goo blog サービス終了のお知らせ 

一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【114】

2011-12-03 11:56:27 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【114】
Kitazawa, Masakuni  

 紅、白、桃色などサザンカの花が各所で満開となった。雑木の黄色や赤茶けたまばらな葉を透かして、海が青く光る。風もないのに枯葉の舞がつづく。

オウム真理教事件 

 オウム真理教事件のすべての裁判が終結した。事件はすでに過去のものと思われている。だが、バブル経済崩壊後のあの頃より、現在さらに状況は悪くなり、時代の閉塞感は逼迫している。高い失業率や自殺率、蔓延する鬱病が若者をとらえ、新保守主義的価値観が強要した「自己責任」なるものが、彼らを追い込んでいる。形を変えたオウム真理教事件がふたたび起きないという保証はどこにもない。その警告のためにも、いまから16年前に書かれたエッセーをここに採録することにした。これは最初週刊『金曜日』の依頼で書かれたものであるが、「空中浮揚などという重力の法則に反した非科学的なことはありえない」とする左翼唯物論に立つ同誌編集部に掲載を拒否され、翌年CSヨガ普及会の機関誌に掲載されたものである。

ヴァジラヤーナ・サティア(金剛乗真理) 

 空中浮揚は可能か? 答えは二つの意味でイエスである。 

 すなわち、ヨーガで言うパドマ・アーサナ(蓮華座)を組み、ふとももや尻、そして足首の筋肉力を利用して跳躍し、その瞬間を写真にとることである。立って跳躍した瞬間を写真にとり、それを空中浮揚と呼んでもだれも信用しないが、蓮華座では一見超常現象のようにみえる。だが訓練しさえすれば、だれでもが「浮揚」可能になる。 

 空中跳躍にすぎないこうした「浮揚」ではなく、ヨーガではほんとうの空中浮揚(レヴィテーション)は可能とされている。よほど修行をつんだヨーガ行者でなくては不可能だが、机ようのものの上にシャヴァーサナ(死体の姿勢)のかたちで横たわり、全身の力を抜き(修行すればわかるが、これがもっとも困難である)、プラーナを一点に集中すれば、やがて弟子が机を取り去っても身体はそのまま空中を浮揚している。これが真の空中浮揚である。蓮華座でも、こうした方法で1メートル以上の浮揚は可能である。 

 ペリカン・ブックスの名著『ヨーガ』の著者であり物理学者でもあるアーネスト・ウッドは、インドで直接これを見聞し、野外の陽光のもと、トリックはなにもないことを確認している。空中浮揚にかぎらず、しだいに呼吸数をへらし、最後に舌で喉の鼻孔をふさいで呼吸を停止し、「冬眠」に入るケチャリー・ムドラーなど、信じられないようなヨーガの技法は他にもいくつもある。 

 だがヨーガの目的は、空中浮揚や冬眠それ自体にあるのではない。そうした技法によって形成された非日常的な心身の感覚を通じて、宇宙の広義の生命の波動と一体化することである。この思考のアイデンティティの状態を解脱(モクシャ、またはムクティ)という。ひとたび真の解脱に到達したものが、世俗の野心や欲望に突きうごかされることなどけっしてありえない。なぜなら彼または彼女は、たとえ現世にあってももはや向こう側の世界に存在しているのであって、そうしたまなざしでのみこの世を判断するからである。空中跳躍をする「最終解脱者」なるものが、こうしたヨーガの定義にまったく当てはまらない俗物であることはいうまでもない。 

 しかし問題は、たとえ偽解脱者が主宰するものであれ、多くの、しかも知能的に優れた若者たちが、超常現象や超能力に惹かれ、疑似出家集団に入信した事実である。その背景には、若い世代にひろがっている近代文明への懐疑や危機意識がある。近代の「知」はもはや変転する現実を認識できず、知的無能力をさらけだしている。この状況が頽廃であり、危機であるのだ。 

 近代の知が、なぜこの現実を把握できないのか。それは近代世界が、人間や社会をひたすら合理的なものとして認識し、個人の生活から政治経済制度にいたるまで、そのように造りあげてきたからである。何十億年もの地球の歴史のなかで形成されてきた有機物・無機物の共生と創造の法則にむしろ敵対し、ひたすら孤立した《合理的》な人間の世界を追求してきた近代文明は、その果てにみずから生みだしてきたもろもろの《非合理的》怪物に脅かされることとなった。 

 たとえば冷戦崩壊後のいわゆる民族紛争や宗教戦争である。ボスニアの現実が示したのは、近代化によって種族の文化的アイデンティティを喪失した集団相互の殺し合いであって、何千年ものあいだ共存しあってきたキリスト教やイスラームという宗教とはなにも関係ない。なぜなら種族の文化的アイデンティティを非合理なものとして抑圧し、《普遍的人間性》を説いてきた近代世界では、諸集団を拘束してきた国家や法という枠組みが崩壊するや否や、他者を差別することでアイデンティティを確保するほかはないからである。種族の文化的アイデンティティがないかぎり、《差異》を認めあう寛容は生まれない。ボスニアの戦争は、近代の熾烈な相互差別の戦争以外のなにものでもない。これが《非合理的》怪物の一つの顔である。 

 近代の知には、もちろん近代科学も含まれる。近代科学の根本的矛盾は、その合理的方法によってとらえうる対象のみを分析し、それによって世界の全体を解明しうるとしたことである。儒教的合理主義の《怪力乱神を語らず》に似た《語りうるものは明晰に語れ、残余は沈黙のみ》というヴィットゲンシュタインのことばは、そのような認識の本質を現わしている。だがむしろ宇宙や自然の本質は、彼の言う沈黙の領域にある。それはいわゆる非合理的なものではない。ただ近代科学ではとらえられない超合理的なものなのだ。 

 たとえばすでに述べたプラーナ(気)である。近年中国の気功術の紹介によってひろく知られるようになったが、訓練と集中によって手のひらから放射されるプラーナは、治癒力をはじめとする驚くべき《超能力》を示す。既存の科学的方法や計測機器では、その実体はまったく把握できない。このように、近代科学の信仰に囚われたものにとっては非合理的な《沈黙の領域》、しかし近代の知の頽廃に幻滅した多くの若い世代にとっては魅惑的な神秘の世界は、むしろ宇宙や自然のほんらいの姿である。脱近代科学の最先端ともいうべき最新の物理学である多重世界解釈論、あるいは超弦理論では、世界は10次元(または11次元)の超空間(ハイパースペース)で構成され、その空間のもつ奇妙な位相的性質が超常現象や超能力をもたらすとしている。イエス・キリスト以来先天的に超能力をもつ存在は、つねに一定の確率で人類に出現するのであって、そこにはなんの不思議もない。 

 種族の文化的アイデンティティから超常現象にいたる多様にして深い超空間的世界を統合的に把握できない近代の知の無能力は、刻々と地球環境の危機を招き、人間世界の混乱や紛争、あるいは戦乱をもたらし、人類の未来を危うくしている。 

 話を日本に限定してもよい。すべてのものの自由化を至上とする7・80年代の新保守主義がつくりあげたカジノ(賭博場)資本主義──経済学者スーザン・ストレンジの命名である──は、バブル経済の興隆と崩壊をもたらし、日本社会全体を投機の賭け金と化しつつある。政治にいたっては、薄氷の上にある経済にも、変革を求める国民の多数の政治意思にも盲目に、いたずらに変転する現実に振り回されているだけである。またカジノ資本主義が生みだした肥大した欲望の充足や私権のみの追求を是とする利己的な価値体系への反発、それに必然的にともなうモラルや文化や風俗の頽廃への反感、いわゆる一国平和主義とその「繁栄」に安住して第3世界の真の自立の手助けをしようとしない先進国エゴイズムへの自己嫌悪、さらにそうした精神や心の荒廃にまったく鈍感な大人たちへのいらだちなど、若い世代にひろがっているこうした危機意識を理解しないかぎり、オウム真理教事件は姿を変え、形を変えて起りつづけるにちがいない。

 脱近代の知の確立、それのみがえせ終末論の跳梁を終わらせ、世界の混迷を救う真のヴァジラヤーナ(金剛乗=金剛石の乗り物)となるのだ。

 (注)表題は偽の最終解脱者が、自分たちの教義は大衆向けのマーハーヤーナ(大乗=大きな乗り物)ではなく、エリートのためのヴァジラヤーナだと称したことへの反論でもある。 また読者が当時の細かい事情にうとくなっていることをも考慮し、本文に若干の修正を加えた。


北沢方邦の伊豆高原日記【113】

2011-11-03 21:28:35 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【113】
Kitazawa, Masakuni  

 柿の葉が茜色となり、落葉しはじめ、ツワブキが黄色い花をつけ、芝生の隅にサフランが明るい紫の花を開き、秋色が深まった。柚子の実はまだ緑だが、色づきはじめたらタイワンリスとの睨みあいとなり、先手を打って収穫しなくてはならない。

タイの大洪水に思う 

 タイの国土の大きな部分が大洪水に見舞われている。日本企業の被害ばかりがメディアを賑わしているが、タイの被災者の方々には本当にお気の毒であり、東日本大震災お見舞いのお礼に、日本も積極的に貢献しなくては東南アジア蔑視、あるいは人種差別だといわれてもしかたがない。 

 しかし、50年来といわれる雨季の大量降雨がその引き金となったことはたしかだが、これはここ数十年の急激な「近代化」のひずみが引き起こした人災という側面が大きい。 

 かつてのタイは、ナイルの氾濫が肥沃な農地を造りだした古代エジプトと同じく、チャオプラヤ河の毎年の氾濫が、流域の広大な水田地帯に肥沃な土壌を運び、水稲の豊饒な収穫をもたらしてきた。それがタイ王国の豊かさの基盤であったのだ。 

 だがこの数十年の経済のグローバリゼーションは、労働力の安いタイに各国の企業の生産工場を集中させ、水田は埋め立てられ、広大な工業団地を現出させた。それと同時にわが国の高度成長期に似た農村人口の都市への大流入がはじまり、首都バンコクとその周辺に人口の過密化が起こり、都市は膨張した。 

 同時に国際的工業団地の進出によって縮小した農業の穴を埋めるため、上流地域では森林の伐採による農地の拡大がはかられることとなった。森林の保水機能が小さくなり、同じく遊水池でもあった水田のかなりの面積が失われる結果は、いうまでもなく雨季の河川の静かな氾濫と、乾季の排水という自然そのものがもつ水の循環機能が失わせることである。例年にない降水量はただちに工業団地や大都市を冠水させる「洪水」となり、生産や都市の機能を麻痺させる。これほど大規模なものではないとしても、今後も工業団地やバンコクは、洪水の被害につねに脅かされることとなるであろう。なぜならこれは、急激な近代化がもたらす構造的なものに根本原因があるからである。

 だがこれはひとごとではない。戦後の高度成長期、巨大ダムやコンクリート堤防などの設置に頼り、自然そのものがもつ治水機能を無視してきたわが国も、地球温暖化によって増大してきた降雨量によって、いつ大規模な洪水が起こってもおかしくないからである。

 平野部での傾斜が急な山梨県には、かつて武田信玄が築いたといわれる「信玄堤(しんげんづつみ)」が多くあるが、それは大量の降雨によって急激にくだってくる河川の水を迂回させ、遊水地に導入し、奔流する鉄砲水によって堤が破壊されることを防ぐ知恵であった。自然の力を認識し、それをうまく利用することによってみごとな治水を行ってきたこうした先人の知恵を、われわれはいまこそ学ばなくてはならない。

 文明は自然に逆らうかぎり、いつか没落の憂き目にあうこととなる。タイの大洪水はこのことを教えている。


北沢方邦の伊豆高原日記【112】

2011-10-18 10:59:44 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【112】
Kitazawa, Masakuni  

 10月に入って季節の移り変わりが早い。伊豆高原中にただよっていたキンモクセイの香りは遠い記憶となり、桜並木が落葉しはじめた。松本にいた頃、城の外堀の桜が美しく紅葉するのを見たが、この温暖の地では枯葉色となって落ちてしまう。

「アメリカの秋」はひろがるか? 

 「アラブの春」につづく「アメリカの秋」がメディアを賑わわせている。15日(日本時間16日)には数万人のデモンストレーターが、ニューヨークのタイムズ・スクエアを埋め尽くした。先進諸国の各地でも、これに呼応するデモが行われた。 

 60年代末から70年代初頭にかけて、アメリカをはじめ先進諸国で今回とは桁違いの規模で「若者の反乱」が起こった。中国の「文化大革命」(本質は党中央の深刻な権力闘争であり、若者は踊らされたのだが)に刺激され、ヴェトナム反戦と反体制、既成のWASP(白人アングロサクソン・プロテスタント)文化への反逆、アメリカ・インディアンへの共感、ヒンドゥーや道教など東洋思想の再興、ユートピア社会主義の復権、黒人文化の独自性を訴えるブラック・パワーの台頭など、さまざまな潮流が合体し、大きなうねりとなった。 

 71年にはじめて渡米したとき、ヒッピー発祥の地サンフランシスコはもとより、ニューヨークのセントラル・パークや5番街を埋め尽くす華やかでサイケデリックな衣装のヒッピーたち、マサイの槍を手にした半裸の黒人など、目を奪う光景に高揚感をおぼえたほどである。 

 各国の高度成長期、その意味では豊かな社会に起こったこの大規模な若者の反乱は、大人たちや保守派にはまったく理解不可能なものであった。なにひとつ不自由のないこの繁栄する先進社会で、なんの不満があるのか?と。 

 だがこれは、おそらく欧米で史上はじめて起こった近代文明に対する集団的異議申し立てであったのだ。西欧植民地主義の帰結としてのヴェトナム戦争、先進諸国の繁栄の蔭のいわゆる第3世界の搾取とそれによる貧困、物質的豊かさの裏返しとしての精神や感性の貧しさ、「自由」の標榜の蔭で増大する目にみえない抑圧や情報による管理体制の強化など、文明の帰結に対する反逆であり、その転換への主張であった。 

 だが70年代後半から保守派が盛り返す。政治的新保守主義と経済的新自由主義が先進諸国の主導権を握り、世界はまっしぐらに文明の衝突と金融グローバリズムによる世界制覇に乗りだす。その破綻がリーマン・ショックであり、ユーロ危機であり、中流の崩壊であり、新興国を含めた国内経済格差のいちじるしい拡大であった。それに対する最初の答えが今回の運動であるといえるだろう。問題はそれがどのような規模になり、どのように持続し、結果としてなにをもたらすかである。 

 60年代末の運動は4・5年持続し、参加しあるいは共感を覚えたひとびとは、新しい時代の到来を予知し、希望に燃えていた。だが結果はアカデミーでの若干の改革、一部の政治改革(マックガヴァンの民主党改革)などわずかにとどまり、時代を変えることはできなかった。ただいえることは、あのときに高まった近代文明に対する疑念が、その後の生産や消費の急激な拡大の結果もたらされた地球環境のいちじるしい破壊の認識にも助けられ、持続しつづけたことである。 

 加えるに今回のフクシマの大事故である。ひとびとに潜在する近代文明転換への要請が、もし今回の運動の大規模化によって顕在化することがあるとすれば、それは新しい時代をもたらす大きな原動力になるだろう。その期待を込めて「アメリカの秋」または「世界の秋」を見守りたい。


北沢方邦の伊豆高原日記【111】

2011-10-04 11:09:29 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記j【111】
Kitazawa, Masakuni  

 真夏から急に秋深しとなり、すでに桜の葉が黄ばみはじめ、彼岸花だけが正確に彼岸の入り頃から満開となり、緋色の点景を散らしている。仲秋の名月には間に合わなかったススキの穂が風に揺れ、モズが、台風で吹き散らされて薄くなった葉叢の梢で、高鳴きをはじめた。

アラブの春 

 ニューヨーク・タイムズ書評紙の9月11日号が「アラブの春」の特集をしている。この問題にかかわるいくつかの本の書評や、「春」以後のアラブの知的世界や出版の動向についてのリポートなどである。 

 そのひとつはロビン・ライトの『カスバー[北アフリカ固有の迷路的居住区]を揺さぶれ;イスラーム世界をよぎる怒りと反逆』(Robin Wright: Rock the Casbah ;Rage and Rebellion Across the Islamic World)と、チャールズ・カズマンの『失われた殉教者たち;なぜかくも少ないムスリム・テロリストか』(Charles Kurzmann: The Missing Martyrs; Why There Are So Few Muslim Terrorists)の書評である。 

 ライトの主張のユニークさは、これら「アラブの春」が、政治的・社会的革命であるだけではなく、イスラーム世界をゆるがす「文化革命」であるとする点にある。

 すなわち、蜂起を先導し、主導したのは若い世代であるが、彼らを結んだ絆がたんにインターネットやトゥイッターなどであるというだけではなく、そこに込められたメッセージが、むしろイスラームの新しい覚醒をうながす「文化革命」の伝達であったというのだ。たとえばエジプトでは、若い女性たちが「ピンクのヒジャーブ[頭部に巻くスカーフ]」運動をはじめ、またたく間に運動は拡大した。それは守旧派や保守派の伝統的な『クルアーン』解釈をくつがえし、そこには女性差別の痕跡などどこにもないことを主張し、女性の地位の向上や、社会の意識改革を訴えた。

 事実私がみたTVの画像でも、カイロのタハリール広場を埋め尽くした群衆のなかで、淡いピンクのヒジャーブをまとった大勢の若い女性たちが楽しげに語り合う姿が印象的であった。

 またアラブ保守派の牙城であるサウディでは、まだ「革命」こそ起きていないが、アブ・ダビのTVショウでは詩人のヒッサ・ヒラルが、全身を覆う黒いニカーブ姿で登場し、『ファトワ[イスラーム法にもとづく法令]の混沌』と題する自作の詩を朗読、守旧派のイスラーム解釈を大胆に皮肉り、一躍有名となった。もちろん生まれ故郷のサウディで死の脅迫を受けたことはいうまでもない。だが若い世代を中心に、これら「文化革命」に盛大な拍手を送るひとびとがいかに多いかを、この挿話は物語っている。 

 こうした「文化革命」を、裏側から照射しているのが、カズマンである。

 彼によればアラブでは、ウサマ・ビン・ラディン氏の死を悼み、彼を英雄視するひとびとは圧倒的である。だがアル・カイダのイデオロギーに同調するものは圧倒的に少なく、ましてそれに参加するものはほとんどいない。むしろ彼らは、一般人をも巻き込む自爆テロによって圧倒的な嫌われ者といっていい。この矛盾はどこからくるか?

 それはアラブ社会全体が、西欧近代諸国家の植民地支配を受け、独立後もムバラク・エジプトやフセイン・イラク、あるいは現在のアサド・シリアなどに代表されるゆがめられた強権的近代国家の手助けをし、また新植民地主義的経済搾取を行ってきた西欧に対する圧倒的な不信感を抱いているからである。だが彼らは、ウサマ・ビン・ラディンを褒め称えながらも、その狂信的イデオロギーは拒否し、もっと穏健なイスラーム民主国家を求めているのだ。

 現在アル・カイダに人材を供給しているのは、西欧やアメリカの若いムスリムである。西欧では彼らは差別と貧困に苦しみ、西欧近代文明に憎しみさえ抱いている。アメリカではむしろ中産階級の若い知的ムスリムが、観念論としてアル・カイダ・イデオロギーに共感し、いわゆるホーム・グロウン・テロリストとなっている。

 ライトの本の評者モハマド・バッズィ(Mohamad Bazzi)が指摘しているように、彼女の本にはこれらの運動が19世紀に遡るという歴史的視点が欠けているかもしれないが、「アラブの春」の重要な側面を明らかにしている点で、これらの本は今後のアラブあるいはイスラーム世界を展望する意味できわめて示唆に富んでいる。


北沢方邦の伊豆高原日記【110】

2011-09-09 07:46:16 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【110】
Kitazawa, Masakuni  

 空前の豪雨で紀伊半島に大きな被害をもたらした台風12号は去り、秋めいたさわやかな晴天となった。紀伊に似た山地の伊豆半島が直撃されていたらと、とても他人事とは思えない。さいわい伊豆高原は溶岩台地で、地震に強いだけではなく、雨にも強いが。 

 秋の虫の季節となり、夜、仄暗い居間の片隅の、台風時に取り込んだいくつかの植木鉢の緑の葉叢あたりで、カネタタキが静かに鳴いている。大震災や台風の死者たちへの、かそけき鎮魂であるかのように……

感性と魂の国際政治学 

 知と文明のフォーラムの財団設立記念の会の準備も手を離れたので、いただいたままでまだ読了していなかった二つの回想記を読むことにした。ひとつはフォーラムの評議員である石田久仁子さんの訳されたシモーヌ・ヴェーユの回想記であるが、これは近くこのブログに書評が掲載される予定となっている。もうひとつは同じくフォーラムの顧問のおひとりである坂本義和さんの『人間と国家─ある政治学徒の回想』上下(岩波新書)である。 

 これは坂本さんの自伝といっていいが、副題に示されているように、彼の学問や思想の遍歴を踏まえた誠実な記録であり、同時にそこから20世紀の歴史の本質がかいまみえる得難い本である。 

 自伝というと、たとえば日本経済新聞の「私の履歴書」などを思い起こすが、財界人は別としても、その多くは生い立ちの記を経ると、しだいに仕事上の自慢話ばかりとなって辟易させられ、途中から読むのをやめることになるが、この本はまったく逆であるといっていい。国際会議なども事実を淡々と記述しているだけなので、登場する人名が、これはあの国務長官になったキッシンジャーかな?これはあの『孤独な群衆』のリースマンかな?これはあの『文明の衝突』のハンティントンかな?と推測するほかはないほどである。 

 そのうえ50年来のおつきあいのある私でさえも、坂本さんはたぐいない理性と知性の持ち主であると思いこんでいたが、これを読むとじつにゆたかな感性と感受性を備えたひとであることがわかる。 

 幼年時代を過ごした動乱の時代の上海での体験は、心をゆさぶる。恐るべき差別に耐え、戦乱のなかを逃げ惑い、必死に生きる中国のひとびと、銃弾や砲弾の飛び交う市街戦で、一瞬の爆発で影も形もなくなる日本兵など、生々しい描写だけではなく、それらを通じて幼心に刻まれた国際関係の複雑さや国家が嘘をつくという不信感など、すでに後年の鋭い洞察が芽生えている。 

 そこから敗戦にいたる歴史はわれわれの世代に共通にするものだが、戦時下のあの息詰まるようなきびしい軍国主義の支配と統制のなかで、旧制高校(一高)にはまだ伝統的な自由で寛容な雰囲気が残り、とりわけ寮を中心とした乱雑ではあるが抜きんでた自主性を重んじる学生生活は、何事もすべてを自分で考え、判断する力を養い、時代に対する批判的精神を養っていたようだ。当時軍国主義的な環境に浸りきっていた私などには、うらやましいとしかいいようがない。 

 いずれにせよ戦後、東京大学法学部に進み、研究室に残り、やがてアメリカのシカゴ大学に留学して坂本さんの経歴(カリア)がはじまる。それと同時にはじまったのが、政治学を中心としてではあるが、彼の思想的遍歴である。戦後日本の思想界を席巻していたのはいうまでもなくマルクス主義であったが、『資本論』の購読会に参加し、プロレタリアに対するマルクスの深い愛情に感動しながらも(感性のひと!)、それが描く未来像に強い違和感を感ずるなど、戦後の日本思想の動向がここからも展望できる。 

 1960年のいわゆる安保闘争、さらには60年代末から70年にかけてのステューデント・パワーとそれによるいわゆる東大紛争なども、そのただなかで生きた彼の記述を通じて、「歴史」が良かれ悪しかれ生みだしていくダイナミズムを読みとることができる。とりわけ後者では、大学当局というか、その意味では体制側にあった彼の観察と判断は、しかしきわめて公正であり、それによって事件の全体像が明らかとなっているといってよい。全共闘系の学生たちが、最終的になにを目指して戦っていたのか、彼ら自身にもわからなかったのではないか、という指摘は至言である。ユートピア主義の陥りやすい陥穽がそこにある。 

 その後彼は平和研究に打ち込み、国際平和学会会長などを務めて世界のいたるところで開かれる種々の国際会議に忙殺されるが、一般の読者には、このあたりの記述は数多くの人名を含めていささか煩雑かもしれない。だがそれらの経験を通じて到達した最後の結論は、読むものを深く感動させる。この最終章「冷戦終結と21世紀」だけでも本書は読む価値がある。 

 「自由」や「人権」といった20世紀を主導してきた概念について、東日本大震災やフクシマ原発大事故の教訓を踏まえ、彼は主張する。「……21世紀の市民社会では、この理性的観念[人権]のさらにその基礎として、《他者の尊厳に対する感性》の共有を重視していくべきだと考えます。……《他者のいのちに対する感性》あるいは《他者のいのちに対する畏敬》です。《他者》としての人間との共生だけではなく、自然と共生するという……《いのち》に対する感性が不可欠だと考えるからです」(下p.226) 

 かつて啓蒙主義的理性の支配する近代を超えることを説いたルソーが、人間相互のみならず、万物への「あわれみ(ピティエ)」が、新しい世界を生みだすもっとも重要な絆であり、概念であると説いたが、このことばは坂本さんの結論とともに、東日本大震災とフクシマ原発大事故の今日にこそ必要不可欠なことばである。


北沢方邦の伊豆高原日記【109】

2011-08-29 09:21:11 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【109】
Kitazawa, Masakuni  

 天候不順で、晴れ間が覗くかと思うとときどき強い雨が襲ったりする。今日は久しぶりに朝から快晴である。ときおりメジロやガラ類が鳴くが、ウグイスや鳥たちの囀りの季節は終わり、蝉時雨だけが残っている。テッポウユリが次々と清楚な純白の花をつけ、心を癒してくれる。居間に挿した一輪の花が、奥ゆかしく高貴な香りをただよわせ、もの思いを誘う。

ダーウィンの盲点 

 もう7・8年も前だが、フランク・ライアンの驚くべき本『ダーウィンの盲点』(Ryan,Frank. Darwin’s Blind Spot; Evolution beyond Natural Selection. New York,2002)を読んで、「眼から鱗」の思いをしたことがある。つまりダーウィン進化論の二つの柱である「自然選択」と「突然変異」が否定されたわけではないが、最近の微生物科学の進展によって、ヴィールスやバクテリアと生物の「共生(シンバイオシス)」が、生物の進化のみならず、地球全体の進化に巨大な役割を果たしていることが指摘されていたからである。 

 今回、財団の設立記念のシンポジウムのために、それと、彼の新しい本『破壊する創造者(邦訳名)』(原題Virolution,2009)を読み直し、生物学で起きているいわゆるパラダイム・シフト(科学体系の転換)を再確認した。 

 『盲点』は「共生」とそれによる進化が主題である。つまりヴィールスやバクテリアは、ときには侵入者や破壊者として生体に猛威をふるうが、その危機を乗り越えた生物にとっては、またとない共生者となって恩恵をあたえ、進化をうながす。たとえばわれわれの身体のすべての細胞に宿るミトコンドリア──その遺伝子は受精卵の細胞核ではなく細胞質に含まれるため母方のものしか遺伝しない──は、発疹チフス菌の一種で、何百万年前にヒトの遠い祖先の体内に侵入したときは猛威をふるったに違いないが、体内に定着後は、肺から赤血球によって運ばれる酸素の貯蔵庫として、身体の酸素サイクルの主役を演じることとなる。いうまでもなく、われわれの思考活動を含むすべての働きは酸素の燃焼エネルギーによっている。 

 あるいは女性は妊娠するが、受精卵の細胞核には父親の遺伝子が含まれるため、それは母体にとって異物であり、ふつうなら母体の免疫機構が働き、マクロファージの攻撃によって排除されるはずである。だが受精卵は子宮に着床するやいなや、母体に宿るHIVヴィールスがその攻撃を防ぐ防御網をつくりあげる。HIVヴィールスは、レトロ・ヴィールスの一種であるが、宿主から酵素を奪う通常のヴィールスと異なり、酵素を転写して排出し、免疫不全を起こす。いうまでもなくそれは、エイズ(AIDS)とよばれる恐るべき免疫不全病を引き起こす病原体であり、ヒトが類人猿から感染したといわれている。もしこのヒトのHIVヴィールスが類人猿に感染したら、彼らはエイズを発症するにちがいない。 

 これらは一例だが、たとえば哺乳類が卵生から胎生への進化をなしとげたとすれば、その進化はこのレトロ・ヴィールスに多くを負っているといわなくてはならない。 

 目にみえないが微生物との「共生」による進化はこのように強力であるだけではなく、いわゆる無機物との共生を含めて、地球のさまざまな元素サイクル(硫黄サイクル、炭素サイクル、酸素サイクルなど)を確立し、地球を生命の惑星として進化させた原動力とさえいえることが明らかとなった。

 エピジェネティックス 

 邦訳された『ヴァイロリューション』(ヴィールス[ヴァイラス]とエヴォリューション[進化]との合成語)では、その成果を踏まえ、さらにその後に展開した生物学、とりわけ進化にかかわる「異種交配」と「エピジェネティックス」の二本の柱が主題となっている。 

 異種交配は、植物学では古くから知られていたが、近年まで動物にはないと考えられてきた。なぜなら哺乳類の異種交配(ラバやレオポンなど)には不妊症が多く、一代限りとされていたからである。だが昆虫などの研究が進むにつれて、動物の異種交配がたんに多いだけではなく、それが種の分岐に重要な役割を果たしていることが明らかとなった。具体的にはまだ解明されていないが、類人猿からのヒト科の分岐などにも、この問題は大きくかかわっているとされる。 

 またエピジェネティックス(後発生遺伝学)の驚くべき進展も、進化の概念を大きく変えはじめている。たびたび述べたように、かつてチョムスキーは、母語の習得は後天的なものだが、それを習得できる言語能力は先天的なものだ、つまり遺伝によるとして、「獲得形質」の遺伝を絶対的に否定する新ダーウィン主義者たちの猛攻撃を受けたが、いまや、かつてラマルクが唱え、ダーウィン主義によって全否定された獲得形質の遺伝は、当然とされるようになった。 

 つまりラマルクは生物の形態などにそれを認めようとしたのだが、エピジェネティックスは、環境などの後発的影響がゲノム(遺伝子配列)に変化をもたらし、しかもそれが遺伝することを証明したのだ。脳科学の進展によって言語脳(左脳)のさまざまな機能とその位置、またジェンダーや種族によるその差異などが明らかとなってきたが、いうまでもなくそれは、自然や文化を含めた環境の影響が、思考活動にかかわるゲノムの変化を引き起こし、脳を変え、さらにそれを遺伝させた結果にほかならない。 

 DNAの発見にはじまる分子生物学の驚くべき進展──それは物理学における量子力学の発見に相当する──は、だが、発見者のひとりのワトスン自身が唱えた遺伝子決定論(すべてのものは遺伝子によって決定され、環境の影響はわずかとされる)という新ダーウィン主義(ネオダーウィニズム)のイデオロギーに支配されるにいたった。それは一時期、異端を排除する猛威をふるうこととなったが、いまやエピジェネティックスや共生理論のまえに、音を立てて瓦解しつつある。

 むしろエピジェネティックスのほうが分子生物学の遺産を正当に継承したとさえいえるだろう。この事情は、物理学において量子力学以降猛威をふるった「コペンハーゲン解釈」が崩壊し、ストリング理論とその多重世界解釈にとって代わられた状況にきわめて類似している。

 文明の転換を考えるうえでも、この生物学の大きなパラダイムシフトは、深く注目しなくてはならない。


北沢方邦の伊豆高原日記【108】

2011-08-08 09:56:12 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【108】
Kitazawa, Masakuni  

 暑さが復活したが、こちらは安定した28度前後がつづく。梅雨の再来のような天候のあいだ、鳥たちのさえずりは少なかったが、今日は盛大にウグイスたちが鳴き競っている。わが家にはないが、サルスベリの淡紅色や夾竹桃の赤い花々が咲きそろい、道行くひとびとを楽しませている。テッポウユリの花芽が大きく膨らんでいる。

「バガヴァッド・ギーター」の英訳を読む 

 杉山直子さんから送っていただいた「バガヴァッド・ギーター」の何冊かの英訳本を読み比べはじめた。ひとつはもっとも権威ある訳とされるA.B.van Buitenenのもの(1981)で、「バガヴァッド・ギーターの書(パルヴァン)」とギーター本文全体の訳であり、サンスクリット原文と対照させてある。ひとつはBarbara Stoler Millerのもの(1986)で、自由な英語韻文で訳している。おそらく、厳密さや正確さではビュイテネン訳がまさるかもしれないが、詩的な点ではストーラー・ミラー訳が魅力的である。 

 これらの解説やあとがきを読んでいて、西欧におけるヒンドゥー哲学や思想の影響がいかに長く、かつ深いものであるかを再度痛感することになった。 

 再度というのは、青木やよひのベートーヴェン研究の手伝いで、19世紀初頭のドイツにおけるヒンドゥー哲学や思想の浸透度を調べたことがあるが、ゲーテやベートーヴェンという傑出した知識人だけではなく、シュレーゲルやフンボルトやショーペンハウアー、あるいは彼らを通じた二次的影響が、ひろくロマン主義の時代を蔽っていたことに感銘したからである。 

 英語圏では18世紀末からであり、「ギーター」の訳もすでに1785年に出版されている(Charles Wilkins訳)。アメリカでは19世紀の半ば、エマースンやソローなど超越主義者(トランセンデンタリスト)とよばれる一群の哲学者や思想家などが、これらヒンドゥー思想や哲学の決定的な影響を受け、自然そのものや内なる自然である人間の身体性を思考の根底に据えることによってのみ、近代キリスト教を含む西欧合理主義の狭い限界を超えることができるとした。 

 つまりドイツでもアメリカでもそれらは、哲学的合理主義や、産業革命によって台頭した経済的合理主義という人間存在の基盤を無視した──それが一方では実存主義的な非合理主義を生みだすことになるが──価値と思考体系の専制に対する反逆であったのだ。 

 1960年代末、アメリカにおいてヒッピーやステューデント・パワーとして爆発した「文化革命」が超越主義を再興させ、さらにその根源であるヒンドゥーに向かったのは当然である。

 それにくらべわが国ではどうか? いうまでもなく、仏教や仏教哲学を通じたインド研究は、わが国の長く深い伝統であった。だが明治の「開国」後、「富国強兵」としての経済的・軍事的合理主義の受容と、福沢諭吉を代表とする「近代化」あるいはその意味での「文明化」の積極的な受容によって、東洋思想や哲学は主流の地位から追いやられ、アカデミーの片隅に「文化財保護」としてほそぼそと継続するほかはなかった。「ギーター」も、《印度哲学》の専門の研究に限定され、一般の知識人にとっては疎遠な東洋の古典でしかなかった。

 だがいまほど「ギーター」が必要とされる時代はない。なぜなら、未曽有の危機のなかで、この苦境を解脱できる最高の知は、この苦境と取り組む意識的な行為(カルマ)を通じてしかえられないとする「ギーター」の説く真理は、生活のあり方を含めた自己の身体性と正面から取り組むことで思考体系を変え、それによってはじめて世界や文明の変革を手にすることができることを教えているからである。

時間とは死である 

 「ギーター」を読んでいて、深く教えられたことがある。それはサンスクリット語を含むインド・ヨーロッパ語では、《時間》という語は同時に《死》を意味することである。 

 1945年、トリニティ・サイトでの世界ではじめての原爆実験に立ち会ったオッペンハイマーが、爆発の瞬間に思いだしたとする「ギーター」の一節(おそらくPrabhavanandaC.Isherwoodの訳[1944]): 

I am become Death and the shatterer of worlds.  
「われ世界を滅亡に導く大いなる死なり、諸世界を打ち砕くためにここに来たれり」
(岩波文庫版[上村勝彦訳]と諸英訳を参考にした北沢試訳)

 では、死と訳した原語「カーラ」は、時間と同時に死や運命を意味する。多くの訳は「時間」と訳しているが、英語のTimeもドイツ語のZeitにも「死」という裏の意味がある(ハイデッガーの『存在と時間』は『存在と死』とも訳せるのだ! むしろこの方がハイデッガー哲学にふさわしい)。だが日本語にもロマンス語系言語にも「死」のコノテーションはない。私はこの場合日本語では「死」と訳すほかはないと考えた。

注■インドは地名であるが、文化や思想は地名を超えた地域に広がっているのでヒンドゥーという名称をとるのが最近一般的である。


北沢方邦の伊豆高原日記【107】

2011-07-23 20:52:16 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【107】
Kitazawa, Masakuni  

 西日本には被害をおよぼしたが、こちらには低気圧並みの雨と若干の風をもたらしただけで、台風6号は海上に去った。満開のヤマユリも一本も折れることなく咲き誇り、風に揺れている。室内に挿した一枝のお蔭で、家中にあでやかな芳香が漂う。

多様性、多様性! 

 生物の多様性が地球を救い、したがって人類を救い、文化の多様性が世界を救う、とたびたび述べてきたが、現在の危機的状況を救うのも技術や農業の多様性である、といっても過言ではない。 

 たとえばエネルギーである。太陽光や風力にのみ焦点があたっているが(それらもさらに効率化が必要だが)、その土地土地の条件にあわせた自然再生エネルギーは、もっと多様であるだろう。海があれば波浪・潮流、里山であれば小型水力、農村であれば堆肥製造プラントと組み合わせてバイオマスやエタノール、火山地帯であれば地熱、プレート境界近くであれば高温岩体、あるいは都市であればゴミ処理施設発電など、各地域の発想にもとづいた大胆な多様化が考えられる。 

 またいうまでもなく、火力発電所(今後はオイル・シェイルやサンドのガス化を含め、天然ガスが過渡的に有力である)の効率化や送電の効率化(いわゆるスマート・グリッド)からはじまり、産業のあらゆる分野や製品の省エネ化が必要であるが、かつての厳しい排ガス規制に対応した自動車エンジン技術で示されたように、わが国はその最先端に立つ力をもっている。 

 だが多様化が必要なのはエネルギー産業や製造業だけではない。2045年には人口90億に達するといわれている人類に、食糧危機の足音が刻々と迫っているが、農業の多様化こそがその死命を制するものであるといって差し支えない。

食糧危機と農業の多様化 

 最近世界的に穀物や大豆の価格が高騰し、ここ数年高止まりしている。たしかに先進諸国の金融緩和による投機が刺激していることは事実だが、かつて大豆の最大輸出国であった中国が最大の輸入国となった一事をみてもわかるように、いわゆる新興国の急激な需要増大がその主因である。わが国は、輸出業界を困惑させている円高のおかげで、食料品の急激な価格高騰は免れているが(それでも徐々に値上がりしはじめている)、それにも限界がある。 

 だが価格高騰といった目にみえる現象よりも、近代農業の目にみえない恐るべき脆弱性が潜在的な大問題である。 

 つまり過去に挫折した「緑の革命(グリーン・レヴォリューション)」が典型であるが、収量拡大のための品種の国際的単一化(近年はさらに遺伝子操作品種)、化学肥料・農薬の多投など、地域の特性やそれに応じてきた伝統農業や伝統的多品種の廃絶である。緑の革命の挫折は、すでに明らかにされてきたが、単一品種が病害虫に弱く、そのためますます多投される農薬や化学肥料が地力の劣化を招き、雨による表土の容易な流出をもたらし、ついには沙漠化にいたる。 

 アンデスのインディオたちが耕作していたジャガイモは数千の品種に昇り、現在でも数百種を数えるが、それは特定の品種が病害虫にやられても、他の品種は生き残るという古代から伝承されてきた知恵による。だがいわゆるコロンブス以後ヨーロッパにもたらされたのは、そのごく一部にすぎない。ジャガイモはヨーロッパの寒冷地の主作物となり、アイルランドではランパー種という改良された多収穫品種が普及したが、1845年、茎が枯れる伝染性の菌糸であっという間に作物は全滅し、数百万人が餓死し、あるいはアメリカに脱出した。合衆国大統領J.F.ケネディを生みだしたケネディ家は、そのときの難民の子孫である。 

 現在、小麦の病原菌である菌糸の強い変異体であるUg99とよばれるものが、ウガンダからアフリカや中近東にいたる地域で蔓延しはじめ、小麦の茎を枯らしている。インド、パキスタン、ロシア、中国といった世界の穀倉地帯に伝染していくのも、そう遠い将来ではないといわれている。多収穫性の単一品種、化学肥料・農薬の多投といった近代農業の巨大な陥穽が地獄の蓋のように口を開けはじめているのだ。

 予測される世界的食糧危機からの脱出の手掛かりは、それぞれの地域に応じた伝統農法の現代的変革と、それぞれの作物の多品種の復活である。伝統農法の現代的変革とはわが国でいえば、基本的には多品種有機農法と輪作・混交作など、江戸時代以来の農法の機械化であり、有機肥料プラントや地域エネルギーの自給化などと結びつけて農業のあり方を根本的に脱近代化することである。 

 私の子供の頃でさえ、米をはじめ穀物の品種は多様であったし、冬から春にかけての水田は、菜種や豆類が植えられ、春には視野一面が菜の花の黄色で染まった。また割ると中が紫色や白や赤のサツマイモなど、それぞれ違う味を楽しんだものである。菜種や豆類は土中の窒素分を増やし、病虫害に対する強さを与えて夏の稲作を助ける。 

 問題は多様な伝統種の種子である。わが国でも戦前の品種の多くは失われてしまった。農水省や農協をはじめ、危機感は極めて薄く、一部の努力は別として、シード・バンクへの関心もあまりないように思われる。国会での議論もない。 

 だが世界の先進諸国では、人類の生き残り戦略のひとつとして、政府組織・非政府組織を通じてシード・バンクへの関心がきわめて強く、予算や基金も豊富である。食糧危機を見越して海外の農地獲得に血眼になるより(いま大手商社がはじめている)、かつてのゆたかな農業国日本を、新しいかたちで再建することが先決である。
(「食料の《方舟》Food “Ark”」と題するCharles Siebertのきわめて示唆的な論文に刺激されて書いた。National Geographic July 2011)。


北沢方邦の伊豆高原日記【106】

2011-07-15 07:17:00 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【106】
Kitazawa, Masakuni

 7月9・10日のフォーラムのセミナーには間に合わなかったが、ヴィラ・マーヤのヤマユリが草の緑を背景に白く咲きはじめた。今年は例年より盛大に咲き誇りそうだ。梅雨明けの暑さでウグイスやホトトギスの鳴き声が間遠になったが、それでも涼しい朝夕はあちらこちらで鳴き交わす。梅雨明けのまえ30度となる日もあったが、いまは28度前後で安定した気温である。樹間を海風がさわやかに吹き抜ける。

なにが問題か 

 昨年の菅内閣の発足時に、旧知の間柄とて菅氏に総理大臣就任の祝辞を送ったが、期待を裏切られつづけてきた。だが問題は、他の内閣であったなら、この未曽有の大災害と原発大事故という異常な状況を適切に処理できたかどうかである。その答えはおそらく否定的であるだろう。なぜなら、わが国はたんに危機管理だけではなく、政治的意思決定の回路がきわめて脆弱、というよりも、たとえリーダーシップをもつ首相であってもそれを十分に発揮できないシステムとなっているからである。民主党が唱えた「政治主導」は、諸官庁に多くの議員を役職者として送り込むことによって、政治的意思決定の回路を補強しようとしたのだろうが、肝心の意思決定すべき政策内容が貧困であり、さらに小沢対反小沢などといった政策以前の醜い派閥対立(小沢派と鳩山前首相に多くの責任がある)が介在し、意思決定ができないという醜態をさらしてしまった。

 そのうえさらに根本的な問題がある。すなわち、すでに今回の大災害以前に、原発を大々的に推進してきた高エネルギー・高生産・高消費の「輸出立国」型経済体制の、膨らみきったバブルの破裂、金融工学にもとづくグローバリズムの世界制覇の挫折(近い将来にはおそらくいわゆる新興国のバブルの破裂)など、歴史的な袋小路に陥った文明の転換への要請がかつてないほど高まっていたにもかかわらず、自民党を批判し、「政権交代」を主張した民主党にも、場当たり的な改善策(それも高速道路無料化などといったほとんど無意味な)以外に、なんのヴィジョンも長期政策もなかったことである。

 現在の危機的状況のなかで、浜岡原発停止要請以来の菅氏の原発に関する諸「発言」は、それ自体きわめて妥当なものである。10年前の私のアドヴァイスがようやく効いてきたかという感がなきにしもあらずだが、たとえ独断専行であろうとも、文明の転換の第一歩は「脱原発」にほかならないし、そのための国民的議論の展開に火をつけなくてはならないからである。

 軍事利用であれ平和利用であれ、核開発は現世代だけではなく、人類の後続世代に大きな危険と負担を残す。老朽化した核弾頭や使用済み核燃料の増大し続ける蓄積、その生産や処理にともなう高濃度の放射性廃棄物など、完全な無害化には10万年を要するこれらのものを、安全に処理し、貯蔵する技術はないと断言してもさしつかえない。

 核エネルギーに転換できないウラニウム238に強力な中性子をあてて燃料とするとともに、プルトニウムを増殖するという高速増殖炉は、冷却材にきわめて危険な液体ナトリウムを使うため、事故つづきで各国は撤退したが、わが国の「もんじゅ」は事故で停止したまま、まだ撤退はしていない。これは軽水炉などよりはるかに危険な設備である。「夢の原子炉」などという核融合炉は、開発・研究に巨費が投じられているが、水素爆弾の原理、つまり太陽が燃える水素核融合の原理を安定的にコントロールする技術、いいかえれば軽水炉などと数桁ちがう超高温(太陽の表面温度は600万度である)を安定的に制御する技術は、おそらく完成不可能である。そのうえトリチウムや中性子など危険きわまる物質も不可避であり、また膨大な廃熱も予想されるこの「超高温」で、発電用のお湯を沸かすのですか?とからかいたくもなる。

 菅首相の延命に手を貸すつもりは毛頭ないが、近代文明の転換のために、とにかく核開発に未来はなく、「脱原発」がその第一歩だという発言だけは、執拗につづけていただきたい。


北沢方邦の伊豆高原日記【105】

2011-06-30 08:56:44 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【105】
Kitazawa, Masakuni  

 梅雨明けしたかのような青空がつづく。窓から吹き込む微風が涼しく、どこからともなく野生のジャスミンの花のえもいわれぬ芳香を運んでくれる。おそらく裏の森の樹の緑の枝にからみつき、白く咲いているのだろう。芳香の行方を定めてみたが、みつからない。

昨日から明日へと貫く音楽 

 6月28日オペラ・シティ・コンサート・ホールで行われたNHK交響楽団のMusic Tomorrow 2011で、本年度の尾高賞受賞作品、西村朗の『蘇莫者(そまくしゃ)』が、演奏というよりも上演された(指揮パブロ・エラス・カサド、天王寺楽所[がくそ]舞人)。

 2009年の作品で、大阪で初演されたものであるが、初演時と同じく、フル・オーケストラが取り囲む舞台中央に、青毛氈を敷き詰め、金の擬宝珠に朱塗りの欄干を四方に配した本格的な舞舞台をしつらえ、そこで黒褐色の異形の面に金襴の打ち掛けの蘇莫者の舞人を中心に、蔵面(ぞうめん)をつけた蘇利古(そりこ)など二人の舞人を添え、これも本格的な舞をともなうものである。

 日本雅楽(舞楽)の『蘇莫者』は、山の奥深い川瀬で聖徳太子(役[えん]の行者という説もある)が笛を吹いていると、信貴山の神が現れ出で、舞を舞ったという伝説にもとづいているが、それは太子の怨霊そのものであるという説もある。いずれにせよ、聖霊会(しょうりょうえ)で上演される重要な儀礼舞であり、太子の怨霊であれ信貴山の神であれ、神の荒御魂を鎮め、豊穣と平安を祈るものである。

 西村の音楽は、荒ぶる神の宇宙的な荒ぶる息吹と、その御魂鎮めという奥深い主題を、彼独特の重層的なヘテロフォニー技法で徹底的に表現し、聴くものを圧倒する。オーケストラのみの「前奏曲」、舞人の入場から舞に至る「乱声(らんじょう)」・「音取(ねとり)」・「序」・「破」と「後奏曲」からなるが、クライマックスの「破」の冒頭で雅楽『蘇莫者』の笛の主旋律がフル-トで吹きならされる(四天王寺の聖霊会では、舞台に昇った楽人が聖徳太子遺愛の笛と伝えられる笛でこれを奏でる)だけで、あとは雅楽の模倣や変奏のたぐいはいっさいない。

 だが不思議なことに、基本的なテンポとリズムはあくまでも『蘇莫者』の滔々とした流れであり、大太鼓や打楽器群が独特の間合いで、ずっしりと身体にひびく大地の音を打つ。舞も、いうまでもなく西村の音に合わせた創作であるが、伝承された基本的パターンはいっこうに崩れない。50分もの演目であるが、時間はあっというまに過ぎ去り、千年もまえの「昨日」の伝承が、「明日」へと大きく羽ばたくさまが見えてくる。

 そのうえ東日本大震災とフクシマ原発大事故の現在である。2009年に書かれたにもかかわらず、この幽暗にして雄大な鎮魂曲は、今日あるを予期して書かれたものとしか思われない。これこそまさに「知と文明の転換のための」音楽版といえよう。


北沢方邦の伊豆高原日記【104】

2011-06-15 08:51:06 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【104】
Kitazawa, Masakuni

 ガラス戸を開けて芝生にでると、さまざまな樹々の花々の香りが、いささか湿った大気のなかにただよってくる。ときおり近くにやってくるウグイス、ホトトギス、クロツグミ(?)の他を圧する囀りに混じり、メジロやジョウビタキやコガラなどガラ類の声が、昔に比べると少なくなったとはいえ、聴こえてくる。

 ニューヨーク・タイムズ書評紙からの雑感 

 仕事の都合でときおり溜め込んでしまうニューヨーク・タイムズの書評紙を、数週間分まとめて読むことになった。そのなかで関心をひいたいくつかを紹介しよう: 

 アダム・カーシュ(Adam Kirsch)の「歴史のための戦い」(The Battle for History)と題するエッセー(May 29)が面白い。イラク戦争やヴェトナム戦争が「汚い戦争Dirty War」であったという悔恨の念をこめた認識は、かなりひろくアメリカ人のあいだに浸透しているが、第2次世界大戦は、ナチズムや日本軍国主義などの諸悪と戦った「正義の戦争または善き戦争Good war」であるという認識は、知識層のあいだでもかなり一般的である。だが全面的にそうであるか、という疑問がここ数年来歴史界のなかで高まってきたという。 

 いうまでもなく戦争末期、ハンブルクやドレスデンを壊滅させた英米空軍による無差別絨毯爆撃(毛布爆撃blanket bombingともいう)、またカーティス・ルメイ将軍の指揮で一晩に10万人の死者をだした東京大空襲、あるいはヒロシマ・ナガサキを一瞬に廃墟と化し、数10万に昇る死者・負傷者をだしただけではなく、戦後何十年にもわたり延々とつづく被曝者の死亡など、非戦闘員を意識的に標的とした──ドイツでも日本でも都市に残っていた市民は、治安・防災要員は別としてほとんど女性と高齢者と中学生以下の子供であった──残虐な戦術・戦略は、はたして正義の戦争や善の名にあたいするかという疑問である。ある学者は、ナチスや日本軍がやったように、小銃や機関銃で非戦闘員を虐殺するのと、上空から爆弾・焼夷弾で虐殺するのとどこが違うのか、と述べている。

 それに加え連合国側でも、ソヴェト軍は枢軸側の捕虜や非戦闘員を意図的に虐殺し、ドイツや旧満州では、女性は見つけ次第強姦するのが敵への正当な復讐だとされた。ドイツ国防軍と赤軍との戦闘の主戦場であったロシア西部からドイツ東部にいたる地域で、両軍に虐殺された非戦闘員は1千4百万人に昇る(そのうち赤軍による虐殺は4百万人であり、ドイツ軍による1千万人のなかには、強制収容所において親衛隊が手掛けたユダヤ人6百万人が含まれる)。またイギリスの植民地インドでは、天候不順とイギリス軍による食糧徴発のため、ベンガルで飢饉が起こり、数万人が餓死するまで人種差別主義者の首相チャーチルは手を打たなかった(日記【84】でも取りあげた)。

 アメリカ歴史学界のこの新しい潮流は、すでに祖父たちの偉大なる戦争として半ば神話化されつつある第2次世界大戦を、「正義の戦争」でも「汚い戦争」でもなく、つねに道徳的問題を人類につきつける「戦争」のリアルな姿として正確に記憶にとどめなくてはならない、それが歴史であり、歴史家または歴史学者の使命なのであるというメッセージを告げている。

『ゲルマニア』とドイツ・ナショナリズム 

 ローマの歴史家タキトゥスに『ゲルマニア』という小さな本がある。現在のドイツの地に一度も足を踏みいれたことのないタキトゥスが、紀元前9世紀にライン河を渡って「未開の地」に攻め入ったクインクティリウス・ウァルス率いる強大なローマ軍団が、アルミニウス率いるゲルマン諸族の連合軍と、現在のオスナブリュック近郊の森で戦い、壊滅的な敗北を喫したできごと──その報を聴いたカエサルは激怒し「わしの軍団を返せ!」と怒鳴ったという──をもとに、野蛮と思われていたゲルマン諸族が、野蛮どころか誇り高く、勇敢で高潔な種族であり、快楽にふける頽廃的なローマ人よりもはるかに高貴だと称えた本である。 

 中世を通じ、長い間『ゲルマニア』は失われたものと信じられていた。だが1455年、ある孤立した修道院でその写本が発見され、のちに活字化されることとなった。18世紀、プロイセンのフリードリヒ大王がこれを読み、称揚して以来、フィヒテやヘルダーといった学者たちが、これぞわれらの祖先たちの偉大さを証する本であり、われらのよりどころである、として聖典のように扱った。 

 当時のドイツは、封建時代以来の無数の小さな領邦諸国からなる国で、統一された王国であるイギリスやフランスに劣等感を抱く「大いなる田舎」であった。50を超える諸部族を統一して勝利を収めたアルミニウスの故事に倣えとばかり、『ゲルマニア』はたちまちドイツ・ナショナリズムの聖典となった。19世紀末、ついにドイツは統一国民国家として成立し、数百年に渡る念願を果たすこととなった。

 だが『ゲルマニア』の影響はさらにつづき、ウルトラ・ナショナリズムつまりナチズムの興隆にまでいたる。ヒトラーやヒムラーはこれを愛読し、権力掌握後の1936年ニュルンベルク党大会──レニ・リフェンシュタールの恐るべき美しい映像が残されている──では、タキトゥスの文章を飾った「ゲルマニアの部屋」まで設置された。それはゲルマン民族の「血の純潔」と読みかえられ、ユダヤ人など「劣等種族」のホロコーストにいたったのだ。

 以上、ハーヴァードの古典学者クリストファー・クレブスの『もっとも危険な本:ローマ帝国から第三帝国にいたるタキトゥスの「ゲルマニア」』(Krebs, Christopher B..A Most Dangerous Book;Tacitus’s “Germania”From the Roman Empire to the Third Reich)とその書評(Cullen Murphy,June 12)による。

訂正●日記【102】で記述した勉強会は、古い日記を読み返して2001年の2月であったことが判明したので訂正します。なおそこでは脱原発の話題は私の持論であるので省略したらしく、懇談の場面で、民主党は新自由主義者小泉純一郎氏などに共鳴する鳩山由起夫氏が駄目にしたし、社民党は土井たか子氏のおかげで護憲のみを唱える新左翼残党と総評残党の弱小政党となってしまい、もはや政治状況に希望はないから、むしろ自民党の加藤紘一氏などと組み、新党を創りなさい。政策が斬新であればブームを起こしますよと助言した、と書かれてある。


北沢方邦の伊豆高原日記【103】

2011-05-30 17:56:23 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【103】
Kitazawa, Masakuni  

 樹々の緑が一段と濃さを増し、皐月つまり旧五月の到来を告げる色とりどりのサツキも咲きはじめた。例年より10日以上も早い梅雨入り宣言だが、今日は台風2号の変じた温帯低気圧も去り、久しぶりに青い空がひろがる。

グベクリ・テペの遺跡の物語るもの 

 クラウス・シュミットを中心とするドイツ考古学研究所が、1994年から手掛けたシリア国境に近いトルコ南部のグベクリ・テペ遺跡の発掘が進み、その全貌が明らかにされはじめた。

 それは、従来の考古学や人類学の定説をくつがえすような大発見といえる。『ナショナル・ジオグラフィック』誌6月号に掲載されたCharles C. Mannの記事にもとづきながら、その意味について考えたい。

 敗戦直後のわが国でも、人間や文明について一時期はげしい論争が交わされたことがある。それはマルクスとウェーバーを援用するこの二人の代理戦争ともいうべきもので、戦後の労働運動や左翼運動のたかまりもあって、結局マルクス主義が勝利したかのようにみえた。マルクスの立場は史的唯物論ともいわれるが、人類にはそれぞれ「下部構造」とよばれる生産様式の発展段階があり、その発展にしたがって知や文明といった「上部構造」が造られていく、とするものである。

 考古学の分野でこの史的唯物論をいわば完成させたのは、イギリスのゴードン・チャイルドである。彼はいまから約一万年から八千年前に起こったとされる農耕の開始とそれによる定住を「新石器革命」と命名し、この下部構造の「革命」によってはじめて宗教などの新しい上部構造が生まれたのだとした。これは今日にいたるまで、考古学や人類学の定説となり、私も無意識に継承してきた。

 他方マックス・ウェーバーは、資本の自己消費で蓄積ができず、発展しなかった古代資本主義と、利潤の回収とその投資という資本の蓄積と回転によって強大な発展を遂げた近代資本主義との差異に着目した。そして著名な『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の《精神》』で明らかにしたように、近代資本主義は、神の召命(コーリング=職業)に応じて勤勉と節倹に努め、得られた利潤は公共のものとして投資し、事業を拡大し、最良の製品を社会に多く還元すべきであるという、プロテスタント事業者たちの倫理から生まれたとした。事実近代資本主義は、イギリスや北ドイツなどプロテスタント地域で最初に台頭している。

 すなわちマルクスとウェーバーとの対立は、人間にとって経済が先か知が先か、の問題に還元できるだろう。

 この論争を踏まえてグベクリ・テペの遺跡に戻ってみよう。すると不思議なことが浮かびあがる。すなわちこの遺跡は、さまざまな彫刻をほどこした巨大な石灰岩の柱を対称的に配置し、石積みの円形の壁数層で囲んだ寺院と思われるもので、こうした寺院が隣り合っていくつも発掘されている。一つの円形寺院の規模は、イギリスのストーン・ヘンジなどよりはるかに大きい。しかも考古学的測定によると、この壮大な遺跡はストーン・ヘンジよりも七千年も先立ち、いまから約一万一千六百年前に建てられたものとされる。いいかえれば「新石器革命」より千年以上も前の建築物なのだ。

 したがってこれら「寺院」の周辺には住居跡などいっさい痕跡はないし、これらを建てる労働に従事した、あるいは祭儀で集まったと思われる人々が残した食物の残滓は、狩猟でえられる動物の骨や野生の穀物の種などであり、のちの栽培種などはみられない。つまり狩猟採集生活のひとびとがこの壮大な遺跡群を建立したのだ。なんのために?

 いうまでもなく、通常は分散してバンドとよばれる小集団で生活する狩猟採集民たちが、暦の特定の日、つまり冬至や夏至、あるいは春分や秋分などの日にここに集い、儀礼をおこない、賑やかに祭りを繰りひろげ、交流を図ったに違いない。事実巨大な柱付近からは、祭祀の捧げものと思われる羽飾りなどが発見されている。

 史的唯物論あるいはマルクス主義歴史観のみごとな敗北である。「新石器革命」で生産様式が変わるはるか以前に、「上部構造」または宗教が存在し、壮大な建築物が造られていたのだ。知は経済に先立つ!

 これは現代のわれわれにとっても教訓である。つまり新しい知を打ち建てれば、経済あるいは生産様式を変えることができるかもしれない。ヒロシマ・ナガサキあるいはフクシマ後の世界を変えるためには、まず知の革命が必要なのだ。


北沢方邦の伊豆高原日記【102】

2011-05-21 17:57:16 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【102】
Kitazawa, Masakuni
 

 伊豆高原中に匂っていた柑橘類の花々の甘い香りも失せ、さまざまな樹々の花々が白く咲き誇っている。卯月つまり旧四月の名の由来である卯の花(ウツギの花)も盛りで、緑の木の間に淡い黄色がこぼれんばかりである。卯の花とくれば、もちろん空にはホトトギスのけたたましい声が、ウグイスを圧倒するばかりにひびく。

原発の「思い出」 

 自動車の定期点検を待つあいだ、ディーラーの明るい展示室で、ふだん広告以外に読むことのないいくつかの週刊誌に目を通した。そのなかで東電の内幕を書いた記事があり、そこに登場したかつての副社長の名に、鮮明な記憶がよみがえった。 

 1990年代の終わりだったと思うが、当時民主党の代表に復活した菅直人氏を招いて、新潟・魚沼のある温泉施設で勉強会を行ったことがある。それは東電が柏崎原発の代償として、地元の各地にいくつか造ったいわゆるハコモノのひとつ(いうまでもなく政府は巨額の原発立地交付金を地元に別に払っている)で、仄かな照明に照らされた雪景色を見ながらの露天風呂はまた格別であった。 

 夕食をはさみながらエネルギー問題の討議を行ったが、私がドイツにならって2020年代までに原発を撤収すべきであり、そうしたスケデュールを設けることで自然エネルギーのみならず、あらたなエネルギー開発や省エネルギー技術が促進される。太陽光・風力・地熱・高温岩体・小型水力発電・波浪・バイオマスなど、むしろわが国は自然エネルギーの資源大国であり、省エネルギー技術でも世界のトップに立ち、技術輸出ができるはずである、もし2020年代にいたっても代替エネルギーが十分でなかったなら、そのとき原発を暫定的に延長すればよい、と1時間あまり述べ立てた。 

 同席者の一人が「今日は北沢先生冴えていますなあ」とほめてくれたが、肝心の菅氏はあまり納得したようにはみえなかった。勉強会が終わったあと、オブザーヴァーとして同席していた東電の副社長(私は当然反論があるものとばかり思っていた)が、私に、同じ話を東電の幹部たちに話していただけないか、と思いがけない提案をしてくれた。もちろん喜んで、と名刺を交換し、名をみたら山本勝とあった。 

 伊豆に帰って一度連絡があり、7月ごろにお願いしますということであったが、その後連絡はなく、どうしたのかと思っていると、ある日新聞の訃報欄に急死の知らせが載っていて、驚くことになった。 

 当の週刊誌の記事によれば、彼は有力な次期社長候補であり、きわめて先見の明のある有能なひとであったという。もし彼が社長であったなら、福島原発もこのような事態に陥らなかったかもしれないし、大事故後の処理ももっと早く適切に行われていたかもしれない。私にとってはただ一度の出会いであったが、心に残る「原発の思い出」となった。

リスト・フェレンツの生誕200年祭 

 大震災のおかげもあるかもしれないが、今年はフランツ・リスト(父親がハンガリー人であり、彼自身もハンガリー人と考えていたから正式にはリスト・フェレンツである)の生誕200年祭というのに、目立った催しはない。その原因のひとつは、多くの日本人にとってリストは音楽的にもあまりにもスケールが大きく、人格や行動も破天荒であり、理解しがたい点にあると思う。 

 つまりモーツアルトやショパンも、多くの日本人の理解を超えた奥深さや偉大さがあるにもかかわらず、彼らは「天使の美」や「音の詩人」などといったセンティメンタリズムによる矮小化の枠に収められ、その生誕祭は熱狂的に祝われ、絶大な人気を博すことになった。だが、ベルリオーズもそうであったが、リストは、そのようなセンティメンタリズムをまったく受けつけない叙事詩的で記念碑的な芸術、つまり絵画上でドラクロアが行ったようなロマン主義の劇的で英雄的な側面を追求したひとといえる。 

 その意味でリストは音楽の革命家であったが、同時に政治や思想上の革命家でもあったのだ。 

 リストやベルリオーズの青春時代は、ユートピア社会主義の全盛期であり、とりわけこの二人はサンシモン主義者の同志として活動し、また異国にあってもつねに「危険人物」としてメッテルニヒの秘密警察の尾行に会っていた(その記録がいまでもウィーン警視庁の古文書館に残されている)。とりわけリストはハンガリー独立運動にもかかわり、巨額の資金の提供者でもあったため、一時期逮捕の危険にさらされていた。

 1830年の七月革命、さらには1848年の二月革命でどのような活動をしたか不明(二人とも革命の挫折後の反動期に口を閉ざして生きていたがため)であるが、決起した労働者のために、革命の指導者のひとりであったラムネーの詩によって書いたリストの「労働者の合唱」(1848年と推定されている)という革命歌が残されている(なんとナチス台頭の前夜、ウェーベルンがこの曲をオーケストラと合唱のために編曲し、労働者たちの祭典で指揮している)。

 社会革命や独立革命の挫折後の暗黒の反動期に、たしかにリストはカトリックの信仰を深め、多くの宗教作品を書いているが、それも彼の革命家としての信条を裏切るものではない。なぜなら、サンシモン主義そのものがすでにカトリック社会主義であったし、有名な「小鳥に説教するアシジのフランチェスコ」にみられるように、その信仰は、イスラーム神秘主義者ルーミーとともに太陽や自然をほめたたえるフランチェスコの原点に帰るものであったからである。

 いうまでもなく、リストは音楽においても革命家であった。ベルリオーズやワグナー同様、ベートーヴェンの後期の様式の圧倒的な影響を受け、その「ディアベッリ変奏曲」(彼はヨーロッパの各地でこの作品や後期のソナタを演奏し、その普及に絶大な影響を及ぼした)の万華鏡のような革命的な技法を、「変奏」ではなく「変換(トランスフォーメーション)」としてとらえ、伝統的な和声もその必要に応じて同じく変換し、自己のピアノ作品で徹底的に追求した。晩年の『巡礼の年』第3年の2曲の「ヴィラ・デステの糸杉」や「ヴィラ・デステの噴水」が存在しなかったならば、ドビュッシーやラヴェルは存在しえなかったといっても過言ではない(事実彼らは晩年のリストの様式に直接影響を受けている)。

 彼のハンガリー諸作品がなければ、スメタナやドヴォルジャークをはじめとする各国の国民楽派の台頭もありえなかったかもしれない。

 この巨人のあまりにも膨大な作品は渉猟するだけでも大変であるが、生誕200年祭のこの機会に、ぜひ埋もれた諸傑作を発見してほしいものである。


北沢方邦の伊豆高原日記【101】

2011-05-03 19:11:14 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【101】
Kitazawa, Masakuni  

 満開だったツツジの花々も散りはじめ、樹々も、もはや新緑とはいえないほど色濃くなってきた。ヴィラ・マーヤの庭に競い立つヤマユリの新芽も、かなり大きくなった。福島原発を避難してきた橋本宙八さんご自慢の二人の娘さんが入居し、賑やかとなった。二人ともきわめて知的で感性ゆたかなひとたちで、知り合ってよかったと思う。

ウサマ・ビン・ラディン氏 

 お嬢さんたちを送ってきた橋本夫妻と田中亮二さんと六人で、楽やで夕食を共にし、ヴィラ・マーヤに帰って自然酒をかたむけながら、夜更けまで議論で盛りあがった。そのときイスラームの話題となり、アル・カイダやいわゆるイスラーム原理主義についてどう思うかと聴かれ、日頃の持論を開陳した。つまり彼らは先進諸国、とりわけアメリカの覇権に対抗するため、イスラーム思想を近代イデオロギーと化し、イスラーム本来の深い思考体系をむしろ頽廃させたというものである。そのおりに私がふと、「しかしビン・ラディンさんは偉いよ、たったひとりでアメリカに対抗しようとしたのだから」と漏らしたが、まさにその時刻、現実のビン・ラディン氏はアメリカ軍特殊部隊に射殺されていたのだ。テレパシーともいうべき不思議なできごとであった。 

 9・11事件やビン・ラディン氏については、すでに多くの場所で書いてきた(自伝『風と航跡』終章、『感性としての日本思想』あとがきなど)が、それらと重複するがあえて要約的に記しておこう。 

 私はガーンディを尊敬しているし、個人として自衛手段以外の暴力を認めず、したがって無差別テロに反対するが、社会や国家のレベルで政治表現の公の手段をもたない集団が、その表現としてデモや対抗暴力といった手段を取ることは当然だし、追いつめられた極限状況でゲリラやテロに訴えることもありうることだと理解している。 

 預言者を気取るつもりは毛頭ないが、あの年の8月、神奈川ネットという地域政党に招かれ横浜で講演し、そのなかで、成立したばかりのジョージ・W・ブッシュ政権があまりにも新保守主義的で反動的な政策を実行しているが、それに対して近く必ず大規模なテロが起こるにちがいないと述べたことがある。

 それがあのようなかたちになるとは想像もできなかったが、黒煙をあげて炎上し、崩壊し、多くの犠牲者に無慈悲な死をあたえたあの世界貿易センターの双子の塔のオンライン映像を見た瞬間、ついに起こるべきことが起こったかと、私は背筋に戦慄をおぼえた。

 またいわゆる先進諸国内の差別されたひとびとを含み、世界の各地でこの映像に快哉を叫んだ多くの民衆がいたことも忘れてはならない。それはかつての政治的・軍事的帝国主義の時代は終わりを告げていたにもかかわらず、経済的覇権を求めるグローバリズムの飽くなき追求と、それによる収奪や抑圧にあえぐひとびとがいかに多かったかを示している。彼らにとってウサマ・ビン・ラディン氏は英雄であったのだ。

 世界史上ヒトラーやスターリンのように悪名高き英雄は数多い。だがビン・ラディン氏はそのような英雄ではない。自己の権力に酔い痴れ、他国を侵略してさえも自国の富や領土を拡張しようとし、意に染まない種族や民衆を大量殺戮し、あるいは餓死するがままにさせたヒトラーやスターリンとはまったく異なり、彼はイスラームの大義のために殉教し、大衆を救済しようと、少なくとも意図していた。いうまでもなくそのイスラームの大義は、彼のなかで近代イデオロギーへと変質した誤った観念にすぎなかったのだが。

 ヒトラーやスターリンは、近代が生みだした怪物である。観念とイデオロギーと、そのために必要とされる経済的・軍事的合理性、ウェーバー風にいえば目的合理性を徹底的に追求したリヴァイアサンにほかならない(ホルクハイマーが指摘したように、ナチスは「理性の過剰」によって生みだされた)。

 だがビン・ラディン氏は、その手段と方法がまったく間違っていたとしても、清貧と禁欲のなかで解脱や神との一致を追求した東洋の聖者たちの伝統を、いささか踏まえていないこともないように思われる。


北沢方邦の伊豆高原日記【100】

2011-04-25 09:57:03 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【100】
Kitazawa, Masakuni  

 季節の移り変わりが早い。桜餅色の八重桜が咲き乱れたかと思うと、もう新緑一色となり、緋色のツツジが咲き誇り、白や淡紅色の花も追い咲きしている。あちこちでウグイスが鳴き交わし、昨年の「ホー・ギルティー(ほう、有罪だって)」君も健在である。ときおり私の知らない鳥が、きわめて美しい声を聴かせてくれる(これも英語風に「ヒア・ビー、ヒア・ビー、セイ・リーグ、セイ・リーグ」と聴こえる)。今朝窓を開けたら、近年には珍しく、朱色の頭をかしげて、かなり大きいアカゲラがヤシャの木の枝に止まっていた。かつて電柱が木製であった頃、早朝、機関銃のようなけたたましい音をたてて無数の穴をあけ、いつも私たちの眠りを妨げていたものだが。

エネルギー問題と人間の生き方と知恵 

 1994年、はじめてプラーハを訪れたとき、航空機の窓から見おろす夜の古都のあまりにも暗い光景に驚いたことがある。しかし地上に降り立ってみると、いまにも馬車のひずめと車輪の音がひびいてきそうな街路の石畳を照らす古風な街灯や、18・9世紀以来ほとんど変わらないバロックやロココ趣味の屋並みから漏れる仄灯りなどが、きわめて落ち着いた奥行きのある雰囲気をつくりだし、心を癒してくれた。むしろ出発した東京のあまりにもけばけばしく派手な人工照明が、安っぽく思われるほどであった。 

 東日本大震災、そして世界を震撼させた福島第1原発の大事故、それにともなう計画停電や節電のお蔭で、夜の東京は光の厚化粧をやめ、落着きと反省の空間を造りだしたかのようだ。だがその空間のなかで、原発の安全神話崩壊についての言説は溢れているが、問題のもっとも深い本質を突く言説は稀だ。いうまでもなくそれは、「消費は美徳」「無駄の制度化」などというモットーのもとで、経済成長のみが豊かさをもたらすという妄説を展開し、地球資源を収奪し、その浪費によって環境を破壊してきた近代の思考体系と、それによって造りあげられた文明のおごりである。 

 今回の大災害は、その思考体系を根本的に転換する絶好の機会といえる。そのためにはまず、「人間」とはなにかを、もう一度根本的に問い直すことからはじめなくてはならない。 

 近代の人間観は、この地上では人間のみが他の生物に優越する特別な存在であるとしてきた。いうまでもなくこれは、人間のみが神に選ばれた存在であり、その救済のために神が一度だけ人間の姿をとってこの地上に現れたとするキリスト教の人間観に由来する。だがむしろそれは、世界史のなかでは例外的な考え方である。兄弟宗教であるイスラームでさえ、神(アッラーフ)は人間を含めすべてを超越した存在であり、予言者に啓示をあたえはするが、人間を特別あつかいはしない。 

 誤って未開とよばれる社会や古代では、すべての生物は人間と平等な存在である。アメリカ・インディアンによれば、「2本足のヒト」は、「4本足のヒト」「空を飛ぶヒト」「根の生えたヒト」などと同じヒトであった。だがこうした考えは、いまとなってはむしろ最先端の生物学と一致する。ヒトをはじめとするさまざまな生物のゲノム(遺伝子配列)の解読は、ヒトと他の諸生物との差異が予想以上に少なかったことを示し、こうした平等観を裏づけている。さらにダーウィン進化論の書き換えをうながしている微生物科学やエピジェネティックス(後発生遺伝学)は、生物・無生物を含めた万物が複雑でダイナミックな共生関係にあり、環境などとの後発的な相互作用でゲノムさえも変異することを明らかにしている。ヒンドゥーや仏教や道教は、太古からこうした科学的知見を宗教や哲学の言語や知恵として説いてきた。 

 いま、宇宙や大自然の大きな体系のなかで生かされている人間存在を認識し、学んできた古代や「未開」の知恵、さらには最先端の科学の知恵を知ることは、近代の人間観の根本的な転換に寄与する。 

 その立場に立つと、現代の文明がいかに不自然であり、宇宙や地球を動かしている体系といかに矛盾しているかがわかる。 

 たとえば原発は、恐るべき危険性をもつだけではない。たしかに人間には火が必要である。だが摂氏100度で水を沸騰させることができるのに、なぜ危険な放射性物質を使ってそのほとんどが無駄な廃熱となる数千度の熱をださせなくてはならないのか。原発とは、いかに熱効率の悪い巨大テクノロジーであることか! 発電コストの安さも虚偽で、建設から廃炉にいたる膨大な費用(あるいは今回示された災害による巨大な補償費!)が除外されている。

 核ミサイル搭載潜水艦用に開発された原子炉から転用された発電用原子炉、大陸間弾道弾用に開発されたミサイル技術の転用である宇宙開発(私はそのすべてを否定するつもりはないが)など、国家の威信をかけて開発される諸巨大テクノロジーは、いまこそその存在意義を問わなくてはならない。シューマッハーの説いた《スモール・イズ・ビューティフル》はたんに規模だけの問題ではない。地球との共生をめざす哲学と美学の問題である。

 その原点に立つと、われわれの生き方もみえてくる。必要最小限度のエネルギー消費にもとづき、必要最小限度の利便を享受し、そのうえで自然や人間相互の共生を目指す生き方である。経済成長や「繁栄」に踊らされるのではなく、みずからの生き方や知や感性を充実させる自己実現が目標でなくてはならない。それが老子の説いた《知足》つまり足るを知るにほかならない。

 ひとびとが生き方を変えれば、消費社会も、産業体系も変わらざるをえない。だが残念なことに、この大災害を教訓に、その方向を予見し、長期政策を立てようとする政治家も政党も皆無である。

隠されたリアリティ 

 待望のブライアン・グリーンの『隠されたリアリティ』Greene,Brian. Hidden Reality;Parallel Universes and the Deep Laws of the Cosmos.2011を読了した。タイトルに魅せられ、あまりも期待しすぎたためか、少々期待外れであった。ストリング理論の現状や多様な平行宇宙理論の現在の見取り図を、かなり専門的な立場から精緻に展開しているが、むしろそれが展望の拡散を招き、「隠されたリアリティ」そのものが茫漠としたイメージになってしまった。

 たしかに物理学的宇宙論や量子論が現在多岐にわたっているが、それはパラダイムの「革命」のあとでつねに生ずる状況であって、いずれ収束に向かうにちがいない。だがそのとき必要なのは、むしろ次に到来する新しい世界像とそれを導く哲学である。

 ただ細部については多くを学んだので、私としてはそれを今後に生かしたい。