新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私が2022年を回顧すれば

2022-12-29 08:13:04 | コラム
「戦」ではなくて「驚」の年だった:

安倍晋三元総理逝く:
私には少なくと「そんな事が我が国で起きるとは」と驚愕させられた。国内を見れば何と言っても最大であり最悪の出来事だったのが「安倍晋三元総理が山上徹也の凶弾ではなくて、私に言わせれば『狂弾』に倒れて、不幸にも不運にも亡くなられたこと」だったと思う。私は安倍晋三内閣総理大臣を「史上最高とまでは言えないが、現状求め得る最善の政治家である」と尊敬していた。

その安倍さんをあのような形で失ったことは、その後の岸田内閣の舵取り振りを眺めていると「安倍氏が如何に大きな存在だった」が見えて来るのが悲しくまた辛い。と言うのも、別途論じようと思っているプーチン大統領によるウクライナ侵攻によって世界が民主主義と専制主義国家に追従する国々にほぼ完全に二分割されてしまったからだ。我が国が属する側は何れも色々な面で物心ともに苦境に立たされてしまったではないか。

しかも、事態はそれだけではなく理想郷の如くに崇め奉られてきた民主主義国家がUN所属の国の中で少数派だったと判明したし、我が国の立場というか立地が安全保障上では危ういかのようになってしまったのだった。岸田文雄内閣総理大臣は事ここに至って防衛費増額と三文書の公表という英断を下されたのは、結構なことと評価して然るべきだと思っている。

旧名称統一教会:
今更この教会がそれほど多大な影響力があったのかと本当に驚かされた。私のこの団体に対する見方は「山上徹也があの凶行(狂行)に及ばなかったら、あれほど自由民主党を対応に狂奔させなかっただろう」し、「去る者日々に疎し」(英語の“Out of sight out of mind)の方が解り易い気もするが)的な感覚でマスコミも統一教会問題を騒ぎ立てなくなっていたし、少なくとも私は「そう言えばそういう問題を起こした組織があったな」という程度の記憶しかなかった。

所が、山上徹也があれほどの悪行に及んだにも拘わらず、マスコミも野党も一斉に故安倍晋三氏のみならず、祖父の岸信介氏までに遡って自由民主党が如何に統一教会と結託して選挙を操ってきたかと、これでもかと言うほど採り上げて、自由民主党を国賊の如くに聞こえるまで非難し始めたのだった。「魔女狩り」との表現が適切か否かは知らないが、自由民主党の国会議員たちを叩けば「統一教会と結託」という埃が出ると非難し始めた。

私にはこの攻勢に対する茂木幹事長の対処が雑だったのか不十分だったのかなど知る由もないが、少なくとも公表された調査の結果は自由民主党に何らのカタカナ語にすれば「メリット」を産み出さず、山際大志郎大臣の実質的更迭を先ず生じさせてしまった。

岸田総理もその後の対応として「救済法案」を成立させたが、私の目には「これが何をさて措いても優先すべき事案だった」とはとても思えなかった、国外の緊急の事態をキチンと見渡せばだが。著名なジャーナリストの中には「統一教会員に無償の選挙協力を持ちかけられたら断り切れなかったのは止むを得ない」と解説する人もいたが、世間という名の世論調査は許していなかったので、岸田内閣の支持率は下降線を辿るのみとなった。

私は元々政治家という方々全員をそれほど高く評価もしていなかったし、尊敬もしていなかったが、あの旧名統一教会問題は多くの国民の間に「政治不信」の念を抱かせだろう大きな要因になっていたのではないかと真剣に疑っている。それは、あの山上徹也の2発の凶弾は我が国の政治に未だ嘗てなかったような影響を与えたと思っている。

宗教とは:
我が国で「宗教がこれほど政治問題にまでなるのか」は驚きだった。2022年は現代で初めて「宗教とは」と「信仰とは」が国内を大きく揺さぶった年だったと思っている。我が国には「自分は無宗教である」と自信を以て断言される方が多い。だが、その方々は初詣に行ったり、キリスト教の教会で結婚式を挙げたり、何処かお寺の檀家であったり、お盆やお彼岸に帰京したり、お墓参りに言ったり、お子さんの初詣に行ったりしていないのだろうかと考えている。

どうやら旧名統一教会は今では明らかに「カルト」に分類されてしまった感が濃厚だが、この教会は「宗教とは何か」と考えさせる切掛けを提供したように見える。「マインドコントロール」という言葉も出てきたが、教義を信じて(信じさせて)浄罪を寄付させるという形はカトリックではごく普通のことのようで、ヨーロッパに行ってみれば、カトリックの力がどれほど強大で寄付があったのかがハッキリと見えてくる。

私にはこのカトリックにおける信仰と寄付と、旧名統一教会の教義を信じて身も心も捧げて破産するまで全財産を寄付してしまう行為と何処が違うのかは想像も出来ないし、理解などは勿論不能だ。それと、憲法にもある「信教の自由」との関連性も大学1年次の必須科目の宗教学を最低点で単位を取れた程度の宗教の認識しかない私には全く解らない。

だが「救済法」を立案された専門家や議員の先生方が「宗教とは」や「信仰とは」をどれほど理解し、認識しておられたのかと考え込んでしまう。私はこの旧統一会問題が我が国で「宗教とは」や「信仰とは」をあらためて考え直すか、見直す機会にでもなっていれば良かったのではないかなと思っている。