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一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【55】

2009-02-22 16:02:41 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【55】
Kitazawa, Masakuni  

 今年は春が早い。ウメは白梅・紅梅ともに散り、緋寒桜や河津桜は満開だという。ツツジの根元のヒアシンスがいっせいに背を伸ばし、いまにも濃い紫の花を咲かせそうだ。 

 例年通り厳冬期だけ、朝食のリンゴの芯や皮をヒヨドリたちにだしているが、時間が近づくと、庭椅子やテーブルに乗り、けたたましい声をあげて催促する。ツツジの列のコンクリート囲いの突端に載せてやると、手の届かんばかりのところに飛び移り、精一杯喜びの声をあげ、つつきはじめる。

ダーウィン再考

 今年はダーウィンの生誕二百年・『種の起源』公刊百五十年記念の年というので、ダーウィンを称える行事や本、あるいはメディアの記事が溢れている。 

 創造主が世界を造りだしたとき、人間を筆頭に生物のすべての種が、いまあるがままの形で生みだされた、とするユダヤ・キリスト教的世界観が支配していた19世紀の西欧で、人間を含む地球上のすべての生物は、単一の原初的生物から自然選択によって段階的に「進化」してきた、とする画期的な生物学的世界観を提出したダーウィンの歴史的功績は、ここであらためて称揚するまでもない。 

 この「進化」概念そのものは今日まで、生物学に限らず、自然科学全体の共通の理解となり、前提となっている。だがそれはダーウィンひとりの「発見」ではなく、先駆者であるフランスのラマルク、ダーウィンより若いが、東南アジアのフィールド・ワークから生物が自然環境に適応して「変異」していくことを発見したアルフレッド・ウォレス(狭いロンボク海峡を挟んでバリ島とロンボク島では動物相と植物相がアジア系とオーストラリア系とまったく異なることを発見し、そこから有名な「ウォレス線」を導入した)など、同時代の学者たちの努力に負っている。メディアの扱いとは異なり、ダーウィンひとりがその栄誉を占めることはできない。 

 そのうえ私は、「進化」論(セオリー・オヴ・エヴォリューション)と、世にいう「進化論」(エヴォリューショニズム)とは厳密に区別されるべきだと考えている。なぜなら「進化」論(以下進化理論と呼ぶ)は科学理論であるが、「進化論」は近代の世界観であり、科学イデオロギーだからである。ダーウィン自身それを混同していたといわなくてはならない(「マルクス理論」と「マルクス主義」を混同したマルクスのように)。もちろん科学の知といえどもその時代の認識論の制約のもとにあるが、その概念や構造は継承可能だからである。

イデオロギーとしての進化論 

 事実、『人間の出自』でダーウィンは、西欧の近代が人類の進化の最終段階にあることを示唆し、それを継承したT.H.ハクスリーやハーバート・スペンサーは、人間の社会や文化にも「適者生存」の優劣があるという「社会進化論」を主張し、ついにはそれをメンデル以来の遺伝学に結びつけ、植物の品種改良の概念を人間の生殖にも適用する「優生学」にまで拡大した。優生学はナチスによる悪名高い実践にまでいたり、西欧が進化の頂点にあるとする「哲学」は、テイヤール・ド・シャルダンにまでいたっている。 

 これがイデオロギーとしての進化論であり、人種差別や西欧中心史観の根拠とさえなった。そのうえごく近年、ワトスンとクリックのDNAやRNAの二重螺旋構造の発見にはじまる分子生物学の展開は、遺伝子決定論という新しい装いのもとに、「新ダーウィン主義(ネオダーウィニズム)」を登場させ、経済グローバリズムに呼応する競争社会の生物学的正当性を主張するにいたったことは記憶に新しい。ある種のハエがレイプによって子孫を増やすという観察を根拠に、ヒトの雄のレイプを正当化する社会生物学(ソシオバイオロジー)などが現われたのも、この新ダーウィン主義流行の一端である。

ポスト・ダーウィニズムの登場 

 進化理論同様、分子生物学の基本はすでに自然科学の前提的な認識となり、遺伝子の配列やヒト・ゲノムの解読は、医療の分野にまで大きな影響をあたえているが、遺伝要因と環境との弁証法や、個体内部での心身の弁証法など、生物学的ヒトが「人間」となるメカニズムはほとんど未解明である(たとえば一卵性双生児の遺伝子はまったく同一であるが、成長するにつれ、個性や思考様式はもとより身体的特徴さえ異なってくる)。 

 さらに、近年の微生物学(マイクロバイオロジー)または微生物科学(サイエンス・オヴ・マイクローブ)の展開は、進化理論そのものの修正だけではなく、近代の科学的イデオロギーまたは世界観としての進化論を、根本的に批判する視点さえも開きつつある。 

 すでに19世紀、ロシアの生物学者クロポトキンは、植物の根に寄生する菌糸類が宿主から栄養素をえるだけではなく、宿主にとって困難な化学物質の分解や合成をおこない、宿主の成長を助けていることを発見した。彼は生物と微生物相互のこの「内共生(エンドシンバイオシス)」(外共生〔エグゾシンバイオシス〕つまり蜜蜂と花との関係のようなものに対して)をはじめ、万物の「共生(シンバイオシス)」が自然界の基本的な在り方であるとし、当時流行の適者生存の「社会進化論」を真っ向から批判し、人間の社会も「共生」のネットワークを基礎とすべきであると、無政府主義的ユートピア社会主義を説いた。 

 それから約一世紀後、微生物科学は細胞や分子のレベルにおけるバクテリアやヴィールスの作用や機能を明らかにし、内共生のさらに精密な体系がすべての生物の根底にあることを示すにいたった。

ポスト・ダーウィニズムの哲学 

 新ダーウィン主義の遺伝子決定論では、真核生物(細胞核をもつ生物)の遺伝は細胞核(ニュークレウス)によってのみ行われるとしていたが、最近の微生物学は、それを取り囲む細胞質(サイトプラズム)こそがすべての遺伝の母胎であることを示し、さらにそれが、酸素の貯蔵庫ともいうべきミトコンドリアをはじめ、無数のバクテリアやヴィールスを取りこみ、強力な内共生の体系をつくりあげる舞台であることを明らかにした。人間の健康や正常な生活も、それによって保証されているのだ。 

 たとえば妊娠である。精子を受胎した卵は胚として成長するが、その細胞核には父親の遺伝子が含まれ、母胎にとっては異物である。通常であるなら、母親の身体の免疫機構が働き、異物を排除するが、子宮に宿るHIVレトロヴィールス(酵素を奪う普通のヴィールスに対して酵素を排出するのでこの名がある)が免疫不全を起こし、胚を保護する。いうまでもなくHIVは、免疫不全病エイズのヴィールスと同種のものである。 

 これは一例にすぎないが、こうした共生関係は生物体だけではない。いわゆる有機物と無機物でさえも緊密な共生関係にある。 

 われわれ生物はすべて、太陽の光熱と水によって成長するが、雨(日本の古語では天も雨もアメ〔所有格や形容詞はアマ〕であり、雨は天の水を意味する)を降らせる雲は、水蒸気だけでは形成されない。核となるディメティル硫黄化合物が必要とされるが、海中や水中の微生物や藻類がそれを放出し、水に溶けて水蒸気とともに上昇することがごく近年明かとなった。これも原初的な有機物・無機物の共生である(こうした硫黄サイクルは、炭素サイクルや酸素サイクルより地球にとってはるかに古い)。 

 つまり母なる地球全体が「共生」の産物であり、そのダイナミズムのうえに成り立っているのだ。人間と大自然との関係だけではなく、人間の社会そのものも共生の産物であり、それを生かす体系として造りあげられてきた。ホピやナバホをはじめとするアメリカ・インディアン、あるいはオセアニアやアフリカなどのかつての社会の在り方が、そのことを証明している。 

 経済グローバリズム崩壊後の世界を考えるうえでも、この「共生の哲学」は重要である。  

●この問題を考えるうえで次の書物を参考にした:
Ryan,Frank. 2002.
Darwin’s Blind Spot; Evolution Beyond Natural Selection,
Houghton Mifflin Co.,New York.


北沢方邦の伊豆高原日記【54】

2009-02-05 20:37:15 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【54】
Kitazawa, Masakuni  
 
 白梅は満開、紅梅も五分咲きとなり、むらがるメジロたちの羽根の鴬色が陽光に映える。苔の絨毯の合間に群生するスイセンも咲き、あたりに強い野生の芳香を放っている。今年は、立春の名にふさわしい春のきざしに満ちた日々である。

ダヴォス会議と反ダヴォス会議 

 トーマス・マンの『魔の山』の舞台、結核療養所の建ち並ぶ保養地としてかつて有名であったスイスのダヴォスで、世界経済会議が開かれるようになってから久しい。各国の首脳や経済界のお歴々を招いたこの会議は、グローバリズム推進のサロンの様相を呈していたが、さすが今年は、市場万能の新自由主義の招いた世界経済の危機と混乱を受け、暴走する金融資本主義を政治がいかにコントロールするかが話し合われたようだ。 

 そのなかで目をひいたのが、ガザ侵攻とパレスティナ人大量殺戮を弁護するイスラエルのペレス大統領を激しく非難し、途中退席したトルコのエルドアン首相である。日本の明治維新に相当するケマル・パシャの近代化と政教分離、あるいは国字のローマ字化などに示されるように、ながらく西欧を追いつづけてきたトルコが、国民の多くのイスラーム覚醒とともに選んだイスラームの福祉政党の首相のこの心底からの怒りによって、彼らの文化の基底がアジアであることを世界に表現した。喝采したい。 

 他方、ベネスエラのチャベス大統領やボリビアのモラレス大統領など南米左派のリーダーたちがエクアドルで開催した反ダヴォス会議がある。こちらはわが国のマスメディアの報道がほとんどないので詳細は不明だが、内容は推測できる。ポスト・グローバリズムの構想のためにも、彼らの健闘を称えたい。

リベリアを変革した女たち 

 アメリカ合衆国の解放奴隷たちの定住地として、アメリカの手によってアフリカ最初の独立国として19世紀に誕生したリベリア(英語発音ライベリア)は、今世紀の初めから悲惨な内戦の渦中にあった。当時、キリスト教を信奉する解放奴隷の子孫たちはアメリカとの貿易の富を独占し、その植民地的経済によって貧困に陥った先住民のイスラーム教徒たちを支配する体制を築いていた。またイスラーム教徒のあいだでの部族対立など、複雑な政治状況が、アフリカではもっとも遅い内戦の引き鉄となった。 

 だがテーラー独裁体制に反撃した反政府武装勢力も、たんに権力とそれにともなう富を手中にしたいだけであり、政府軍同様、殺戮・略奪・レイプお構いなしの暴力集団であった。この血にまみれた戦乱のなかで、とにかく内戦を終結させ、新しいリベリアを再建しようと立ちあがったのが、首都モンロヴィア(建国時のアメリカ大統領モンローの名に由来する)の女たちである。 

 キリスト教徒とイスラーム教徒、住民と各地からの避難民など、すべての障壁を超えて数千人の女たちが団結し、政府に対してだけではなく、アメリカ大使館をはじめ国際社会に停戦を働きかけ、ついにはアフリカ連合(AU)を動かして和平会議を開催させるにいたった。ガーナで行われた会議中にも彼女らは、合意が達成されるまで会場を包囲し、各国の首脳や代表団に陳情し、2ヶ月も粘った末についに会議を成功させた(もちろん合意が達成されないかぎり援助を停止するという欧米各国の「外圧」も大きかった)。その結果、AUを主体とする国連平和維持軍の駐留、そのもとでのテーラーの追放、民主的選挙による新大統領(女性が選ばれた)と新政府の樹立という偉業をなしとげたのだ。いまも彼女らは、リベリア社会のよりよい変革のために活動しつづけている。 

 アメリカ・インディアンの社会同様、アフリカは母系制が多く、もともと女たちの強い社会であったが、昼日中から銃声がひびき、着弾による黒煙が上がるさなかでの、文字どおり命を賭けたこの活動は、なみの意志や勇気ではない。そのうえ彼女らは、集会では常に白い衣裳やターバン(白にはもちろん土着の宗教的意味がある)をつけ、プラカードを手にして唄い、踊りつづけ、市民だけではなく、官憲や兵士にいたるまでも宗教的に畏敬の念をあたえたようだ。 

 2月2日NHKBS1の海外ドキュメンタリーの時間に放映された「リベリア内戦を終らせた女たち」(原題はPray the Devil Back to Hellつまり「悪魔を地獄へ返せと祈ろう」)は、きわめて感動的であった

ジネット・ヌヴー賛歌 

 いつもFMで聴いた演奏が不満のとき、同じ曲の手持ちのCDで「口直し」することにしている。シベリウスの「ヴァイオリン協奏曲」、これがいま聴いたのと同じ曲か、と思うほどのちがいであった。演奏者はジネット・ヌヴー、ヴァルター・ジュスキント指揮のフィルハーモニア管絃楽団である。 

 深い森の湖のような静寂のなか、管弦楽のさざなみにこだます清澄な旋律ではじまる冒頭から、低音の弦とティンパニのユニソンが、ひとつの音、ひとつのリズムでとどろき迫るなか、それに抗して低音から高音へと飛翔し、目の醒めるような音の空間を開いてみせるフィナーレにいたるまで、息つく間もないほどの緊張感でわれわれを惹きつけるこのジネット・ヌヴーとはだれなのか。 

 フィナーレの3度の重音による音階という「難所」でさえも、らくらくと越えてすべての音をひびかせるこの技術、この音量をたくみに駆使し、おどろくべき繊細なニュアンスと力強さとを同時に表現するこの魔女は、いったいなんなのか。 

 ラディオでこの演奏を聴いたシベリウスが、「私のこの協奏曲を不滅にしたのは、あなた、ジネット・ヌヴーである」と賞賛の電報を打ったという「伝説」(事実である)も、当然といえよう。はじめての渡米のとき、巨匠ミュンシュとニューヨーク・フィルハーモニーとのブラームスの協奏曲の演奏で、カーネギー・ホールの聴衆を熱狂の渦に巻き込み、次の演奏曲目になかなか進めなかったという伝説も、それに輪をかける、 

 1949年、アゾレス群島の山腹に衝突した乗機と運命をともにし、30歳で夭折したのは、おそらく音楽の女神たちの嫉妬からであるだろう。


北沢方邦の伊豆高原【53】

2009-01-17 23:30:41 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【53】
Kitazawa,Masakuni  

 各地この冬一番の冷え込みとのこと、わが家北側の日蔭に、この冬はじめて霜柱が立つ。しかし陽射しは日々まばゆさを増し、早咲きの白梅の小さな花々がもう五分咲きとなり、メジロたちが逆さになって蜜を吸っている。

ガザの大量殺戮 

 イスラエル軍の空爆と侵攻で、学校やモスクや国連施設を含む多くの建物は廃墟となり、女性や子供約400人や多くの男性民間人を含む1105人が死亡し、負傷者は5130人となる(1月16日現在アル・ジャズィーラによる)。またすべての検問所の封鎖のうえ、国連の食料・医薬品など援助物資の倉庫も炎上し、ガザ全土は飢餓状態にあり、医薬品も底をつき、負傷者の多くは放置されるという悲惨な状況にある。 

 停戦期限の終了後、ハマースその他の組織の一部軍事部門がロケット弾をイスラエル領内に撃ち込んだとはいえ、あまりにも過剰な反撃であり、国際法や国連決議(すでにこの数十年、イスラエルは多くの国連決議を黙殺してきた)など、すべてを無視した暴虐な行為である。それが、3月に行われるイスラエル総選挙のための政党カディマの人気取りだとあれば、もはや言語道断ということばさえ甘くひびく。かつてナチスがユダヤ人に行ってきた人種差別にもとづくホロコーストを、いまやイスラエルのユダヤ人がパレスティナ人に行っているのだ(イスラエル内にももちろん平和主義者や人種差別反対者たちがいるが、あまりにも少数派である)。 

 われわれの政府や諸政党が党利党略の国会対策にかまけ、このパレスティナの窮状に目をそむけているのも許しがたい。総理大臣や外務大臣は、ガザのひとびとの痛みにまったく無感覚なのか。与野党を問わず、アラブやイスラーム諸国に石油資源の多くを依存しているという「わが国の国益」を考える政治家さえもいないのか。わが国には、国際的人権感覚をもつ政党は皆無なのか。だれか、ひとりでも声を挙げる政治家はいないのか。

ロックとはなんであったか 

 先週、BBCのドキュメンタリーSeven Years of Rockが、10数回に分けてNHKBS1で放映された。仕事のあいまに断片的に見ただけだが、いろいろな意味で面白かった。 

 1971年、ハード・ロックの全盛期にアメリカを訪れたとき、ワシントンDCで見た当時大流行のロック・ミュージカル『ヘア』、サンフランシスコで立ち会ったザ・フーのロック・オペラ『トミー』の上演など、いくつかのロック・シーンにかかわった新鮮な記憶がよみがえる瞬間であった。とりわけサンフランシスコのある短期大学の体育館での『トミー』の公演では、私たちの席のすぐ隣がザ・フーの演奏者たちのピットであり、伝説のギター奏者ピート・タウンセンドが、阿修羅のごとく演奏しているのをまじかにした。 

 またシカゴでは、偶然泊まったヒルトン・ホテルが、1968年の大統領選挙で民主党の党本部となり、予備選で選出された反戦候補ユージン・マッカシーを退け、ハンフリーを大統領候補とした決定に対する嵐のような抗議デモが襲った当のホテルであることを知り、窓の外にひろがる流血の舞台となった緑の公園ともども、感銘深く眺めたものである。いうまでもなくその8月29日にザ・シカゴが結成され、あの記念碑的なロック『解放(リベレーション)』3部作(プローローグ、ある日、解放)を抗議集会で奏でたのだ。

 ザ・グレイトフル・デッド、ピンク・フロイド、ローリング・ストーンズ、あるいは異色のアフリカン・ロック、オシビサなどはレコードやテープで知ったにすぎないが、それでもそれらの身体をゆさぶるハード・ロックの大音響に、魂までゆさぶられる思いをした。アフリカのトーキング・ドラムのポリリズムを基底にしたオシビサはもちろんのこと、これらハード・ロックには明かに近代を超える音の世界があった。なぜなら、ほんとうの人間本性(ヒューマン・ネイチャー)である身体性、とりわけ大自然のリズムである心臓の鼓動を2分割した8ビート・リズムのもつ身体性は、魂まで躍動させる力をもっているからである。 

 このドキュメンタリーで私にとって興味深かったのは、その後追跡しなかったハード・ロック以後のロックの歩みであった。おどろおどろしいメイキャップや衣裳で鬼面ひとを驚かすパンクやグラムのアーティストたちは、かつてロックの頽廃期としか思えなかったが、それらにすら強烈な反体制のメッセージがあるのにむしろ感動した。 

 また、かつて洗車場のアルバイトをしていたというブル-ス・スプリングスティーンは、そう思わせるような下層労働者の身なりで奏で、唄うが、そこにも恐るべき反体制のメッセージが込められていた。たとえば彼を有名にしたBorn in the U.S.A.である。レーガン大統領がこれを愛国歌と勘違いして、彼の議会演説で称揚したが、インタヴューに応じたザ・ストリート・バンド(スプリングスティーンのバック・バンド)のメンバーが、そのテレビを見て、「みんなで笑うしかなかったよ」と語っていた。 

 ふつう国名には定冠詞theをつけることはないが、そこがミソである。当世の若者風に翻訳すれば「アメリカ合衆国とかに生まれちゃってよお」となるだろう。歌詞は、合衆国に生まれたがゆえに、ライフルを手渡され、ヴェトナムにアジア人を殺しに行かされて……とつづく。つまり反戦歌なのだ。これを聴いたヴェトナム帰還兵たちが涙したというのも当然である。 

 スプリングスティーンが前回の大統領選挙で、同じヴェトナム帰還兵(メコン河の海軍高速艇の艇長ではあったが)で反戦主義者であったケリー候補の応援キャンペーンを張り、今回はオバマ候補を徹底して支持したのもゆえなしとしない。 U2のボノがアフリカの貧困支援に情熱を燃やすなど、ロック・スターには政治的・社会的行動にのめりこむものが多いが、それはつねにロックの歴史を流れるこの反体制・反戦の反骨からきている。 

 ボブ・マリーがはじめたジャマイカのレゲエもそうであったが、ロックのこの強烈なメッセージは、わが国ではつねに濾過され、大会場で熱狂するだけのたんなるファッションとなって終ってしまうのはなぜだろう。言語の問題だけではない。おそらく戦後63年の、ほとんど惰性とさえいえる「平和」(それが悪いとはいえないが)がなせる業であろう。ガザの状況に対する危機意識の欠如も、まさにそれである。


北沢方邦の伊豆高原日記【52】

2009-01-02 22:00:19 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【52】
Kitazawa,Masakuni  

 元日の朝、少なくとも伊豆は晴れて穏やかな陽射し、海上に波もなく、さすが航行する船舶もなく、漁船の影もない。 

 窓ガラスにリボンを垂らすようになってから、鳥の衝突事故はなくなっていたのだが、今朝大きな音を立ててコジュケイがぶつかった。歩行性の鳥なので逆に窓の上方のリボンに気づかなかったらしい。気功しようと急いで芝生に降りると、慌てて逃げていった。どこか木陰にいたらしいが、けたたましい声にカミさんが窓を開けると、ネコに襲われる瞬間で、彼女の叫びにネコが逃げると同時にコジュケイも反対方向に逃げ去った。庭を探したがどこにもいない。無事森に逃れたらしい。

ポスト・グローバリズムの世界へ 

 イスラエル軍によるガザ地区への容赦ない空爆(民主主義を説きながら民主的に選ばれたハマスを否認した欧米に究極の責任がある)に、増大する幼児を含む犠牲者の数、大企業による容赦ない「派遣切り」に、公園のベンチや路面に寝泊りし、あてのない職探しをするひとびとの群れ、2009年は心も凍るような光景からはじまっている。 

 それが新しい世界誕生まえの苦しみであるならいいが、グローバリズムを展開してきた古い世界の、終ろうとして終らない終焉の苦しみにしかみえないところに、大きな苦痛がある。かつてドイツ・ロマン主義者たちが名づけた「世界苦(ヴェルトシュメルツ)」の時代がふたたびやってきたのだ。 

 新しい世界、つまりポスト・グローバリズムの世界を考えるためにも、グローバリズムの根本的な分析とその誤りの剔抉が必要であるが、いまここでは、経済危機というよりもほとんど世界恐慌といっていい現在の状況のよってきたるところを考えてみよう。

グローバリズム崩壊の原因 

 グローバリズム崩壊の根本原因は、ソ連解体後の唯一の超大国であったアメリカ合衆国の、政治・軍事的および経済的世界制覇それ自体に内在する矛盾にある。 

 たびたび繰り返してきたように、レーガン政権以来、合衆国は政治・軍事的には新保守主義、経済的には新自由主義という双子一体のイデオロギーに支配されてきた(民主党のクリントン政権でさえも、新自由主義的経済政策は継承していた)。この双子一体のイデオロギーとは、「自由と民主主義」そして「自由市場経済」を世界に広げることによって、世界の秩序と安定が保証され、個々の民族や文化の「歴史の終焉」がもたらされる、もしこの「世界の進歩」を妨げるものがあれば、軍事力をもってしても排除しよう、というものである。 

 内在する矛盾の第一は、その「自由と民主主義」は西欧的価値観にもとづくものにすぎず、それぞれの種族や文化に固有の自由や民主主義は無視される、いいかえれば、西欧的または近代的自由や民主主義の一方的な強制にほかならない点にある。9・11はそれに対する最初ではないにしても、最大の暴力的返答であった。 

 矛盾の第二は、経済的規制緩和や市場万能は、利潤最優先の資本主義の論理からして必ず最大利潤を求める金融工学を生み、市場を最大限に投機化する点にある。情報技術の進展によって瞬時に移動可能となった巨大な流動資金は、投機先を求めて世界を駆けめぐる。1993年のメキシコ経済危機、97年のアジア通貨危機は、いわゆる第三世界に利潤を求め、それがえられないと瞬時に引き揚げられるこの巨大流動資金のなせる業である。 

 第一の矛盾はアフガンとイラクの泥沼化した戦乱を生み、またその膨大な戦費がアメリカ経済を脆弱なものとした。第二の矛盾は80年代末の日本の不動産バブルを生み、それを崩壊させ、また2000年代アメリカの住宅バブルを生み、そして今回世界恐慌の引き鉄となるその破綻を導きだした。バブル破裂後のゼロ金利・円安の日本から膨大な資金を借り、ドルに投資するいわゆる円キャリー取引、さらには自己資金の数十倍にも昇る資金を借り、投機するレヴァレッジ(梃子作用)投資など、日本のゼロ金利政策がこのカジノ(賭博場)資本主義の狂乱に大いに利用されたことは記憶に新しい。 

 そのうえわが国は、高度成長期以来の「輸出立国」体制が災いし、金融機関の打撃は小さかったにもかかわらず、また皮肉にもそのために起こった急激な円買い・円高にも災いされ、輸出産業を中心とする実体経済が大打撃を受けることとなった。小泉改革による労働の規制緩和のお蔭で、全労働者数の30パーセントを占めるにいたった非正規雇用労働者が真っ先に契約解除され、文字どおり路頭に迷うこととなったのだ。 

 いつの時代にも、矛盾や破綻のしわ寄せは社会的弱者に襲いかかる。

ポスト・グローバリズムの構想 

 こうした状況と世界の根本的な変革は、まず近代の思考体系、とりわけ経済合理主義からの人間の解放からはじまる。グローバリズムの資源収奪によって危機にさらされている自然や環境の復権が、生態系や生物多様性の回復にほかならないように、かつて人間は、その自然環境と不可分の文化の多様性にもとづいてそれぞれの豊かさを享受してきた。近代合理主義からの解放は、そうした生活や各自の思考体系の復権である。 

 そのために必要なことは、グローバリズムを推進してきた経済権力の国際的規制、各国の産業構造の根本的転換、また個人のレベルでは、とめどもなく肥大した欲望からの解放として、生活スタイルやフィロソフィーのこれも根本的転換にほかならない。 

 まずこれもすでに述べたが、世界貿易機構・国際通貨基金・世界銀行などグローバリズムの進展に協力してきた国際諸機構を変革し、経済権力の国際的規制とフェア・トレード推進、国際的経済格差の是正のための機構に再編しなくてはならない。 

 次に各国の条件に対応した産業構造の変革であるが、わが国のためには以下の変革が必要である:

 第1次産業の根本的再編:ハイテクを利用した自然エネルギー開発、有機農法など循環的で持続可能な農林漁業の再開発による村落コミュニティの再建、それによる雇用の創出。 

 第2次産業の根本的再編:「輸出立国」体制の解体と、それに対応した産業の縮小、それに代わる新エネルギー・新素材開発や、上記第1次産業再開発および下記第5次産業に必要なエコ・ソリューション産業の創出。 

 第3次産業の再編:長距離輸送型や大型店中心などの消費体系の転換、地産地消・地場産業・地場専門店中心型の消費体系の創出、いいかえれば量から質への消費生活の転換。 

 第4次産業としての情報・教育・文化・芸術産業および活動の大規模な育成。 

 第5次産業としてのリサイクル・自然復興産業および事業の大規模な育成。

 地域の条件に応じたそれぞれの産業の再編が必然的に国内の自由で公正なトレードを生みだす。国際貿易もまったく同じであろう。 

 人間の生き方の変革、いいかえれば生活スタイルやフィロソフィーの変革は、また別の機会に論ずべきであるが、このグローバリズムの崩壊による世界恐慌は、いやおうなしに各自に生活様式の変革を迫っている。たんに倹約や質素に徹するというのではなく、「真の豊さとはなにか」を根本的に問いなおす絶好の機会というべきであろう。


北沢方邦の伊豆高原日記【51】

2008-12-23 00:59:16 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【51】
Kitazawa, Masakuni  

 数日の強い風で、残っていた紅葉や黄葉もすっかり散り尽くした。そろそろ食べ物も少なくなってきたと思い、オウ・リング・テストに不合格だったミカンの実(無農薬を売り物のなかにも、ときおり混じっている)を輪切りにし、葉の落ちた枝に刺しておくと。4・5羽のメジロたちがむらがって、見る間に食べ尽くしてしまう。市販のものとちがい、これでも残留農薬はごく少ないから、鳥たちにも害はないだろう。

世界に冠たる農薬大国日本 

 暮になると、喪中のハガキが数多く舞いこんでくる。この数年、知人・友人やその配偶者などでガンで死去するひとが驚くほど多い。新聞によれば、わが国では二人に一人はガン患者であり、三人に一人はガンで死亡する「ガン大国」であるという。なぜそうなってしまったのか、メディアではだれもその原因を語らない。  

 1984年の夏、ホピに滞在しているとき、ホピ伝統派のスポークスパースンであるバンヤキヤ氏の邸で、環境運動家の白人女性に会ったことがある。バンヤキヤ邸といっても母系社会のホピのこと、実際はバンヤキヤ夫人の家なのだが、広い中庭にしつらえられた会議用テーブルで、バンヤキヤ氏を囲み、白人やメキシコ系などさまざまな運動家たちが昼夜を問わず語り合い、情報を交換し合っていた。 

 その輪のなかでの雑談のおり、私の隣にいた彼女に「日本では〔農地面積当り〕アメリカの七倍の農薬が撒かれているというが、ほんとうか」と問われたのだ。私が「ノー、テン・タイムズ(いや、十倍だ)」と答えると、驚いて目を大きく開き、「健康に被害はないのか」と再度訊ね、「いま農民のあいだに被害がひろがっているところだ」との答えに、「そうだろう」とうなずいた。 

 70年代から原子力や環境問題に深い関心をもち、70年代の末に開設したある政策集団の代表委員のひとりとして資料の収集にもあたっていたので、当時はその数字さえもよく覚えていた。 

 そのうえ私のつれあいが一時農薬中毒となり、甚大な被害に遭っていた。というのは、その頃東京の郊外にあったわが家のあたりは、水道は引かれていたが下水道はなく、雑排水はU字溝に流されていた。そのU字溝を清潔に保ち、害虫の発生を防ぐためと、区役所と町内会を通じてスミチオンという強力な殺虫剤の原液が配布されていた。約千倍に希釈しろという注意書きがあったにもかかわらず、多くの家では原液のまま散布したらしい。それがU字溝の裂け目から地下に浸透し井戸水を汚染したのだ。わが家では、水道水よりもはるかにおいしいので、長い間井戸水を飲用に使っていた。 

 中国の中日友好協会の招待で中国各地を旅してきた私が、その話を聴きたいという友人たちを招いて家で夕食会を開いたとき、ウィスキーを割るために出した井戸水が薄白く濁っているのに気づき、はじめてその汚染を知ったのだ。私の旅行中、つれあいはその水を飲みつづけ、挙句に胃腸の具合が悪くなったといって、その水で漢方薬を煎じて服用していたという。農薬中毒がはじまっていた。 

 こうしたおそるべき農薬を気軽に配布していた区役所や保健所にも怒りを感じ、ただちに配布を止めるよう町内会や区役所に陳情したが、まったく反応はなかった。そのうえいくつかの病院や診療所で彼女は診察をあおいだが、血液検査などの数値に異常はなく、「気のせいですよ」とか「そろそろ更年期ですからその症状ですよ」といった診断で、われわれの怒りは心頭に達した。 

 ヨーガや鍼灸や自然食のお蔭で、仕事をつづけながらも彼女の症状は改善し、健康も回復したが、それには約十年もかかってしまった。いま考えれば、その頃から体内でガン細胞が徐々に成長しはじめていたと思われる。 

 あの頃、農村では通常の噴霧だけではなく、水田では農薬の空中散布が大々的に行われ、それが「科学の進歩」であり、「先進国化」であると多くのひとびとが信じていた。ヘリコプターで撒かれた有機燐酸系の農薬は、もともと兵器としての毒ガスから開発されたものであり、農村では子供たちは、この「毒ガス」の日常的散布という環境で育てられていた。農村だけではない。大都市ではこの残留農薬を含んだ食料、さらに長距離輸送や流通の利便のための防腐剤、見た目の美しさのための人工着色料など、無数の食品添加物に汚染された食料を。これも日常的に摂取しつづけていたのだ。

「世界に冠たる農薬大国日本」は、
       
なぜ「世界に冠たるガン大国日本」となるのか 

 残留農薬や食品添加物、あるいは抗生物質をはじめとする強い医薬品などの摂取が、身体にどのような影響をあたえるか、とりわけ最新の微生物科学の進展が明かにした。 

 つまりわれわれ人間は、体内に無数といってよい種類の天文学的な数のバクテリアやヴィールスを抱え、彼らと共生しているのだ。彼らはわれわれから栄養を摂取するが、同時にわれわれにさまざまな仕方で奉仕し、われわれの身体の生物学的均衡を保持し、健康を保証している。とりわけ腸内では、どこまでが腸壁でどこからがバクテリアの群れであるかがわからないほどで、彼らは食物を適度に発酵させたり、害となるものを分解したり、有益なはたらきをしている。 

 だが、残留農薬やソルビン酸(防腐剤)などの食品添加物、あるいは強い医薬品は、それらバクテリアを瞬時に殺し、胃腸の機能をいちじるしく低下させ、バクテリアの死で分解できなかった害となる老廃物で大腸や直腸壁を損傷する。また胃腸によって吸収された農薬など化学薬品は、体内の臓器を犯す。すべてはガン細胞にとって絶好の環境となるのだ。 

 ガン細胞が増殖し、腫瘍を形成するのに十数年あるいはそれ以上かかるとされるが、高度成長期に育った子供たちや青少年が、いままさにガン発症年齢に達している。「世界に冠たる農薬大国日本」が、いまや「世界に冠たるガン大国日本」となったのは必然的な帰結にほかならない。さらに、いわゆる先進諸国のなかで喫煙率のもっとも高かった「タバコ大国日本」が、「肺ガン大国日本」となるのも当然であろう。 

 経済的合理性を人間の生き方よりも優先させる「近代文明」が、このガンをめぐる悪循環を生みだしたのであり、ガンはこの意味で典型的な近代文明の病いなのだ。ガン死亡率を低下させようと最近成立した「がん対策基本法」は、たしかにガンをめぐる政府や社会の危機意識を示しているが、ガンを生みだすこの根本的なメカニズムを変革しないかぎり、「基本法」にもかかわらずガンは増えつづけ、死亡率も低下しないだろう。 

 メディアがこの点をまったく報道しないのは、おそるべき無知からか、製薬業界や農協をはじめとするバイオエスタブリッシュメントに対する遠慮か、あるいはそうしたスポンサーを恐れてか、知りたいものである。


北沢方邦の伊豆高原日記【50】

2008-12-09 23:57:43 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【50】
Kitazawa, Masakuni  

 夕景色がきわめて美しい季節となった。ほとんど葉を落したわが家の雑木の枝々が、朱鷺色に染まった空に、レース細工に似た繊細な影を刻み、まだ葉を残した遠くの樹々の、残照に輝く葉叢の赤黄色と鮮やかな対照をつくりだす。急速に日が沈みはじめると、蒼く霞む島影に街の灯火がつらなってまたたき、灯台の閃光が走り、海には烏賊釣り船の漁り火が、あちらこちらに灯る。

戦後民主主義の終焉 

 加藤周一氏が亡くなった。かなり昔からの知り合いであったし、8年前に死去したあるチェンバロ奏者が主宰していたサロンの常連客として、たびたび顔をあわせたり、さりげない会話を交わしたりした。小田実氏もすでに亡くなり、これも60年代末から70年代のヴェトナム反戦デモなどでたびたび会い、当時、お互いにそれぞれの思想や言説を微妙に意識していた間柄であった。また私にとって師ともいうべき丸山真男が亡くなってすでに久しい。 

 知識人のレベルではあるが、戦後民主主義の終焉に立ち会っている、という感慨が深い。 

 もちろんすでにたびたび述べてきたように、戦後民主主義には歴史的役割があった。明治近代化の負の遺産である軍国主義や皇国史観を徹底的に批判し、二度と戦前の体制に戻らないために、わが国に言論の自由や個人の人権、近代民主主義を根付かせ、欧米流の「市民社会」を実現することであった。第九条を含む「日本国憲法」や前「教育基本法」の基本理念はこれに基づいている。 

 1960年の安保闘争はその頂点であり、それによる岸内閣の退陣とともに戦前型ナショナリズムを信奉する政治勢力は退潮し、経済的高度成長は戦後民主主義を実質的にわが国の国家理念にまで高めるにいたった。たしかに米ソ冷戦は、ソヴェト型社会主義を目指す左翼勢力を台頭させ、それは保守勢力と対峙するだけではなく、原爆反対運動の分裂に象徴されるように、戦後民主主義勢力の内部に亀裂をもたらしたが、やがてそれも高度成長のいわゆるパイの分け前に異義を申し立てるだけの勢力と化していった。 

 ベルリンの壁崩壊後の世界は、70年代後半から台頭した政治的新保守主義と経済的新自由主義イデオロギーの支配にともない、ITをはじめとするテクノロジーの飛躍的展開とともに、超大国アメリカの主導するグローバリズムに席巻されるにいたった。だが今年、金融危機に端を発するグローバルな経済危機は、われわれの面前でグローバリズムが音を立てて崩壊するという劇的な場面を演じはじめている。 

 だが戦後民主主義、あるいは合衆国の戦後リベラリズムは、新保守主義や新自由主義、あるいはそれらがもたらしたグローバリズムそのものへの根底的な批判を提示することができなかったし、ましていま、グローバリズム崩壊後の世界像を示すこともできないでいる。それはなぜか。 

 一時、新保守主義者(ネオコンズ)を代表する知識人であったフランシス・フクヤマは、自由と民主主義および自由市場というグローバル・スタンダードがやがて世界を制覇し、その結果世界から個別の歴史は失われ、『歴史の終焉』がもたらされると主張した。イラク戦争がその主張の政治的帰結であったことはいうまでもない。だがこのグローバリズムによってもたらされたのは、むしろ『文明の衝突』であった(私はサミュエル・ハンティントンの主張には反対だが、合理主義の強制は非合理主義をもたらし、力の行使はつねにこうした結果を生む)。 

 つまり、これもたびたび述べたように、政治的・経済的グローバリズムは合理主義のもっともラディカルな形態であり、超近代主義(ハイパーモダニズム)にほかならない。近代合理主義のいわば穏健派ともいうべき戦後民主主義や戦後リベラリズムが、それを根底から批判できないのは当然である。 

 私が師である丸山真男を批判したのは、その「歴史意識の古層」が典型であるように、近代の歴史意識とその知的・思想的概念体系によって『古事記』を切り捨て、それが明治ナショナリズムの源泉となっているというまったく誤った論理を展開したからである。つまり彼は皇国史観と同じ土俵でイデオロギー闘争を行っているにすぎない(拙著『感性としての日本思想』2002年藤原書店、および『古事記の宇宙論』2004年平凡社新書を参照していただきたい)。 

 丸山も『日本の思想』(「図書」岩波新書特集によれば、アンケートに答えた知識人のあいだでもっとも評価の高い本だという)で加藤の『雑種文化』を高く評価しているが、これも戦後民主主義者のなかに誤った先入観をひろめた岩波新書のひとつといっていい。 

 つまり加藤によれば、西欧の文化は純粋種であり、日本の文化は雑種だという。もっとも彼は日本では、この文化の雑種性にいわば居直るべきだとはいっているが、そもそも西欧文化こそが雑種中の雑種であることにまったく無知な言説であるというほかはない。すなわち西欧は、ケルトやゲルマンなど多様な種族の混交から出発し、ローマ文化やギリシア化されたキリスト教、さらにはアラブやトルコまたペルシア文化やイスラームなどの巨大な影響のもとに、日本以上の雑種文化として成長してきたのだ。 

 戦後民主主義の功罪のうちもっとも大きな罪は、西欧文化とその合理主義の崇拝、そしてその裏腹として自国の文化を貶め、真の伝統とその背後にある感性的ではあるが精密な思想や世界観を排除した点にある。それは明治以後の保守的な政治勢力やナショナリストたちが、急激な近代化によって歪められた「伝統」を称揚し、軍国主義や皇国史観の土壌を養ってきたことのたんなる裏返しにすぎない。 

 ポスト・グローバリズムの世界像を提起するためにも、われわれは戦後民主主義を克服し、世界の自然の多様性とともに文化の多様性を回復し(この二つの多様性は不可分の関係にある)、自然との、そして異文化との共生にもとづく統合的な思考を創造しなくてはならない。それはおのずから、精神と身体、主観性と客観性などの二元論によって世界や宇宙をいわば分裂させてきた近代の基底的思考を、創造的に乗り越えることである。自然科学の最先端では、すでにこうした認識論の革命的な転換がはじまっている(拙著『近代科学の終焉』1998年藤原書店を参照していただきたい)。
 


北沢方邦の伊豆高原日記【49】

2008-12-04 10:14:00 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【49】
Kitazawa, Masakuni  

 澄み切った空に木枯らしが吹く日は、伊豆高原名物の落ち葉吹雪が舞う。しかしこうした日は、あくまでも蒼い海に大島が浮かび、波打ち際に白く、波頭が寄せるのが肉眼でさえも見ることができる。わが家の雑木の枝々のあわいから、遠く霞む神津島も見えるようになった。裸となった柿の梢を越えて、庭の隅の山茶花の濃い緑の葉叢に、真紅の花々が着きはじめた。

紅衛兵世代の宇宙論 

 11月24日、NHK・FMで放送されたNHK交響楽団演奏会で、タン・ドゥン自身の指揮によって自作が演奏された。ベルリン・フィルハーモニー管絃楽団の委嘱による『マルコ・ポーロの四つの秘密の道(シークレット・ローズ)』と、ニューヨーク・フィルハーモニーの委嘱による『ピアノ協奏曲「火(ファイア)」』(ピアノ・小菅優)で、いずれも日本初演である。 

 タン・ドゥンは1957年生まれの中国を代表する作曲家であり、その前衛的でありながら説得力のある諸作品に、かなりまえから私も惹かれていた。 

 この数十年来の世界の作曲界の動向は、大げさな道具立てと精密な技法で大オーケストラを咆哮させるが、その饒舌によってなにを表現したいのか、まったく不明といった作品で占められていた。知の世界同様といっていい。とりわけフランスの知識人に多いのだが、同じく大げさな道具立てと緻密な概念操作で書き上げられた膨大な本が、じつは数十頁の平凡な言語で書きあらわせる、あるいは最悪の場合、ほとんどなにもいっていないにひとしい、という事態に似ている。 

 それに対して近年、人間にとって音楽は、基本的に、それぞれの種族の宇宙論の表現であるという原点に返り、それを新しい音楽言語で語ろうという、きわめて好ましい傾向が台頭してきた。「知と文明のフォーラム」でも、「世界音楽入門」と題するレクチャー・コンサートで西村朗氏の作品を取りあげ、また2009年にも新実徳英氏の作品を演奏する予定(4月25日セシオン杉並)であるが、彼らはわが国でこうした新しい動向を代表する実力者たちである。 

 タン・ドゥンの今回の作品も同様であるといってよい。事実『マルコ・ポーロ』は、中国や中東の輝かしい諸文明の姿を、西欧にはじめて紹介した13世紀の著名な旅行者の足跡をたどりながら、むしろ彼があじわったにちがいないその内面の衝撃を表現したものといえる。  

 東方への壮大な門が開かれるヴェネツィアからの出発、多様な楽器のヘテロフォニックな応答で掻きたてられる中東のバザールの繁栄と栄光、12人のチェロ奏者それぞれの自由なラーガ風の旋律のうねりがかもしだすインド的な瞑想、世界の都北京の家々の甍のうえに燦然ときらめく紫禁城の幻想的な出現……それはこの四楽章からなる雄大な作品であり、12人のチェロ奏者とオーケストラの協奏曲という手の込んだ編成を、縦横に駆使して聴衆を飽きさせることはない。 

 たしかにそれは、ある点で「描写的」である。だが増2度のアラブ風の旋律を使うといった通俗性に陥ることはまったくなく、あくまでも内面の風景と文明の香りを追いつづける。『展覧会の絵』のムソルグスキーや『ローマ』三部作のレスピーギを想起させるが、根本的な発想と様式は「中国的」としかいいようのないものである。 

 いつか、わが国にもなじみのある中国現代画家の王子江が、大作を描く様子を捉えたドキュメンタリーを見て驚嘆したことがある。下絵もなにもなく、いきなりカンヴァスに細い筆で線を描きはじめたが、それはやがてひとりの老人となり、そうやって次々と人物が増殖し、ついには大河に面する酒家の、百人にもわたる客たちの楽しげな饗宴となっていく。墨を主体に若干の色彩をまじえた伝統的な様式を踏まえてはいるが、全体のおもむきは現代的な細密画といえる。 

 タン・ドゥンの曲は逆であるかもしれない。つまり現代的な音の技法を駆使しているが、全体はきわめて中国的な様式となっているのだ。 

 『ピアノ協奏曲「火」』も同じである。ピアノという近代合理主義の極致である楽器を使いながら(彼がこの委嘱を最初断わろうとしたのも、ピアノの近代性に違和感をもったからだろう)、火と水、または陽と陰、西洋風にいえば男性と女性、という2極の宇宙論的な戯れが、はげしくリズム的な音塊とたおやかな旋律、という対照で表現される。それらが織り成す音の弁証法が、この曲の奥深い魅力といえよう。 

 とにかく、彼が指揮したバルトークの『舞踏組曲』とともに、堪能した2時間であった。


北沢方邦の伊豆高原日記【48】

2008-11-06 00:23:07 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【48】
Kitazawa, Masakuni

 前夜、木枯らしとまではいかないが、かなりの風が吹き、庭の落葉の散乱が、晩秋の弱い陽射しを浴びている。散りかけたカキの葉の赤みがかった鮮やかな黄色の上方に、まだ青みを残すクヌギの枝越しに、碧玉の海がひろがり、梢ではモズが誇らかに高鳴きする。

アメリカ大統領選挙 

 民主党のバラク・オバマ上院議員が大統領選挙に勝利を収め、次期大統領に確定した。世論調査で10ポイント近くリードしていたが、それを上回る圧勝といえよう。おそらく後世の歴史家はこれが、アメリカのみならず、世界にひとつの転機をもたらした歴史的な選挙であったと指摘するだろう。事実共和党大統領候補のジョン・マケイン上院議員の「敗北宣言」――実にみごとで感動的なものであった――も、この選挙の歴史的意義をたたえ、そこに参加できたことを誇りに思う、というものであった。 

 たんにオバマ氏が黒人であるというだけではない。事実長期にわたる予備選挙の前半では、ジェッシ・ジャクスンやアル・シャープトンといった民主党の黒人指導者だけではなく、一般の黒人たちにもオバマ支持者は少なく、大多数はヒラリー・クリントン上院議員を支持していた。投票日前日に亡くなった母方の祖母――幼少期のオバマ氏を育てた――は純粋白人であったし、黒人の父はケニヤからの移民であって、アメリカ黒人たちのように奴隷の子孫ではなかったからである。 

 この選挙が歴史的であったのは、まさにアメリカが主導してきた政治的・経済的グローバリズムの崩壊を目の当たりにするという、世界的な危機状況のさなかの戦いであったからである。 

 9・11につづくアフガニスタンとイラクでの戦争は、「テロとの戦い」に勝利するどころか、むしろ敗北とさえいえる泥沼化をもたらし、レーガン政権以来の新保守主義イデオロギー、いいかえれば政治的グローバリズムによる世界制覇を崩壊に追い込んだ。いまわずかに、現地米軍が採用した「アンバール・アウェイクニング(覚醒)」とよばれる方策――アルカイダの暴虐に憤慨するイラク・アンバール県のスンニー派武装勢力を、過去の敵対を問わず味方にし、アルカイダ武装勢力に対して合同で戦うという方策――が成功を収め、その教訓にもとづき、アフガンのタリバーン穏健派を取りこむ試みが、残された唯一の希望となっているだけである(イラクの治安改善は、米軍の増派というよりもこの方策によるところが大きい)。 

 他方、ウォール街に端を発した世界的な金融恐慌と、実体経済に急速に波及しはじめている経済危機である。 

 新保守主義と両輪をなしていた新自由主義経済イデオロギーは、すでにたびたび述べたように、多国籍大金融機関や大企業のために各国のあらゆる分野で規制緩和を推し進め、市場万能と完全な自由貿易の名のもとに、それらの世界制覇を計ってきた。だが経済グローバリズムに内在する多くの矛盾は、ついにその破綻を招き、もはや新自由主義は理論としても実践としても破産したといっていい。 

 オバマ氏が唱えてきた「変革(チェンジ)」は、出発当初はかなりあいまいでエモーショナルにみえていたが、いまやこの世界的危機をもたらしたグローバリズムの根本的変革という、きわめて具体的なものと映じはじめたのだ。それが合衆国ではいまなお厚い人種の壁を越えて、ひとびとの心をつかむものとなった。 

 だが問題は今後である。経済では新自由主義を踏襲し、北米自由貿易協定(NAFTA)などを推進した民主党のクリントン政権の政策(ヒラリー・クリントンはNAFTAの見なおしを公約のひとつとした)に回帰することはできない。オバマ氏の大統領選挙での公約は経済にかぎっても、中産・下層階級への減税、きびしい環境政策や環境ビズネスの育成など、大きな転換を予測させるものがある。もし彼がすぐれたブレーンを結集し、経済にとどまらず、すべての領域で脱グローバリズムの政策的展望を示すことができたなら、それは世界そのものの「変革」をもたらすアリアドネーの糸となるだろう。


北沢方邦の伊豆高原日記【47】

2008-10-09 23:20:53 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【47】
Kitazawa, Masakuni

 緑の葉叢から鬱金色のキンモクセイの花が溢れている。今年は一週間ほど花期が遅れたようだ。9月末から急に寒気が訪れたというのに。 

 カミさんの書斎の窓を開けておくと、その横にのびた枝々から馥郁とした香りが入りこみ、家中にただよう。秋深し、である。

30年遅れのノーベル物理学賞 

 南部陽一郎(米国籍)、小林誠、益川敏英の三氏に本年度のノーベル物理学賞が授与された。下村脩氏の化学賞受賞と合わせてマス・メディアは大騒ぎとなっている。株価大暴落や世界金融危機などの暗いニュースのさなかの明るいビッグ・ニュースとあって、ここを先途の熱狂的報道である。受賞のお祝いにやぶさかではないが、現代物理学に多少ともなじみのあるものなら、「なぜいまごろ?」というか、むしろ時代の針が逆戻りして、いまは1970年代なのか、といったいわゆるタイム・スリップの奇妙な感慨を味わったひとも少なくないだろう。 

 彼らの受賞の理由は、南部氏が「対称性(シンメトリー)の自発的破れ」の発見、小林・益川両氏が素粒子クォークの分類モデルの形成など、いずれも「標準理論」の発展に寄与した業績だとされている。だが彼らのこの業績は、1960年代から70年代に発表されたものであり、その時点での受賞がふさわしい。 

 とりわけ南部氏は60年代からノーベル物理学賞受賞をうわさされていたひとであるが、むしろ現在は「標準理論」への寄与ではなく、1970年に発表された論文の先駆的認識で高く評価されている。  

 すなわちそれは、ハドロンとよばれる現象にまったく新しい解釈を与えるものであった。ハドロンとは強い相互作用をもつ一対の素粒子(クォーク)の束(パケット)であって、加速器のなかで瞬時に他の一対の粒子に変換され、飛び散っていく。たとえばA,Bという粒子の対はC,Dに変換されるが、その変換の仕方はx,y,z...と多様であり、ひとつの現象とはとうてい思えないのだ。 

 イタリアのヴェネツィアーノは、それら4つの粒子が相互に振動し、共鳴しあっている一体であるというヴェネツィアーノ・モデルを提起したが、それに遅れること数年、南部氏は、それらが点である粒子ではなく、相互に結ばれたストリング(弦)であるとする画期的な仮説を唱えた(Cf.Penrose. The Road to Reality. P.884s)。つまり4つの枝をもつ弦であれば、多様な変換はすべて弦のねじれ方に帰着し、それがひとつの現象に収束するからである(どのようにねじれても、同じ弦であれば位相数学的に同一となる)。 

 すなわち南部氏は、1970年にすでに、1980年代にジョン・シュウォーツとマイケル・グリーンによって開始された「超弦理論(スーパーストリングズ・セオリー)」を先取りしていたのだ。 

 超弦理論またはひろくストリング理論は、「標準理論」に代表される量子力学以後の物理学的伝統に真っ向から挑戦し、「標準理論」を葬り去るような「革命」であった。日常的な巨視的世界と粒子の飛び交う微視的世界をデカルト的二元論で分かち、点である粒子を物質の最小単位とする「標準理論」は、核の強い力、弱い力、電磁力の3つの力しか記述できず、途方もない数に殖えた素粒子の分類に頭を悩ませ、多くの矛盾や逆理に解答をみいだせず、ただ加速器による実験だけでその理論的生命を保ってきた。 

 だがストリング理論は、ついに微視的世界での重力の記述さえも可能にし、微視的世界と巨視的世界の障壁を乗り越え、われわれの宇宙だけではなく、無数の平行宇宙をも含め、絶対的な一元論で世界を解釈することを可能にした。その唯一の欠陥は、物理学的実験が不可能な点である。なぜならストリングが存在するのは10のマイナス33乗センチメートルというとてつもない微小空間であり、それを破壊して実験するためには、プランク・エネルギーというこの地上では手に入れることのできない巨大なエネルギーが必要とされるからである。現在ジュネーヴで稼動を待つLHC(大ハドロン衝突器)──稼動早々に冷却液漏れを起こし、修理中──で、ストリング理論のごく一部が実証されるかもしれないと期待されている。 

 超弦理論については、詳しくは私の『近代科学の終焉』(1998年、藤原書店)を参照していただきたい。かつてこの本を贈呈した東大理学部出身のサイエンス・ライターのY氏は、標準理論の全面的否定に怒り心頭に発したらしく、「この本はただちに絶版にしてください」と手紙を送りつけてきたが、ノーベル物理学賞の審査委員たちも同じ心境らしい。前記のシュウォーツ、グリーン両氏だけではなく、ストリング理論のさらなる展開に寄与しているエドワード・ウィッテンと「プリンストン弦楽四重奏団」(プリンストン大学の4人のストリング理論推進者)やリサ・ランドールなど、物理学賞受賞資格者は数多いのに、いっさい無視されている。 

 「標準理論」と「ストリング理論」との戦いは、たんに物理学内部の戦いではなく、近代と脱近代という世界観の戦いなのだ。それゆえいまやこの知の戦争は、歴史的かつ劇的なものとなりつつある。


北沢方邦の伊豆高原日記【46】

2008-09-30 23:34:04 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【46】
Kitazawa,Masakuni

 夜半、コオロギの涼しい音色に目を覚まし、しばし聴き惚れた。寝室の隣のトイレからである。翌日から毎夜、キュウリの薄切りをトイレの絨毯にだしておくことにした。柔かな部分だけを齧るらしく、その緑の残骸が朝の光に映える。

 だが昨夜、鳴声が絶えたので、朝、不審に思って床をみると、コオロギの死骸が転がっていた。なにも外傷はないので自然死であろう。ツツジの根元に埋めてやった。

9.29金融ショック

 深刻化しつつあるアメリカの金融危機に対処するため、ブッシュ政権は、7000億ドル(約75兆円)の公的資金を投入し、金融機関の不良債権・不良資産の買取を行う機関の設立を議会にはかった。だが下院では、ブッシュ政権の与党である共和党を中心に、この法案を否決してしまった。共和党の多数と民主党の一部は、住宅バブル期に巨大な利益をあげた「ウォール街」の救済に、国民の税金を使うことはできない、FRB(連邦準備銀行)の流動資金供給にとどめ、民間相互の救済を待つべきだ、というのがその理由である。その結果、ニューヨーク株式市場で29日、770ドルという史上最大の下落を記録し、30日、日本を含むアジア市場さらにはヨーロッパ市場の株価もいっせいに下落、金融危機は劇的な局面をむかえた。

 90年代のわが国の不動産バブル破裂期にも、まったく同じ理由で世論は猛反対し、主要メディアも「公的資金投入」反対のキャンペーンを張った(当時私はある政策集団の会合で何人かの政治家に公的資金投入の決断を訴えたが)。だが、公的資金投入の遅れは、さらに不良債権の増大をもたらし、結局政府がそれを決断したときは、当初にくらべ一桁違う膨大な資金を投入せざるをえなかったのだ。その結果、いちおうわが国の大金融機関の健全性は回復し、今回の危機にアメリカ金融機関の救済や増資にまで協力する力をもつにいたった。しかし、初期に公的資金投入に反対した多くの国民は、反対によって自分たちの税金を一桁無駄にし、みずからの首を締めたのだ。

 おそらく合衆国も同じ轍を踏むことになるだろう。洋の東西を問わず、政治家たちは、そして国民は、歴史に学ぶことをなぜしないのだろう。

アメリカ合衆国下請け艦隊

 9月30日のNHK総合TVの「クローズアップ現代」で、「いま現場でなにが;海上自衛隊」が放映された。

 知的にひじょうに鋭い切れ味の国谷キャスターがとりしきるこの番組は、しばしば大きな問題提起をするが、この日がそれであった。

 漁師二人が亡くなられたイージス艦あたご(旧海軍の重巡洋艦愛宕は、私は大連港でその威容をまじかに見たが)の漁船衝突事故など、最近海上自衛隊の事故や不祥事が頻発しているが、その背景になにがあるのか、という調査の映像記録である。もちろんNHKらしくその表現は控えめであったが、私の見解を交え、以下に紹介しよう。

 事故多発の根本原因は、任務の拡大と多様化に、訓練や予算あるいは隊員の増強が追いつかないという点にある。

 かつての海上自衛隊は、政府の「専守防衛」方針にもとづき、わが国の領海や沿岸の防衛、またタンカーをはじめとする商船の航路、つまりいわゆるシ-レーンの防衛などが主任務であり、駆逐艦やフリゲート艦程度の小型艦を主力にしていたし、これらの艦の訓練や乗組員の教育はそれほど難しいものではなかった。

 だが小泉政権の成立と、それによる日米同盟の実質的な軍事同盟化は、海上自衛隊の任務と性格を完全に変えてしまった。すなわちそれは西部太平洋やインド洋など広大なアジアの海域に展開するアメリカ海軍の任務の、ある範囲の肩代わりである。いいかえれば海上自衛隊は、アメリカ太平洋艦隊あるいは具体的には横須賀を基地とする第七艦隊の「下請け艦隊」となった。広範囲の空域をレーダーでカヴァーし、大陸間弾道弾などを迎撃できる迎撃ミサイルを積載したイージス艦など、高度のハイテクを真っ先に海上自衛隊に提供したのもそのためである。

 しかしこうしたハイテク装備を自在に動かす訓練はきわめて難しく、そのためには長期にわたるハワイ沖での日米共同訓練が必要である。その帰路、疲れ切った隊員たちを乗せた「あたご」は、日本の近海に入った安堵と油断からあのような大事故を引き起こしたのだ。

 インド洋でのさらなる長期にわたる給油活動は、隊員たちを疲労困憊させる。これらは一例にすぎないが、「下請け艦隊」化による任務の拡大とハイテク的多様化は、隊員たちを追い詰め、心身ともに疲労させる。退職者が急増し、いまや各艦は8割程度の乗員しか確保できないという。それがますます隊員たちに過労を強いる。そのうえ予算不足で、術科学校など隊員の訓練施設の老朽化は目を蔽うほどである。大企業アメリカ海軍の下請け企業、海上自衛隊の悲哀というほかはない。

 海上自衛隊の最高統括者である赤星海上自衛隊幕僚長の短いインタヴューが挿入されていたが、こうした危機的事態の改革のために、海上自衛隊でできることとできないことがある、海上自衛隊でできることは徹底的に行いたいが、後者には国民的議論が必要だ、と述べていた。もちろん明言はしなかった(できなかった)が、激務を強いる「下請け」任務でよいのか、という問いかけであろう。

 私はもちろん、少なくとも「専守防衛」の任務にまで後退すべきだと思うが、軍事予算世界第五位の「軍事大国日本」の、この米国下請け企業としての現実を、憲法第九条擁護派はどう考えるのか、憲法第九条のためにも問いたい。


北沢方邦の伊豆高原日記【45】

2008-09-12 23:59:16 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【45】
Kitazawa,Masakuni

 まだ蝉の声がかまびすしいが、陽射しは短く、乾いた風は涼しい。夜、虫の音に耳を傾け、秋の訪れを実感するが、年々虫の種類が少なくなっていくような気がする。マツムシやクツワムシの音は絶えて久しいが、今年はまだ、家のまわりでカネタタキの声を聴かない。と、ここまで書いてきたとき、それに応えてか、庭の草叢から日は高いのにかすかにカネタタキが鳴きだした。いささかほっとする。

迷走する政治

 福田康夫首相が突如政権を投げだしたというので、メディアはその「無責任」非難の大合唱である。無責任でないとはいえないが、「小泉改革」がもたらした大きなひずみや格差を、懸命に是正しようとしたその努力を評価する声があってもいい。この1年安倍内閣がつづいていたら、と考えただけでもぞっとする。格差是正問題やアフガン支援策などでは、民主党もある程度協力できたはずだが、「大連立」構想から一転対決姿勢となり、政権の提出する重要法案にすべて反対するなど、こちらも「無責任」の非難をまぬがれまい。

 だが、後継の最有力候補が麻生太郎氏とは、なんともさびしいかぎりである。ある政策集団の会合でゲストとして招かれた氏に、私も2度ばかり会ったことがあるが、明確な政治的信条や戦略のあるひととはとうてい思えず、むしろ風見鶏的な軽薄ささえ感じた。同じく、別の機会にゲストとして現われた小沢一郎氏にも会ったが、こちらも政治家としての深みや大きさをまったく感じることはできなかった。

 長期政権はかならず腐敗するため、政権交代そのものは悪いことではない。だが世界経済が暗雲に閉ざされ、いわゆるテロとの戦いも暗い状況にある(アフガンでは、内部に穏健派を抱えたタリバーンとの交渉が突破口となる)とき、世界戦略にも国内の長期政策にも展望をもたない政権が樹立されても、政治の混迷はますます深まるばかりである。

夏休みの読書報告

 現役引退の身、夏休みがあるわけではないが、暑い日々はやはり読書にかぎる。

 日系アメリカ人で著名な理論物理学者ミチオ・カクの『不可能なものの物理学』(Kaku,Michio.Physics of the Impossible;A Scientific Exploration into the World of Phasers,Force Fields,Teleportation,and Time Travel.Doubleday,New York,2008)が、しばらくの間「ニューヨーク・タイムズ」書評紙のベストセラーとなっていたので興味をそそられ、購入した。彼の1994年の著書『超空間(ハイパースペース)』がきわめて刺激的であったのを思いだしたからでもある。

 「不可能なもの」とは、たとえば映画『スター・ウォーズ』やSFに登場する空想的な武器や運搬手段、また、いわゆる念力(サイコキネシス)など超常現象(ESP)とよばれる不可思議な現象、あるいはタイム・トラヴェルや光速よりも速い速度が存在しうるかなど、実現または存在不可能なものの総称であって、それらを最新の物理学によって解明し、実現可能性を追求したのがこの本である。

 カクはストリング理論の先駆者のひとりだが、はじめはいわゆる標準理論(スタンダード・セオリー)のよそおいで『スター・ウォーズ』などに現われる武器や宇宙船の実現可能性を論じ、数十年から数百年のタイムテーブルで多くは技術的に可能だとしている。だが彼の真骨頂は、われわれの宇宙の質量の大部分(現在ではほぼ90パーセント以上とされている)を占めている暗黒物質や暗黒エネルギー、あるいは粒子の電荷やスピンなどすべてが逆となる反物質や反エネルギーの存在に触れ、それらが多重世界とどうかかわるか、またそれがわれわれの宇宙や地上にどう影響を及ぼし、異常現象をもたらすか、などを論じている点にある。

 太陽系や天の川銀河だけではなく、われわれの宇宙そのものもいつかかならず消滅点にいたるが、そのとき、生き延びるために他の平行宇宙に移動することが可能か、などという問題さえもとりあげられる。もしプランク・エネルギーという途方もないエネルギーを制御可能にした文明が存在するとすれば、可能だという。なぜならそのエネルギーさえあれば、ブラック・ホールまたはワームホールとよばれるミニ・ブラック・ホールの通過が可能となるからである。

 念力(サイコキネシス)などの超常現象については、彼自身半信半疑であるらしく(ユリ・ゲラーもとりあげられているが)、明確な分析はなく、またヨーガや道教などの気(プラーナ)による超常現象(空中浮揚や治療など)にもまったく触れられていないのは残念である。体内の酸素燃焼エネルギーのプラズマ的放射である「気」は、物理学的に十分研究対象に値するのだが。

 ブラック・ホールやワームホールについては、最近スティーヴン・ホーキングに挑戦するスタンフォード大学の理論物理学者レナード・サスキンドの本『ブラック・ホール戦争』(Susskind,Leonard.The Black Hole War;My Battle with Stephen Hawking to Make the World Safe for Quantum Mechanics. Brown & Co.,2008)が出版され、話題となっている。

 二人の論争点は、すべてを飲みこむブラック・ホールでは光だけではなく情報さえも失われるとするホーキングに対して、サスキンドは情報は保存されるとしている。その根拠はブラック・ホールの縁にあるホライズン(地平線)とよばれる2次元空間で、1情報単位(ビット)あたりプランクの長さの平方というとてつもない微小空間に記録されるという。そのうえ彼は、もしわれわれの宇宙全体がブラック・ホールをくぐりぬけたとすれば、すべての質量は、時間の矢印さえも逆となる反宇宙となってその向こう側に噴出し、まさに新しいビッグ・バンがはじまるのだ、ともいう。

 いずれこの本も注文して、面白ければ報告したいと思うが、ニューヨーク・タイムズ書評紙の評者は、「脳が感覚やエラー訂正機能のプラグを引きぬかれる夜、われわれはとてつもない夢を見る。まさに21世紀の物理学がそれなのだ」と皮肉っている(NYTimes Book Review,Aug.24,08)が、とにかく最近の物理学界は、われわれの想像力を強烈に刺激し、わくわくさせてくれる。


北沢方邦の伊豆高原日記【44】

2008-08-19 23:39:51 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【44】
Kitazawa,Masakuni

  立秋が過ぎ、テッポウユリの季節となった。満月の露台に坐し、すだく虫の音に耳を傾けながら、青白く映えるその花を愛で、高貴な香りを楽しむのは、このうえない贅沢といえよう。残念ながら長くつづく日照りのせいらしく、今年は香りが薄い。樹々も早くも葉を落しはじめ、赤みをおびた芝生や苔のうえに、枯葉の影を散らしている。関東地方は連日局地的な豪雨にみまわれているというのに、こちらは梅雨明け以来ほとんど雨がない。

63年目の夏

 前回も若干批判したが、北京オリンピックのおかげで大新聞は連日スポーツ新聞に変質し、テレビもスポーツ・チャンネルと化し、グルジア紛争のような重要な国際ニュースも1面から追放され、定時のニュース番組さえ組めないというメディアの異常事態がつづいている。1昨年からの流行語を使えば、いま「メディアの品格」が問われているのだ。

 通常の紙面構成を堅持し、オリンピック関連記事はその期間中別刷として配布し、それをまとめればオリンピックの全容がわかるといったサービスを、なぜ新聞社は考えないのだろう。

 だがその間隙を縫って放映された、戦後63年目の夏をめぐるNHKの「戦争と平和」シリーズは、高く評価されるべきだろう。制作スタッフの健闘をたたえたい。

 いわゆる終戦記念日に総合TVで放映された「「レイテ決戦;生存者が語る地獄絵」は迫力があった。すなわち戦争の最高意思決定機関である大本営なるものが、現地からの報告をいっさい黙殺し、既存のレイテ島防衛軍がすでに壊滅状態に陥りつつある状況を無視し、また武器・弾薬・食料の補給もほとんど不可能であることもかえりみず、新しい師団を送り込み、圧倒的な米軍の兵力と火力のまえに地獄絵を繰りひろげた戦史を、日米両軍の生き残りの証言、そしてひどい被害を受けた現地住民たちの証言や、当時のフィルムを交え、激戦地跡の現在の風景(まだ崩れ落ちたコンクリートの建物などが残っている)のなかで映像をして語らせたものである。日本軍のみで約6万人、米軍と現地の犠牲者すべてを含め約8万人が犠牲となったこの小さな島の無謀な戦闘は、いつまでも語りつぐべきだろう。それにしても、そのかなりが餓死者と赤痢などの病死者であったという死者たちの遺骨の収集はどうなっているのだろうか、放映中も気になってしかたがなかった。

 8月17日の「日本軍とアヘン」は、日本の関東軍と中国派遣軍が現地で農民たちにひそかにアヘンを栽培させ、アヘン・ヘロイン・モルヒネを極秘に製造し(いうまでもなく国際条約違反である)、それを売った莫大な利益で戦費のかなりの部分を賄っていた、という驚くべき事実を扱っていた。たしかにすでに戦後の東京裁判で、連合国側の情報機関の資料や、それにかかわった日本の民間人の証言からその事実は明らかとなっていたが、最近発見された日本側の極秘文書が、さらに明確に陸軍の関与を開示した。何百万(一説では1千万人以上ともいわれている)という中国人、何十万という日本兵が犠牲となった中国侵略戦争は、このうえなく「汚い戦争」であったのだ。しかもその「作戦」を指揮し、極秘文書に名を連ねたのは、関東軍参謀長時代の東條英機(太平洋戦争開戦時の総理大臣)と同じく関東軍師団長であった板垣征四郎(同時期の陸軍大臣)である。A級戦犯として絞首刑となったこの二人は、いま靖国神社に祀られている。8月15日に靖国神社に参拝した閣僚や政治家たちは、この「汚い」事実を認識しているのであろうか。

 同じ日の教育TVでは、「シリーズBC級戦犯1;韓国・朝鮮人戦犯の悲劇」が放映された。炭鉱や軍需工場での強制労働のために「拉致された」何十万という韓国/朝鮮人・中国人の悲劇はかなり知られているが、捕虜監視員という軍属(軍人より下位にある)となり、戦後捕虜虐待の罪で絞首刑(百数十名が死刑執行された)や終身刑となった多くの韓国・朝鮮出身者の悲劇はあまり知られていない。

 映画「クワイ河の橋」で有名となったが、日本軍による泰緬(タイ・ビルマ間)鉄道建設のための捕虜(主として英軍とオーストラリア軍)の強制労働、とりわけ軽症患者まで動員し、死にいたらしめた罪からひとたび絞首刑判決を受けたが、死刑執行署名書に署名を拒否した元捕虜の英軍将校のお蔭で減刑されたイ・ハンネ(当時の日本名広村)氏(現存)の生涯を追いながら、BC級戦犯であった韓国・朝鮮人のその後を調査した力作である。

 感動的なのは、イさんが中心となって組織が作られ、日本人BC級戦犯と同じ補償を求める運動がはじめられただけではなく(日韓平和条約で個人の請求権は消滅したとして裁判で敗北し、政府にも拒否され、最近ようやく福田内閣によってある種の補償が認められるにいたった)、その過程で日本人戦犯との連帯も芽生え、それが反戦運動にまで発展したことである。

 ただその裏で、釈放後日本では生活できずみずから命を絶ったひと、あるいは韓国に帰ったが日本の協力者として白眼視され、朝鮮戦争の孤児をひきとる孤児院を創設したが、孤立無援のなかでこれもまたみずから命を絶ったイさんの親友など、胸の締め付けられるような悲劇も多く語られていた。経歴を隠して韓国にもどり、結婚したひとりは、高齢のためほとんど記憶を失っていたが、イさんの訪問にあのときの苦しみを思いだし、ひたすら彼の手をとって泣くのみであった。そのひとが庭に降りながら、無意識に、しかも高らかにうたっている歌が「君が代」であることに私は愕然とした。私たちは過去、韓国・朝鮮のひとびとに、なんということをしてしまったのだろう。


北沢方邦の伊豆高原日記【43】

2008-08-08 19:55:21 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【43】
Kitazawa, Masakuni

 東京は連日猛暑日のようだが、こういう日は伊豆高原は涼しい。海風が樹間を吹きぬけ、部屋にさわやかな海の使信を届けてくれる。はるか海上に大島の岬が見え、大型・小型の船が行き交っている(大島の見えない日は湿度が高く、30度を超えなくても蒸し暑い)。夜は、海沿いの温泉街のどこかで、観光客目当ての花火が打ち上げられる。

 そこで駄句をひとつ: 

伊豆の夏、今宵はいずこの花火やら


残留放射能の恐怖とナガサキの記憶

 8日からの北京オリンピック開催で日程が組めないらしく、8月6・7日にNHK総合TVで、ヒロシマ・ナガサキの記念番組がいくつか放映された。

 出色は7日の「封印を解かれた写真が語るNAGASAKI」であった。真珠湾攻撃に憤激し、ジャップ(日本人の蔑称)を殺すために志願したという平均的アメリカ白人であった海兵隊写真班の兵士ジョー・オダネルが、戦争終結後、ナガサキの被害状況の撮影を命じられ、単身ナガサキの爆心地に赴き、軍の資料としての撮影のかたわら、ひそかに自身のカメラで撮影して持ちかえった映像と、それにまつわる物語であった。

 はじめは被爆地を物体として撮影していた彼は、しだいにその恐るべき被害に衝撃を受け、廃墟のなかで苦難に耐えるひとびとにカメラを向けはじめる。呻き声や異臭のただよう負傷者収容所の異様な混雑、あるいは火葬するために死者を河原に運んでくるひとびと、そのなかにひとり、死んだ弟を背にくくりつけ、裸足で歩いてくる少年の、必死に苦しみに耐えるまなざしと、血がでるまでに食い縛った唇に心を突き動かされ、思わずシャッターを切る。

 だがこれらの写真を故郷に持ち帰ったオダネルは、トランクに封印し、屋根裏部屋に隠してしまう。ひとつは私的な写真は軍命令の違反であるうえに、彼自身にとってもナガサキは、あまりにも深い精神的創痍(トラウマ)となっていたからである。

 だが40数年後、ある反戦集団が造ったヒロシマ・ナガサキの写真を身体中に張りつけたキリストの磔刑像に出会い、写真の公開を決意する。だがその行為は、故郷を含め、全米からの反感となって返ってくる。妻からも離婚され、さらに被爆直後のナガサキに入り、プルトニウムをはじめとする高線量の残留放射能(その恐怖は6日に放映された「見過ごされた残留放射能・63年後の真実」に詳しい)を浴びていた体は「原爆症」を発病し、彼自身が身体的・精神的苦難にさらされる。発病に対する補償請求は軍から却下され、写真集の出版は30いくつもの出版社から拒否される。

 孤立無援の彼に、しかし日本から支援の申し出があらわれる。日本に招待され、ヒロシマ・ナガサキで写真展が開催され、彼が撮影した「焼け爛れた背の少年」、つまり奇蹟的に生き延びた谷口氏と再会する。彼はまた、あの「弟の死体を背負う少年」にも再会すべく、八方手をつくし、メディアも協力したが、それはかなわぬままに終った。

 ただ彼を最後に慰めたのは、「イラク帰還兵」から写真集のサイトに寄せられた激励のメールで、戦争の真実を知るもののみに許された連帯感であった。いまイラク戦争をへて、アメリカの空気は変わりつつある。彼の死後、「封印を解かれたナガサキの写真」は、たんに歴史の証言であるだけではなく、ドキュメンタリー・アートとしての評価が高まりつつある。


北沢方邦の伊豆高原日記【42】

2008-07-19 06:55:13 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【42】
Kitazawa, Masakuni

 梅雨明けとしか思えないような晴れた日がつづく。東京は連日真夏日のようだが、こちらも連日27・8度の気温に高い湿度で真夏を実感する。

 ヴィラ・マーヤの庭園にヤマユリが咲き乱れはじめ、特有のむせるような芳香があたりにただよう。近くで土木工事があり(お蔭で大島南端近くの海がわが家の2階書斎からかなり見晴るかせるようにはなった)、重機類の騒音がかなりだが、ウグイスたちは負けじと声を張り上げている。縄張り宣言の季節ももうじき終ることを知っているかのようだ。

グローバリズム没落の序曲

 いわゆる洞爺湖G8サミットが終った。一時期まったく空虚な儀式となっていたサミットも、BRICs諸国や、今回とくにアフリカ諸国を招き、緊急の課題である地球温暖化問題や食糧危機に対処する一定の方向を打ち出しただけでも、一応意義があったというべきだろう。

 だがこれらの危機をもたらしている根本問題には、ついに触れず仕舞であった、というよりも、認識さえ示せず、ましてその規制など考えも及ばなかったようだ。つまり経済グローバリズムであり、それがいまや破局に向かって歩みはじめたという現実である。

 多国籍大企業・大金融機関による激烈な資源やエネルギーの争奪戦争、巨大流動資金を原資とするM&A(吸収や合併)など資本の争奪合戦、また市場制覇のための相互の熾烈な戦いである経済グローバリズムは、すでにたびたび述べてきたように、国家による制御さえほとんど不可能であり、市場万能という新自由主義イデオロギーに支えられ、政治とは相対的に独立した体制とメカニズムで動いてきた。

 しかし一方では自縄自縛ともいうべき巨大流動資金の投機(イギリスの経済学者故スーザン・ストレンジはすでに80年代にそれを「カジノ〔賭博場〕資本主義」と名づけた)、他方では中国やインドなど新興国の急激な需要増などによる原油価格高騰、さらに食料をエタノール生産の原料とする誤った政策、原油価格の高騰による生産・輸送コストの増大、新興国の消費の急拡大などを原因とする食糧危機、また合衆国のサブプライム・ローン問題にはじまった証券会社・銀行・住宅金融機関などの連鎖的な破綻による金融不安、これら原油・食料価格高騰・世界的金融不安が引き鉄となったインフレーションと景気後退の同時進行(いわゆるスタグフレーションのはじまり)など、経済グローバリズム没落の序曲が遠くからひびきはじめてきた。

 だがサミット同様、というよりもサミットにも及ばないほど、与野党を問わずわが国の政治や政治家には危機意識はない。漁業や農家の燃料費に補助をだそうといった、ごく瑣末な目先の彌縫策にしか頭がいかないらしい。

 いまわれわれには、ポスト・グローバリズムの構想が求められているのだ。この要求に応えられるような政治勢力は、どこにも存在していないのだろうか。少なくともドイツでは緑の党が、社会民主党や、最近ではキリスト教民主同盟とも連立し、ドイツを環境先進国へと導く先導者の役割を果たしてきた。だがわが国には、国民のあいだでは環境意識が高まっているにもかかわらず、時代を先取りするような少数政党は皆無である。絶望的というほかはない。


北沢方邦の伊豆高原日記【41】

2008-06-19 00:11:26 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【41】
Kitazawa,Masakuni  

 事情があって二ヶ月ほど休筆しているあいだに、すっかり季節が変わってしまった。ホトトギスのけたたましい鳴声も間遠になり、梅雨時を香らせる、ヤマボウシやウノハナ(ウツギ)、あるいはエゴノキなどの白い花々、蔓草だが甘い強烈な香りを放つ野生のジャスミン(マツリカ)の同じく白い花なども花期を過ぎてしまった。五月晴れ(梅雨時の晴れ間)の今日はさわやかだが、熱帯並みの高温多湿の真夏の訪れはまじかだ。

バイオグローバリズムに対抗する

 先日、知と文明のフォーラムの主催で、食料問題の専門家であり、遺伝子組替え食品反対運動の活動家でもある安田節子さんを主講師に迎え、「食料・身体性・環境セミナー1」が行われた。

 1960年代末の伝説的ハード・ロック・バンド「ザ・グレートフル・デッド」の主宰者ガルシアの未亡人が、夫の遺志を受け継いで作ったドキュメンタリー映画「食の未来」を上映した後、それに沿って安田さんの報告が行われた。

 すなわち、1960年代の「緑の革命」以来、経済合理主義にもとづく食糧生産がいかに環境を破壊し、人間の生命や健康に害を及ぼしているか、とくに近年の新自由主義体制下の経済グローバリズムの進展が、バイオテクノロジーとりわけ遺伝子操作技術によって、人間の生命や健康だけではなく、環境を通じて恐るべき災厄さえもたらしかねない危険をいかに世界中に振りまいているか、またモンサント社を頂点とする巨大バイオテクノロジー企業が、ターミネーター(自殺遺伝子)を組みこむ作物――翌年そこから取った種子を撒いても芽がでない――など、遺伝子組替え種子の生産によっていかに食糧生産の世界制覇をなしとげつつあるか、またそれによって、家畜の餌などで許可されている遺伝子組替え作物や、許可されていなくても流通過程で不可避に人間の食料に混入する大豆などの遺伝子組替え作物が、それを食べるわれわれだけではなく、何世代にもわたって人間の健康や遺伝子そのものに深刻な影響をもたらす可能性など、おそるべき実態が報告された。

 食料によるバイオエタノール生産、巨大流動資金による食料投機、新興国とりわけ中国の食料消費量増大や富裕層の美味追求による食材の高級化などが、食料価格の高騰を生みだし、世界の貧困層から食料を奪い、膨大な人口が飢餓にあえいでいる事実はすでに指摘されているが、この危機的状況は刻々と深刻化している。

 ヨーロッパをはじめ先進諸国の市民レベルでは、最近の韓国の米国産牛肉輸入に反対する大デモの象徴されるような、この「バイオグローバリズム」に対抗する反対運動が盛んになりつつあるが、わが国では、遺伝子組替え作物に対する反対の世論はあるが、まだまだ危機感は薄いといわざるをえない。

 こうした状況を変えるにはどうしたらいいか。報告の後での討論会で以下のことが確認された。すなわち、われわれの生命に直結する食料の世界支配をたくらむこの「バイオグローバリズム」に対抗するためには、自然環境の生命とエネルギーの循環システムに沿った有機農法による食料生産と、それをになうコミュニティを造りだし、消費者に直結した流通機構を整えるといった持続可能な食料生産・消費システムをあらたに構築しなくてはならない、と。

 セミナー終了後の懇親会も大いに盛り上がり、小人数のセミナーだけではもったいない、東京でもっと大きなシンポジウムを開くべきだ、といった要望や意見が活発に飛び交った。シンポジウムもなんとか実現したいと思っている。

心身の不思議な不可分性

 生物学の分野では、人間が進化の頂点にあるといった進化論の近代主義的解釈や、遺伝子がすべてを決定するという80・90年代に猛威を振るった新ダーウィン主義は、すでに没落や批判の的となっているが、医学あるいは医療の分野では、まだあいかわらずデカルト的心身二元論が横行しているようだ。

 たしかに「ストレス」といった概念が登場して以後、心身相互の医学的かかわりにも注目が集まり、「心身症」(サイコソマティック・ディジーズ)が医学的カテゴリーに組みこまれ、いまや災害や凶悪犯罪などによるPTSD(トラウマ的ストレス後遺症)が流行語とさえなっているが、「心身症」は部分的概念であり、内科的症状全体を包括するものではない。だが、すでにゲーテが述べていたように、病気というものは身体の部分的な障害ではなく、全人格にかかわるものなのだ。

 ハーヴァード大学医学史学科の主任教授であるアン・ハリントンの近著『内部からの治癒』(Ann Harringtonn. The Cure Within, W.W.Norton & Co., New York,2008)が、この問題にきわめて鮮明な照射をあたえている。

 すなわち彼女の結論を先取りすれば、鍼灸や指圧や気功からヨーガや瞑想にいたる東洋医学の伝統や、その宇宙論と不可分の心身一元論が、いかに心身の不可分にして不思議な相互作用と力を利用して病気の治癒を行ってきたか、また、人間を全体としてとらえるこの「心身医学」(マインド = ボディ・メディスン)が、近代医学の今後にいかに深い示唆をあたえているかである。

 医学史学者らしく彼女は、中世の「悪霊払い」などの宗教儀礼や19世紀の「ルールドの奇蹟」など信仰にもとづく治癒力の検証からはじめ、いわゆる動物磁気で有名なフランツ・アントン・メスマーやメアリ・ベイカー・エディの「クリスティアン・サイエンス」など、旧来「疑似科学」あるいは「似非科学」として退けられてきた心身治療の方法を再検討し、そこに潜む「暗示力」ともいうべき心身治療の力を掘り起こすことからはじめている。

 さらにその力を自己自身の内に積極的に呼び起こす「肯定的思考」(ポジティヴ・シンキング)を用いる医療の足跡をたどり、さらに、歴史上かつてない強度な心的抑圧にさらされた現代社会に固有の「ストレス」の発見と「心身症」概念の登場を追い、現代人がそれによっていかに自己の免疫機構をずたずたにされているかを明かにする。それを癒してくれるはずの家族や地域共同体の「癒しの絆」もばらばらに切断され、現代人は孤立のなかで癌など「死にいたる病い」に冒されるのを待つのみである。

 その救いは「東方」にある。中国・インドそしてティベットなど、東洋に現存する「古代の智恵」、すなわち心身一元論による「内部からの治癒」なのだ。近代文明のゆがみを正すため西欧に何度か訪れた「東方への旅」、つまりオリエンタリズム(著者自身もサイードのオリエンタリズム批判を否定的な見方だとして批判している)の歴史のなかで、これが最後の、そしてもっとも緊急に必要な旅であるのかもしれない。

 この本をわが国に紹介できれば、と考えている。