まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

追悼エマニエル夫人

2012-10-27 05:58:35 | 性愛の倫理学

先週、女優のシルビア・クリステルさんが亡くなりましたね。
この話題、ブログに取り上げようかどうしようかちょっと悩んでいたんですが、
ぶっちゃけ体質の私としては、やはり書かないわけにはいかないでしょう。
シルビア・クリステルといえば 『エマニエル夫人』 です。
言わずと知れた、1974年に公開された大ヒット官能映画です。
1974年当時、私は12歳、中学校1年生でした。
ちょうど性に目覚め始める頃ですよ。
そんな頃にたんに一部の男性だけでなく、女性からも支持を集め、
マスコミでも大々的に取り上げられたのが 『エマニエル夫人』 でした。
あの♪ターララ、タララ、ターララ、ターラララーン♪というメロディは街中に溢れていましたし、
中学生の私は映画を見たわけではありませんでしたが、
籐の椅子に座って胸をはだけ脚を組んだあの写真↑は街中どこでも見かけることができました。
今のように性の情報がそこかしこに垂れ流されている時代ではありませんでしたので、
中学生にとっては 「11PM」 よりも露骨な性の世界への入口が 『エマニエル夫人』 だったのです。

で、酔った勢いでぶっちゃけてしまうのですが、中1だったか中2だったかの私は、
ある日、行きつけの本屋さんに重大な決意を秘めて入店していきました。
最近ではあまり見かけなくなった、
うちの研究室の広さがあるかないかくらいのいわゆる町の本屋さんです。
その日のミッションは小説 『エマニエル夫人』 を買うことでした。
これは誰に言われたのでもない、自ら自分に課した使命でした。
もしも買うことができれば、それは私にとって生まれて初めてのエロ本ということになります。
たしかその本の表紙には、あの写真が使われていたような気がします。
それが原作小説だったのか、ただの映画のノベライズだったのかわかりませんが、
とにかく、しばらく前からその本がその本屋さんにあることはずっとわかっていました。
欲しくて欲しくてしょうがなかったのですが、なかなか買う勇気はありませんでした。
しかし、私の心の中で何かが沸点に達したとき、
どうしてもこれは買わなければならないと覚悟を決めたのです。

とはいえ、これがエロ本の類いを買う初体験です。
本当に心臓がバクバクしました。
不自然なくらい長時間、『エマニエル夫人』 のある書棚のあたりをウロウロしていました。
他のお客さんがいるときはもちろん買うことなんて絶対にできませんが、
かといって他のお客さんが誰もいなくなってお店の人と2人っきりになってしまうと、
それはそれで気まずくてあの本を手に取ってレジに持っていく勇気が湧いてきません。
だいたい子どもがエロ本を買おうとして売ってもらえるものなのでしょうか。
まさか警察に突き出されたり学校に通報されたりはしないでしょうが、
いろいろ説教されたあげく売ってもらえなかったりしたら恥どころの騒ぎではありません。
そういうアホな逡巡をけっこうしばらくのあいだ続けていて、
もうこれ以上ここに長居していたらそれこそ怪しまれるんじゃないかという心配も出てきた頃、
ついに決心し、ものすごい早業で書棚から 『エマニエル夫人』 を抜き取り、
何も言わずに目も合わさないようにしながらスッと店員さんの前に差し出しました。
私の記憶では、店員さんは本と私とを何度か交互に見比べていたような気がするのですが、
それが本当の記憶なのか私の頭のなかで作り上げられた記憶なのかは定かではありません。
とにかく私にとっては無限とも思える長い間のあとでようやくゆっくり紙袋に入れられ、
本の値段が告げられて、私はお金を支払い、その本をやっと買うことができたのでした。

うーん、すっかり忘れていたけど懐かしい思い出だ。
その本にはその後たいへんお世話になりました。
もちろん小説を読みながら思い浮かべていたのはシルビア・クリステルさんでした。
シルビア・クリステルさんというのは私にとってそういう思い出の女優さんだったのです。
AVどころか家庭にビデオデッキなんていうものがまったくなかった頃のほろ苦い思い出です。
その後何年か経ってから映画も実際に見る機会がありました。
たしかに女性が見てもOKなくらいのソフトなポルノと言えるのかもしれませんが、
中学生の頃に見ていたとしたら十分刺激的だったことでしょう。

その後私は哲学・倫理学の道に進むことになりました。
長い遠回りの末にやっと辿りついた研究対象がドイツの哲学者イマヌエル・カントでした。
イマヌエル・カントですよ。
ものすごい名前です。
ドイツでのイマヌエルはフランスだとエマニエルとなります。
アメリカのジョージがドイツだとゲオルクになるのと同じ原理ですね。
実際フランス語版のウィキペディアを引くと Immanuel Kant ではなく、
Emmanuel Kant と、人名であるにもかかわらずスペルが勝手に変えられてしまっています。
要するにイマヌエルはエマニエルなわけです。
そして、カント。
英語に詳しい人にはよく、ものすごいもの研究してんなあと言われたりするのですが、
英語圏ではカントという発音の単語で真っ先に思いつくのは cunt です。
知らない人は調べていただければと思いますが、これはもうモロど真ん中の下ネタワードです。
あるサイトによれば、あまりにも直球すぎて英語圏ではけっして使ってはならない卑猥語だそうです。
というわけでイマヌエル・カントは、ドイツを離れて国際的な感覚で読み替えてみると、
「エマニエル夫人のオ○○コ」 という意味になってしまうではありませんか。
うーん、出会うべくして出会ったという気がするな。
きっと中学生のあの日からずっと私はイマヌエルのカントに憧れていたのでしょう。
出会わせてくれたシルビア・クリステルさんに深く感謝いたします。
ご冥福をお祈り申しあげます。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
見事な文章です。 (矢嶋武弘)
2012-10-27 07:24:53
はじめまして。
なかなか面白いですね。見事な文章だと思います。一気に読んでしまいました。
私も子供のころ、本屋で同様の体験をしました(笑)。 傑作!
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私はカントが好きですよ (真間一(まま・はじめ))
2012-10-29 11:19:36
「未来の神インターネット教会」のままはじめです。何度も乱入して申し訳ありません。私はカントの「純粋理性批判」が好きで、日本語ですが、何度も読みました。私は特に信仰は持っていませんが、故・量義治先生の聖書集会には関わっていて、量先生の「カントと形而上学の検証」はよく読んだものです。量義治先生は日本カント協会の委員長でしたから、ご存知でしょうか。私はよく量先生に「君はグノーシスだ」と怒られていました。もう量先生が亡くなってから1年になろうとしています。今私は「世界平和の哲学」なるものをブログに書いていますが、なかなか難しいですね。理性と愛の両立ということです。愛がなければ世界平和も来ないわけです。すると理性主義のカントを超えなければなりません。そんなことは私には無理なんですが。細々と作文などしていますので、お暇なときにでも読んでみてください。
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恐悦至極 (まさおさま)
2012-10-31 12:48:39
矢嶋武弘さん、コメントありがとうございました。
20コも年上の方に私のブログを読んでいただけたというだけで恐縮ものですのに、
過分なお褒めの言葉をいただき恐悦至極でございます。
中学生時代の自己開示話から始めて最後はむりやりカントにもっていくという構成は、
実を言うとけっこう考えぬいた末の自信作だったにもかかわらず、
Facebook のほうでは 「いいね!」 を2人からしかもらえず、
ちょっと腐っていたところでした。
今後も精進を続ける所存でございますので、またたまにお越しください。
私も矢嶋さんのお部屋 (http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro) にときどきうかがわせていただきます。
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