一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【59】

2009-05-26 22:14:37 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【59】
Kitazawa, Masakuni  

 朝、窓を開けると、柑橘類の白い花々が放つ甘美な香りにむせる日々も過ぎ、いまや樹々の緑の海の上高く、ホトトギスがけたたましく鳴いて飛ぶ季節となった。夜、フクロウの神秘な声が森に木魂し、二階のデッキにでてしばし聴き惚れる。冬の寒夜、晧々とした月明かりに鳴くことはあったが、この季節には珍しい。

北朝鮮の核実験 

 今朝(5月25日)、北朝鮮が5キロトンから20キロトン(ヒロシマ原爆は10キロトン)程度の地下核実験を行い、M5クラスの地震波が観測されたと報道された。前回に比べ、飛躍的な技術的進歩だという。

 飢えた人民を放置してなにが核実験だ、国際社会にたいする兆戦であり、暴挙であるなどと非難するのはたやすい。また北朝鮮が現存する地上最悪の国家のひとつであることも事実である。 

 だが、こうした事態を招いた最大の責任は、いうまでもなくブッシュ政権下の合衆国の政策にある。イスラエルの核兵器保有(これにはノウハウを提供したアメリカだけではなく、フランス、ノールウェイなどのヨーロッパ諸国もウラン濃縮機材や重水など素材を提供している)を黙認するだけではなく、イスラエル空軍によるシリアの核施設爆撃といった「国際的暴挙」を容認し、イスラエルの核に対抗して核開発を推進するイラン(名目は平和利用であるが)をきびしく非難し、制裁を課し、さらにインドとそれに対抗するパキスタン両者の核兵器保有になんの具体的措置も制裁も行わず、あまつさえインドと核利用協定を結ぶにいたっている。これほど露骨な二重基準(ダブル・スタンダード)はない。 

 核兵器廃絶を謳うオバマ政権が、イスラエルによるイラン核施設爆撃(イスラエル国民の大多数がそれを支持している)を容認するとはとうてい思えないが(こうした事態が生ずればイランは、ただちに通常兵器ではあるが数百発の中距離ミサイルでイスラエル諸都市を攻撃し、「中東大戦」が引き起こされるだろう)、この北朝鮮の核実験は、世界がたんに核拡散の危機にさらされているだけではなく、いつ爆発するかもしれない核の火薬庫の上にあることを教えている。 

 小泉政権や安倍政権以来、わが国の北朝鮮政策は最悪である。軍事的仮想敵国視でナショナリズムを煽り、経済制裁をきびしくするだけで6カ国協議になんの建設的役割も果たさず、6カ国協議のなかでさえ孤立してきた。 

 もし北朝鮮のミサイル発射実験や核実験に脅威を覚えるなら、MD(迎撃ミサイル)配備などの軍事的対抗手段ではなく、むしろ経済的・国内的危機にあるがゆえに脅迫的態度にでている北朝鮮を、ふたたび6カ国協議の場に引き出すための方策を立て、国際的に主導すべきなのだ。だが不幸なことに、そうした意思をもつ政治家も政党も皆無である。

大相撲夏場所 

 大相撲夏場所は、近来になく劇的で波乱にみちた面白い場所であった。本命と目されていた両横綱は、たしかに順調に白星を積み重ねてきた(朝青龍は三カ目に安美錦に一敗を喫した)が、大関三場所目の日馬富士(はるまふじ)が安馬(あま)時代の相撲にもどり、土俵狭しの暴れ馬の本領を発揮し、ついに優勝杯を手にするにいたった。 

 とりわけ千秋楽が劇的であった。長身の琴欧州に差され、右手を跳ね上げられてもはやこれまでと思われた日馬富士が、左のまわしをさらに深く取ろうと琴欧州が動いた瞬間、その右手で首投げを打ち、あの大男を一回転させてしまったのだ。栃錦・大内山の熱闘の最終場面、土俵際の栃錦が首投げであの大男を一回転させた伝説の一番を思い起こさせた。 

 横綱白鵬との優勝決定戦も、息を呑む緊張があった。14日目、右上手で出し投げを打ちつづけたが、半身に構える白鵬を崩すにいたらず、最後に足をひっかけられる裾払いで負けた戦訓を生かし、上手ではなく右下手を引いたのが勝因となった。白鵬の身体が近くなった分、下手投げが効いたのだ。 

 幕内最軽量の日馬富士のこの活躍は、かつての名横綱初代若乃花を思わせる。十両時代の安馬をはじめて見たとき、鉛筆のように細い力士が「大きな相撲」を取っているのに驚き、ファンとなったが、大関にまで昇進し、優勝するとは考えていなかった。似た体形のモンゴル出身力士鶴竜(かくりゅう)が三回目の技能賞を獲得したが、これも楽しみな力士である(父がウランバートル大学教授というのも異色だが)。 

 近年、外国人力士の活躍に比べ日本勢がふるわないのにはいろいろ理由がある。ひとつはモンゴル勢のように足腰が強くない。昔、双葉山や初代若乃花のような大横綱・名横綱は、少年時代、沖仲士や仲士といった仕事をしていた。いずれも貨物船の船倉から荷物を運びだし、渡し板を渡ってダルマ船とよばれる平底の木造船や岸壁に荷を下ろすものである。私も敗戦直後、生活のために芝浦埠頭で仲士をした体験がある。米軍の輸送船の船腹から食料品の重い木箱をかつぎだし、渡し板を渡るのだが、バネのようにしなう板のうえでバランスを取るのは至難の業であり、一歩間違えば荷物ごと海中に転落することになる。ああ、これで双葉山は足腰を鍛えたのだな、と実感したものである。 

 いまのわが国には、そのような力仕事はほとんどない。横浜や神戸の埠頭にはクレーンが林立し、コンテナーを吊り上げ、積み下ろす現場には人影もない。だがモンゴルでは、たとえ都会暮らしのひとであろうとも、休暇や週末には草原のゲル(天幕家屋)に赴き、馬に乗る。乗馬ほど足腰や身体のバランスを鍛えるものはない。 

 もうひとつの理由は、人類学的にいえば神話的思考の有無である。はじめての外国勢で成功したのが、高見山、小錦、曙、武蔵丸といったハワイ勢であるのも象徴的である。先住ハワイ人(武蔵丸は米領サモア生まれだが、のちにハワイに移住した)、つまりポリネシア人である彼らは、儀礼舞踊フラが示すように、いまなお神話的世界に親密である。たくましい男たちがハカ(戦士の踊り)を奉納する戦争神クーや、荒ぶる火山の女神ペレなど、神々は身近に生きているのだ。 

 モンゴル相撲の勝者が、天の神々の使者である鷲の舞を舞って勝利を報告するように、伝統を排除した社会主義の一時代があったにもかかわらず、モンゴルにもいまなお神話的思考が生きている。 

 荒ぶる神々や女神たちの御魂を鎮め、豊饒をねがう儀礼の格闘技であるわが国の相撲は、彼らにとってなじみのないものではまったくない。ヨーロッパ勢にとって相撲は異国的なレスリングにすぎないようにみえるが、モンゴル勢にとってそうでなくみえるのは、たんに容貌がわれわれに似ているというだけではなく、神話的思考に根ざすものがあるからだ。 

 現代の日本人よりも彼らのほうが、はるかに相撲道の本質を理解し、体得しているのかもしれない。それもよいのではないか。誤った国際化によって日本式レスリングと化した柔道と異なり、これこそが日本の伝統文化の国際化だからである。



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