
黒歴史の中学時代は卒アルと一緒に捨てた 「優等生」を追い詰めた内申点
2023年5月5日
2年前、愛知県内の中学校で開かれた卒業式。学校に向かう朝、女子生徒(17)は母親に「私の写真は絶対に撮らないで」と頼んだ。
式を終えて家に帰ると、卒業証書やアルバムをゴミ箱に捨てた。「中学は黒歴史。リセットしたい」
<連載「ロストチャイルド」第3部(1)>
学校の授業や宿題に悩む児童、受験の重圧に耐える生徒、勉強したくてもできない子どもたちがいる。
連載「ロストチャイルド」第3部は勉強を巡る苦しさに迫る。
きょう、5月5日は「こどもの日」。
女子生徒が小学生の時、地元にできたガラス張りのビルのデザインが気に入り、自転車で何度も見に行っていた。
「建築家っていいな」。将来を夢見て、中学校に進んだ。
新しい制服を着て門をくぐり、各教科の先生から最初に聞いたのは成績の付け方だった。「内申では、授業中の発言やノートも評価の対象です」。県立高校の受験で重要な内申点は、定期試験の点数だけでは決まらないと初めて知った。
偏差値の高い高校を目指して、勉強にはがむしゃらに取り組んだ。
定期試験の成績はトップクラスだったが、やはり内申点が気になった。
女子生徒は人前で話す時、緊張で息が苦しくなる。友人との会話でさえ、ときどき言葉に詰まる。
ある先生は、生徒に手を挙げた回数をメモするように言い、報告させた。
少ないと「これも評価に入るよ」。
授業中に取るノートも提出を求められ、「A」「B+」と判定が付くため、気が抜けなかった。
女子生徒は内申書に有利になると聞き、クラスの役員に立候補した。
実技がある音楽や体育では、「やる気を見せなきゃ」と自分自身にプレッシャーをかけた。
重圧の中で無理を重ねていた。そのせいか、2年の2学期の中間試験で集中できず、簡単に解けるはずの問題でミスをした。
激しい腹痛に襲われるようになり、母親と病院をいくつも回った。原因はわからず、「精神的なもの」と言われるだけだった。
苦しくても登校した理由は一つしかない。「内申書のためだった」
限界が来たのは3年の夏、体育大会の練習が本格的に始まった頃だ。
同級生に合わせて元気に振る舞う体力も気力も残っていなかった。
「休まないと、死んじゃう」。母親に訴えて、学校に行くのをやめた。
授業は休んだが、図書館や自宅で勉強を続け、2学期の期末試験は受けた。
得意の数学は100点で、ずっと上位だった全教科の学年順位も、それほど落ちなかった。
でも、通知表は五段階評価の「1」と「2」ばかり。授業に出ていない分だけ、評価が下がった。
9教科合計の内申点は、1年の1学期の「42」から、高校受験の直前には「17」に落ちていた。
全日制高校や建築を学べる高専はあきらめ、進学先に通信制の高校を選んだ。
先生の前で自分を偽らなくてもいい。無理をして発言する必要もない。パソコンで作曲したり、プログラミングに挑戦したりするうちに、勉強が好きという気持ちが少しずつ戻ってきた。
女子生徒には、二つ下の妹がいる。
「内申書のために良い子のふりをする」と言って学校生活を過ごし、この春、志望の高校に合格した。
「内申書は大事だよ」。受験に向けて頑張る妹を、女子生徒は励ましたこともあった。
今、女子生徒には目標がある。「建築家になるために、大学に行く」。
同級生や妹とは違う中学生活だったけれど、学校を休む決断をしたから前を向けるようになった。
ただ、内申書の重圧に負けた自分のことは、まだ好きになれない。
「私、あきらめちゃったな」。ゴミ箱に捨てた通知表は母親が拾い、しまっておいてくれた。1、2年生の成績には「5」が並んでいる。
以上です。
中学校は高校の予備校。
高校は大学の予備校。
これじゃ、学校は楽しくないですよね。
>新しい制服を着て門をくぐり、各教科の先生から最初に聞いたのは成績の付け方だった。「内申では、授業中の発言やノートも評価の対象です」。県立高校の受験で重要な内申点は、定期試験の点数だけでは決まらないと初めて知った。
「内申点は、授業中の発言やノートも評価の対象です」そうなんだ。
>ある先生は、生徒に手を挙げた回数をメモするように言い、報告させた。
少ないと「これも評価に入るよ」。
手を挙げればいいんだ、内容なんてどうでもいいのかな?
今年高校に入った末っ子の孫は、内申点が希望の高校に入るための基準に達していませんでした。
ところがこの学校は内申点重視でなかったので、当日の試験結果が良く無事入学出来ました。
希望校を決める三者懇談で、担任の先生は内申点が基準に達していなかったので、「チャレンジしてみたら」と言われたそうです。
本人はこの学校に入りたいので、リスクを承知で受験しました。
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