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まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.先生の嫌いな言葉は?

2013-09-24 22:50:50 | 幸せの倫理学
昨日に引き続いて、今日は私の嫌いな言葉です。

嫌いな言葉もいろいろあるんですが、とりあえず現時点でのワーストということでこれです。

A.私の嫌いな言葉は 「ムリ」 です。

福大のテストやレポートでこの言葉を気軽に使う若者が多いんですよ。

「戦争をなくすのはムリだ」 とか、

「自由 (自由権) と幸福 (社会権) を両立させるのはムリだ」 とか。

たしかに生半可なことでは解決できないような難しい問いを与えていることは百も承知なんですが、

しかし、そんなに簡単に 「ムリ」 という一言で終わらせてほしくないんですよね。

「ムリ」 という言葉は一度発してしまったら、それ以上の思索や模索を一切遮断してしまいます。

しかし、人類の歴史を振り返ってみれば、

ムリに決まっていることを乗り越えてきたことばかりじゃありませんか。

人間はずっと空を飛びたいと望んでいましたが、

それは長い間まったくムリなことでした。

ましてや月に行くなんて絶対に叶わない夢のはずでした。

病気だって、ほんの百数十年前の江戸時代には、

結核や麻疹などたいがいの病気を治したり防いだりすることはできませんでした。

しかし、「ムリ」 は 「可能」 になったじゃないですか。

今はムリでも、いつかは可能になるかもしれないんです。

なので、若い人たちにあまり安易に 「ムリ」 という言葉を使ってほしくないんです。

「ムリ」 という言葉で可能性の芽を摘んでしまうよりも、

「ムリ」 をどうやって 「可能」 に変えられるか知恵を絞ってもらいたいと思うのです。

「ムリ」 の反対語は 「考えろ」 です。

私の大好きな映画 『ダイハード』 ではテロリストに占拠された高層ビルに取り残された主人公は、

自分に向かって 「Think,think!」 とつぶやいて自らを叱咤激励していました。

アメリカの映画やテレビドラマではよくこの 「Think,think!」 という独り言が出てきます。

別に私は取り立ててアメリカのことが好きなわけではありませんが、

困ったときや苦境に陥ったときにすぐに 「ムリ」 といって諦めてしまう日本人的発想よりは、

「Think,think!」 と自分を励まして何とか打開策を探ろうとする文化のほうが、

強くて柔軟な文化であることは間違いないだろうと思います。

皆さんも 「ムリ」 を口癖にするのではなく、

「考えろ、考えろ」 と自分を励ます習慣を身につけていただきたいと思います。

Q.先生の好きな言葉は?

2013-09-23 19:30:33 | 幸せの倫理学
もともとは 「Q.先生の好きな言葉、嫌いな言葉は?」 という2つの質問でした。
これは以前からいただいていた質問ですが、いずれもなかなかひとつに絞りきれず、
どうお答えしたらいいか悩んでいた質問です。
しかし、いつまでも悩んでいてばかりでも仕方ありませんので、
とりあえず現時点での好きな言葉、嫌いな言葉をとにかく1つ挙げることにしましょう。
まず今日のところは好きな言葉から。
うーん、いろいろあるんだけどなあ。
でも、現時点で1つだけ挙げろと言われたらこれかなあ?

A.君も日本一になれる才能の持ち主だ!

これは小学校5、6年生のときの担任のF先生が、
よく言ったり、黒板に書いたり、学級新聞に載せたりしていた言葉です。
子どもの頃の私はまったくの落ちこぼれで、劣等感の塊でした。
学力的にも、運動神経的にも、容姿や体格的にも何ひとつ誇れるものはなく、
自分に対して自信というものをまったく持っていませんでした。
F先生のクラスになって、先生があのセリフを繰り返し言ってくれても、
私にはまったく関係のないことだと思っていました。
この人は何をバカなことを言ってるんだろうと。
ただ、毎日のように執拗に言われ続けましたので、記憶にだけは残っていました。

この言葉が自分にとって意味のある言葉だとわかってきたのはいつの頃からでしょうか?
どうもはっきりと覚えていないのですが、
大学院の博士課程を受験して、研究者の道を進もうと決心した頃にはすでに、
この言葉を自分なりに解釈して、自分にとってもこれは大事な教えであると理解していました。
フツーに考えれば、誰もが皆日本一になれる才能を持っているわけがありません。
日本の人口だけ日本一になれる人間がいるなんてバカげているように思います。
ただあるとき、日本一といっても、いろんな日本一があるよなあと気づいたのです。
「日本一の哲学者」 とか 「日本一の倫理学者」 になるのは大変です。
西田幾多郎とか和辻哲郎とかむちゃくちゃビッグな先人がいますので、
そういう人を超えるというのはとてつもなく困難なことです。
そういう故人は置いておくとしても、今生きている人たちの中だけでもNo.1になるのは大変です。
ただ、そんなに大きなカテゴリーで考えなくともいいんじゃないの、というのが私の気づきでした。

「哲学者」 や 「倫理学者」 というのをもうちょっと範囲を狭めて、
例えば、「カント研究者」 とか 「平和論研究者」 とかに限定してしまうのです。
いや、「日本一のカント研究者」 になるのもめちゃくちゃハードルが高いです。
私の通っていた法政の大学院には当時、著名なカント学者が2人もいて、
その下にカント研究を志す若手研究者が集まってきていましたから、
先輩たちのなかにもものすごい人がたくさんいました。
そんななかでとんでもない回り道をしてきてしまった私はカント研究者としても落ちこぼれでしたので、
とてもじゃないけど師匠や先輩たちを差し置いて、
「日本一のカント研究者」 を目指そうと思えるほどの器ではありませんでした。
しかし、大学院修士課程2年目の頃から、「カント研究者」 というカテゴリーをさらに小さくしたら、
(これをコーチング業界では 「チャンク・ダウンする」 と言います)、
「日本一」 というのもまんざらムリでもないかもしれないなと思うようになったのです。
どうチャンク・ダウンするかというと、例えば、
「日本一カントの法哲学のことをよくわかっているカント研究者」 とか、
「日本一カントの 『人倫の形而上学』 という本のことを理解しているカント研究者」 とかです。
ゼミや研究会の場で議論していると、いつもはボコボコにされっぱなしなのですが、
あるテーマや話題になると、先生や先輩方とも対等に議論できる場合があるし、
時には、自分のほうがカントのことをよくわかっているんじゃないかと思えるときも出てくるのです。
そうやって限定的な場面を設定するならば、
自分だって日本一になれるのではないかと考えられるようになってきたのです。

これは 「ナンバーワン」 というよりは 「オンリーワン」 をめざす戦略です。
オンリーワンといえる土俵を見つけて、そこでナンバーワンを名乗ってしまおうというやり口です。
日本一というのをこういうふうに捉え返してみると、
「君も日本一になれる才能の持ち主だ」 というのはたしかにその通りで、
どんなに特殊な、どんなにピンポイントな才能や特技でもいいですので、
それを見つけてそれを磨いていけば、誰だって日本一くらい簡単になれるのではないでしょうか。
私のブログをよく読んでくださっている方ならば、
この話が私の 「幸福になる方法」 の話の応用バージョンであるということがおわかりでしょう。
例の 「欲求・欲望を小さく抑えることによって幸福になる確率を高める」 という話です。
F先生は豪快な方でしたので、おそらくこんなチマチマしたことを言っていたのではないと思いますが、
私は彼の言葉をこのように受け止めることによって (すべては受け止め方の問題です)、
私にとっても意味のある言葉として解釈し、自分の人生の導きの糸とすることができたのでした。
まったく自分に自信のなかった私が、自分を肯定し、自分を受け入れ、
自分に自信を持つことができるようになった、その背後には、
常に小学生の時に言われたこのF先生の言葉があったように思います。
ですので、皆さんにも私の大好きなこの言葉を捧げたいと思います。

「君も日本一になれる才能の持ち主だ!」

34位までわかるストレングス・ファインダー

2013-09-02 20:36:36 | 幸せの倫理学
何度かご紹介したことのあるストレングス・ファインダーですが、
このたび、ウェブ上で1位から34位まで自分の強みの順位が全部わかる、
新しいストレングス・ファインダーのサービスが開始されました。
こちらです。
左側は今まで通り上位5つの強みが判定されます。
10ドル弱ですので、例の本を買うよりは安いです。
右側が画期的で、これまでと違い34個の強みの全順位を教えてもらえます。
金額は89ドル。
1ドル100円として9,000円くらいですか、ちょっとお高いですが、
最下位のほうのやつは本当に自分にはその力がないんだというのがわかりますので、
これはこれで知っておくと生きるのがラクになるでしょう。

さっそくやってみました。
上位5つも若干変動しています。

1位 戦略性
2位 最上志向
3位 着想
4位 親密性
5位 内省

「ポジティブ」 がランク落ちしてその代わりに2位に 「最上志向」 が飛び込んできました。
これはまたビックリです。
自分のなかに 「最上志向」 があるとはまったく思っていませんでした。
むしろ一番下のほうにあるんじゃないかなぐらいに思っていました。
ちょっともう一度自分を振り返ってみたいと思います。
そして、今回34つ全部の順位が判明したわけですが、
最下位の5つを惜しげもなく発表してしまいましょう。

30位 競争性
31位 学習欲
32位 信念
33位 原点思考
34位 回復志向

いやあ、大笑いしました。
学者なのに 「学習欲」 がこんなに低いなんて。
それと 「原点思考」 というのは原語は 「Context」 で、
文脈を大事にする考え方、つまり歴史的に物事を捉える力なのですが、
これもこんなに低かったなんて
私はカントという歴史上の哲学者を研究しているはずなのに、
歴史的なアプローチは苦手なんですね。
どちらもよくわかります。
私の哲学は基本、「着想」 によるアイディア勝負の解釈が売りで、
当時の時代状況や他の哲学者が何を言っていたかなどを調べたり、
文献学的フィロローギッシュ) な細かい緻密な考証とかが苦手なんですね。
それにしてもこんなに低いとわかるともう、
なんで自分はこれができないんだろうと落ち込んでみたり、
少しはがんばってみようとムダな努力をしてみたりせずにすみますね。
弱みを補うのではなく、強みを伸ばして生きていきたいと思います。

このウェブ上のストレングス・ファインダーは、
あの本のように1個1個の強みについて解説してくれるだけじゃなくて、
上位5つの組み合わせによって、他の4つとの関連のなかでどういう強みになっていて、
それを活かして生きていくためにどんなことをしたらいいか、
なんていうアイディアまで教えてくれます。
あの本でストレングス・ファインダーをやってみた人も、
これはこれでもう一度やってみるといいかもしれません。
ただし、テスト自体は日本語でやれますが、
結果は英語でしか出てきませんので、その点はご注意ください。
これから就活の人はぜひっ!
自分の活かし方に迷っている人もぜひっ!
そして、英語が得意でただやみくもに英語が読みたいという人もぜひっ!

万置き

2013-06-05 18:58:53 | 幸せの倫理学
ある友人の話。

彼と私はよく似ているところがあるのですが、子どもの頃の話をしていたら、

2人とも小学生の頃に自分で小説を書いたりしていたということが判明しました。

彼は時代小説、私は探偵小説。

ジャンルは違いますが、それぞれ自分の当時の読書の傾向に合わせた作風だったようです。

私の場合、マス目つきの国語用のノートに書いていたんだったと思いますが、

10冊にはいたらなかったと思いますが、シリーズもので何作かは書いていました。

『少年探偵団』 のマネっこのどうということのない内容でしたが、

自分的にはけっこういい気になってノリノリで執筆に励んでいました。

できあがった作品は、一緒に探偵小説を貸し借りしながら読んでいた当時の友人と、

彼もたしか何か書いていたので、お互いに見せ合ったりしていました。

ところが、今回昔話をした、時代小説を書いていた友人は、

ぼくたちなんかよりもはるかに上を行く強者でした。

なんと、万置きですよ、万置き

そんな言葉、聞いたことないでしょ

できあがった作品を本屋さんに持って行って、

そうっと、でも一番目立つところに平積みしてきちゃうのだそうです。

万引きの反対で、万置きです。

恐ろしいですねえ。

それを見つけた店員さんの驚愕の顔が目に浮かびます。

彼は自分の書いた作品が一般読者に喜んでもらえると思って、

読んでもらいたかったのだそうです。

シャイな私にはとうてい思いつかない暴挙です。

(私の本屋でのシャイな記憶はこちら

ホントあの頃は引っ込み思案だったよなあ。

彼の度胸の10分の1も持ち合わせていたら、

もっと素晴らしい人生が開けていたかもしれないのに。

でも今はこうやってブログを公開しているから、少しは成長できたのかな?

それとも歳を取って厚かましい人間になった?

それは皆さんにご判断いただくことにしましょう。

そして、この歳になるともう私は万置きなんかできないから、

早くきちんとした手順を踏んで自著を出版しなくちゃいけないな。

映画 『阪急電車 ~片道15分の奇跡~』

2013-05-25 13:33:03 | 幸せの倫理学
4月に有川浩の小説 『阪急電車』 を読んだ話を書きましたが、
今たまたまスカパー!で映画 『阪急電車』 をやっていたので見ることができました。
すでに映画化されていたとは全然知りませんでした。
4月には書きませんでしたが、『阪急電車』 というのは、
阪急電鉄今津線という片道15分の短い路線にたまたま乗り合わせた乗客たちが、
見ず知らずの人たちに影響を与え合っていく様を描いた物語です。
ひとりの主人公がいるわけではなく、大勢のフツーの人びとが登場する群像劇です。
そんな、基本的にはたった15分間での人びとの出会いやすれ違いを描いた物語を、
どうやって映像化するのか興味津々で見始めました。

結論から言うとウーン、まあ映画化するとしたらこういうふうにしかならないんだろうなあ。
悪くはありません。
映画としてこれだけを見ればけっこういい映画だと思います。
でもなあ…。
いつもの私の持論の繰り返しになりますが、
原作の小説と映画化されたものを比べてしまうと、どうしても小説に軍配が上がってしまいます。
したがって先に原作を読んでから映画を見てしまうと失望する確率が高くなってしまうのです。
これも、『天地明察』 のときと同じように先に映画を見ていればよかったのでしょうが…。
しかし、小説のことを知らなかったとしたらこの映画を見たりはしなかったろうしなあ。
うーん、残念。

映画化にあたってだいぶストーリーが変えられています。
それは別に悪いことではありません。
1冊の小説をそのまま忠実に2時間の映画に映像化するなんて不可能ですから。
ただまあ、いくつかあるエピソードのうち私が一番好きなお話が割愛されているのは驚きました。
小説では一番最初に出てくる 「生」 の話です。
征志とユキのエピソードなんですが、何事も起こるはずのない電車のなかで、
なぜかドラマが生まれてしまうというこの小説の、最初のきっかけを作るいいお話だったので、
このエピソードを省略してしまったのはとても残念でした。
恋の始まりの物語という意味でも気に入っていたのですが…。
ただ、調べてみると、『阪急電車 〜片道15分の奇跡〜 征史とユキの物語』 というタイトルの、
スピンオフドラマが別に作られていたようです。
いずれこれも見てみたいものですが、いろんなお話が繋がっているのがこの物語のミソなので、
このエピソードだけ独立して見るのでいいのかどうか疑問が残ります。
まあ、尺の問題としてしかたなかったんでしょうね。

征志とユキのエピソードがハブにされたことによって、
おばあさんとオバちゃん軍団の対決のエピソードもニュアンスがだいぶ変えられていました。
その代わりになのか、おばあさんとアホ彼氏のエピソードが付け加えられていました。
アホ彼氏といえば、悦子が軍オタとゴンちゃんのカップルに話しかけるという話も付け加わり、
全体に映画のほうは、お互いが色々な形で出会っていたり意識していたりと、
たまたま阪急電車で乗り合わせただけという原作のコンセプトを逸脱する作りになっていました。
これも映画化にあたってはありだろうなあとは思いますが、
小説も読んだ人の多くは小説の世界観を支持するのではないだろうかという気がします。

ただ、映画化されて本当によかったと思うのは、
阪急電鉄今津線とその沿線の街の様子を実際の映像で見ることができたという点です。
私は学会で関西学院大学には行ったことがあるはずで、
たぶん今津線にも乗ったことがあるのだろうと思いますが、
映画を見てみてもほとんどピンと来ることがありませんでした。
注意力、観察力ゼロの人間なので、目的地以外のことにまったく気が向かないのですね。
ですから小説を読んでいても具体的なイメージを持つことができなかったのですが、
やはり 『阪急電車』 は阪急電鉄今津線こそが主役ですので、
そのリアルな映像を見ることができたのは一番の収穫でした。
あの車両や駅や街の様子を思い浮かべながら、もう一度小説を味わってみたいと思います。
毎度のオススメですが、小説も映画もまだという方は、
まず映画のほうからご覧になってみることをオススメいたします。

Q.先生の秘密の窓は何ですか?

2013-04-18 19:46:27 | 幸せの倫理学
看護学校の第1回目の授業では 「汝自身を知れ」 というワークをしてもらう際に、
「ジョハリの窓」 の話を紹介しています。
これって哲学とは全然関係なくて、心理学者が考えたものですが、
ホントの自分とは何かという問いに引き込むのに便利なので使わせていただいています。
ジョセフ・ルフトとハリー・インガムという2人の心理学者が考案したものなので、
2人の名前を合わせて 「ジョハリの窓」 と呼ばれているのですが、
それはこういうやつ ↓ です。



私の話のなかでは、自分を知る上で 「盲点の窓」 というのが大事なんだよと強調しています。
だから人が自分をどう見てくれているかを聞いてみたほうがいいし、
そこで言われた自分が、自分の思っている自分とズレていたとしても、
そんなの自分じゃないと否定する必要はなくて、それもまた自分なんだと胸を張っていいんだ、
というような話を例年しているわけです。

さて、今回の質問はこの 「ジョハリの窓」 にちなんだ質問です。
正確にはこんな質問でした。
「Q.先生が知っていて他人が知らない秘密の窓は何ですか?」
どうお答えしましょうか。
例えばこんな答え?

A-1.私、脱いだらスゴイんです。

なぜか私はふだんそれほど太っているように見られていないようなのですが、
福島大学に来て以来ずっと体重増で悩んでいます。
人に見せることはないのでまさに秘密の窓なわけですが、
服を脱ぐとお腹がポッコリ出ていて笑えます。
でもこれって体型、外見のことですから、ジョハリの窓の話にふさわしくないかもしれません。

では内面に関してはどうでしょう。
私は第1回目の授業でもいろいろぶっちゃけましたし、
このブログのなかではさらにいろいろとぶっちゃけていますから、
けっこう積極的に自己開示していくほうで、
その意味では 「開放の窓」 が広いタイプと言えるのではないでしょうか。
ですから 「秘密の窓」 というのはそれほどないのではないかと思っています。
「秘密の窓」 が私にあるとしたら、それはたんに人に知られていないのではなくて、
理由があって人に知らせることができない、
したがって、意図的に人に知らせないようにしている部分だと言えるでしょう。
いわゆるダークサイドなわけです。
というわけでお答えはこうなります。

A-2.私の 「秘密の窓」 は…、ヒ・ミ・ツ

残念でした。
教えてあげないよっ、チャン (ポリンキーのテーマソングのメロディで)

Q.人と付き合っているなかで半信半疑で付き合うのはさみしいことなんですか?

2013-04-16 23:36:21 | 幸せの倫理学
Q.人と付き合っているなかで半信半疑で付き合うのはさみしいことなんですか?
長い質問ですね。
哲学の先生になぜこういうことを聞こうと思うんでしょうか?
まあ、でもそう思ったのはこの方が初めてではありません。
以前にも似たような質問をもらったことがあるので、
まずはそこを見てみてください。

  「Q.一度信じられなくなった人を信じることは可能ですか?」

私はこういうことに関する専門家ではないのですが、
このときの回答は皆さんからそこそこ支持してもらえました。
さて今回の質問ですが、上の質問と前半部分は似ていると思いますが、
最後のところがだいぶ違います。
「信じることは可能ですか?」 という質問はわりと答えやすい感じですが、
「さみしいことなんですか?」 ってなんか答えにつまってしまう問いですね。
なにがあったのでしょう?
心配です。
なんかつい、けっしてさみしいことではないよ、と慰めてあげたくなってしまいますが、
半信半疑で付き合うことは別にさみしいことではないよ、なんてさすがにそんなウソは言えません。
ていうか、別に誰かに聞いてみるまでもなく、この方も答えはわかっているのではないでしょうか。
さみしいことだと自分で思っていなければ、こんな質問はしなかったと思います。
というわけで、ズバリこうお答えしておきましょう。

A-1.相手に対して半信半疑で付き合うのはさみしいことです。

と答えてみて、ちょっと気になることがありました。
「半信半疑で付き合う」 ってそもそもどういうことなのでしょうか?
そうです、問いを問い直すというやつです。
そのように聞かれて私は、上で挙げた以前の記事で聞かれていたような事態を思い浮かべました。
一度信じられなくなってしまった人をなんとか信じようとしているとか、
相手とは基本うまくいってるはずなんだけど、なんかちょっと怪しいところがあって、
実はダマされているんじゃないか、みたいなシチュエーションですね。
そういう状況を 「半信半疑」 と言うのだと私は思っていたのですが、
なんかひょっとすると別のことを聞かれてるのかもしれないという気がしてきました。
相手の人間そのものとか、現在の相手に対して 「半信半疑」 というのではなく、
相手との将来に対して 「半信半疑」 ということなんではないかと思い始めました。
前者だったら、そりゃさみしいことに決まってますが、
あまりにも当たり前すぎて、そんなこと人に聞いたりしないような気がしてきたからです。
そうではなくて、相手と将来いつまでも付き合って、最終的にゴールインできるかどうか、
ということに関してまだ確信がもてなくて、半信半疑で付き合っているんだけど、
それってさみしいことですか、という質問なら問いとして大いに成り立つように思うのです。
質問者の方、どっちの意味の質問だったのでしょうか?
確かめている余裕がないのでこちらに関してもお答えしておきましょう。

A-2.相手との行く末に関して半信半疑で付き合うことはさみしいことではありません。

というか、未来のことに関して何ひとつ確かなことはないのです。
はっきり言って将来何が起こるかまったくわかりません。
今どんなにラブラブに付き合っている相手だって、別の人に心変わりしてしまうかもしれませんし、
逆にあなたが相手のことを大嫌いになるかもしれません。
みごとゴールインできたとしても、結婚してから2人の関係性が変わるとか、
子どもが生まれてから恋愛気分がさめるなんていうことはごくフツーのことですし、
結婚後や出産後にDVが始まるなんていう最悪のケースも存在します。
恋愛関係のことばかりでなく、まったく別のところで考えられないようなことが起こりえます。
3.11を経験した私たちには、絶対なんて何もないということは骨身に沁みているでしょう。
私たち人間は未来を確約することは何ひとつできないのです。
そういう意味では私たちは相手との将来に関して半信半疑でしかありえないのです。
絶対の確信をもつことはできないのです。
そして、そんなものはなくても付き合うことはできますし、
そうせざるをえないとも言えるでしょう。
それはさみしいことなのでしょうか?

さみしく感じる人はいるでしょうし、そう感じる人はたぶん多数派かもしれません。
しかし、それをさみしく思ったからといって事態は何も改善しません。
だったらそんなことでいちいち思い悩んでさみしがっていても仕方ないのではないでしょうか。
先日ご報告したように私は 「悩んでもしょうがないことに悩まない」 がモットーですので、
まだ来てもいない未来のことをいちいちさみしく思ったりはしません。
そういう人間にとっては、相手との将来のことに関して半信半疑で付き合うことは、
けっしてさみしいことではないのです。
それでもつい思い悩んでしまうのが人間というものなのかもしれませんが、
私のようにそういうことをさみしいこととは思わない人間も現に存在していますので、
「さみしいことではありません」 と断言してしまっておきましょう。
さみしがっているあなた、こっちの世界に来られたらラクだよぉ。
何事にも動じない、安定した人生を満喫してみてください。

どちらのことを問われていたのかよくわからなかったので、二通りの答えを用意しました。
お好みのほうを読んでみてください。
本当はどっちのことを聞きたかったのか、
ワークシートかコメント欄で教えてもらえるとうれしいです。
それでは、さみしくない人生をお送りください。

ハシゴ花見

2013-04-12 16:58:33 | 幸せの倫理学
昨日は相馬の看護学校に行ってきた話を書きましたが、
福島市内では例年よりも早く桜がいい感じで咲いておりましたので、
相馬はもうすっかり満開なんじゃなかろうかとけっこう期待していました。
ところが意外や意外、福島と比べてまだまだという感じでした。
毎年通りかかる相馬の中村城址のお堀端はこんな感じです。



まあキレイではありますが、5分咲きかそれ未満というくらいです。
看護学校のA先生 (プリウスに乗っているらしい、要らなくなったらください) に、
福島よりも相馬のほうが海風があって気温が低いので桜は例年遅いと教えてもらいました。
そのA先生から、川沿いの桜並木がこのへんのお花見スポットなんですよと教えていただき、
帰りにちょっと寄ってみました。



たしかに満開になったらここをのんびり歩くとステキでしょう。
相馬の見頃は週明けくらいでしょうか?
来週の木曜日はピーク過ぎちゃってるだろうなあ。
残念です。

今年は珍しく、相馬看護学校のあと福島大学では授業も会議も入っていません。
いつもは午前中2コマ連続で講義したあと、慌ただしく福島に戻って4限に授業したりしてましたが、
今年はなんだかゆったりと過ごすことができます。
そこでまずは茶屋沼公園に寄ってみました。
花見山のすぐそばですが人が圧倒的に少ないわりに桜の見応えがあるので大好きなスポットです。



まだ満開ではありませんが、相馬に比べるとだいぶ開いています。
遠くに雪をかぶった山々が見えるのも絶景です。
ここは明日、明後日ぐらいがサイコーでしょう。
そして、ついでに花見山にも足を伸ばしてしまいました。
マイカーはけっこう遠くの親水公園 (ゴミ処理場のそば) に停めさせられ、
そこからシャトルバスでの送迎になりますが、
バスはけっこうな本数が出ていますのでそれほど苦にはなりません。
さすがにこちらはものすごい人出でした。
よく考えてみると桜の季節に花見山公園に来たのは初めてかもしれません。
人が多いところがキライなので今までずっと敬遠していたのです。
茶屋沼に比べて人が多いとはいえ、平日ですので耐えられないというほどではありません。
痛い足を引きずって足早に初めての花見山の桜を楽しみました。



花見山公園を中心としてこのあたり一帯が桜の園という感じです。
全国から人がやってくるだけのことはありますね。
桜ばかりでなくサンショウの花 (?) とか色とりどりの花々が咲き乱れていました。
この週末はたいへんな人出になることでしょう。

1日でいくつもお花見スポットを回ってしまいました。
どこに行っても平日の真っ昼間っからカップルが手をつないでイチャイチャしてやがるので、
一瞬イラッとすることもありましたが、一人で一気に花見を楽しみました。
ただし私に言わせれば、花見というのは本来、桜なんかそっちのけで酒を楽しむイベントです。
その本来の花見はこの週末に満喫することにしたいと思います。

結婚する2人に贈る曲

2013-03-29 17:11:26 | 幸せの倫理学
先日、大学時代の先輩が来福されました。
大学時代の先輩といっても正確には卒論ゼミの先輩で、
しかも私が入学したときにはとっくに卒業されていた大先輩なんですが、
私が在学中から面識があったもので、大学時代の先輩ということになるわけです。

私の通っていた東京外国語大学は、卒論は書いても書かなくてもいいことになっていて、
書く場合もどの先生についてもいいことになっていました。
私はいちおうロシヤ語学科に所属していましたが、
自慢じゃありませんが1年のときに落ちこぼれて留年してしまうくらいロシヤ語は苦手でしたので、
ロシヤ語の先生のところで卒論を書くつもりはなく、
パンキョーの哲学の先生、宮川透先生のゼミに入って卒論を書きました。
宮川ゼミはけっこう人気で私のときは1学年20人くらいいたでしょうか。
ですから、卒論ゼミでの発表なんて1年に1回か2回くらいしか回ってきませんでした。
ですので、フツーの付き合いをしていると先生ともそれほど親しく話す機会などありません。
ただ、宮川先生は大学でのゼミのほかにご自宅で研究所を開設されていました。
その名も 「日本哲学研究所」 です。
ものすごい大上段なネーミングですね。
卒論ゼミにしばらく通ってから後のある日、先生からその研究所に誘われました。
卒論ゼミに出ている人がみんな誘われるわけではなく、
宮川先生がこれはと目をつけた人のみがリクルートされていたようです。
その頃には哲学の勉強を本格的にしたいと思っていましたので、私は喜んで参加しました。
行ってみると、宮川ゼミの1期生の先輩とか、
当時、外語大で 「倫理学」 とか 「現代思想」 などの授業を担当していた、
非常勤講師の先生方がずらっと勢揃いしていました。
今回、来福された先輩というのもそこで知り合ったわけです。

妻と知り合ったのもこの 「日本哲学研究所」 でしたし、
その先輩と今回いろいろと思い出話に花を咲かせていろんな記憶が蘇ってきましたから、
追い追いまた書き記していこうと思いますが、
一番笑ったのは師匠のカラオケの話でした。
その先輩を福島のスナックに案内しカラオケを歌いまくっていたら思い出しました。
その先輩の結婚式だったか、私の結婚式だったか、あるいは誰か別の先輩の結婚式だったか、
あまり記憶が定かではないのですが (今から思うと私の結婚式ではないような気がします)、
結婚式の二次会会場にカラオケが置いてあってご自由にお使いくださいということになっていました。
せっかくあるんだから歌おうよということになったんだったと思います。
そして、最初はやっぱり宮川先生から歌っていただきましょうということになりました。
先生はそれほど歌われる方ではありませんでしたか、何曲か十八番の歌というのがありました。
で、最初に何の曲を入れたと思います?
これがなんと先生の十八番中の十八番、「星影のワルツ」 だったのです。
「星影のワルツ」 ですよ、「星影のワルツ」。
歌詞をご存知の方は結婚式二次会でのこの選曲にぶっ飛ぶことでしょう。
やらかしてしまったばかりですので、知らない人のために歌詞をここに記したりはいたしません。
ご存知ない方はこちらでご覧ください。
第一声から 「別れることはつらいけど」 で始まるザ・別れの歌です。
(これくらいの引用は許されるはず)
一瞬会場は凍りつきましたが、新郎がすぐに駆け寄ってマイクを取り、
うれしそうに一緒に歌い始めましたので、事なきを得ました。
歌っている御本人には、結婚式の二次会で別れの歌を歌っている、
という意識はまったくなかったろうと思います。
弟子へのはなむけとして、自分の得意の曲を披露しているという感覚だったんだろうと思います。
それにしてもシュールだったよなあ、あの 「星影のワルツ」。
あの新郎のフォローはステキでした。
やはり私ではないな。
あの先輩か、別の先輩かのどちらかだったろうと思います。
宮川先生はもう10年以上も前に亡くなってしまいましたが、
残った私たちに強烈な印象を残す大人物でした。
思い出すたびにひとつひとつ書き記していきたいと思います。

映画『ストロベリーナイト』

2013-03-06 18:36:30 | 幸せの倫理学

締め切りに追われ続け、心休まることのない2ヶ月間でしたが、

なんとか切り抜けて、攻めの飲みに転じているところです。

今日はこれから 「てんぷら ひら井」 に行きます。

ああ、なんという解放感、幸せだあ

さて、1月で決着がついていたはずの締め切りを3月まで引っ張ってしまい、

もう公開終了してしまうのではないかと気が気ではありませんでしたが、

なんとかギリギリで映画 『ストロベリーナイト』 を見ることができました。

いやあ、よかったです。

原作の 『インビジブル・レイン』 は読んでいて、好きな作品でしたので、

あれがどのように映画化されるのかちょっとビクビクしていたのですが、

とてもうまく映画化されていたと思います。

いくつか重大な部分で設定が変えられています。

どちらかというと私は原作のプラトニックな設定のほうが好きですが、

今回の映画のような大胆な展開もそれはそれでありだと思いますし、

それによってより深みが増したことも確かだと思います。

すでに見た何人かの人から 「切ない」 映画だという感想は聞いていたのですが、

「切ない」 ってそういうことだったんですね。

菊田が 「切ない」 んですね。

知らない人には何のことだかまったくわからないでしょう。

ネタバレしてはいけないのでこれ以上何も申しませんが、

いやあ、うーん、切なかったなあ。

そして、原作のタイトルが示しているように雨がこの作品を象徴しています。

その雨もうまく撮られていたと思います。

欲を言うならば、なぜこの季節の公開になってしまったんでしょうか。

あの雨が似合う季節に公開されていたほうがよりあの雨の切なさを感じられたと思いますが、

まあ、撮影時期と公開時期がずれてしまうのはしかたないことかもしれません。

見てない人にはぜひオススメしたいところですが、

たぶんもうホントにすぐに公開は終了してしまうでしょう。

見てみたい人はお早めに。

そして、公開初日にテレビで放映されたスピンオフドラマも、

録画したっきり大事に温存しておきましたが、一気に見てしまいたいと思います。

はたして姫川班のその後はどうなることやら。

タッチャブルな人間

2013-01-25 15:32:29 | 幸せの倫理学
以前に 「これでいいのだ」 という記事のなかで、
私は 「学生にとってタッチャブルな手の届く教員」 でありたいと思っている、
と書いたことがあります。
学者然、教授然とした手の届かない存在ではなく、
気軽に話しかけられて、何でも聞くことができ、何でも相談できるような、
そんな教員でありたいと思っています。
まあ、このブログを読んでいただければ、
私がそういう人間だということはたぶん一目瞭然だろうと思います。
ただ、第一印象的には 「冷たそう」 とか 「近寄りがたそう」 と見えるようで、
ある程度親しくなってから、最初はそう思っていたと告白されることがあります。

さて、先日 facebook で 「エゴグラム性格診断」 というのが回ってきました。
facebook をやってる人しか入れないと思いますが、
こちらでやってみることができます。
自分もやってみたところ、その結果はこんな感じでした。


(画像をクリックすると拡大されます)

こういう説明文が付されていました。

「心理学理論に基づいて作られた性格診断テスト
 【エゴグラム性格診断】でこんな結果がでました!
 〜・〜・〜・〜・〜
 あなたの性格は「気ままな平凡タイプ」です。
 ごくごく標準的な性格。ストレスを感じず人生を楽しめる。

 あなたの性格のプラス面は・・・
 ・自分のペースを守る
 ・自主性に富む
 ・積極的である

 あなたの性格のマイナス面は・・・
 ・相手の言うことを聞かない
 ・一方的である
 ・近寄りがたい印象を与える
 〜・〜・〜・〜・〜
 50の質問から243パターンもの性格診断結果に!
 「エゴグラム性格診断」はこちらから!(PC・スマホOK)
 https://www.facebook.com/matchalarm/app_461364203924393?ref=web_canvas

エゴグラムというのは由緒ある性格診断テストですが、
これはその簡易版なのでしょう。
ぼくもあまり詳しいことは知りませんが、
例えば、画像のほうでA、B、Cと分類してタテに並べてたり、
私のようにBが多い人を 「平凡タイプ」 と名づけたりしてるのは、
この性格診断テストの趣旨からしてマズイんじゃないかなあと思うんですが、
本家のエゴグラムもこんなことしているのでしょうか。
ある人がやってみたら全項目Aで、
その人は 「ハイレベルタイプ」 とカテゴライズされていましたが、
Aが高くてBが平凡でCが低いとかっていうことではないと思うんです、
この性格診断テストが明らかにしたいことは。
まあ、この手のアプリにいちいち突っ込んでもしょうがないので、
その点は放っておくことにいたしましょう。

説明文のなかに 「近寄りがたい印象を与える」 という一文が入っていました。
うーん、やっぱりそうなんでしょうか。
相手に合わせたり、人のことを気にしたりということがないので、
(「自分のペースを守る」、「相手の言うことを聞かない」 ですね)
冷たそうな、近寄りがたそうな感じに思われるのでしょうか。
ただ、これを読んだある学生さんが、
「近寄りがたい印象を与えるってのは当たってない気がしますね(=゜ω゜)ノ」
というコメントを残してくれていました。
その人はゼミやクラスの学生ではなく、「キャリア形成論」 で2回だけ見かけ、
あとは昨年の 「戦争と平和の倫理学」 を取ってくれただけのあまり親しくない学生さんですが、
それぐらい遠い人からも、近寄りがたい感じではないと思われているのは、
私にとってはひじょうにありがたいことです。
おそらく私の根っ子の部分は 「近寄りがたい印象を与える」 タイプの人間なんでしょうが、
「タッチャブルな人間でありたい」 という目的を意識的に立てて、
そうなれるように日々努力しているおかげで、そこそこそうなれているのかもしれません。
これからもあまり人に威圧感を与えない、
見知らぬ人にも 「あれでいいんだぁ…」 と思わせるような 「ゆるキャラ」 で生きていきたいと思います。

『幸福の習慣』

2013-01-04 15:28:49 | 幸せの倫理学
トム・ラスとジム・ハーターの共著 『幸福の習慣』 を読みました。
原題はシンプルに 『WELLBEING』 ですから、ただの 『幸福』 だけでもよかったくらいです。
副題は 「世界150カ国調査でわかった人生を価値あるものにする5つの要素」 です。
ギャラップという調査会社が長年にわたり行ってきた調査にもとづく本です。
以前にご紹介した 『さあ、才能に目覚めよう』 の姉妹編に当たります。

本書によると、「ウェル・ビーイング (=幸福・人生の満足)」 とは、

①仕事に情熱を持って取り組んでいる (仕事の幸福)
②よい人間関係を築いている (人間関係の幸福)
③経済的に安定している (経済的な幸福)
④心身共に健康で活き活きしている (身体的な幸福)
⑤地域社会に貢献している (地域社会の幸福)

これら5つの要素が一体となっている状態だそうです。
哲学や倫理学のように 「幸福とは何か」 と概念だけで考えていくのではなく、
アンケートやインタビューによる莫大な調査に基づく立論ですので、
小難しいところはなく、一般の人にとって納得できる部分も多いのではないでしょうか。
例えばこの①~⑤というのはたんに並列的に並んでいるのではなく、
①に近いほうがより優先順位が高いのだそうです。
大切な人を失う苦しみはとても大きなものですが (②の喪失)、
失業状態が続いた苦しみ (①の喪失) に比べると、
数年後に幸福度が回復している可能性は高いのだそうです。
その他、興味深いデータを少しだけ紹介しましょう。

・95歳以上まで長生きできた人は平均80歳まで働いていた人たちである。
・日々の生活に幸せを感じている友人が1人増えるごとに幸せになる確率は9%高まる、
 日々の生活が不幸だと感じている友人が1人増えるごとに幸せでいられる確率は7%下がる。
・年収や資産が少なくても、自分の収入と支出を自分で決めてコントロールし、
 欲しいものは買えるしやりたいことはできると感じている人は幸福度が高い。
・1日20分間、朝のうちに体を動かすと、そのあと12時間は脂肪の燃焼率が上がり、
 しかも1日中いい気分で過ごせる。
・ボランティアで人の役に立つことをすると10人中9人が気持ちが高揚する。

他にも手っ取り早く幸福になるための簡単な秘訣がいろいろと紹介されています。
幸せになりたい人には一読をお勧めします。

夢のWトイレ生活

2013-01-02 07:51:08 | 幸せの倫理学
上京して先月引っ越したばかりの新居にやってきました。

前回上京したときはまだどこも段ボール箱だらけで引っ越しは終了していませんでしたが、

今回はすっかり片づいてみごとに整えられていました。

このところそうなんですが、今回の引っ越しもまったく手伝うことができなかったので、

申しわけなさと感謝の念で胸がいっぱいになります。

例のカリモクの 「座り心地研究」 もリビングのしかるべきところにその場所を確保していました。



IKEAで5000円で買ってきたソファテーブルともみごとにマッチングしています。

同じリビングのダイニングテーブルあたりからソファを望むとこんな感じです。



リビングがけっこう広いということがおわかりいただけるでしょうか。

今回、妻は今までで一番広いところに引っ越しました。

お義母さんと一緒に暮らすことになったということもありますし、

仕事でミーティングやワークショップに使ったりもするということもあっての決断です。

私は1円も貢献していないので誠に心苦しいのですが、

今回の引っ越しで一番の特典を得たのは私でした。

なんとこの家にはトイレが2つもあるのです。

ひとつはお客様用のメインのトイレ。



もうひとつは洗面所についている家人用のトイレ。



私はトイレに通う頻度がフツーの人よりも高いです。

大きな用事だけでも、平均して1日に3回くらい足していると思われます。

しかも1回の滞在時間が長いです。

そうするとどうなるか?

他の人とバッティングする確率がむちゃくちゃ高くなってしまうのです。

相手が先に入っていることもありますし、自分が入っていて急かされることも多いです。

これは 「小野原家のトイレ問題」 と呼ばれ、

結婚初期の頃からなかなか解決できずにいた大きな政治的課題でした。

その大問題が結婚23年目にしてとうとう最終的解決へと導かれたのです。

誰に気兼ねすることもなく好きな本を読みながらいつまででものんびり用を足していられる幸せ。

この有り難みを噛み締めながら2013年を生きていきたいと思います。

虚を衝かれた

2012-12-30 17:31:05 | 幸せの倫理学
ホテル華乃湯ではのんびり過ごしました。
昨日の夕食は豪勢で、牛タンシチューからカニ鍋までたらふく食べ、
浦霞の純米酒とともに満喫いたしました。
食後にさらにお風呂巡りをしようと目論んでいましたが、
あまりにもお腹いっぱいだったため、妻がとりあえず食休みと言って布団に横になりました。
まだ8時前でしたから私はとても眠る気にはなれず、
本を読んだりfacebookをやったりビールを飲んだりしていましたが、
妻は本格的に眠ってしまいましたので、私もやむなく寝てみることにしました。
しかし、なかなか眠りにつくことができません。
布団のなかで延々と苦悶したあげく、ちょっとウトウトしてはまた目が覚め、
起き出して少しガサゴソして、また布団に入って苦悶するということを繰り返していました。
そうこうしているうちに窓の外が白み始めてきてしまったのです。
けっきょく朝になっちゃったよ、朝風呂にでも入りにいくか、
と思ったはずなんですが、その後ちょっと意識を失ってしまいました。
そうしたら、「うわあ、もう9時だぁ」 という妻の声で叩き起こされました。

えっ、9時
よく意味がわかりません。
今、夜が明けたばかりだったはず。
えっ、9時
「ウソーッ、朝食9時までだよっ
朝食はバイキング会場で7時から9時までと言われていたのです。
チェックアウトはレイトチェックアウトで予約していたので12時まで居られるんですが、
朝食抜きではそこまでネバることができません。
ダメもとで朝食会場まで行ってみることにしました。
9時をすでに10分近く過ぎていましたが、
会場にはラストオーダーは8時45分までという非情な掲示が出ており、
料理はどんどん片付けられつつあります。
ほとんどお客さんもいなくなっていて、もうこんなですよ。



でもとにかく入れてもらい、残っているものだけでよければと食べさせてもらえることになりました。
ロールパンとスクランブルエッグとウィンナーと湯豆腐と味噌汁という、
和洋折衷のバイキングになんとかありつくことができました。
それにしても、いつもだったら旅館に泊まったときは、
朝食やあるいは朝風呂の時間に合わせて目覚まし時計を必ずかけておくはずなのですが、
今回はまったく眠れなかったために、起きられないなんてことを想定していませんでした。
バイキングにありつきながら 「虚を衝かれたな」 と独りごちたら、
妻に大笑いされてしまいました。
「虚を衝かれる」 というのはふだんピシッと抜かりのない人が、
たまたま油断をして隙を衝かれたりしたときに使う科白であって、
私のように抜かりっぱなしの人には使えないんだそうです。
さらには 「まあちゃんは私のおかげで朝食にありつけた」 と、
やけに恩着せがましい言い方までしてきます。
自分なんて目覚ましもかけず、朝食の時間も知らずに、13時間も寝続けていたくせに…。
たまたまぼくよりほんの少し早く目覚めただけで (しかも朝食時間は過ぎてるし)、
なんでこんなに上から目線なんでしょうか。
うーん、納得いかないなあ。

とりあえずなんとか朝食はすませ、その後また軽く食休みし、
それからふたっ風呂ほど浴びてチェックアウト時間ぎりぎりまでホテル華乃湯を満喫しました。
朝食は粗食だったためにお昼は仙台で豪勢な牛タン定食を食べることもできましたし、
今年最後の温泉旅行を堪能することができました。
いよいよ年の瀬です。
最後の一日をどう過ごすか、これからゆっくり考えたいと思います。

2013年 「問題児」

2012-12-27 22:37:44 | 幸せの倫理学
facebookに 「勝手に書き初め大会2013」 というアプリがあって、

こちらの個人情報を勝手に読み込んで勝手に書き初めでなんと書くかを診断してくれるんですが、

それによると私の書き初めはこうでした。





うーん、もういい歳だというのに 「問題児」 ですか。

そろそろ落ち着いてみたい気もしますが、

残念ながらまだまだいろいろとやらかしていかないといけないようです。

自分はどんな問題をやらかしてしまうんだろうとさらにネットサーフィンを続けていたら、

こんなページを見つけてしまいました。

「悪いけどこれは笑っちゃう! ギャグ漫画並みの不運な目に遭っちゃった人13連発」



これは皆さん、そうとう問題児です。

ぜひこちらから動画をご覧になってみてください。

2013年も問題を起こし続ける男、まさおさまをよろしくっ!