今日は江戸博で「五百羅漢 ―増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」展に。
数年前から話題になっていて、ずっと観たかった展覧会。
いやー、噂にたがわぬすごい作品でした。
狩野一信は、1816年生まれの絵師。
名前からすると典雅な狩野派の人かと思いきや、実はあんまり縁の無い在野の絵師で、幕末の時期、芝増上寺に住み、十年かけて五百羅漢図を100幅描いた。
凄まじく迫力のあるその作品は、蕭白、若冲にも通じる印象だけど、もっとアクが強く、一度観たら忘れられない。
で、せっかく人生を賭けて描いた五百羅漢図だけれど、96幅まで描いたところで一信は亡くなってしまい、その作品もずっと忘れられていたとのこと。
しばらく前にぐうぜん発見され、今回、大規模な展覧会で一挙に公開されることになった。
羅漢とは、釈迦の弟子で、悟りに達した尊い聖者のこと。
まずびっくりするのが、羅漢達の「濃さ」。
眉毛もじゃもじゃ、筋肉隆々、実に人間臭い羅漢達が、大きな絵の中に沢山。
それぞれの絵は「余白の美」なんて言葉は無縁の「濃さ」。
羅漢だけでなく、動物や植物が生き生きと隙間無くびっしりと描き込まれている。
100幅の絵は、いろいろなテーマに分かれて描かれているんだけど、羅漢達が瞑想していたり、仏像を彫っていたり、議論していたりといった平和な日常生活から、地獄にいたり、鬼達を退治していたりと、ドラマチックなシーンもあって飽きさせない。
びっくりしたのが、羅漢達の神通力を描いた作品群。
この絵の中では、頭から水を噴出させている羅漢が・・・。
こちらの羅漢は、実は不動明王の仮の姿で、「ジャーン!」とばかりに顔の皮をはがすと不動明王のお顔が・・・。
いったいどういう発想なのか。
素晴らしい。
他にも教典からビームが出て鬼を退治していたり、へんてこりんな動物達が登場したり、ホント楽しすぎる。
昨日は日本民藝館で渋い江戸の美を観て、今日はこの濃い五百羅漢。
江戸の振り幅の大きさを実感した週末でした。
数年前から話題になっていて、ずっと観たかった展覧会。
いやー、噂にたがわぬすごい作品でした。
狩野一信は、1816年生まれの絵師。
名前からすると典雅な狩野派の人かと思いきや、実はあんまり縁の無い在野の絵師で、幕末の時期、芝増上寺に住み、十年かけて五百羅漢図を100幅描いた。
凄まじく迫力のあるその作品は、蕭白、若冲にも通じる印象だけど、もっとアクが強く、一度観たら忘れられない。
で、せっかく人生を賭けて描いた五百羅漢図だけれど、96幅まで描いたところで一信は亡くなってしまい、その作品もずっと忘れられていたとのこと。
しばらく前にぐうぜん発見され、今回、大規模な展覧会で一挙に公開されることになった。
羅漢とは、釈迦の弟子で、悟りに達した尊い聖者のこと。
まずびっくりするのが、羅漢達の「濃さ」。
眉毛もじゃもじゃ、筋肉隆々、実に人間臭い羅漢達が、大きな絵の中に沢山。
それぞれの絵は「余白の美」なんて言葉は無縁の「濃さ」。
羅漢だけでなく、動物や植物が生き生きと隙間無くびっしりと描き込まれている。
100幅の絵は、いろいろなテーマに分かれて描かれているんだけど、羅漢達が瞑想していたり、仏像を彫っていたり、議論していたりといった平和な日常生活から、地獄にいたり、鬼達を退治していたりと、ドラマチックなシーンもあって飽きさせない。
びっくりしたのが、羅漢達の神通力を描いた作品群。
この絵の中では、頭から水を噴出させている羅漢が・・・。
こちらの羅漢は、実は不動明王の仮の姿で、「ジャーン!」とばかりに顔の皮をはがすと不動明王のお顔が・・・。
いったいどういう発想なのか。
素晴らしい。
他にも教典からビームが出て鬼を退治していたり、へんてこりんな動物達が登場したり、ホント楽しすぎる。
昨日は日本民藝館で渋い江戸の美を観て、今日はこの濃い五百羅漢。
江戸の振り幅の大きさを実感した週末でした。
楽しみ!