新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

ロストバゲージ(lost baggage)

2022-12-27 08:35:50 | コラム
木原龍一/三浦璃来の二人は不幸で不運な目に遭ったもの:

先日のフィギュアースケートの日本選手権をこの「ペア」の二人がカナダからの帰国便が遅延しただけではなく、ロストバゲージ(lost baggage)という二重の不運があって欠場となってしまったと報じられた。多くの報道では「ロストバゲージ」となっていたが、これを具体的にいえば「目的地の空港で出発時に預けた当然出てくるものだと信じていた荷物が出てこない(到着していない)事を指しているのだ。

私はこの二人にとっては非常に不運であり不幸なことだと思ったし、こちらの空港でさぞかし不安な思いに苛まれたと察している。ご存じの方というか経験された方はおられるだろうが、荷物が出てこなくて不安になるだけではなく、何と言って良いか解らない危機感にも襲われるので「さて、これからこの事態に、どのように対応したら良いのか」と恐ろしくなるのだ。

この二人の場合は我が国の空港だったから未だ良いが、外国の空港で単身ででもあれば、何処の誰にどうやって訴えて出るかが直ぐには解らないので、何とも言えない恐怖感も襲ってくるのだ。私も実際に幾ら待っても自分の荷物が回転する台に出てこなかったときには、言うなれば「パニック状態」だった。

だが、対処法は案外に簡単で、その荷物に付けられた「タグ」(荷札でも良いか)の半券を持って、乗ってきた航空会社の事務所に「未着だよ」と申告に行けば、そのタグの番号を使って追跡出来るのだ。だが、そのような目にそう頻繁に遭うことがある訳ではないので、困るのだ。だが、Wikipediaによれば、アメリカでは2019年の統計で1,000個に5.85個の割合で行方不明が発生していたそうだ。

1972年から1993年末までアメリカと日本の間を50回以上往復し、一度アメリカに出張すれば、あちこちと国内便で飛び回り、ノースウエスト航空のマイレージプログラムに加入して55万マイルというとんでもない距離を飛んでいたにも拘わらず、ロストバゲージの目に遭ったのは1976年にニュージャージー州のトランテイックシテイ空港でだけだった。なお、2回目はリタイア後の1994年2月にラスベガス空港で経験した。

最初の時は未だアメリカ慣れしていなかった時期であり、しかも単独でシアトルから遙か彼方の東海岸まで来たのだから、本当に大慌てだった。恐慌状態から脱却出来たのは、確か居合わせた見ず知らずの方が「その半券を持ってあそこの空港事務所に行きなさい」と教えてくれたことで解決出来たから。追跡調査で、別の空港で既に保留になっているので「直ちに転送させて明日の朝までに貴方のホテルの部屋に運んでおく」と保証された。

それでも問題がなかったのではなく、その空港で合流した日本からのお客様と、その会社の輸入代行を勤めている商社のニューヨーク駐在員が待っていてくれて、お隣のメイン州(Maineと書く)にかの有名なる「メインロブスター」の夕食会の予約があったのだ。その格式高いレストランに移動中の寛いだ服装でネクタイもしないで入って行かざるを得なかったのだ。だが、ジャケットは着ていたので無事入場を果たせた。

忌憚のないところを言えば、このような事務処理というのか、荷物の取り扱いの手違いが生じるのがアメリカだと思えば、特に苛立つほどのことではないと思う。だが、勝手を知らずに初めてやって来た外国の空港で、自分のスーツケースが幾ら待っても出てこないのは非常に不安になるし、恐怖感もあるのだ。「りくりゅう」のお二方もさぞかし不安だっただろうし、日本選手権を欠場せねばならない羽目に陥ったのだから、どれほど残念だっただろうかとお察しするし同情する。

矢張り、参考までに英語の話にも触れておきたい。「ロストバゲージ」(=lost baggage)とされているが、Oxfordで確認すればbaggageはアメリカ語で、King’s Englishでは“luggage“だとある。だが、ジーニアス英和には「アメリカではluggageの方が高級なイメージを与え、広告や店頭などで好まれる」とあり、更に「【英】では船や航空機の手荷物はbaggageを用いる」とある。知らなかった。


マスコミの言葉遣いを批判する

2022-12-26 07:06:40 | コラム
森保一日本サッカー代表監督が何を投げ続けるのか:

今朝の何処かのテレビ局がスポーツ新聞が一面にデカデカと「森保監督続投」と打っていた画を出していた。私としては胸が悪くなるような下品な感覚であり言葉遣いで「またやったか」とウンザリさせられていた。

これまでに何度もマスコミ用語の「続投」や「降板」を徹底的に批判してきた。例えば「某大臣は続投」であるとか「某社長が降板」というような見出しのことである。

私がおかしいと指摘するのは「大臣が何かを投げるというのか」であり「社長さんがマウンドを降りるというのか」との点だ。私にだって比喩的であるのくらいは解らないでもないが、何が故の野球用語での表現かという批判でもある。

何故、素直に「森保監督が再任と決定」か「森保監督が重任」と言えないのか。「続投」とは「野球で投手が危機を迎えてもそのまま投球を続けるような場合を表現」しているのだ。こういう野球の報道で彼らマスコミだけが使う表現を、彼らは何ら躊躇うことなく政治家にも野球以外の競技の監督の進退にも適用するのだ。

「このような表現をする言葉に対する無神経振りをおかしいと思わない感覚がおかしい」と私は断じたいのだ。何処か一社が使うと皆同調する必要があるのか。私には彼らの言葉に対する軽さが気に入らないのだ。

「降板」にしても「辞任」、「辞職」、「更迭」、「退任」等々の普通に通用する熟語があるではないか。何で野球界のみに通用していた用語を何にでも使うのか。私はこの辺りがマスコミの軽佻浮薄ぶりを遺憾なく表していると思って批判してきた。もう一度と言うが「森保一氏は何を継続して投げる」と言いたいのか。本当に腹立たしい。


2022年11月の新宿区の人口

2022-12-25 07:57:46 | コラム
22年11月の新宿区の人口は346,835人と対前月比90人の減少だった:

ここ東京都新宿区のこのコンクリート建築の我が家の今朝4時の室内の温度は19度、湿度は37%と「矢張り本格的な冬がやって来たな」と痛感させられた。昨24日は父親の祥月命日の墓参りに巣鴨の染井霊園に出掛けたが、冷たい風の為に体感温度は天気予報よりも遙かに低く感じさせられた。

先日、未だ慣れていない改装後のJR新宿駅で降りて西新宿駅に出てみた。矢張りそこには絶えて久しく見かけなかった外つ国(トツクニ)の人たちがトローリーケースを引き摺って歩いていたし、羽田空港行きのバスの停留所には人だかりがしていたし、そこから出てきた数人の非白人の集団が「これから何処に向かおうか」と話し合っているようだった。「なるほど、インバウンド促進策」の効果は挙がっているのは結構なことかと思った。

11月には新宿区全体の人口は90人の減少で346,835人となり、対前月比では△0.026%と本当に微減だった。その中でも外国人の39人の増加で40,386人となり、対前月比0.97%の増加だった。すなわち、4万人の大台を維持して全体の人口に占める比率も11.6%と10月から変わっていなかった。

しかしながら、大久保通りの山手線の外側を歩いて見れば、明らかに外国人の数が増えていると感じさせられるのは何故だろうと考えさせられる。実感としては北京語で大声で語り合う若者の数が増えてきたし、イスラム横丁に来る他都府県のナンバーを付けた車の路上駐車も増えてきた。異なる暦に基づいていると思う彼らが、正月用の買い物に来る訳はないだろうと思って見ている。

大久保通りの山手線の内側のKorea townも相変わらず老若女による大盛況が続いている。その賑わいは新宿駅西口や高田の場が駅周辺を遙かに上回っている。あれほど若き女性たちが韓国産化粧品や彼らの好みに合わせた韓国料理に群がるもだから、本場の感じを味わおうとばかりに、彼らが梨泰院等々を訪れたのだろうと察しがつく。大久保通りのあの部分は完全に韓国化されてしまっている。

平日でも山手線新大久保駅では「改札口に立ち止まらないように」とのアナウンスが聞こえてくるが、改札口を出た後の雑踏を通り抜けて我が家の方向に突進するのは容易ではない。初めて来られた方はこの凄まじい改札口での大混雑に驚かされておられる。彼女らによって「日韓親善」は無邪気に推進されているのだ。

偶に訪れることもある新宿区内の目抜き通りや歌舞伎町界隈は、既に第8波の襲来をものともせずにCOVID-19感染流行期前の賑わいを取り戻していると見えるが、それに伴って景気が上向いてきたという話しは聞こえてきていない。

我が家で買い続けている敷島の食パンはイオン系のマイバスケットの店舗では税込み¥181に値上げされてから店頭に置かれる数が減り、廉価のPB品(正しくはprivate labelなのだが)が数多く並べられるようになった。矢張り賢明な消費者は物価上昇に対して対抗策を講じておられるようだし、店側も対応しているようだと思って眺めている。

参考資料:新宿区広報 12月25日号


岸田さん、済みませんでした。反省しています

2022-12-24 08:10:45 | コラム
岸田文雄内閣総理大臣を批判していた不明を恥じねばなるまい:

予てから私は岸田総理を「優柔不断である」とか「決断力が欠如」とか「場当たり的で説明不足」とか、度々批判してきた。所がその岸田総理は「防衛予算43兆円」や「防衛三文書」等の大英断を実行されたような決断力を示されたのだった。

そこに、昨23日のPrime Newsでは飯島勲氏が登場されて毎度のように「飯島個人としての発言」と断られてから「岸田氏を批判するのは不当である。内閣支持率が下がっているのは社会部ネタのようなことを大きく報道されたことの影響である。実績としては歴代の内閣が達成し得なかった女子の就職率の向上、待機児童数が最低水準等々のような立派な実績がある。今回の43兆円の防衛費を含めた114兆円予算も決められたではないか」と具体例を挙げて岸田総理を真っ向から擁護されたのだった。

飯島氏にはその小泉元総理の秘書としての経験の上に、独得の(官邸及び内閣の)内部事情に精通された背景の下に、独得の論陣を張られるので、何時も「迫力があるな」と思って聞いている。また、岸田内閣についてもテレビでだけではなく、President誌に連載されているコラムや色々な雑誌等に寄稿された中でも「立派に国内外に認められる成果を挙げておられる」と賞賛されて指摘してされている。

昨夜の冒頭の発言は、私には偏ったマスコミ報道に対する批判も含まれているかのように聞こえたし、同席していた田崎史郎氏も多少飯島氏の勢いに圧倒されたかのような表情に見えた。その田崎氏も寧ろ岸田氏を評価する見方を発表していた。だが、朝日新聞の政治部長・林尚行氏は岸田総理を評して「何もしなかったのが良かったのだ」と切り出したのは「矢張り、朝日は朝日だ」と大変面白かった。

私の反省点は、これまでにある程度の間接的ではあったが、内部からの観測の情報で「岸田文雄氏は内閣総理大臣向きの人材ではないのでは?」と聞いていた。他にも、何かで読んだか聞いたかの「菅前首相が『岸田じゃできないよ』と厳しく評価された」との情報が岸田氏について否定的になる先入観念が構成されていたので、どうしてもそれに左右されていたのではなかったかと、今になって回顧し反省しているのだ。

それに、昨年10月から実施された「高齢者の2割負担」や「来年からの健康保険料の引き上げ」や「介護保険料の増額」等々があるので、現実を認識出来ていないのではないかとの不満があるし、インバウンド促進策なども「経済を回す為」には必要な政策だろうとは理解しても「ここ新宿区に展開されている惨状というか外国人に食い物にされてしまっている実体をご存じなのか」等々の指摘を続けてきた。確か「大義親を滅す」のかとも批判した。

だが、飯島氏のような現場におられて「政治の実情」に触れておられる方や、田崎氏のように実際に政治家たちを取材して見てきて知る実態を語られると、マスコミ報道からだけしか判断や評価ができない私(我々一般人と言いたいが)とは、あれほどまでに評価と認識が違うのかと、大いに反省させられたのだった。岸田文雄内閣総理大臣に自分の不明をお詫びせねばならないのだと痛感した次第だ。

「私の主張は全てマスコミ報道に基づいている」と逃げ口上を言ってきたのも、恥じねばならないかと思う次第だ。ではあっても、昨夜の飯島氏の指摘を聞いていて「なるほど、そう言えば岸田批判派には社会部ネタというのか、政治の出来不出来に対する論評ではなかったな」と感じていた。尤も、飯島氏は三閣僚に辞表を出すのを待っての交替させた手法は、その大臣を庇っていたにしても「切り捨てる決断力不足だった」と指摘していたが。

マスコミ報道のみに依存していたのでは「正当な評価ができない」のであれば、今後は岸田総理を始めとして政治家の批判を避けねばならないのかと、考え込まされている。でも、政治に対する不満の声を上げたくなるものだ。


新型コロナウイルスの考察

2022-12-23 08:24:47 | コラム
本当に「ただの風邪」程度の代物なのか:

第8波:
今週に入ってから猛威を振るいだしたというのか、都内では1日の感染者が2万人を超え全国でも20万人超である。それでも岸田総理は外で人がいなければマスクを着用しなくても良いとの音声をテレビで流された。それについて「最早脅威ではない」とか「ウイルスの感染力が衰えたから」とか「罹患しても普通の風邪程度だから」とか「ワクチン接種の効果が発揮されてきたから」というような具体的な背景の解説があったような記憶はない。

しかしながら、都内では感染者が再び増える一方(「リバウンド」なんて何方かが仰らなかったかな)だと知らされれば「ディフェンス」の能力は低いと言われてもマスク着用は止められないし、街に出て見れば何処の馬の骨かも解らないような異邦人たちでさえも100%と言って良いほどチャンとマスクを付けている。彼らにそこまでの同調能力があったのかと、寧ろ感心して見ている。

この第8波は専門家の先生方が1月にはやって来ると予告された波ではなかったか。それが12月半ばでもこの有様だ。それでも、テレビに登場されて色々と高見を述べておられる方は研究所の所長さんで、現場に立っておられる臨床医でも、医師会の方でもない。私にはチグハグに思えてならない。矢張り、これまでに何度も指摘してきた「中心となって指揮する組織と、その長が不在なのでは」としか考えられない。不安だ。

家内に言わせれば「岸田内閣がインバウンドを大量に迎え入れるという政策を採られてから、感染者が増加傾向にあるのは何故か」なのだそうだ。要するに「PCR検査をさせてから入国させても、外国人はウイルスを抱えてきたので、感染者が増えたのではないのか」なのだ。私はPCR検査の陰性証明だけでは不十分だと言われているではないかと疑いたくなる。それは、インバウンドが増えたら感染者が増えたから。

中国の「ゼロコロナ政策」:
習近平主席はこの政策を緩和したと報じられている。それと同時にというのかその(習近平主席としては予期しなかった現象か?)結果として中国国内では報道されているような大流行が発生しているようだ。それだけを見ていれば「この中国産のウイルスはあのように徹底した『ゼロコロナ政策』を採っていなければ防ぎきれなかったような強い感染力を持っていたのか」と疑いたくなる。「ただの風邪だったのであれば、あれほどの死者が一気に出るのか」ということ。

この現象を見て想像出来ることは「このウイルスの感染力の強さは、あの習近平の徹底した『ゼロコロナ政策』でしか防ぎようがなかったのではないのか」なのだ。だから、緩和した途端にあの感染者の拡大と、報道にあるような火葬場での霊柩車の大行列ということのようだ。報道では中国製のワクチンの無力さも原因であるようだが、本当の事はここに居ては解るはずもない。

だが、我が国での対策の立て方の指針にはなるのではないのか。2類か5類かという件も大事だろうが、政府は国民に向かって明確に「現在の変容してきたウイルスに対してはこのように対応して欲しい」と打ち出すべきだ。中国で大騒ぎになっているとマスコミに報道させ続けていれば、確固たる根拠もないままに、我々国民の間に一層の不安感が醸成されるのではないのか。

私は不勉強にして、我が国がインバウンド促進策で中国からも買い物客(私は観光客ではないようにしか思えてないが)を受け入れているのか否かは知らないが、もし受け始めたのであれば、危険極まりないような気がしてならない。言いたくもないが、かの国には在留カードでも健康保険証でも何でも精巧な偽造品を廉価で作る組織があると聞いている。そうならば「陰性証明書」など容易いことではないかと疑いたくなる。

私は何も「インバウンド促進策」を再考せよと言っているのでなくて「副作用が無い薬はない」のと同様に「経済を回す重要な策の裏側にはこのような負の効果もあるのではないか」と言いたいだけだ。私には彼らが新規の入国者かどうかは解るものではないが、ここ新宿区百人町/大久保界隈にはトローリーケースを引き摺っている若者の集団が増えている。無数にある日本語学校から昼過ぎに出てくる若者の数は増加している。

彼らの中から聞こえてくる言語からは明らかに北京語の音が聞こえてくる。彼らは「ゼロコロナ政策」の厳しい制約から逃れて自由の国でノビノビと日本語を学ぶ傍ら何処かで就労しているのではないのかと疑っている。どう考えても、彼らが日本語を操れるようになったとしても、それが自国に帰って何らかの有力な生活の糧を稼ぎ出す為の有効な資格になるとは考えにくいのだ。「では、真の目的は」となれば、自明の理で「安価な労働力の供給」でしかあり得ない。

最後に矢張り「言葉」の問題を取り上げたい。私は「コロナ」という言葉の誤用を認めていないと何度も述べてきたのでCOVIDを使ってきた。中には「新型コロナ」までをいう報道機関もあるが、これでも何を表しているかは不明確だ。「コロナ」と言えば通じるから良いと気楽に構えている姿勢は、私には理解不能だ。まして「ゼロコロナ」に至っては噴飯物だとすら言いたくなるほど意味不明で不正確な言葉だ。

念の為に中国では「ゼロコロナ」を何と言っているのかをWikipediaに聞いてみた。「ゼロコロナ」は簡体字中国語で「动态清零」となるのだそうだが、この簡体字がそのままコピペできたとは思えない。そして「ゼロコロナ政策」に当て嵌まりそうな表現は「零容認」とあった。これならば解りやすいと思う。なお、英語では私が使ってきたようにCOVIDであり、zero COVID policyとなるようだ。