四万十川のゲリラ医者走る!
「いのちの仕舞い」 小笠原 望著 春陽堂 ¥1300
つい最近、NHKTVで「こころの時代」で小笠原 望先生の話を見ました。
今、僕は保江先生の「愛魂」に熱中していますので「愛」について
いろいろと考えています。
小笠原先生をテレビで拝見していてその「愛」に感動しました。
早速、「いのちの仕舞い」を読み始めました。
四万十では、
「痛まず、苦しまず、できたら何か食べられて、
そして住み慣れた環境で最後を迎える」それを「いい仕舞い」と
地元の人たちは言う。(前書きから)
稽古では、小笠原先生のイメ-ジを抱きながら技を掛けて見ました。
やはり上手く行きます。
保江先生は、相手を愛するだけでなく世界でも神様でもを愛したら、
技が掛かりますと。
そのなかからの紹介です。
「まだ生きられるかね」
ぼくの診療所の朝は早い。
八時から診療を始めるのだが、七時に診療所を開けると、
「順番を取る」ため、受付に名前を書きにぽつぽつと患者さんや家族の人が訪れる。
田舎のかかりっけ医が全部を予約診療というのもどうかと、今は午後の一部だけを予約している。
四万十川に架かる赤鉄橋は全長六百メートル以上はあり、
診療所から鉄橋を渡ると中村の町に入る。
この鉄橋を歩いて、町から受診する人もいる。
この橋の上は川風がけっこうきつく、とくに冬はお年寄りが歩くにはなかなか大変だ。
山本さんはこの鉄橋を手押し車を押してくる。
グ-グルから
それも、朝早く一度「番を取りに来て」から、都合2往復するのだ。
山本さんは八十四歳になった。
「ゆっくり、来たらどう」と言うと、
「朝は一番に診てもらわんと落ち着かん」と言って、八時にはまた来て待合室の椅子で待っている。
この頃は腰痛が辛く、整形外科で入院したり、
老健施設に入所したりしたが、長く続かない。
高知市に住む娘のところでも生活したが、やっぱり家がよいのだろう、また帰って来た。
今度は風邪を引いてから、喘鳴が強くなった。
いつもは強気な言葉が多いのに、「困った、困った」の話が多くなった。
同居する息子に頼らずに、全部自分でしないと気がすまないのだ。
どんなに腰が痛くても、朝は息子の弁当を作る。
「コンビニかどこかで息子さんに買ってもらったらいいのに」とぼくが言おうものなら、
「弁当は作らないかん。あの子はそんなことはできん」の一点張り。
「調子が悪くて、所帯ができん」と、いつもは強気の山本さんの弱音が出だした。
ケアマネ-ジャ-に電話をしたらしい。
老健施設に入所したいと伝えたそうだ。
もちろん、病気を治してからじゃないといけないと言われ、
どうしてもならそれまで入院をと勧められたらしい。
診察室でその話になった。
呼吸器の症状は落ち着いてきたし、血液検査もよくなってきた。
要は生活の問題になっていた。
「ヘルパーさんにもっと来てもらったら」と、
ケアマネ-ジャ-によく頼むように話をした。
「家が一番いいんじゃないかな。
前のことを考えたら、
病院も施設も必要になったらそのときはそのときだけど……」とぼくが言った。
息子にも話してくれと言われ、迎えに来た息子にも念を押した。
「言い出したら聞かないあんな性格ですから、
わたしも手を焼いています」と、苦笑いだった。
このように山本さんは、言葉が率直だ。
ぼくは、お年寄りの遠慮のない言葉は嫌ではない。
直接要求してくれるほうがやりやすい。
診察室でぼくの視線が一定しないと、
「どこを見ているのかね。ちゃんとわたしの話を聞いてくれんといかん」と手厳しい。
「わたしのことをもっと真剣に考えてくれ」と、それはそれはその通り。
刑事コロンボのように、一度診察が終わっても確認のために、
診察室に質問に来ることもしばしば。
この頃は、鉄橋を歩いて来なくなった。
息子が車で送ってくることが多い。
ス-パ-が閉店して、買い物が遠くなったと嘆く。
生活の輪郭がきちっと見えてくるのは、
山本さんが診察室できちんと自分を語り、
自分の今になにが足りないかを伝えているのだろう。
苦笑いをしながらの会話が続く。
少し話が長いのには閉口するが、ぼくはそれを楽しんでいる。
大野内科医院です。
この本を読んでいると心が温まってきます。
テレビのなかで先生が話されていましたが、
四万十川の自然が自然と人を育ていると。
訪問看護で患者さんの家を訪れると
寝ているベットから四万十川の土手が見えて
その土手を歩く人を眺めているという。
保江先生の「テレサ・ケア」の講習会で
好きなこと、自分の気持ちが良い感じで
行動すると不随意筋が働き疲れないそうです。
四万十川を楽しんでいる患者さんは、自分で自分を元気にしているのでしょうね。
ありがとうございました。