「病」に如何に対処するかに腐心したし「歳月高齢者を待たず」を痛感させられた年だった:
少し早いのだが、年末に際して2022年を当方の視点から私事として振り返ってみよう。何と言っても「遂に第8波にまで到達してしまったCOVID-19からどのように身を守るか」に苦心した年だったとは言えると思う。
それは9月には何と心不全のバロメーターであるBNPの数値が950にも達して9日間も入院したように高齢者であり基礎疾患を持つ身としては、慎重に日常生活を送る以外の対策が考えられなかったからだ。ファイザーのワクチンの5回目の接種も11月7日に受けていた。
次には街に出で買い物をすれば、店ごとに自動支払機の仕組みが異なっていて悩まされるし、何か時代に即応したことをしてみようとすると、全てがスマートフォンを基調にしているし、パスワードの設定だの二段階認証等々の見慣れないというよりも「何の事?」と当惑させられることばかりで辛い。何処の何方が「国民皆スマートフォン」とお決めになったのかと泣き言の一つも言いたくなっていた。
病の面で振り返れば、1月には二男が勤め先に感染者が出た事で、我々も濃厚接触者となる危険性があり、港区のPホテルに3泊して避難したこともあった。この頃にはこの有名なホテルはウイルスの悪影響で閑散としていたのが非常に印象的だったし、部屋代も低かったのが当時のホテル業界の苦境を表していたと思う。
国立国際医療研究センター病院(NCGM)の主治医に指示されたようなストイックというか安全第一の生活態度のお陰で、COVIDの感染を免れて過ごすことができた。9月の入院の際にも徹底した検査の結果で「当面の危険性なし」との診断で無事に退院出来た。入院中にも悩まされていたので病棟の主治医に懸命に訴えていた夜間頻尿の件をあらためて泌尿器科に通告して頂けたのだった。
そこで、10月に泌尿器科でMRIとCTで前立腺肥大の検査が実施された。私は既にPSAの数値が20台後半にあって高いので、前立腺ガンの疑いもあり、泌尿器科での診察の後では「経過観察」となっていた。だが、11月9日には遂に担当の医師から「精密な画像診断の結果で小さいながらガンがあり、他の臓器には転移していないと判明したので治療を開始する」と告知された。人生で2度目に告知だった。
1度目は2006年12月にNCGMの皮膚科で右目の下の腫れ物が生検の結果で「皮膚ガンと判明した」と、人生初の「告知」を受けたのだった。この時の主治医は淡々として「切除すれば問題ないので、1月に手術します」と告げられた。衝撃を受けるとかショックであるとか言う前に「ポカーン」となって一瞬思考停止した状態だった。7年1月16日という第1回目の心筋梗塞発症から丁度1年後に無事に手術が終わり、顔には何らの異常は残らなかった見事な手術だった。
私は感性が異常なのか鈍いのか、2度の告知でも極めて平静な精神状態で受け止めていた。尤も、泌尿器科の医師に「このガンは深刻か」と尋ねるとカルテを見て「循環器内科の領域である心不全の方が余程深刻です」と告げられた。また、【ビカルタミド】という薬によるホルモン療法は最も副作用が少ないとも教えられた。
だが、今回の告知では流石に動揺したようで、12月半ばまでは大いに精神的に不安定で倦怠感と脱力感に悩まされた。しかしながら、血液検査でPSAは5.5まで劇的に下がっていたので、少しは安心したし、来月6日の検査で何処まで改善したかを楽しみにしようと思うほどに、精神的な安定感を取り戻した。
医学に明るい方はお解りだと思うが、BNPの950という数値は異常などという段階を通り越して生命の危機に近いのだし、最悪30を超えていたPSAの値も異常であろう。この危険な状況下でも90歳を超えることができたのは望外の幸せであると思う。昨日、本年最後の診察を受けた12年も診て頂いている循環器内科の主治医には「淡々とこれまで通りの生活態度を維持すること」と告げられた。
今年を振り返れば、矢張り心不全への対応と、前立腺肥大からガンへの不安がCOVID-19への対処よりも気を遣わせられたということになるだろう。俗に「一病息災」などと言われているが、私は来年から90歳の超後期高齢者として「二病息災」の生活を送ることになる。
だが、何かを変えようとか新たなことに挑戦しようとは思わない。しかしながら、ディジタル化とICT化が進む一方の現代では、新たなことに対応せざるを得ないのだ。今週初めには10月に一念発起して着手を開始して苦心惨憺したマイナポイントを、漸く自分の物にできたが、これとても息子に99%依存して初めて達成出来たに過ぎない。現代は「歳月人を待たず」ではなくて「歳月高齢者を待たず」なのだ。