最近、家の蔵書を整理している。
っていうか、いっつも捨てる本を探している状態。
そうじゃないと狭い家が本で溢れちゃうので。
で、今回も捨てる本を選んでいたんだけど、書棚の奥から出てきた本はなかなか面白そう。
で、捨てる前にもう一度読み直すことにしてみた。
最初の一冊が、「だめ!」(河出書房新社)
1999年に出た本で、当時、少しだけ話題になっていた「だめ連」という集団(?)の当事者たちが自分たちの活動について語った本。
だめ連についてはこちら(ウィキ)
まあ、働きたくなかったり、人間関係に悩んでいた人たちが、「だめ」を共通認識としてゆるく繋がって、様々な活動をしたりメディアに登場していた運動体。
単に「だめ」を否定的にとらえるのではなく、自分たちが「だめ」とされる世の中は果たして正しいのか、「だめじゃない」と認識されている人たちは何なのか、と言ったことをラジカルに定義しなおそうとしていたみたい。
今ならネットでなんとなく繋がっているんだろうけど、当時はそんなのそれほど普及していないので、交流はもっぱら「直接会う」こと。
さらに公園や河原でイベントしたり、共同保育をしたり、居候したり、なかなか活発。
僕は学生時代、友達と3人で共同生活をしていて、いっつも誰かがそこに居候しに来る様な生活をしていて、すごく面白かった。
で、またそうした暮らしをもっと規模を大きくして(20人とかで)再開したいと思っていたときにこの本を読んだことを思い出した。
結局実現できなかったけど・・・。
今は「だめ連」も活動停止してしまったみたいだけれど、ダメの定義とか、つながりの実践とか、今でも刺激的な一冊だった。
っていうか、いっつも捨てる本を探している状態。
そうじゃないと狭い家が本で溢れちゃうので。
で、今回も捨てる本を選んでいたんだけど、書棚の奥から出てきた本はなかなか面白そう。
で、捨てる前にもう一度読み直すことにしてみた。
最初の一冊が、「だめ!」(河出書房新社)
1999年に出た本で、当時、少しだけ話題になっていた「だめ連」という集団(?)の当事者たちが自分たちの活動について語った本。
だめ連についてはこちら(ウィキ)
まあ、働きたくなかったり、人間関係に悩んでいた人たちが、「だめ」を共通認識としてゆるく繋がって、様々な活動をしたりメディアに登場していた運動体。
単に「だめ」を否定的にとらえるのではなく、自分たちが「だめ」とされる世の中は果たして正しいのか、「だめじゃない」と認識されている人たちは何なのか、と言ったことをラジカルに定義しなおそうとしていたみたい。
今ならネットでなんとなく繋がっているんだろうけど、当時はそんなのそれほど普及していないので、交流はもっぱら「直接会う」こと。
さらに公園や河原でイベントしたり、共同保育をしたり、居候したり、なかなか活発。
僕は学生時代、友達と3人で共同生活をしていて、いっつも誰かがそこに居候しに来る様な生活をしていて、すごく面白かった。
で、またそうした暮らしをもっと規模を大きくして(20人とかで)再開したいと思っていたときにこの本を読んだことを思い出した。
結局実現できなかったけど・・・。
今は「だめ連」も活動停止してしまったみたいだけれど、ダメの定義とか、つながりの実践とか、今でも刺激的な一冊だった。