朝鮮が5キロトンから20キロトン(ヒロシマ原爆は10キロトン)程度の地下核実験を行い、M5クラスの地震波が観測されたと報道された。前回に比べ、飛躍的な技術的進歩だという。

 飢えた人民を放置してなにが核実験だ、国際社会にたいする兆戦であり、暴挙であるなどと非難するのはたやすい。また北朝鮮が現存する地上最悪の国家のひとつであることも事実である。 

 だが、こうした事態を招いた最大の責任は、いうまでもなくブッシュ政権下の合衆国の政策にある。イスラエルの核兵器保有(これにはノウハウを提供したアメリカだけではなく、フランス、ノールウェイなどのヨーロッパ諸国もウラン濃縮機材や重水など素材を提供している)を黙認するだけではなく、イスラエル空軍によるシリアの核施設爆撃といった「国際的暴挙」を容認し、イスラエルの核に対抗して核開発を推進するイラン(名目は平和利用であるが)をきびしく非難し、制裁を課し、さらにインドとそれに対抗するパキスタン両者の核兵器保有になんの具体的措置も制裁も行わず、あまつさえインドと核利用協定を結ぶにいたっている。これほど露骨な二重基準(ダブル・スタンダード)はない。 

 核兵器廃絶を謳うオバマ政権が、イスラエルによるイラン核施設爆撃(イスラエル国民の大多数がそれを支持している)を容認するとはとうてい思えないが(こうした事態が生ずればイランは、ただちに通常兵器ではあるが数百発の中距離ミサイルでイスラエル諸都市を攻撃し、「中東大戦」が引き起こされるだろう)、この北朝鮮の核実験は、世界がたんに核拡散の危機にさらされているだけではなく、いつ爆発するかもしれない核の火薬庫の上にあることを教えている。 

 小泉政権や安倍政権以来、わが国の北朝鮮政策は最悪である。軍事的仮想敵国視でナショナリズムを煽り、経済制裁をきびしくするだけで6カ国協議になんの建設的役割も果たさず、6カ国協議のなかでさえ孤立してきた。 

 もし北朝鮮のミサイル発射実験や核実験に脅威を覚えるなら、MD(迎撃ミサイル)配備などの軍事的対抗手段ではなく、むしろ経済的・国内的危機にあるがゆえに脅迫的態度にでている北朝鮮を、ふたたび6カ国協議の場に引き出すための方策を立て、国際的に主導すべきなのだ。だが不幸なことに、そうした意思をもつ政治家も政党も皆無である。

大相撲夏場所 

 大相撲夏場所は、近来になく劇的で波乱にみちた面白い場所であった。本命と目されていた両横綱は、たしかに順調に白星を積み重ねてきた(朝青龍は三カ目に安美錦に一敗を喫した)が、大関三場所目の日馬富士(はるまふじ)が安馬(あま)時代の相撲にもどり、土俵狭しの暴れ馬の本領を発揮し、ついに優勝杯を手にするにいたった。 

 とりわけ千秋楽が劇的であった。長身の琴欧州に差され、右手を跳ね上げられてもはやこれまでと思われた日馬富士が、左のまわしをさらに深く取ろうと琴欧州が動いた瞬間、その右手で首投げを打ち、あの大男を一回転させてしまったのだ。栃錦・大内山の熱闘の最終場面、土俵際の栃錦が首投げであの大男を一回転させた伝説の一番を思い起こさせた。 

 横綱白鵬との優勝決定戦も、息を呑む緊張があった。14日目、右上手で出し投げを打ちつづけたが、半身に構える白鵬を崩すにいたらず、最後に足をひっかけられる裾払いで負けた戦訓を生かし、上手ではなく右下手を引いたのが勝因となった。白鵬の身体が近くなった分、下手投げが効いたのだ。 

 幕内最軽量の日馬富士のこの活躍は、かつての名横綱初代若乃花を思わせる。十両時代の安馬をはじめて見たとき、鉛筆のように細い力士が「大きな相撲」を取っているのに驚き、ファンとなったが、大関にまで昇進し、優勝するとは考えていなかった。似た体形のモンゴル出身力士鶴竜(かくりゅう)が三回目の技能賞を獲得したが、これも楽しみな力士である(父がウランバートル大学教授というのも異色だが)。 

 近年、外国人力士の活躍に比べ日本勢がふるわないのにはいろいろ理由がある。ひとつはモンゴル勢のように足腰が強くない。昔、双葉山や初代若乃花のような大横綱・名横綱は、少年時代、沖仲士や仲士といった仕事をしていた。いずれも貨物船の船倉から荷物を運びだし、渡し板を渡ってダルマ船とよばれる平底の木造船や岸壁に荷を下ろすものである。私も敗戦直後、生活のために芝浦埠頭で仲士をした体験がある。米軍の輸送船の船腹から食料品の重い木箱をかつぎだし、渡し板を渡るのだが、バネのようにしなう板のうえでバランスを取るのは至難の業であり、一歩間違えば荷物ごと海中に転落することになる。ああ、これで双葉山は足腰を鍛えたのだな、と実感したものである。 

 いまのわが国には、そのような力仕事はほとんどない。横浜や神戸の埠頭にはクレーンが林立し、コンテナーを吊り上げ、積み下ろす現場には人影もない。だがモンゴルでは、たとえ都会暮らしのひとであろうとも、休暇や週末には草原のゲル(天幕家屋)に赴き、馬に乗る。乗馬ほど足腰や身体のバランスを鍛えるものはない。 

 もうひとつの理由は、人類学的にいえば神話的思考の有無である。はじめての外国勢で成功したのが、高見山、小錦、曙、武蔵丸といったハワイ勢であるのも象徴的である。先住ハワイ人(武蔵丸は米領サモア生まれだが、のちにハワイに移住した)、つまりポリネシア人である彼らは、儀礼舞踊フラが示すように、いまなお神話的世界に親密である。たくましい男たちがハカ(戦士の踊り)を奉納する戦争神クーや、荒ぶる火山の女神ペレなど、神々は身近に生きているのだ。 

 モンゴル相撲の勝者が、天の神々の使者である鷲の舞を舞って勝利を報告するように、伝統を排除した社会主義の一時代があったにもかかわらず、モンゴルにもいまなお神話的思考が生きている。 

 荒ぶる神々や女神たちの御魂を鎮め、豊饒をねがう儀礼の格闘技であるわが国の相撲は、彼らにとってなじみのないものではまったくない。ヨーロッパ勢にとって相撲は異国的なレスリングにすぎないようにみえるが、モンゴル勢にとってそうでなくみえるのは、たんに容貌がわれわれに似ているというだけではなく、神話的思考に根ざすものがあるからだ。 

 現代の日本人よりも彼らのほうが、はるかに相撲道の本質を理解し、体得しているのかもしれない。それもよいのではないか。誤った国際化によって日本式レスリングと化した柔道と異なり、これこそが日本の伝統文化の国際化だからである。


北沢方邦の伊豆高原日記【58】

2009-05-05 18:40:03 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【58】
Kitazawa, Masakuni  

 今年は異様に季節の移り変わりが早い。新緑の季節というのに、もはや新緑とはいえない。ツツジの花は散り、旧六月、つまり夏の花である牡丹も散ってしまった。わが家のボタンは深紫色の大輪で、今年は多くの花をつけ、出入りの植木屋さんが賛嘆したが、他のひとの目には触れずじまいであった。あいかわらずウグイスは鳴いているが、ホトトギスの声が聞こえそうな雰囲気である。

日本の色 

 「みどりの日」にちなんで、メディアのコラムにさまざまな記事が載るのが通例となっている。毎日新聞の「余禄」に、「古事記や万葉の時代は白と黒以外の色を示す言葉は“赤”と“青”しかなかったという」との書き出しで「みどりの日」の随想が書かれていた(5月4日)。まるで古代人は色について関心がなく、色彩の判別に無知であったといわんばかりである。すぐに以下のような手紙を送った: 

 《二〇〇九年五月四日の毎日新聞「余禄」を拝見致しました。みどりの日に寄せて日本の古代の色彩ついての説明が、古代人がいかに色彩に無頓着で無知であったかといったはなはだしい誤解を招くものと思われますので、ご参考までに拙著からの抜粋と前田千寸『日本色彩文化史』からの古代の色名表のコピーをお送りします。 

 われわれの祖先は、現代日本人よりはるかに色彩に鋭敏で、微妙に異なる色彩を識別し、色名をつけていました。だがそれとは別に、古代の宇宙論にもとづいて、四つの色彩カテゴリー(白・黒・アヲ・赤)を立て、世界を解釈していたのです。 

 詳細は拙著『日本人の神話的思考』(講談社現代新書一九七九年)をお読みいただければ幸いです。残念ながら現在絶版ですが、グーグルの絶版本ファイルまたは図書館でご覧いただけると思います。 

 以上、失礼の段お許しください。》 

 前田千寸〔ゆきちか〕の『日本色彩文化史』(1960年)によれば、奈良朝時代約60、平安朝時代約120の色名が挙げられているが、彼自身それはあくまで文献に載っていたものであって、それがすべてではない、と断わっている。 

 この先人の業績は特筆に値するが、前田をはじめ、大野晋、佐竹昭広など日本の色彩について論考を発表している研究者たちがその根底で誤ったのは、この多様な具体的色名(多くは染料や花の色に由来する)と、宇宙論としての抽象的色彩カテゴリーを混同したことにある。 

 たとえばアヲは、紫や青から緑をへて灰色にいたる色名を統括する名詞であった。平安時代の宮中の「白馬の節会」は「あをうまのせちゑ」と訓ずるが、実際には灰色の連銭模様をもつ白馬をめでる儀式である。万葉に「青雲のむかぶす彼方」など「青雲」をうたった歌が多いが、それも「白雲」に対して「灰色の雲」をいう。なぜ「あをうま」や「あをぐも」か。それは「アヲ」というカテゴリーが、日(太陽)や火、血(生命)や雷電などを象徴するカテゴリー「赤」に対して、水を含むすべての色彩を統括するものだからである、灰色の雲は雨雲であり、春である旧正月の節会には、豊饒を約束する「アヲ」の馬が登場しなくてはならない。 

 アヲと赤が水と火という地上の元素の対称(シンメトリー)であるとすれば、白と黒は、「天」と「地」または父なるものと母なるものとの対称をあらわす。天の神々を祀るヤシロを白木で造営し、地の神々を祀るヤシロに黒木(皮つきの木材)の鳥居を構えるのはそのことを表わしている。 

 「世界音楽入門」のレクチャーでは、音や楽器による日本の古代人の宇宙論の一端に触れたが、われわれの祖先は、色彩という記号からもこのような壮大な宇宙論を組みたてていたのだ。


伊豆高原日記【57】

2009-04-02 17:17:19 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【57】
Kitazawa, Masakuni  

 つづく花冷えで、ソメイヨシノは五分咲きのまま、様子見といった風情である。むしろ例年は遅いヤマザクラが開花し、五分咲きとなってソメイヨシノに追いついている。芝生も青みがかってきたが、いつも撒く米のとぎ汁から飛び散る米粒を、ホオジロがつつきにくる。少し花を咲かせかけたツツジのあいだをシジュウカラが飛び渡り、芽ぐむコナラの枝にゴジュウカラ(頭の黒いシジュウカラに似ていなくもないが、頭が白いのでこの名がある)が姿をみせ、小さな長い尾を振りたてる。

無印秀品 

 メディアの造りだすブランド力は、一般の商品に限らない。音楽界でも、格段にすぐれたとも思えない外来演奏家が、「天才的女流ピアニスト」などと喧伝され、何万円もする入場券が飛ぶように売れ、大コンサートホールが満員となる異状な光景が繰りひろげられる。 

 わが国の女性ピアニストも同じだ。国外のコンクールに入賞したというだけで一躍脚光を浴び、メディアの主役となるが、それほどの差があるとは思えない「無印良品」の演奏家たちが質の良いコンサートを開催しても、メディアからはほとんど無視される。 

 無印といえば、いつかFMで聴いたリーリヤ・ズィルベルステインの演奏に感銘を受け、CDを探したが、いくつかの店を渡り歩いてようやく彼女のリスト・アルバムをひとつだけ手に入れた。いまでもときどきリストを聴きたくなると、これをかける。 

 彼女などはスケールの大きな「無印秀品」ともいうべきひとだが、もうひとりの「無印秀品」を発見した。NHKFMで3月30日に放送されたアンナ・マリコヴァである。 

 前半のショパンのマズルカや「ソナタ第三番」も、とかく感傷的に表現されがちなこれらの曲を、雄大な骨格と細部の繊細さをあわせもつ演奏様式で感嘆させたが、後半のワルツ特集ともいうべきプログラム――シューベルト=リスト「ウィーンの夜会」、ラヴェル「優雅にして感傷的なワルツ」、プロコフィエフ「『戦争と平和』よりのワルツ」とつづく――では、自在で奔放な演奏で聴衆を沸かせた。とりわけ最後のグノー=リストの「『ファウスト』からのワルツ」によるパラフレーズ(敷衍曲)は圧巻であった。 

 パラフレーズとは、有名なオペラの一場面など人口に膾炙した旋律を、変奏曲ではなく、即興的な幻想曲風に展開するリスト独特の楽曲様式で、ほとんど無数といってよいほどあるが、「リゴレット・パラフレーズ」やこの曲などが代表とされる。とにかくグノーのあのいささか妖しげな雰囲気のワルツが、ピアノの超絶技巧によって幻想と昂奮の極致にまで高められ、聴衆を圧倒する。マリコヴァの演奏は、あたかもリストが乗り移ったかのような神技で、おとなしい聴衆をも「ブラーヴォー!」と絶叫させるにいたった。 

 だが、だが、である。ブラーヴォーの声は数多いのだが、その声と拍手が、この壮大な演奏に比してあまりにも貧弱なのだ。最初の紹介を聞き逃したので知らなかったが、なんと会場は、あの数百人の津田ホールだという。大コンサートホールで聴きたかったのは、私だけではなかっただろう。 

 だがこれが、ブランド信仰のわが国の音楽界の現状なのだ。

再説:ガン大国日本 

 ガン対策基本法の制定以来、メディアにガンについての記事が目立つようになった。だがその多くは、わが国がなぜ世界に冠たるガン大国になったかという根本原因には触れず、浅薄な主張を繰りひろげているだけである。なかには、ガンも食生活の欧米化や運動不足などといった「生活習慣病」の一種であるとか、ガンを秘密にしたがる社会通念が初期治療の妨げとなっているがゆえに、そうした無知を打破する「ガン哲学」が必要であるなど、まったく見当はずれの議論で、失笑するというよりは憤慨してしまう。

 第一原因は、70年代から80年代にかけて、耕地面積当りアメリカの十倍という驚くべき農薬散布を展開してきた「世界に冠たる農薬大国日本」にあり、またその残留農薬や流通のための保存剤など添加物による食品汚染によって、われわれの健康を保っている消化器内の微生物が殺戮され、ガンを促進することなど、すでに「伊豆高原日記51」で指摘してきた。ここで再説はしないが、現状の改革のための提言はしておこう。 

 その第1は、原因の除去、つまり少なくとも減農薬農法、できれば有機農法への農業の転換、化学薬品による食品添加物の禁止(それによらない保存技術などはすでに多くある)などである(肺ガンについてはタバコの害の周知、また自動車・工場などの排ガスのきびしい規制)。 

 第2は、情報公開である。現行の化学療法・放射線治療・手術などによるガン治療の治癒率をはじめ、それらによらない代替医療の種類や方法とその治癒率、代替医療を扱う医療機関、またその医療費(保健が効かないため)など、ガン治療に関するすべての情報を集め、公開すべきである。 

 第3は、代替医療、東洋医学(漢方・鍼灸・指圧・気功など)の公認と近代医学への取り入れ、およびこれら全体の総合的体系化である。またこれらの医療の保健化が望ましいことはいうまでもない。 

 「ガン哲学」を説くなら、ガン発生の根底的原因は、経済合理性を至上とする近代文明そのものにあることを認識しなくてはならない。


北沢方邦の伊豆高原日記【56】

2009-03-09 20:48:53 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【56】
Kitazawa, Masakuni  

 今年は気候が乱調のせいか、ウグイスの初鳴きがひどく遅れ、もう梅も緋寒桜も散ってしまった今朝(3月7日)、ようやく聴くことができた。だが、ほのぼのとした美しい朝にそのさえずりを聴くとき、このうえない安らかな気分になる。 

 夜、久しぶりでモーツァルトを弾いていると、鍵盤のうえを中くらいのイエグモが左手からゆっくりと歩いてきた。脚をはさむと危ないので手を止め、「おまえモーツァルトが好きなのか」と声をかけると、しばらく立ち止まって耳を傾け、またゆっくりと歩きはじめ、右手の奥へと消えていった。啓蟄が過ぎたことを実感する。

オルガ・スペシヴツェヴァ 

 かなりのバレエ・ファンでも、この名を知るひとは少ない。バレエに、人間の内面性のもっとも奥深い表現を与えた伝説のバレリーナである。 

 戦後のわが国に大きな影響を与えたのは。ボリショイ劇場をはじめとするソヴェトのバレエであった。きびしい訓練から生まれるバレリーナやダンサーたちの完璧な身体的技術と技巧、音楽のどのような繊細な変化にも一糸乱れないコール・ドゥ・バレエのみごとなアンサンブル、全体の息を呑むほどの形式美、これこそ古典バレエのモデルというべき舞台に、イデオロギーの左右を問わず、万雷の拍手が送られたものである。 

 だがその後の私にとって、ときに欧米のバレエ団の絢爛とした公演などをTVで見ることがあっても、しだいに劇場から足が遠のき、古典バレエを見る気がしなくなってしまったのも、どうやらこの「形式美」に原因があったように思われる。感嘆しこそすれ、心に響くものはなにもなかったからである。 

 しかし、ニューヨーク・タイムズの書評紙に載っていた一枚の写真は私を釘付けにした。おそらく白鳥と思われる古典的衣裳を着けて静かに進むオルガ・スペシヴツェヴァ(Olga Spessivtseva)である。そのたたずまいといい、物思う目を伏せた表情といい、身体全体から発散する高貴にして深い情緒は、これから展開するにちがいない、この世を超えた世界の物語を暗示していた。「このひとを見よ、これがバレエなのだ」と。 

 それは、19世紀末から20世紀前半にかけてサンクト・ペテルブルグで活躍したバレエ批評家アキム・ヴォリンスキーの論文集のはじめての英訳本を、かつてニューヨーク・シティ・バレエ団のバレリーナであったトーニ・ベントリーが書評する紙面であった(Jan.25,09)。書評文自体もきわめて魅惑的であったが、そこでヴォリンスキーの女神ともいうべきスペシヴツェヴァの悲劇的な生涯を知り、その写真がひときわ感動的に映じたのだ。 

 1924年、レーニンの死による「革命的自由」の時代の終焉とともに、29歳の彼女はアメリカに事実上亡命する。だが祖国を離れた不慣れな生活と、やがてはじまった大恐慌と戦争の影のもと、彼女は重度の神経障害を煩い、二〇年の長きにわたり精神病棟に暮らすこととなる。その後、ニューヨーク州のトルストイ財団の老人施設で孤独に暮らし、1991年、96歳で生涯を閉じ、かつて彼女が表現しようとしたこの世を超えた世界へと去っていった。その姿を、きわめて少数のバレエ愛好家の心の奥深くに刻みつけて……

アメリカン・リベラルズの変貌 

 バラク・オバマの大統領就任を機に、ネオ・コンズやネオ・リベラルズの攻撃に防戦一方であったリベラルズが復活したようだ。巷にはリベラル派知識人やジャーナリストの本が溢れている。 

 ただそこがアメリカの面白いところだが、彼らは古い戦後リベラリズムの衣裳を脱ぎ捨て、新しい衣服を身にまといはじめている。リベラルズの呼称を嫌い、「進歩派(プログレッシヴズ)」を名乗るものも多い。 

 彼らの主張は多様だが、共通する基底は、経済に限らずすべての領域での「トリクル・ダウン(trickle-down)」方式から「ボトム・アップ(bottom-up)」方式への転換といえるだろう。つまり新自由主義経済が典型であるが、大企業や大金融機関を潤せば、その水は低所得層にまでしたたり落ちる(トリクル・ダウン)。あるいは教育では、高度の白人エリートを養成し、国家の中核とすれば、社会的繁栄の恩恵は庶民にまでいたる、というものである。 

 だがトリクル・ダウン方式のこの数十年の実績は、中産階級を大幅に没落させ、巨万の富を独占するごく少数の上流階級と膨大な貧困層を生みだすことであった。教育では、辛うじて「アファーマティヴ・アクション」制度(人種的少数派優遇策)が均衡を支え、マイノリティ・エリートを補給しつづけてきた。 

 たとえ社会主義と誹謗されようとも、プログレッシヴズはその方式を覆し、税制・社会保障制度・教育・労働条件などの改善、あるいはグリーン・ニューディールによる新しいテクノロジーやそのための雇用創出、などによって富の再分配を計り、社会的公正や平等を実現しようというのだ。 

 典型的なトリクル・ダウン方式であったわが国の「小泉改革」は、いまや同じ自民党の麻生内閣でさえも批判や修正の標的となりつつあるが(いうまでもなく選挙の票獲得のために)、それに代わる大規模なボトム・アップ方式はまったく示されてはいない。野党も同様である。民主党左派や社民党といった戦後民主主義者たちも、戦後民主主義の時代遅れの衣裳を脱ぎ捨てるどころか、それに執着しつづけているようにみえる。 

 そこに起こった西松建設事件である。かつてのリクルート事件では、当時の藤波官房長官をスケープ・ゴートにして巧みに逃れた小沢一郎氏も、今回は観念しなくてはならないようだ。この未曾有(ミゾユウではない)の危機にあたって、目の醒めるような主張を繰りひろげる政治家も言論人も不在であるのは、われわれにとって悲劇である。