一昨日の続きです。
冬の駒込の六義園です。今日は蓬莱島がある池を回ります。
昨日は、滝見の茶屋まででした。
六義園の風景は、池の周りを巡る「海の景」と
木立の間を行く「山の景」があります。
「山の景」を歩いて見ました。
尋芳経(はなとうこみち) 桜の多い小道です。
吟花亭跡 桜の木々がおおく吉野山の櫻に例えられます。
山陰橋(さんいんきょう)
蛛道(ささにのみち)
わがせこが
来べきよひなりささがにの
蜘蛛のふるまいかねてしるしも 衣通姫 古今
蜘蛛(ささがに)の糸のように細いということから
この道の名として用いられました。和歌を詠んだ衣通姫(そとおりひめ)は、
日本書記の中で、「美しさがその衣を通して輝く女性」として描かれています。
また、紀州和歌の浦の玉津島神社に祀られる
玉津姫になぞえられ、和歌の三神の一人とされます。
蜘蛛の糸が細くとも長く切れないことから、
和歌の道が永遠に続くことへの願いも込められています。
いよいよ神代峠です。頂上からです。
頂上で休んでいたら頭上を2羽のカラスが池に向かって急降下。
カラスが沢山 でも凄いですね。
今度は、春ですね。
冬の六義園でした。
安田 登さんの「和のウオ-キング」のなかで
六義園の楽しみかたが書かれています。
その中で、「かたおなみ」です。
場所は紀州の和歌の浦。「かたをなみ」と呼ばれる海岸があり、そこにはたくさ
んの鶴がいる。潮が満ちてくる。と、浜辺の干潟がなくなり、干潟を追われた鶴た
ちは、足場の悪い葦辺を目指して飛んでいく。そのときに彼らは天で鳴く。
そんな風景です。
鍵をもった散策者は東京の駒込にいながら、幻想の和歌の浦(和歌山県)にワー
プするのです。
この歌は、山部赤人が聖武天皇の行幸に随行したときの歌で、聖武天皇の目にし
た景色を赤人が歌にしたものです。私たちの目もそのときの天皇の目となり、時代
と場所を超えて、奈良時代の天皇の目で、この歌の景色を幻視するのです。
天皇の目にしたことを赤人が幻視し、さらにその風景を私たちが幻視する。私た
ちの目は万葉時代の赤人の目となり、さらに赤人の目を通じた天皇の目となる。な
んとも複雑な話ですが、この複雑さを楽しむのが、まずは第一歩。
そして「片男波」の石柱のある場所から六義園の周囲の風景を見渡すと、確かに
浜辺もあるし、やや遠いところに葦辺もある。そのような景色になっている。むろ
ん、それはミニチュアであり、石や樹を組み合わせて造られた人工物です。ほんも
のの和歌の浦ではない。が、この歌の幻視と相侯ったとき、それは自然以上の自
然、すなわち「第二の自然」としてそこに現出します。
人によっては、この和歌を含む長歌や、もうひとつの短歌、あるいはこの歌を本
歌にしたさ圭ざまな歌も思い出すでしょう。それができれば重層シンボルの第二の
鍵も手にしていることになります。 ’
さらに、ここから眺める六義園の景色が、昔の絵にある「かたおなみ」海岸付近
の和歌の浦を模しているということにも気づき、この「かたをなみ」という語が
「片男波」、すなわち高い、大きな波という語も同時に表わし、さらにはその片男波
からできた和の意匠(デザイン)である「片男波」をも知っていれば、より楽しい
し、さらに『和歌浦物語』に描かれる片男波海岸の物語」知っていると、さらに楽
しくなります。これが第三、第四、第五の鍵です。
ありがとうございました。
串田さんの地震予報の続報が1月28日付けで出ました。公開は、1月31日。
発生時期は、また、また、また、延びました。
3月5日か3月11日になりました。2月末までの発生はありません。
くるぞ-君・麒麟研究所では、房総半島沖のスロ-スリップの可能性を予想しています。
スロ-スリップでは、地震の揺れは心配ありません。
その他の予知には、目立ったものはありません。