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一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【84】

2010-08-27 08:54:25 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【84】
Kitazawa, Masakuni  

 しばしテッポウユリ依存症になってしまった。夜の室内に、どこかにひっそりとたたずむ貴婦人のようなあの純白の花弁と仄かな香りにすっかりしびれ、ひと花がしおれるとまたひと花と、庭から切っては挿し、切っては挿しを数週間つづけてしまったからである。その季節も終わった。秋の虫たちのすだきの季節となる。朝、食卓のマットのうえにコオロギがやってきて、野菜やハムを盛り付けた紺色の大皿の横に坐った。キュウリの切れ端をやったが、食べずにゆっくりと身を動かし、去って行った。その志へのお礼の意味か、夜、寝室の枕元で一晩鳴きつづけ、私を夢の国へと誘ってくれた。

厚顔小沢一郎氏出馬 

 「厚顔な男」という言葉は、このひとのために創られたのだろう。小沢一郎氏が民主党代表選への出馬を決断したという。検察審議会が起訴相当を決議するかもしれないこの9月に、である。さらに噴飯ものは、小沢氏に心中を迫ったばかりの鳩山由起夫前首相がこれを支持するという。あれは第2幕登場のための「道行」だったとでもいうのだろうか(「あのひとはどこか致命的なところが不感症」という青木の評言を思いだす)。しかし、反小沢陣営にとっては絶好の機会であろう。いわゆる小沢チルドレンの大半も政治的・道徳的に常識の持ち主であるだろうから、菅再選にまちがいはないし、その後の内閣改造や党人事にあたって徹底的に小沢派排除をすれば、うたがいなく党は分裂する。待ちに待った政界再編の好機である。菅・仙石・枝野3氏と、前原・野田・玄葉などそれを支持するグループ、さらには小宮山洋子や蓮舫氏ら女性議員や若手良識派、同じく良識派としての渡部恒三氏などの長老たちに奮起をお願いしたい(横路孝弘衆議院議長も私は旧知であるが、旧社会党グループがもし今回小沢氏を支持などしたら、もはや見限りたい)。

人種差別主義者ウィンストン・チャーチル 

 ジョージ・W・ブッシュ前大統領は、大のチャーチル崇拝者で、その胸像をホワイトハウスの大統領執務室(卵型の空間からオーヴァル・オフィスとよばれる)の目立つ場所に飾っていた。バラク・フセイン・オバマは大統領に就任し、ホワイトハウスに入るや否や、ただちにこの胸像の撤去を命じた。なぜなら彼のケニア人の祖父フセイン・オニャンゴ・オバマは、ケニア独立運動の闘士であったが戦後イギリス官憲に逮捕され、チャーチル首相が設置した強制収容所に送られ、拷問を受け、その傷は生涯消えなかったからである。 

 ウィンストン・チャーチルが近代民主主義や自由の信奉者であり、ヒトラーやスターリンなどの独裁政治を心から嫌悪していたのは疑いない。だがその自由の信念や人権感覚が、西欧近代、というよりもそれによって創りだされた現体制に限定されていたことも疑いない。たとえば1920年、アイルランドの独立運動が燃え盛ったとき、時の内相チャーチルは悪名高い「ブラック・アンド・タン(黒帽と褐色制服の治安部隊)」を派遣し、血まみれの弾圧を強行した。同じ白人ではあるが、大英帝国に反逆する「劣等種族」アイルランド人に我慢がならなかったのだ。まして非白人に対しては、その白人至上主義(ホワイトシュプレマティズム)は鼻持ちならないものとなる。 

 内相以前の陸軍将校時代、彼は植民地インドでの「野蛮人どもとの小さな戦争は大きな楽しみだった」と書き記しているし、中東でイギリス統治に対するクルド人の反乱が起こったとき、「非文明的な部族民どもに大いに毒ガスを使うべし」とも述べている。戦時中インドのベンガルで、旱魃やイギリスの食糧徴発による飢饉が発生し、政府部内でも早急に対策を図る声が起きたが、チャーチルは平然と「あいつらの自業自得だ」と放置し、数か月に数万人が餓死する事態となるまでなにも手を打たなかった。のちに彼は「私はインド人を憎む。あいつらはけだもののような宗教をもつ、けだもののような人間だ」と記している、

 戦後アフリカ各地で独立運動が火を噴きはじめると、首相チャーチルは各地に強制収容所の設置を命じ、オバマの祖父が体験したようなナチス・ゲシュタポまがいの拷問を行わせ、独立運動の壊滅をはかった。

 イギリスの若手歴史家リチャード・トイの『チャーチルの帝国;彼をつくった世界と彼がつくった世界』Richard Toye”Churchill’s Empire;The World That Made Him and The World That He made”と、ジョーハン・ハリ(Johann Hari)によるその書評が面白い(The New York Times Book Review,August 15,2010)。

 要するに白人至上主義者にとって、自由も民主主義あるいは「正義」も、彼らのものでしかなく、遅れてやってきたものあるいは劣等種族には、文明化のために少量分け与えてやる貴重な財産にすぎない。それを尊重しないもの――現在はいわゆるイスラーム過激派だ――は、暴力をもって制裁すべし、といのが本音である。

サマー・フェスティヴァル2010 

 サントリー芸術財団が毎夏行っているサマー・フェスティヴァルの「音楽の現在」(8月25日)が楽しめた。 

 イェルク・ヴィトマンの『コン・ブリオ―オーケストラのための演奏会用序曲』、ブリース・ポゼの『女性舞踊家;交響曲第5番』、マルティン・スモルカの『テューバのある静物画または秘められた静寂―2つのテューバとオーケストラのための3楽章』、エンノ・ポッペの『市場―オーケストラのための』の4曲で、なかなかいい選曲であった。 

 ベートーヴェンの交響曲第7番と第8番を背後に意識し、そのイ長調とヘ長調を取り込みながら、湧き立つようなフル・オーケストラの混沌とした音響を背景に、金管のファンファーレらしきものが微妙に絡み、木管が息音のみでささやき、種々の打楽器が精緻なノイズを加えと、多彩に展開する『コン・ブリオ』。 

 異なった星のうえの踊り手をイメージし、その動きをフル・オーケストラの微細きわまる運動によって表現しようとした『女性舞踊家』。 

 さまざまな断片的動機が絡みあい、しだいにまとまりあったり分散したり、それら全体が大きなうねりとなって繰り返され、音響のダイナミックな集積となって聴衆の身体をゆさぶる『市場』。 

 それらのなかでとりわけ『テューバのある静物画』が心を打った。いま現代文明への批判としてスロー・フードやスロー・ライフ運動が高まっているが、その意味でまさにこれはスロー・ミュージックであり、音の形ではなく精神において、われわれの御神楽や能の音楽に共通する深い瞑想的な音楽だといえる。二つのテューバがソロとして登場するが、演奏技術をひけらかすようなものはまったくなく、ほとんど静かな持続音やその微細なゆらぎを吹き、ときには息音だけをひびかす。フル・オーケストラであるにもかかわらず、各楽器や首席奏者たちのこれも微細なヘテロフォニーが織りなされ、深い背景を描いていく。ときには全楽器が静かに停止し、指揮者を含め、全奏者がその姿のまま凍りつき、長い休止をする。どうぞ瞑想してください、というかのように。 

 西村朗や新実徳英の音楽(佐藤聡明もそうだと思うが)についてたびたび語ってきたが、これらの曲にはまずなによりも「音の喜び」の復活があるし、スモルカの『静物画』に代表されるように、近代文明に対する深い批判がある。


北沢方邦の伊豆高原日記【83】

2010-08-16 22:34:26 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【83】
Kitazawa, Masakuni  

 いわゆる終戦記念日の前後はテッポウユリの季節だ。開いたばかりの純白の花を切って挿しておくと、室内にえもいわれぬ高貴な香りがただよう。人間の女性にもさまざまなタイプがあるが、花にたとえればおまえさんはテッポウユリのタイプだねと、よく生前の青木やよひをからかったことを思いだす。ウグイスが庭の樹でひとりごとをつぶやいていたが、それも絶え、沈黙の季節に入った。 

 台所の壁の薄い代赭色のタイルに、中程度のイエグモが、なにが面白いのか、食器や包丁をかたかたさせているすぐ傍に逆さにとまり、終日眺めている。ほぼ1週間も同じところにいたのだが、昨日から姿をみせない。心配だ。

戦争記念番組 

 この季節、例年のように戦争の記念番組が登場するが、ドラマ仕立てのもののかなりは、当時を知るものにとっては噴飯ものの誤りが散在し、見るに堪えないことが多く、敬遠することにしている。ドキュメンタリーにはよいものが多いが、8月15日にNHKBSハイヴィジョンで、6時間にわたって終戦記念日特集が放映された。その一部「被爆した女たちは生きた・長崎県女クラスメートたちの65年」全体と「満蒙開拓青少年義勇軍・少年と教師それぞれの戦争」の約半分をみたが、前者はとりわけ印象深かった。 

 全編実に静かに淡々と、県立女学校生徒たちの被爆状況とその後を追い、生き残ったひとたちの現在の証言や、被爆死亡者の慰霊碑のまえでの65年目のクラス会を交えて映したものである。過去はすべて俳優たちを登場させたドラマ仕立てであるが、むしろこれは演劇ですとばかり舞台を限定して設定し、誇張も余計な情念もなく、きわめて日常的に演じさせているが、それが逆に想像力をかきたて、ドキュメンタリー全体にリアリティをあたえていた。出色の出来栄えである。 

 また8月13日NHK総合テレビ「色つきの悪夢・カラーでよみがえる!第二次世界大戦の記憶」も出色であった。過去のモノクロームのフィルム画像を、最新の技術で自然な色彩画像に変換したものを流し、それを若いタレントや俳優たちにみせて感想や意見を聴くという番組である。 

 モノクロームでは汚れた染みにしかみえなかった死体の血が、鮮明な赤でよみがえり、まばゆい光にしかみえなかった建築物から噴きだす炎が衝撃的な火炎となり、見るものを圧倒する。かつて見た数々の映像がその仕方で再現されるのだが、すでにみたとは思われない新鮮さである。しかも、ガダルカナル島の砂浜に散乱する日本兵の死体の山、サイパンや沖縄の洞窟から飛びだし、火炎放射器の深紅の炎を浴びて火だるまとなって転げまわる日本兵、硫黄島やノルマンディーの砂浜で血を流して横たわる連合軍兵士の数々の死体、さらには解放された強制収容所で折り重なるユダヤ人たちの青白く痩せこけた裸の死体の小山など、目をそむけたくなる画面が次々と色彩画面で映しだされる。映像の語る圧倒的な力がそこにあった。 

 そのうえ、これらの画面をみた若いひとたちの感想や意見が、きわめて率直でよかった。かつて大学で教えていたときも、「いまどきの若者は」という世論とはちがい、いつの時代でも若者たちは鋭い感受性をもち、新鮮な目で世の中や出来事をみているという感慨をもったが、その思いを新たにしたしだいである。

戦争体験はなぜ伝えにくいか 

 しかし、とりわけわが国では、戦争体験はなぜ伝えにくいのか、という課題はいぜんとして残っている。

 メディアを通じ、またそれぞれの現場で戦争体験を語り伝える機会はかなり多く存在するにもかかわらず、それらがひとびとのなかに断片にとどまり、共有の体験とならない根本的な理由は、それらの根底に据えるべき「視点」がないことに由来する。 

 原爆や空襲の被害者たちの語りが、たとえどのように悲惨なものであっても、個々の断片にしかすぎず、また一方的に被害者の意識でしかないのはしごく当然であり、それ以上を望むのは無理である。だがそれらがほんとうに生きた体験として受け止められ、深く記憶に蓄えられるためには、それら全体をつなぎあわせる「文脈(コンテクスト)」が必要なのだ。 

 それはいうまでもなく、第二次世界大戦を引き起こした一方の当事者である「大日本帝国」の冒した歴史の過ちであり、われわれ日本国国民も、その過ちの責任を負っているという事実、そしてそれにもとづく加害者としての意識である。この季節毎年のように中国や韓国から提起される「歴史認識」の問題がこれである。「色つきの悪夢」でだれかが述べていたように、それは当然教育の問題にかかわる。敗戦後のドイツと異なり、「歴史認識」あるいはここでいう歴史の「文脈」やそれにかかわる戦争責任の問題をひたすら回避し、ただ被害者意識のみで「平和」を訴えてきた戦後教育(文部省とそれに対抗した日教組双方に責任がある)の大きな誤りが、こうした状況を生みだした。 

 北朝鮮による不当で非人間的な日本人拉致事件にしても、戦時下に中国や朝鮮半島から何万というひとびとをいわば拉致し、強制労働をさせた責任という政府・国民共有の認識があれば、状況はもっと違った展開をみせていたかもしれない。 

 私自身の自戒の意味をふくめて、以上を反省したい。


北沢方邦の伊豆高原日記【82】

2010-08-03 07:14:56 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【82】
Kitazawa, Masakuni  

 ヴィラ・マーヤの庭に咲き誇り、妖艶な香りを室内にまで漂わせていたヤマユリも終わり、ウグイスたちの囀りも間遠になった。世代交代が進んでいるらしく、青木が健在な頃、われわれの寝室の裏の森で、「ホー・起きろ!」と叫んでいたウグイスはいなくなり、今年は変わった鳴き声の主が登場した。昔ヴェトナム戦争たけなわの頃、ホオジロたちが「撤兵何時? 撤兵何時? ニクソンさん!」と囀っていたが、アフガン戦争たけなわの今(7月の米兵の戦死者は99名だという)、そのウグイスは、どう聴きなおしても「ホー・ギルティー! ホー・カジュアルティーズ!(ほう有罪だって! ほう犠牲者数だって!)」と英語で囀るのだ。イラクのテロも収まらず、各地で炎熱の夏がつづく。

菅政権の炎熱の夏 

 首相就任時にせっかく激励の手紙を書いたのに、参議院選挙で民主党の大敗である。菅首相の消費税発言が大敗の原因だといわれるが、そんな単純な問題ではない。事実選挙中の世論調査でも、消費税増税容認は半数近くまであった。 

 論争を受けて立たず、菅内閣の支持率が高いうちに選挙という前国会末期の民主党の逃げの姿勢、消費税をめぐる首相の迷走などさまざまな要因があるが、根本問題は、仮に消費税を上げるとしても、たんなる財政赤字補てんではなく、それを国や社会の将来にどう使うのか、という未来像をまったく提示できない民主党、あるいは究極には日本の政治全体の貧困にある。 

 問題はこの大敗によって民主党内の小沢・反小沢の権力闘争が激化し、民主党全体が果てしのない迷走状態に陥り、わが国自体が漂流状態となることである。もっとも党内の同士を増やしながらこの権力闘争を徹底的に戦い抜き、党を分裂させ、自民党の谷垣派など最良の部分と合体して新党をつくり、解散に打ってでるというのも一案かもしれない。私だったらそうしたいものだ。

詩について 

 雑誌「洪水」の池田康さんの勧めで、詩集を出すこととなった。デザインを杉浦康平さんが快く引き受けてくださり、内容はともかく、期待のもてる装本となるはずだ。詩は敗戦直後15歳の時から書きはじめたが、この本には1960年代からのものを、年代順に配列してある。あとがきに代わる詩論をという池田さんの注文で、詩について考え、書くことになった。すでにこの「詩論」の原稿もお渡ししてある。関心のあるかたは、この秋に出版予定の詩集『目にみえない世界のきざし』をぜひお読みいただきたい(出版は洪水企画、発売元は未定)。 

 「詩論」では、わが国の和歌や俳句、あるいはホピの祭りの詩、中世イスラームのルバイー(四行詩、複数形ルバイヤート)、またゲーテの『西東詩篇』などそれこそ「世界詩」に触れているが、ここではそこで述べた世界的に偉大な詩人たちのなかの二人、芭蕉とリルケについてその要旨を記しておきたい。 

 意外な取り合わせと思われるかもしれないが、リルケと芭蕉は対極的な立場から彼らの偉大な作品を完成させたと思う。 

 すなわち、ホピやいイスラーム世界の詩、あるいはわが国でも『万葉集』などは、それぞれの種族集団に共有の宇宙論を詩の源泉とし、一見単なる叙景や風物の描写と思われる表現でも、その背後にこの深い宇宙論の影を宿している。 

 それに対して、たとえば新古今以後のわが国の和歌は、きわめて抒情的となっていったが、しかしその感情表現は西欧近代の詩歌と異なり、のちの俳句の季語が典型であるように、万人共有の風土的情緒、または共有の詩的場を前提に、巧みさや繊細さをきそったものである。だが西欧近代では、同じ抒情でも、個人の主観性を通じた表現である。 

 サラセンの吟遊詩人の圧倒的影響から出発した西欧中世のトルバドゥールの恋愛詩は、個人の主観的な愛をうたうのではなく、騎士道的恋愛(アムール・クルトワーズ)という共有のエートスのうえに立ち、時には恋人の姿に聖母のおもざしを重ねたりしていた。だが近代の恋愛詩は、きわめて個人的で主観的な愛の表現であり、風景をうたうとしても、それはあくまで個人の主観に映じたものへの感情移入である。 

 だがこうした近代詩から出発したリルケが到達した晩年の孤高の諸作品は、自己の主観性の枠組みを徹底的にそぎ落とし、風光や事物のモノ自体をして語らせ、それらを言語的に造形することによって、深い宇宙論の影を宿すにいたっている。 

 他方芭蕉は、主観性の枠組み以前のひとであるが、むしろリルケとは逆に、季語に代表される共有の場からひとり抜けでて、風光や事物それ自体を語らせることによって現世を解脱し、宇宙論の深みを開示し、禅でいう観照の境地に達している。 

 いずれにしろこの二人の孤高の大詩人は、近代と非近代という対照的な道をたどりながら、同じ「目にみえない世界」にいたったのだ。

予告編 

 私の予告ばかりで恐縮であるが、この9月にマイケル・ハミルトン・モーガンの『失われた歴史』の翻訳が拙訳で平凡社から刊行されることになった。わが国の戦後の教育やメディアは、長いあいだ西欧中心史観に毒されてきたが、これはその偏見を正す好著である。 

 たとえば人類の歴史ではじめてコペルニクスが地動説を唱えたとか、ルネサンス時代はじめて地球が球形であることが発見され、コロンブスが大航海に乗りだしたとか、あるいはそれに類する偏見である。

 代数やアルゴリズムの発見、球面三角法による諸天体の正確な位置の計算や、球形である地球の緯度経度の正確な計算から、レオナルド・ダ・ヴィンチのはるか以前に水圧ポンプやクランクシャフトといった機械、またいまでいうハンググライダーによる実際の飛行などのテクノロジーにいたるまで、中世イスラームの科学や技術がいかに高度なものであって、中世やルネッサンス以後の西欧にいかに圧倒的な影響をあたえたか、詳述されている。 

 西欧中心主義歴史観から離脱し、新しい歴史観について考えるためにも貴重な本である。ぜひお読みいただきたい。


北沢方邦の伊豆高原日記【81】

2010-07-10 21:09:01 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【81】
Kitazawa, Masakuni  

 日蔭のためいつも遅いわが家のアジサイが満開となり、紫や青のこんもりとした花々が、梅雨の雨に打たれている。他方ではすでにヤマユリの季節となり、ヴィラ・マーヤの庭ではふくらんだつぼみが、あちらこちらに点在する。もう一週間もすると咲きはじめるだろう。雨なのに、ウグイスたちが元気に鳴き交わしている。 

 カラス科の鳥は好奇心旺盛である。まえにもそういうことがあり、青木が「あの鳥たちなにをしているのかしら」と首をかしげたが、その謎が氷解した。夕食づくりの時間帯、台所の窓の外でヒヨドリが2羽、空中でホヴァリングしながら楽しげにサーカスを繰り広げている。しばらく観察しているとそれは、換気扇から流れ出す強い気流に乗って遊び戯れていることがわかった。青木に報告できなくて残念である。

吉村七重主宰の現代筝のコンサート 

 この季節、豪雨といわずしてもかなりの雨だと、伊豆急線や伊東線がすぐ不通となり、伊豆高原は陸の孤島となる。雨の日は東京まで出かけるのに、空模様を眺めながら躊躇することが多い。だが7月8日(旧五月二十七日)に、美しい五月晴れ(梅雨の晴れ間)に誘われたうえ、日頃、現代筝の第一人者(古典ももちろん名手である)として敬愛する吉村七重さんの主宰する邦楽展22「二重の色彩(ふたえのいろどり)」があるため、墨田トリフォニー小ホールにでかけた。期待にたがわず新鮮で楽しいコンサートであった。 

 このコンサートのための委嘱初演の木下正道『宮沢賢治の短歌による「石をつむ」』(二十絃筝と筝歌のための)と、久留智之『移りの美学』(二面の二十絃筝のための)の二曲を含むプログラムで、この二曲もなかなかの意欲作で楽しめた。旧作ではあるが、新実徳英の『プレリュード』(十七絃筝と二十絃筝のための)や西村朗の『覡(かむなぎ)』(二十絃筝と打楽器のための)と同じく『秘水変幻』(横笛と二十絃筝のための)も演奏された。 

 新実の『プレリュード』は一見西欧風ではあるが、二面の筝が調律を変えながら繊細な音型を微細なリズムで絡み合わせながら展開し、循環していくもので、そのなかに世阿弥のいう「花」が音として仄かに浮かびあがってくる。何度聴いても堪能する曲である。西村の『覡』は、二十絃筝と西欧打楽器類の異色の組み合わせで、深く神秘な導入部とゆるやかな三拍子の祭祀舞曲からなる。これははじめて聴いたが、古代韓国風(あとで西村氏自身の解説を読むと、やはりカヤグム[伽耶琴]散調によるとのこと)の、大太鼓やシンバルと筝の奏でる三拍子の循環するリズムに、聴く者自身が憑依状態に陥っていく感覚を覚え、まさに異界を体験できる。単調なリズムと旋律によって神への階梯を昇っていく、イスラーム神秘主義スーフィーのデルヴィーシュ(旋回舞踏僧)の音楽とまったく同じ役割を担うものだ。 

 篠笛・竜笛・能管と持ち変えられていく横笛と二十絃筝のための『秘水変幻』は、それぞれの笛の特質を最大限に発揮させる楽想で、たとえば能管の裂帛(れっぱく)の気合のいわば滝に打たれることで、これもまた突如眼前に開かれる異界に参入できる。 

 たまたま行きの新幹線の車内で、『ナショナル・ジオグラフィック』の、アルディピテクス・ラミダスと命名された約4百万年以前のヒト科最古の骨の化石の記事(July 2010)を読み、人類の悠久の歴史(それでも地球の歴史からすればごく最近だ)に思いを馳せていたところで、これらの幽玄な音楽は、いまなぜ伝統か、という問いを鋭くつきつけてくれた。

いまなぜ伝統か 

 十七絃筝や二十絃筝などの技術的開発によって、筝の表現領域が飛躍的に拡大し、またさまざまな調絃が可能ということで、それらはわが国の現代作曲家たちの創作意欲を強く刺激し、これらの名作を生みだしてきた。 

 伝統は、だが、その種族の社会で生きたものでなくなるとき、たんなる文化遺産、あるいは文化財保護の対象にすぎなくなる。そのときはもはや伝統は、伝統ではない。明治近代化以後、長子相続という家元制度のゆがみ(明治以前では、優秀な弟子を養子として継承させてきた)もあり、わが国の伝統芸術や芸能のかなりの部分は、こうした遺産の伝承にすぎなくなり、かなり形骸化している。むしろ民間の伝承のほうに伝統は残っているといえよう。 

 古典芸術のなかでのこの筝の世界の在り方は、生きた伝統とはなにかを示すひとつのモデルである。

 そのうえ現代社会では、真の伝統がもつ深い意味がある。なぜならいわゆる理性あるいは合理性のうえにのみ築かれてきた近代文明は、ひたすら現世あるいは目にみえる世界での幸福や利便のみを追求し、かつて神々や異界という名であらわしてきた宇宙や大自然への畏敬の念をまったく喪失してしまったからである。 

 神々の世界あるいは異界との幽暗な境界を、直観や感性でとらえてきたこれら古典芸術は、いまこそみずからの担うメッセージをひとびとに伝達すべきなのだ。 

 コンサート「二重の色彩」はこうしたメッセージを伝えてくれた。だがいままでもそうだが、西欧近代志向のマスメディアは、文化や伝統の本質にかかわるこうした貴重な試みを今後も黙殺しつづけるだろう。


北沢方邦の伊豆高原日記【80】

2010-06-09 09:10:55 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【80】
Kitazawa, Masakuni

  今年は梅雨入りが遅い。ウツギをはじめ樹々の白い花が、蒼空を背景に陽差しを受けて輝いている。早朝からホトトギスの声がかまびすしい。

内閣総理大臣への手紙

 菅直人氏が総理大臣に就任した。祝意として下記の手紙を送った。プライヴァシーに触れることはなにもないので、激励の意をこめてここに公表することにした(ごく一部は手直ししてある):

 総理大臣ご就任おめでとうございます。

 思えば社民連および21世紀クラブ以来の長いおつきあいで、そのときどきにかなり辛口のご意見などを申しあげ、失礼を重ねてまいりました。また昨年十一月には妻青木やよひの死去にあたりご丁重な弔電を賜り、心より感謝しております。そのお礼を申しあげねばと思いながら、副首相やその後の財務大臣など要職のご多忙を慮り、また私も彼女の死後の雑事に追われ、これも失礼いたしました。近くイスラームに関する私の翻訳書も刊行されますので、青木の遺著『ベートーヴェンの生涯』とともにお贈りしたいと思います。もちろん激務でお読みになる時間などおありにならないとは存じますが。

 
まだ組閣の最中であるにもかかわらず、各社の世論調査で支持率60パーセント台という驚くべき数値が公表され、菅内閣の門出を祝福する民意に私も共感しております。いうまでもなくその最大の原因のひとつは、「政治と金」の問題で辞任した前幹事長の影響を大胆に排除し、自民党のきわめて古い体質へと先祖がえりしつつあるかにみえた党の体質を開かれたものへと刷新し、党の役職や内閣の要に清新な顔触れを配置し、これならば民主党本来の方向や政策を実行できるのではないか、という大きな期待が生まれたからにほかなりません。

 
仙谷由人さんは私も旧知で気心が知れ、将来を期待していた方です(ご病気も全快なさったようで、きわめてお元気な映像をいつも拝見し、安心しています)。また枝野幸男さんは、私は面識ありませんが、亡くなった青木が、昔女性グループとともに政策懇談会でお会いし、きわめて政治的センスがよく、問題の所在を的確に判断できるひとだ、民主党(旧)にはいい人材がいると激賞していました。こうした方々が中心に位置するのですから、これでもし菅内閣が将来駄目になるとすれば、わが国の政治から希望というものがまったく消失することになります。高い支持率に押されてしばらくは沈静しているかもしれませんが、今後党内で葛藤が生ずるとしても、世論を味方にこの方向を堅持し、諸問題の解決にあたっていただきたいと思います。

 
現在世界は様々な難問に直面しております。いうまでもなくその根本は、ベルリンの壁崩壊後、IT革命により瞬時に世界をかけめぐる巨大流動資金と金融工学によって経済的世界制覇を意図してきたグローバリズムが、その内在的矛盾により崩壊し、金融のみならず経済全般の危機をもたらしたことです。メカニズムの矛盾が露呈したことにより、もはやグローバリズムの復活はありえません。現在進行中のユーロ危機も、グローバリズム崩壊の衝撃がもたらした副産物であり、各国の金融・財政政策が独立しているのに通貨だけを統合するというこれも大きな内在的矛盾が、いまとなって露呈しただけです。

 
また高度成長をつづけている新興諸国にしても、グローバリズムがもたらした貧富の格差拡大や潜在的不動産バブルなど、それぞれに深刻な内在的矛盾を抱え、いつかかならずその矛盾が露呈され、世界に新しい危機を生みだすにちがいありません。しかもそれらの危機はすべて連鎖し、連動するのです。

 
経済だけではありません。世界の安全保障も、冷戦時代の負の遺産をまったく整理できず、NATOなどの軍事同盟や軍事同盟化されつつある日米安保など、いわゆる力の均衡政策によってしか安全保障は維持できないという無意識の信仰がいまだに支配しています。国内のいわゆる平和勢力も、憲法第九条を守れと主張するだけで、日本の安全保障についてなんの代替案も示すことができません。日米安保の軍事同盟化こそが中国や北朝鮮を刺激しているという現実さえも見えないようです。日米軍事同盟の現実を踏まえながら、それを長期の安全保障政策の中にどう位置づけ、どう徐々に変え、日米中韓ロそして最終的に北朝鮮をも巻き込んで東アジアの集団安全保障をいかに構築していくか、という課題のなかで普天間問題をはじめ、当面の問題を位置づけていくしかありません。

 
国内的には、グローバリズム崩壊後の日本をどのように再建するかが課題です。グローバリズムに乗り遅れるな、国際競争に敗れるなら日本は衰退する、などといった先入観、あえていえばグローバリズムの亡霊は振り棄てなくてはなりません。なぜなら資源やエネルギーの無限の消費にもとづく経済体系や経済合理主義、そしてそれが生みだした肥大化する幸福追求の権利や欲望といった近代文明の病理そのものが問われているからです。それらを放置するかぎり地球環境の変動による人類の滅亡さえそう遠い将来ではないでしょう。

 
そのためには「環境立国」をひとつの柱としなくてはなりません。農林漁業の再建、自然エネルギーの徹底的開発、および自然そのものの回復をはかり、そのための産業や技術革新への大規模投資を図り、それが大量生産・大量流通・大量消費という現在の産業構造を変革させるような回路を創りだすことなどです。わが国が環境最先進国となれば、その技術革新や諸製品が新しい輸出産業となることはいうまでもありません。

 
もうひとつの柱は「知と文化立国」とでもいうべきものです。生涯教育や職業転換教育などを含む教育体系や制度を充実し、労働条件や環境を徹底的に改善し、社会保障を現在と違う形で充実し、それによって労働を創造の喜びに変え、余暇に知や芸術や伝統、あるいはポピュラー・カルチャーなど多様な選択の中で充実した人生を送れることを目標にし、そうした長期の視野のなかで、当面の問題の改革や改善を図ることだと思います。

 
菅内閣に期待するあまり長々と書いてまいりましたが、もちろん一引退知識人の寝言として無視してください。とにかくこれから大変な仕事が待ち受けていますが、身体と健康にはくれぐれもお気をつけください。私のほうはヨーガと自然食のお蔭で(ご関心があれば私のヨーガの本もお贈りしてもいいのですが)、かなり健康に暮らしています。少しでも暇があれば、身体を動かすこと、少なくとも呼吸法でもなさるといいと思います。

 
以上とりあえずの祝意、おくみとりください。

二〇一〇年六月七日
                 北 沢 方 邦 
菅 直人 様


北沢方邦の伊豆高原日記【79】★緊急追加

2010-06-02 08:38:28 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【79】緊急追加


ならず者国家(a rogue nation)イスラエルの暴挙 

 5月31日早朝、地中海の公海上で、トルコやギリシアから出港したパレスティナのガザ救援物資を積み込んだ船団がイスラエル海軍の武装艇やヘリコプターに襲撃され、拿捕され、乗り組んだ平和活動家など10名の死者と多数の負傷者を出し、乗組員ともども全員が逮捕されるという事件が起こった。臨検や荷物検査というならともかく、公海上での武力による襲撃は、それだけでも国際法違反である。 

 中東はもちろん、欧米でもこれはメディアのトップニュースであり、各国政府は駐在大使を呼んでイスラエルをきびしく非難し、トルコ政府はただちに国連安全保障理事会に提訴した。 

 私は31日早朝のアルジャズィーラの断片的映像を交えたニュース速報を見て、これは大事件だと衝撃を受けたが、日本のメディアの扱いや政府の無反応に驚きあきれてしまった。とりわけ鳩山政権の看板であるはずの「友愛」はどこへ飛んでしまったのか。人間の心が読めず、国際的空気が読めないのは首相だけではない。メディアも政府も国会もそうだ。「平和の党」を標榜しているはずの社民党も声明ひとつだせないのか。 

 北朝鮮と双璧のならず者国家(ただしイスラエルの国内には曲がりなりにも言論の自由はあり、平和主義者も多い)イスラエルは、かつてナチスがユダヤ人に対して行った同じ行為をパレスティナ人や支援者たちに行っている。われわれの祖先は歴史をカガミ(鏡、鑑)と称したが、それは過去を映しだすとともに、そこに映しだされた誤りを教訓とするためである。たしかにわが国も、歴史認識の問題で中国や韓国に批判されているように近現代史をカガミとするにいたってはいないが、その反省を含めて、イスラエルの暴挙になんらかの声を挙げるべきである。


北沢方邦の伊豆高原日記【79】

2010-06-01 08:52:30 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【79】
Kitazawa, Masakuni  

 ウグイスがあいかわらず盛んに鳴き交わしている。季節外れの低温でウツギの花、つまり卯の花はまだだが、いまやホトトギスの季節である。今年は珍しい鳥の囀りが聴かれる。すばらしい音量と美声で、4・5分鳴きつづけてもやまない。囀る方向に双眼鏡をむけても、樹々の葉叢にかくれて姿はみえない。図鑑で調べるが、クロツグミではないかと推察される。ご存知の方がいたらお教えいただきたいものである。

KY首相 

 鳩山政権が末期症状である。事業仕分以外ほとんどみるべき成果もなく、普天間問題、つまり安全保障問題をはじめ、迷走に次ぐ迷走でみずからの首を締めあげ、参議院選挙の前か、惨敗後か、とにかく小沢幹事長を道連れに総辞職のほかに手がなくなっている。 

 こうならざるをえなくなった原因は二つある。ひとつは政治家(ステーツマン)としての鳩山首相の資質であり、もうひとつはグローバリズム崩壊後のわが国をどう創りなおしていくかというヴィジョンやそのための長期政策の不在である。 

 日記【63】で書いたように、鳩山氏にほとんど期待はしていなかったが、これほどひどいとは思わなかった。総選挙直前の遠慮があり、そこには書かなかったが、鳩山氏を囲む会合が終わり、部屋にもどってきて放った青木やよひの第1声が耳に残っている。「あのひとって、どこか致命的なところが不感症ね!」。

 つまり私流にいいなおせば、人間の心のわからないひとということである。数年前KY、つまり「空気が読めない」ということばが流行し、前首相は「漢字が読めないKY」だといわれたが、現首相は「心が読めない」、くわえて国際的「空気が読めない」KYである。 

 わが国の安全保障問題をもう一度深く考える契機を与えてくれたという功績はあるかもしれないが、普天間基地を「国外、最低でも県外移設」と公言し、辺野古移設をなかば諦めかけていた沖縄県民に希望をあたえ、心をゆさぶった挙句に辺野古回帰とは、数万のひとびとの「怒」のプラカードで会場が埋め尽くされても当然である。問題はここまでこじれた以上、辺野古着工はきわめて困難であり、普天間現状維持がかなり長期間つづくことになる点である。政権が代わったとしてもその困難に変わりはない。鳩山氏は次期政権にとてつもない課題をあたえてしまった。

長期ヴィジョンと政策 

 グローバリズム崩壊後の世界で、わが国をどのような方向に導くべきか、というヴィジョンや長期政策は、民主党に限らずどの政党ももっていない。「支持政党なし」が世論で第1党となっているのはここに根本原因があるが、むしろこうしたヴィジョンがなくてどうやって政治をしていくつもりですか?と全政治家に問いたいほどである。 

 グローバリズム崩壊は一つの契機、あるいは象徴にすぎない。とにかく近代文明を支えてきた資源やエネルギーの無限の消費に基づく経済体系や経済合理主義、それによって生み出された肥大化する「幸福追求」の権利と欲望をこのまま放置するかぎり、地球環境の変動による人類の滅亡はそれほど遠い未来ではない。とにかくシステムを根本的に変えなくてはならないのだ。 

 そのための方策のひとつは、すでにたびたび言及してきたように「環境立国」である。大量生産・大量流通・大量消費の機構を改めるために、農林漁業の再建や自然エネルギーの徹底的開発、および自然そのものの回復を柱とし、そのための産業や技術革新への大規模投資を図ること、それが第2次・第3次産業のシステム的変革をうながすような回路を創出していくことなどである。もしわが国が世界的な環境先進国となれば、その技術革新や製品が、あたらしい輸出産業の中核となるだろう。 

 もうひとつは、芸術や教育を含む「知と文化の立国」である。これについてはいずれ詳しく書きたいと思っているが、労働条件や労働環境の徹底的な改善を図り、宮沢賢治のいうように労働をなにものかを創りだす喜びのひとつの源泉とするとともに、余暇を人間の生きる充実した時間とし、それを知や文化にかかわる産業の場として育成していくことである。 

 経済をはじめとする激烈な競争社会を離脱し、平和で安定し、生活が保障されるうるおいとゆとりのある社会をだれもが潜在的に希求しているが、近代文明のもとでは実現不可能と諦めている。だがむしろグローバリズム崩壊のいまこそ、そうした社会への転換や変革が可能なのだ。国際競争からの離脱は日本の衰亡をもたらすなどという言説は、まさにグローバリズムの亡霊にすぎない。われわれはまず、いわゆるおんぶお化けのようにわれわれ自身にまつわりついているこの亡霊を振り棄てなくてはならない。なにごとにもよらず、一切の先入観を振り棄てたとき、見えてくるものがあるのだ。


北沢方邦の伊豆高原日記【78】

2010-05-07 13:11:03 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【78】
Kitazawa,Masakuni


 ツツジの咲く時期が年々早まっている。今年は4月の半ばに満開となり、青木やよひの散骨式には散っているのではないかと心配したが、その後の寒さで持ち直し、華やかな緋色や紅で参加いただいたひとびとの目を楽しませてくれた。例年なら5月上旬の今頃は新緑が美しいのだが、もはや新緑ではない。

古代インドの社会と宇宙論 

 翻訳の仕事と青木の介護などで、机の上に積んだままであった何冊もの本を、ようやく落ち着いて読みはじめた。そのひとつが Wendy Doniger:The Hindus;An Alternative History,Penguin Press, 2009 という700頁に及ぶ大著である。 

 わが国でも中村元博士の業績をはじめ、インド哲学研究は世界的水準にあるが、一般には近づきがたいアカデミーの世界と思われている。またインド紹介や紀行文は数多いが、あまりにも断片的で、この壮大な文明の背景はほとんど伝わってこない。

 その点本書は、約5000万年以前からのインドの歴史をたどりながら、キリスト紀元前1500年頃に遡るヴェーダ類、同じく前800年頃のブラフマナ類、前600年頃のウパニシャド類、前400年頃の『ラーマーヤナ』や前300年頃の『マハーバーラタ』などの大叙事詩を徹底的に渉猟しながら、それらの説話や神話を通じて古代インドの壮大な世界観と、それを生みだした文明の奥深さ、さらに古代インド社会のおおらかさと自由さをみごとに解明している。いうまでもなく、それがしだいにカースト制度の固定化や宗派的対立を生み、イギリスの植民地支配の「分断して統治せよ」とその誤った近代化によって変形し、多くの矛盾と悲劇をもたらす過程ももちろん追求されている。

 だがこの古代の分析にほぼ半分の頁が費やされているのをみてもわかるように、今日の人類にも教訓をあたえるようなインド思想の源泉は、まさに古代にある。

反戦の書『マハーバーラタ』 

 たとえば『マハーバーラタ』である。『ラーマーヤナ』には日本語の要約がある(しかしラーマとシータが再び結ばれてめでたしという結末になっているが、原書はその後の悲劇的な離別である)が、18巻に上るこの膨大な叙事詩には、第6巻の一部である「バガヴァッド・ギーター」の完訳を除いて日本語訳はない。

 男神たちや女神たちの子孫であり、親族でさえあるカウラヴァの一族とパーンダヴァの一族との葛藤と戦いを描いたこの叙事詩は、はじめインダス峡谷に、その後ガンジス平原に栄えた古代の諸王国の征服や被征服、戦闘や敗北など現実の生々しい歴史を遠く反映しながら、それをより神話的・伝説的次元に昇華しているといえるが、「バガヴァッド・ギーター」が明示しているように、さらにそれをインド古代哲学によって批判的にまとめあげ、語りあげたものである。 

 戦闘の前夜、殺戮に思いをおよぼし、嫌悪と迷いに陥った英雄アルジュナのもとに、戦士の姿となったクリシュナの神があらわれ、ヨーガの教えを説く。すなわち戦争は神々が創りだした迷妄(マーヤー)にほかならないが、戦士たる汝は、この迷妄の戦闘に参加するという行為(カルマ)を通じてしか、このマーヤーの帳を破ることはできない。迷妄の世界では、すべては矛盾からなっている。だがひとつひとつの矛盾は、それを認識(ジュニャーナ)し、それを業(ごう:カルマ)として生き抜くことで、はじめて解消する。カルマのなかで認識(ジュニャーナ)は自己の運命に対する信愛(バクティ)となり、そこで汝の個我(アートマン)は宇宙の個我(アートマン)のなかに溶け込み、ブラフマン(宇宙我)となる。これが解脱(モクシャまたはムクティ)、すなわちマーヤーからの離脱なのだ、と。 

 (この思想は、一部が彼の『日記』のなかで共感をもって引用されているだけではなく、まさにベートーヴェンの思想であり、生き方であり、音楽である)。 

 その後の恐るべき戦闘で、クリシュナの助けをえたアルジュナは勝利を手にするが、パーンダヴァの一族もやがて次々と死に、戦士クリシュナも狩人に射られて死ぬ(もちろん神として再生するが)。アルジュナも兄弟とともに、ヒマーラヤの山々で死ぬ。まさにマーヤーの世界の「はかなさ」を歌うことで全編は終わる。 

 ドニガーは『マハーバーラタ』を世界最大の反戦の書と呼び、その思想はガーンディにいたるとしているが、まさにその通りであろう。ガーンディの非暴力(アヒンサ)は、戦争を含む暴力(ヒンサ)の全否定(ア)であって、けっして弱者の戦術などではない。 

 だが非暴力も、観念にとどまる限り、世界を変革する力とはなりえない。行為(カルマ)による身体的な力となってこそ、マーヤーの世界の矛盾を克服できるのだ。

青木やよひの散骨式 

 4月24日に青木やよひの散骨式が行われた。当日は曇り時々雨の天候であったが、海は比較的穏やかで、借り切った遊覧船がほぼ満席の21名の方が参加してくださった。伊東港の沖合手石島近くで、波にゆられながら、ひとりずつ、一握りの遺灰を撒き、花をたむけた。 

 終了後ヴィラ・マーヤに集まり、それぞれの自己紹介や青木の思い出を語り、おいしい地魚の握り寿司とビール、日本酒などでにぎやかに懇談し、また青木の「ベートーヴェン不滅の恋人」のヴィデオ(NHK総合)などを鑑賞し、彼女の業績を偲んだ。 

 ご参加のみなさん、そして当日都合がつかず不参加のメールや電話をいただいた方々、心からお礼を申しあげます。


北沢方邦の伊豆高原日記【77】

2010-04-08 00:04:40 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【77】
Kitazawa,Masakuni  

 例年ならソメイヨシノが満開になってから山桜が満開になるのに、今年は同時である。斜面のいたるところにさまざまな色合いの山桜が、花柄を競い合っている。初鳴きは遅かったが、ウグイスがあちらこちらで鳴き交わし、今年は例年になくにぎやかだ。異常気象らしく、新緑の季節がはじまりかけ、ツツジが花芽をふくらませ、いまにも咲こうとしている。

車窓の天皇 

 偶然だが、思いがけない体験をしたので報告しておこう。6月5日、東京で演奏会があるので伊豆急線の普通電車に乗った。伊豆多賀駅は素朴な駅舎やプラットフォームのまわりにソメイヨシノの古木がつらなり、満開のいま青空に映えてそれは美しい。単線のすれちがいで停車時間も長く、風景を堪能していた。そこへ見慣れない黒い新型車両の電車が入ってきたが、2両目には窓もないという奇妙な車両で、その3両目が静かに止まったちょうど真向かいの窓の海側の席になんと天皇が坐っておられ、こちらを向かれたその視線が合ってしまい、私は思わず目礼をした。すると天皇もにこやかに会釈された。私の様子をみてふしぎに思ったらしい前の席の中年の女性が窓をのぞきこみ、「あっ、天皇陛下だ!」と大声を出し、まわりの乗客すべてが私の窓に集まり、歓声をあげ、手を振り、大騒ぎとなった。手を挙げてお応えになる両陛下(私の席からは動きだすまで皇后の姿はみえなかったが)の車両が動きだすほんの数十秒であった。 

 昔、幼稚園の頃、「皇太子さまお生まれなった」という慶祝の歌が一日ラジオで流されたのを覚えているが、天皇と私はほとんど同世代といっていい。敗戦後、疎開していた那須の御用邸からの帰途、列車の窓から目撃された一望の焼け野原の東京の光景が大きな衝撃であり、強固な平和意識を抱かれたというが、終戦記念日の追悼のお言葉などのはしはしにそのお気持ちや人間性がうかがわれ、つねづね好意を感じていたのが無意識の目礼になったのだろう 

 そのうえたびたび述べてきたように、わが国の天皇制はたんなる政治制度ではない。むしろ近代国家の政治制度としての天皇制は、もうひとつの隠された制度と矛盾しているとさえいえる。 

 もうひとつの隠された制度とは、「聖なる作物」ともいうべき稲作――神話では熱帯植物のイネは太陽の女神アマテラスが孫を通じて地上にもたらしたものとされる――を中心に、唯一神々と直接交信が可能とされる天皇が、豊穣と国の平安を祈って、ニヒノアヘに代表される種々の儀礼をおこなうものである。

 いうまでもなくこれは、いわゆる政教分離を定めた憲法に違反するため、天皇の私的行為とされる。だが文化的・歴史的には、この隠された制度のほうが重要であり、それこそが千数百年にわたって「国民統合」の役割を果たしてきたのだ。現代でさえも一般のひとびとの無意識には、この隠された制度への共感が秘められていて、それが天皇への熱狂を生みだしている。

 われわれはこの制度的矛盾を包摂しながら、この無意識の共感を、かつてのようなナショナリズムに利用されないよう努力しなくてはならない。むしろそのためにはこの隠された制度を、文化財保護と情報公開といった観点から公にすべきかもしれない。

自然権の確立 

 『ナショナル・ジオグラフィック』誌があいかわらず環境問題で奮闘しているが、2010年4月号の「水」特集は読みごたえがあるだけではなく、水にかかわる刻々と迫る恐るべき危機を伝え、戦慄的でさえある(日本語版も発売されているはずである)。 地球の真水の約70パーセントは南北両極とヒマラヤやアンデスなど高山地帯の氷雪や氷河に蓄えられていて、とりわけ高山の氷河はガンジスやインダス、あるいはメコンや揚子江・黄河、またナイルやドナウやライン、ミシシッピやアマゾンなど世界の名だたる河川の水源となっている。いまそれが危機的状況にある。 

 温暖化によってこれら氷河が溶融し、消滅しつつあるが、それによってヒマラヤでは無数の氷河湖が出現し、それらがいつ決壊して下流におそるべき大洪水を引き起こすか、懸念されている。また河川への水の供給が枯渇しはじめ、河川の水位の低下と、それによる水飢饉や生態系への深刻な影響が出はじめている。たとえば気候も大きな変動をこうむり、バングラデシュではもはや洪水が常態化していると思えば、インド北部や中国南西部は旱魃による災害に見舞われている。 

 子供の頃、客船で黄海をわたったことがあるが、見渡す限り茫漠とした黄色い泥の海で、黄海の名にそむかないその印象が強烈に焼きつているが、いまや黄海は名のみである。なぜなら黄土を運ぶ黄河の水は、もはや河口まで達することはないからだ。 

 ニューデリーの「水戦争」が恐ろしい。水が出なくなったスラムでは、毎日市当局の給水車が回ってくるが、人口の需要にはとうてい足りない。数日待ってやっと手持ちタンクに一杯といった状態であるだけではなく、行列の割り込みで暴力沙汰が頻発し、死人がでることもめずらしくないという。こうした状況が進めば、スラム以外の水供給も次第に不足し、数十年後には、ガンジスにたよってきたこの文明そのものが消滅しかねないという。 

 これらのなかで、エクアドルが世界ではじめて「自然権nature`s right」を憲法に明記したとする記事が注目された。つまり人権human rightのように、自然にその固有の権利を認めるものである。もし自然の権利が侵害されていると感じたら、だれでも訴訟を起こすことができる。たとえばたいしたメリットのないダムの建設が、住民の人権を侵害するだけではなく、自然がその生態系を維持する権利を侵害されると思えば、その観点からでも訴訟を起こすことができる(もちろん裁判では立証する資料が必要だが)。 

 世界のすべての国々が、エクアドルにならうことを期待したい。


北沢方邦の伊豆高原日記【76】

2010-03-14 13:54:04 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【76】
Kitazawa, Masakuni  

 椿の花は落ち、梅はすっかり散ってしまい、寒桜のたぐいを除き、いまちょっとした花の端境期である。今年はウグイスの初鳴きが遅かったが、穏やかな陽射しの今日も数声聴いたのみで、淋しい。代わりというわけではないが、イソヒヨドリが澄んだ囀りを聴かせてくれる。

アーティスト・ホピド 

 ホピの今井哲昭さんからの便りと、同封されていたHopi Tutuveni(ホピ・クロニクル)という新聞に、ホピの芸術家マイケル・ロマウィウェサ・カボーティMichael Lomawywesa Kabotie(1942-2009)の訃報が載っていた。 

 ホピだけではなく、アメリカ・インディアンの現代芸術は、たんに合衆国のみならずヨーロッパでも高い評価を受けている。とりわけホピのそれは、たとえば絵画では、技法的に立体派以後の20世紀芸術の強い影響を受けながら、それを巧みに脱構築してホピ固有の宇宙論や世界観の表現媒体と化している。また彼らは、絵画だけではなく、彫刻やジュウェリーを手がけ、またカチナ人形や銀細工や陶器など伝統工芸にも携わり、むしろそうした多様なジャンルに踏みこむことによって、自己の芸術言語をゆたかにしている。 

 マイケルの父フレッドやチャールズ・ロロマなどをホピ現代芸術の第一世代とすると、マイケルは第二世代にあたる。この第二世代は、ロロマたちが創設したサンタ・フェのインディアン美術学校に学び、他部族の芸術家たちと交友を深めることによってホピの独自性に目覚め、それをさらに深めることを目指したといえるだろう。 

 1975年最初に長期滞在したとき、ホピ文化センターの展示場で芸術家たちの絵画作品が展示され、即売されていた。カチナ仮面をモティフにしたきわめて幻想的な作品をやよひがひどく気に入って、ぜひ購入したいとふたたびひとりで出かけ、買ってきた。「この絵の作者もいて、話をしてきたわよ。“あんた高校生(ハイスクール・ガール)?”だって、失礼しちゃうわ、もうじき五十おばさんだっていうのに」といいながら、彼はなかなかの好青年だと好意をもったようだ。 

 それがまだ無名だったニール・デーヴィッド・シニアNeil David Sr.(1944-)だった。第一メサのテワ族の村出身の彼は、第二メサのションゴポヴィ出身のマイケル・カボーティたちと「アーティスト・ホピド」という集団を五人で結成したばかりで、それは彼らの最初の絵画展示会であったのだ。(たしかその絵の値段も50ドル前後であった。いまインターネットで調べると彼の絵やカチナ彫刻は1000ドル前後はする)。 

 アーティスト・ホピドは残念ながらわずか5年で解消(1973-1978)したが、そこから彼らは独自の道を歩みはじめた。ニール・デーヴィッド・シニアはさらに内面化し、沈潜し、その挙句に第一メサ固有の祭りの道化(他のメサの道化にくらべ白黒のボディ・ペインティングや尖がり帽子と手にする采配などスペインの宮廷道化の影響を強く受けている)を描き、彫りつづけ、一見リアルでありながら救済と浄化を必死に求める近代文明を二重に映しだすにいたる。 

 他方マイケル・カボーティは、ペトログリフや伝統的デザインをふんだんにちりばめながら、力強いタッチと大胆な色彩――といってもホピの4基本色、わが国と同じ白・黒・アヲ(青というより緑)・赤――で壁画的で挑戦的な画面にいどむ。そこにあるのも近代文明に対する危機意識であり、ホピの世界観や価値によって世界を浄化しようとする力と意志に溢れている。 

 ホピのカチナのひとつに「母ガラスCrow Mother」があるが、それは母なる「ゴミ掃除人」であり、地球を浄化する役割を負っている。彼は自己の絵画にこのメッセージがあるという(Cf.I Stand in the Center of the Good. Ed.by Lawrence Abbot,1994.p.115)。彼はカール・ユングの心理学にも学んだとするが、それは彼にとってひとつのホピの原型であり、集合的無意識の象徴であるだろう。 

 心から哀悼の意を表する。

プレトニョフのベートーヴェン 

 3月8日のNHKFMで、ミハイル・プレトニョフ指揮のロシア・ナショナル交響楽団のベートーヴェンが放送された。 

 「交響曲第七番イ長調」のスケルツォから耳にしたのだが、きわめて生き生きした内発的テンポ(多くの指揮はこのテンポでなくてはならないといういわば外圧的なものだが)にすっかり魅せられた(翌日偶然だが、同じ「第七」のしかもスケルツォのほとんど同じ部分から耳にしたものがまったくよくなく〔なんとズービン・メータとウィーン・フィルだという〕、余計印象がよくなったが)。 

 次ぎにとりあげられた「交響曲第五番ハ短調」(いわゆる運命)が、同じく自在なテンポと骨格をきわだたせるダイナミズム、細部の微妙な音色の変化と潜在的なポリフォニーの深い彫りこみなど、こういう発見があるのかとひさしぶりに「第五」を堪能した。青木やよひに聴かせたらなんといっただろうか? 

 アンコールのバッハ=ストコフスキーの「組曲第三番ニ長調」からの有名なアリアも、心に染み入るものであった。終了後余った時間にチャイコフスキー=プレトニョフ編曲の「組曲くるみ割り人形」が彼自身のピアノで流されたが、これも感銘をあたえるものであった(私は「くるみ割り」をチャイコフスキーの最高傑作だと思う)。 

 プレトニョフの名を記憶しておこう。


北沢方邦の伊豆高原日記【75】

2010-03-10 11:31:04 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【75】
Kitazawa, Masakuni  

 遅咲きのわが家の白梅・紅梅も散りはじめ、駅周辺の大寒桜(オオカンザクラ)の並木は満開で、枯れた景色にまばゆいほどの淡紅色を振り撒いている。野鳥の囀りがひときわ賑やかになってきた。

アメリカでもっとも危険な男 

 3月1・2日NHKBS1の「世界のドキュメンタリー」で、『アメリカでもっとも危険な男』The Most Dangerous Man in America が放映された。時の大統領ニクソンが、怒りのあまり「あいつはアメリカでもっとも危険な男だ」と怒鳴ったというダニエル・エルズバーグの引き起こしたペンタゴン・ペーパー事件の真相を、本人や息子や友人、また当時の政界やメディア関係者の生々しいインタヴューを交え、追ったものである。

 前編は英語で聴いていたが、あまりもの面白さに、後編は一語も聞き漏らすまいと、日本語に切り替えて観た。 

 1971年、アメリカ国務省の招待ではじめてアメリカを訪れていた私は、少なくとも東部の旅行中はその事件の渦中にあった。ボストンに滞在中、ケンブリッジのマサチューセッツ工科大学で言語学者のノーム・チョムスキー教授に会うアポイントメントを取ってあったのだが、当日彼はエルズバーグ支援の緊急の用事ができてワシントンに行って会えず、彼が依頼した別の学者に会う羽目になった。政治問題だけではなく、彼の画期的な言語学や構造主義についての数々の質問を用意していっただけに落胆したが、代理で会ったレットヴィン教授もペンタゴン・ペーパー事件で、奇妙な言い方だが、冷静に昂奮しているようにみえた(詳細は私の『野生と文明―アメリカ反文化の旅』1972年ダイヤモンド社を参照していただきたい)。 

 ペンタゴン・ペーパー事件とはなにか。ハーヴァードを卒業後、海兵隊の好戦的な士官(当時は徴兵制であった)をへてタカ派のランド・コーポレーションの研究員となり、ジョン・マクノートン国防次官補の片腕としてヴェトナム戦争戦略の立案にかかわり、すでに民間人であるにもかかわらず、武装して海兵隊と行動をともにする現地視察を行い、マクナマラ国防長官とも同行したダニエル・エルズバーグは、多くの民間人が巻き込まれたヴェトナム戦争の現実(民間人を含めヴェトナム人の死者約200万人、アメリカ人の死者2万8千人)に直面し、しだいに考え方を変えていく。マクナマラ自身も帰りの航空機のなかで彼に、ヴェトナム戦争は間違っていたかもしれないと語ったという。だが空港に降り立ったマクナマラは、記者団に取り囲まれ、満面に笑みをたたえて戦争は順調に進行していると語る。それをみてエルズバーグは衝撃を受け、自分は絶対に自己に忠実であろうと決意する。 

 その結果がペンタゴン・ペーパー事件である。ランド・コーポレーションの金庫に保管され、彼が保管者であった国家最高機密の数千ページに上る文書、つまりトルーマン大統領以来5代にわたるアメリカ合衆国大統領が、合衆国がやむをえず戦争に巻きこまれていったという公式説明とは裏腹に、ヴェトナムをいかに反共の決戦場としての強固な砦に構築し、積極的軍事介入と援助を行ってきたかという記録を盗み出し、コピーしてひそかにニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙をはじめとする有力紙に手渡し、スクープさせた事件である。政府が申し立てた掲載停止の仮執行にもめげず、停止させられた新聞の代わりに別の有力紙がそのつづきを掲載するなど、言論の自由を求めるメディアの抵抗は結局勝利する。 

 マサチューセッツ工科大学に移籍し、チョムスキーの同僚となったエルズバーグ自身も、国家機密を盗んだスパイ容疑で逮捕され、告訴されるが、連邦最高裁で合衆国憲法修正第一条、つまり「言論の自由の保証」にもとづく判決で無罪となる。 

 われわれはそこに、完全な三権分立にもとづくアメリカ民主主義の底力を見る思いがする。 

 だが、あのヴェトナム戦争の教訓、そしてペンタゴン・ペーパー事件で示された民主主義の底力は、いったいどこへ消え失せてしまったのだろうか。9・11事件以来、メディアを含むアメリカの狂気は、これらの記憶を吹き飛ばしてしまったようだ。たしかにイラク戦争の教訓がオバマ政権を生みだしたが、その反省の記憶すら薄れつつある昨今である。 

 われわれにとっての最大の教訓は、政治的パニック(テロは決して軍事的パニックではない)はナショナリズムの嵐を吹き起こし、それは結局国家を誤った方向に押し流すということである。歴史はしばしばこうした巧妙な罠を仕掛ける。罠を回避する道は唯一、他者を鏡として、われわれ自身の歴史の記憶をつねに喚起しつづけることである。


北沢方邦の伊豆高原日記【74】

2010-02-05 23:20:57 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【74】
Kitazawa, Masakuni  

 もう一週間もまえだが、1月29日つまり旧十二月十四日の月が、大晦日に劣らずみごとであった。翌十五日はあいにく曇りで、その数日後はこちらでは雨、東京では雪となった。朝ブラインドを開けて大室山をみると薄っすらと雪化粧である。 

 なぜこんなことを書くかというと、旧十二月十四日こそ、赤穂義士の吉良邸討ち入りの記念日だからである。グレゴリオ暦の1月末から2月始に、江戸つまり東京の大雪の気象条件が揃うが、グレゴリオ暦の12月14日ではそんなことはありえない。そのうえ討ち入りがなぜ十四日かというと、月明かりがほしかったからである。討ち入り時刻が遅れたのも、雲が切れるのを待っていたにちがいない。もし雲が切れなかったら、討ち入りは翌日の満月に延期されただろう。 

 一面の雪景色が晧晧たる月に照らされ、室内で使用する龕灯(がんどう=強盗提灯ともいう携帯用照明具)以外にいっさい照明はいらなかったはずだ。キリスト教の都合にあわせたグレゴリオ暦しか使用しない近代の日本では、こうした常識すら失われている。伝統文化や行事の理解には、想像力が必要とされる。嘆かわしい。

古事記の読みなおし 

 5月2日に東京の墨田トリフォニー・ホールの大ホールで、『古事記』にちなむコンサートが催される。新実徳英さんの企画で、彼の作品も演奏されるが、私に対談形式でよいから『古事記』について20分ほど話してくれという依頼がだいぶ前にあった。コンサートも近いので話の要旨をほしいとのこと、以下のメモを送ることにした:

 1) 神話の読み方:神話は古代人や「未開」人の宇宙論であり、現代の精密な物理学的宇宙論とまったく無縁ではない。彼らは「科学的思考」と「神話的思考」を共有していた。科学的思考は自然史であり、天体の運行から気象、あるいは生物の分類や効用にいたるまでを包括している。他方神話的思考は、それら諸現象の背後にある諸法則を、神々やそれにかかわる劇といったメタファーとして認識する思考である。

 2) 古事記の読みなおし:従来の日本の神話学や古代史学は、文献の解読を主とし、せいぜい考古学を参照する程度で、こうした視点がまったく欠けていた。学界でさえ「日本人は星に関心がなかった」などという無知蒙昧な議論が最近までまかり通っていた。農耕であれ狩猟採集であれ、あるいは遊牧であれ、天体の運行は暦の作製に不可欠であり、暦は生業や生活に不可欠である。すべての神話はまず、天地の創造やその分離(イザナキ、イザナミの離婚)からはじめるが、中心となるのは太陽や月や星々など天体である。太陽女神(アマテラス)、月男神(ツクヨミ)、水の大神(スサノヲ)の「三貴子」の誕生、さらにアマテラスとスサノヲの対立から生まれるスバル5男神(プレアデス)とカラスキ3女神(オリオン3星)という冬至の星の創造が、壮大な日本神話の劇の出発点である。

 3) 稲作文化と神話:冬至の星の創造がなぜ出発点かというと、冬至(旧11月・霜月)は太陽の死と再生であり、旧太陽暦の開始だからである。縄文末期からわが国は稲作を基本文化としてきた(経済と文化を混同する網野善彦説の誤り)が、栽培の難しいこの熱帯植物には細心の配慮と適正な陽光と水が必要であり、神々にそれを祈るニヒノアヘの儀礼と神楽が冬至にかかわり、最重要となる。アマテラスの岩屋戸篭りはこの儀礼の起源をあらわす。実際の農耕は春からで、夏至(旧5月・皐月)の頃の田植えがもうひとつの最重要な儀礼サナヘとなる。「天孫降臨」とは、アマテラスの天の稲穂を地上に降下させる神話であり、稲作がいかに神聖なものであるかを物語る。また夏至の星の西洋でいうサソリ座(中国では龍、インディオでは大蛇)つまりヲロチがこの時期を支配するが、それが雷神の象徴であり、その荒御魂が洪水を引き起こすヤマタノヲロチである。これを鎮めるのがまたサナヘの儀礼であり、夏神楽である。

 4) 気象の神々:洪水を引き起こす雷神(サルタヒコ、オホモノヌシなど多くの名をもつ)は、神風(台風)を含め、夏の気象の支配者であるが、冬の気象の支配者は風神つまりスサノヲの娘である3女神である。夏、東南の海上(この方角は太陽の冬至点)に昇るヲロチの星座に対して、冬の強風は北西から吹くが、南中するカラスキ(オリオン)3星の切っ先(彼女らはスサノヲの剣から生まれた)は北西を指す。彼女らを祭るヤシロはすべて北西角に配置される。この二つの気象の神の儀礼が、季節の交替を告げる桜狩りと紅葉狩りである。稲作にとって重要なのは、太陽の光熱とゆたかな水、そして適正な気象である。

 5) 結論:つまり日本神話は、日本の国土に固有の宇宙と自然の諸現象を精密に認識し、それを壮大な劇的メタファーとして展開したものである。 

 以上の詳細については拙著『古事記の宇宙論』(平凡社新書)や『日本神話のコスモロジー』(平凡社、残念ながら絶版、古書か図書館でどうぞ)、『歳時記のコスモロジー』(平凡社)を参照していただきたい。


北沢方邦の伊豆高原日記【73】

2010-01-23 23:31:59 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【73】
Kitazawa, Masakuni  

 寒さはきびしいが、早咲きの白梅は満開で、朝の陽光を受けたたたずまいも、夕闇に仄白く妖しく浮かぶさまも、そこはかとなく心をときめかせる。庭の水仙もほとんど満開で、強い香りを放っている。冬景色のなかに春のきざしを告げる使者たちである。

近代個人主義を問う 

 先日(1月21日)NHKの「クローズアップ現代」を見て、さまざまな疑問が湧いてきた。それは、派遣切りなどでホームレスとなった30代の若者を追跡したドキュメントで、彼らの多くが現在の自分たちの置かれている状況を「自己責任」ととらえ、社会の支援を求めていないことを問題にしていた。彼らの相談や支援に当っているヴォランティーアの牧師さんの話は説得力があり、他方同じ30代の作家というひとの意見はまったくいただけなかった。だがいずれにせよ、そこには戦後教育(学校・家庭を含め)の問題、ひいては近代社会に内在する深刻な問題があり、それを解明することは、同時に近代文明の転換の方向性を明らかにすることであるのに気づくにいたった。 

 つまり、先日このフォーラムの「生殖倫理」セミナーでも問題となったが、「自己決定権」「自己責任」「自己主張」など、近代個人主義の諸概念に対する疑問である。 

 きわめて単純に考えても、仕事をしたいのに職がない、という状況が「自己責任」ではなく、社会や政治の責任であることは明らかだが、そうした錯覚を抱く意識を育てた教育や社会はなんであったのか? 

 たびたび繰り返してきたが、1970年代後半から世界を支配してきた新保守主義・新自由主義体制とイデオロギーは、「公共の福祉」を主柱にしてきた戦後リベラリズム・ケインズ主義を廃棄し、競争による市場原理や個人の自己責任(いわゆるセルフヘルプ)を経済や社会の主柱としてきた。それによって数十年にわたり醸成されてきた社会の雰囲気や教育体制が、こうした錯覚を抱く若者たちをはぐくんできたのだ。 

 だが徹底した金融自由化や金融工学によって世界を制覇しようとした経済グローバリズムが資本主義の究極の形態であり、近代文明のラディカルな表現であったように、この「自己責任」「自己決定権」「自己主張」のイデオロギーや教育は、近代文明を支える近代個人主義のラディカルなあらわれにほかならない。 

 わが国の憲法も、「幸福追求の権利」などを明記し、一見こうしたイデオロギーを補強しているようにみえる。だが、この憲法第十三条も「公共の福祉」を前提としていることを忘れてはならない。公共性と個人主義は両立するのか?

ラコタ族の個人主義 

 私の知っているホピの社会はあまり個人主義的ではなく、昔のわが国と同じく共同体意識、つまりここでいう公共性の意識の方が強いが、かつての戦士諸部族、とりわけラコタ族などの強烈な個人主義が思い起こされる。 

 かつて戦士諸部族は、なかば儀礼ではあったが、部族間戦争を定期的に行っていた。母系制ではあったが、男たちの美徳は勇気であり、笑われることが最大の屈辱であった。戦闘でも、敵の武将を殺すのではなく、その肩を槍や弓で打つこと(フランス語でクーと呼ばれた)が最大の武勲であり、一回のクーごとにいわば勲章として鷲の羽根が授与され、戦闘帽(ウォーボンネット)を飾り、戦闘首長ともなれば背に垂れるほどとなった。 

 だがこうした社会でも、「今朝夢見が悪かったから、戦争には行かない」といっても非難されることはなく、また戦闘が嫌いなものも、女装して儀礼に尽くすベルダーシュ(これもフランス語)を選ぶこともできた。個人の主張や権利はすべて尊重される。部族にとってきわめて重要なメディスンマン(祭司兼医師)になるのも自己申告制であり、荒野に篭って断食し、自己の守護霊と出会えたものがメディスンマンになることを許されるが、この自己申告には証人も証拠もない。ただメディスンマンの責任の重大さのみが、虚偽を防止する保証である。 

 だがこの徹底した個人主義(individualism)も、近代個人主義とは決定的な点で異なっている。つまりそこには徹底した集団主義(collectivism)――きわめて誤解を招く用語だが、国連の集団的人権(collective human rights)概念に倣ってあえて使う――があり、両者は不可分だということである。 

 彼らは部族の宇宙論・世界観を共有し、母系社会の現世の絆(母性原理)と宗教結社の来世の絆(父性原理)に強固に結ばれ、相互に絶対的な信頼関係がある。狩りをした野牛も平等に分配され、儀礼や祭祀に共同で参加し、子供たちは共通の財産としてわけへだてなく育てられる。ここでは個人的アイデンティティと集団的アイデンティティとは不可分である。 

 いまやラコタの社会も、過酷な歴史と近代化の荒波によって翻弄され、こうした強固な構造は大きく崩壊したが、それでもまだ個人と集団の不可分性などは無意識に残存しているといってよい。

救いはどこにある? 

 この意味での集団主義が完全に解体してしまった近代社会では、どこに救いがあるのか、あるいは逆にいえば、個人主義はどのように再構築されるべきなのか? 

 近代社会にも偽の集団主義が多くある。それがナショナリズムやそれと不可分のナチズムやスターリン主義であり、集団的アイデンティティを失った近代人がとかく陥る陥穽だが、いまここではそれを問うまい。 

 近代社会に真の集団主義を築くとすれば、それはみずからの個人的な選択として、志を同じくするものたちと結びつくことである。かつての社会のように、それは地域共同体とは一体ではないし、地域共同体そのものが近代では失われているが、こうした諸集団の活動は、地域の共同体的意識の再構築にも大きな役割を果たすことになろう。 

 いま世界的にNGOやNPOあるいは志をもった各種法人など無数の集団が活動しているが、これらは次ぎの時代の先駆として、ここでいう個人主義と不可分の真の集団主義構築に寄与することになるだろう。われわれのフォーラムもそのささやかな一角を担っているというか、あるいは担うようにしたいと思っている。


北沢方邦の伊豆高原日記【72】

2010-01-09 12:56:40 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【72】
Kitazawa, Masakuni  

 大晦日から元日にかけては旧十一月十五日の満月であり、快晴で大気の澄みきった夜空に恐ろしいほどの月光が燦燦と降り注ぎ、海も銀盤のように輝き、大島の黒い影がくっきりと浮かび、寒さも忘れ呆然と見とれてしまった。きわめて稀な光景であった。というのも大晦日に満月などとは、日本の暦では絶対にありえなかったからである。晦日の古語はツゴモリ、大晦日はオホツゴモリで、後者は樋口一葉の有名な小説の題にもなっているが、三十日であれ二十九日であれその夜は月が闇に篭る、つまりツキゴモリが訛り、ツゴモリとなったのだ。この暦上の異変が2010年の吉を示すのか、凶を示すのか? 

 年末から新年にかけ、はるばると弔問客が幾組か訪れてくださり、青木やよひの書斎はふたたび花で埋まっている。ありがとうございました。

2010年代の世界は? 

 各国政府の応急手当、BRICs諸国とりわけ中国とインドの国内消費拡大、ほころびたとはいえ戦前とは比較にならない先進諸国のセイフティ・ネットなどで支えられ、1929年のような大恐慌に陥らずにすみ、世界はいま経済的に一応の安定状態にあるが、この状況が何時までつづくかまったく保証はない。 

 なぜなら今回の世界的大不況は、グローバリズムそのものの崩壊という構造的なものであり、かつてのその構造に沿った政策、あるいはそれを補正する政策程度では、根本的再生にはならないからである。もし機軸通貨ドルの暴落や中国バブルの崩壊、インド経済のつまずきなどが起これば、たちまち世界的経済恐慌が訪れるだろう。 

 いわゆる先進諸国やBRICsを含めたグローバリズムの負の遺産は、経済体系を所得格差の拡大、南北格差の拡大、金融の投機化などを固定化するメカニズムに造りあげてしまったことである。したがって基本的にはまず、この潜在的構造を解体し、それに代わる経済体系を造りあげていかなくてはならない。

 だがそのためには、グローバリズム崩壊後の世界をどう構築するのか、ヴィジョンを示さなくてはならない。さまざまなレベルで多くの声があげられているにもかかわらず、それらは一向に政治やメディアの場で取り上げられることはない。だが争点は簡単なのだ。 

 すなわち、近代性の経済的極限ともいうべき、大量生産・大量流通・大量消費、それに安易にして投機的な「大量金融」の時代を終わらせ、文化と経済の世界的な多様化をうながす生産・流通・消費の体系を創造すること、ひとことでいえば、各自が質の高いゆったりとした生活(スローライフ)を享受し、それが同時に生物多様性を保持するようなエコ・ソリューションとなる時代とその構造を創造することである。

 その具体策は「食」の問題をはじめすでにたびたび述べてきた。

鳩山内閣の採点簿 

 上記の期待にはほど遠いが、鳩山内閣は発足時には華々しい花火を打ち上げ、好調にみえた。二酸化炭素25パーセント削減の世界公約や「コンクリートから人へ」のスローガン、あるいは公開の「事業仕分け」パフォーマンス(今回は予算策定時期が切迫し、やむをえなかったが、本来は数ヶ月かけて行うべきものである)などである。国民に多くの期待を抱かせたのも無理はない。 

 だがその後は迷走つづきである。普天間問題は一例にすぎない。それも日本の安全保障を今後どう構築して行くかというヴィジョンがまったくないことの副産物にすぎない。安全保障だけではない。すべての領域での一貫した全体的な長期的展望にまったく欠けているがゆえに、すべての領域で迷走せざるをえないのだ。 

 そのうえ政府・民主党内の旧態依然たる権力関係である。鳩山首相が小沢傀儡師の繰り人形であるらしいことがしだいに明確になってきた。小沢氏は院政どころか、政府・民主党を自在に繰る独裁者の風貌を表わしつつある。個人的には私は、旧知の仙谷由人氏などに多いに期待しているのだが、反小沢として知られている彼も手足を縛られるだろう。 

 とにかくわが国の2010年はあまり明るくない。

現代インドの鋭角的断面 

 弔問を兼ねて来訪された武蔵野大学の佐々木瑞枝教授が、いっしょに見ましょうとDVDを持参された。有名な映画“Slumdog Millionaire”である(邦訳題名・監督名など失念、インターネットで検索してください)。 

 20,000,000ルピーという巨額の懸賞金のかかったクイズ番組に出演し、賞金を獲得した青年の物語である。いきなりその番組の最終段階のオンラインの映像からはじまり、その合間にフラッシュとして彼の過去と、第1回の賞金獲得がインチキであったという告発にもとづく警察の拷問を交えた取り調べの場面が短く交錯し、しばらくは物語をたどるのに苦労する。 

 だがムンバイ(ボンベイ)の世界最大といわれたスラム――かつてムガール時代には低カーストのひとびとの集落であり、なめし皮などの生産でそれなりのゆたかな生活を送っていたが、植民地化とともに農村からのいわば避難民が集中し、スラムと化していった(北沢注)――に育つ少年時代の、貧困とそれなりに嬉々とした思い出に、イスラーム教徒狩りで父母が殺され、その果てに児童に芸をさせ(盲目のものは稼ぎが大きいと、こどもの目をつぶしたり)、その稼ぎを収奪する暗黒街の男や、そこからの脱走、タージ・マハールでの外国人向けのインチキガイド生活、そこでえた金でやっとまともなIT企業のお茶組汲みに雇われるまでの半生が、クイズ番組のスリリングな映像にはさまれながらもみごとに浮かびあがってくる。 

 生き別れとなった兄との再開の場面も、かつて彼らが生活した広大なスラムを取り壊し、再開発中の高層ビルの建築現場である。イスラーム教徒狩りに手を取り合って逃げた見知らぬ少女が、彼の恋人たなっていくが、その愛の物語もこれまたみごとにひとつの筋となってつながり、運命に翻弄された二人の純愛がきらりと光ることになる。 

 とにかくこの映画は、かつて植民地固有の貧困に翻弄され、ITによってにわかに経済的興隆をとげたが、他方格差の拡大によるテロや犯罪にゆれる現代インドを、社会批評的に鋭角的に断ち割った秀作といえるだろう。
 


伊豆高原日記【71】

2009-11-26 23:37:13 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【71】
Kitazawa, Masakuni   

 秋色が濃くなってきた。楓も色づき、ハゼの真紅などが、斑に黄ばんだ森をあざやかに彩っている。しばらく夕暮れが美しい季節である。

青木やよひについて 

 フォーラムの代表者のひとり青木やよひが死亡したので、平凡社を通じ、次のような訃報を各新聞社・通信社などに配信した。掲載されたものの多くは簡略化されているので、ご参考までに:  

 青木やよひ 二十五日大腸がんのため死去。
         八十二歳(一九二七年静岡県生まれ)。
         
故人の遺志により葬儀は行わない。 

 エコロジカル・フェミニズム理論とその視点からするベートーヴェン研究で有名。一九八〇年代の性差やジェンダーをめぐる青木・上野論争はフェミニズム思想史に残る事件であった。また一九五七年に発表したベートーヴェンの不滅の恋人がアントニア・ブレンターノであるとする新説は、いまでは世界的な定説となっている。 

 「フェミニズムとエコロジー」などフェミニズム関係の著書、「ホピ 精霊たちの台地」などの民族誌、「ゲーテとベートーヴェン」などベートーヴェン研究の著書など多数あるが、とりわけ「ベートーヴェン“不滅の恋人”の探求」のドイツ語訳はドイツ語圏で高く評価されている。訳書にメイナード・ソロモン編「ベートーヴェンの日記」などがある。遺著の「ベートーヴェンの生涯」は近く発行予定。 

 また執筆の傍ら津田塾大学・立教大学などの講師を勤め、論文「マルサスの影と現代文明」で一九七五年毎日新聞社日本研究賞を受賞する。夫北沢方邦と知と文明のフォーラムを主宰する。

私的感想 

 青木やよひは五十五年にわたるつれあいだが、フォーラムの共同創設者であるので、私的感想を書かないというこの日記の原則を破ることをお許しいただきたい。 

■11月19日 
 青木やよひにいよいよ別れを告げなくてはならないときがやってきたようだ。覚悟は決めていたからいまさらなにもいうべきことばはないが……  身体が若いのが仇となり、癌の進行が極めて早い。細胞が老化していないと、新陳代謝がよく、正常細胞も増殖するが、癌細胞も増殖するからだ。いま肺への転移が危機的状況にある。在宅では急な呼吸困難の発作に対応できないからと、佐藤主治医のすすめで急遽入院する。

■11月21日 
 病棟の端にあるよい個室に移り、状況もやや改善される。外科医の秀村晃生さんがはるばる見舞いにみえる。指圧師の田中亮二さんもみえる。沖縄の倉橋玲子さんから贈られた花が、病室を飾り、心和ませる。

■11月24日 
 まだ意識がしっかりしているうちにという主治医の配慮で、外泊帰宅。仕事終了後乱雑になっていた書斎を、私が整理し、綺麗になっていたのを見たいというので、背負って案内する。満足したようだ。ただやせ細っているのに、腎臓や腹膜などの水腫のせいで重く、苦労する。昼、いつもの朝食と同じものを食べたいというので用意し、介助して五分目ぐらい食べる。夜はなにも取らず、寝たいというので、しばらく話をする。 

 十日ほどまえ、枯れた枝々越しに美しい満天の星空の夢を見、「われらの上なる星辰、われらの内なる道徳律、カント!!!」というベートーヴェンと同じ境地を味わい、また宇宙との一体感を味わった。以前から死を恐れてはいなかったが、これですっかり満ち足りた平穏な気分となり、いつ死んでもいいと思ったという。また、これまで幸せな生涯だったし、それも、またこれだけ仕事ができ、残せたこともおまえさんのお蔭だ、とも述べた。少々照れたが、私としてもこれ以上の幸せはない。睡眠薬を飲ませて寝る。

 よく寝ていたようだ。しかし未明に背中に痛みが起こり、要求されたので痛み止めの坐薬を使い、やがて痛みは薄れたが、朝目が醒めてから意識も呼吸もやや乱れる。9時頃点滴とワクチン注射のためやってきた訪問看護師が、血圧が異常に低く、血中酸素濃度が低下しているので危険だというので、救急車を呼び病院に戻る。病室で酸素吸入を受け、ふたたび状態がよくなったので、午後3時頃、私は一旦家に帰ることにする。明日またくるからと告げると、何時ごろ?と聴き返し、それが私の聴いた最後のことばとなった。夜、食事を済ませて片付けていると病院から電話がかかり、大至急きてくださいとのこと。駈けつけたが、すでに事切れていた。こうなるならずっと側にいたのに、とそれが唯一の心残りである。死亡証明書の時刻は9時11分。 

 佐藤芳樹主治医と話し合う。私が「佐藤先生と出会えなかったら、今度の本は書き終えられなかった」という彼女の言葉を伝えると、先生は、健康なひとでも本を書くというのは大変な苦労なのに、これだけのご病人がなしとげられるとは、とにかく尋常ではない意志の力のあるひとで、感嘆します」といわれた。たしかに、昨年五月の手術前にかなりの時間をかけて準備をし、一部書きはじめていたが、実際の執筆は手術後約2ヶ月後からである。 

 そんなにハードに仕事すると、あとで大変だからと、書斎に篭っている彼女によく話し掛け、仕事を止めさせたたものである。『ベートーヴェンの生涯』の執筆が彼女の命を縮めたかもしれないが、これを完成しなかったら、死んでも死にきれなかっただろう。 

 とにかくパートナーのいう言葉ではないかもしれないが、私も彼女を尊敬する。 

 なお、彼女の死後発見したのだが、寝室のメモ用紙のあいだに書きとめてあった句と歌を紹介する。ただ紙に大きく斜線が引かれているのは、公開されたくないという意向かもしれないが:  

病みて知る ベートーヴェンの 深き淵 

なにゆえの病苦ならんと天に問う、生きがたき夏の夜のしじまに