新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

そうだ、アマゾンで買おう

2022-12-04 07:32:44 | コラム
2023年度版のデスクプランナーが買えた:

先月下旬からしつこいウイルス性の風邪に悩まされて、毎日毎日沢山の薬を飲み続けている。勿論、副作用が無い薬など無いと承知しているが、他に如何なる手段があるのか。それに加えて10月の初旬からホルモンによる治療も始まっているので、あちこちにいろんな副作用と思しき症状が現れて、少し辛い日々を過ごしている。その昔に母親が「薬に浮かされる」と言っていたのを思い出してしまったほど、ボーッとなっている。

その状態の中で永年使ってきた博文館のデスクプランナーのページ数が少なくなってきたのに気が付いた。「そうだった。これの来年版を買わねばならない時が来た」のだった。だが、毎年買いに行っていた小田急デパートは閉鎖されたので、何処に行けば良いのか思案したが、その前にこのフラフラしている体調で街中に出て行ったら危険かな、などと不安に思っていた。悩みがまた一つ増えてしまった。

所が、一昨日思い出したことがあった。それは、今年のプロ野球選手名鑑を二男に頼んで、アマゾンで買った通販依存方式だった。そこで居合わせた彼に「これも買えるか」と依頼して、その場で注文できたのだった。尤も、配達されたのが昨夜9時頃で、安全の為に早く寝てしまった私が知らぬ間の出来事だった。

あらためて痛感したことは「私の世代にはその場で自分の目で見て、その場で代金を支払うのが買い物であって、スマートフォンで指先一本の操作で買うことは容易に思いつかない」という点だった。これは単なる時代の変化とかICTかが為せる業と言うよりも、全く異なるアナログ時代に生まれ育った者にとっては異次元の世界の文化に何とか合わせよう(「ついて行こう」ではない)とする行動なのではないかと思うに至った。

嘗ては、ここ新大久保駅から一駅先の新宿駅西口のデパートに行けば、8階だったかにあった伊東屋に辿り着く前に、下の階でウインドウショッピングならぬ商品陳列棚ショッピングも楽しめるし、男性用の売り場に行けば「今はこういう服が流行っているのか」という具合にファッションの傾向も見えてくるのだ。地下の食品街に降りれば「そうだ。崎陽軒の焼売でも買って帰るか」という気にもなったものだった。しかし、アマゾンではそういう副産物は期待できない。

以前に電子辞書が非常な勢いで市場に出回ったときに、何処の何方かだったかは失念したが、その便利さのコインの裏側を以下のようにして批判していたことまでも思い出した。それは「電子辞書は確かに便利であるが、これまでの分厚い紙の辞書では、探していた単語に辿り着く前のページで、他の何か興味があるか、意外な発見だったというような単語を発見して勉強になったというような喜びがあった。だが、電子辞書ではそれは期待できない」だった。

ICT化の進歩とディジタル化による便利さと商流の改革(短絡化)は最早どうしようもないくらい次元に到達してしまったのではないだろうか。間もなく90歳になろうという私の頭脳構造(物の考え方?)では「では、何処に行けば買えるのか」と、「自分でその場に出向いて買おう」のような事から考え始めるのだ。何時の頃だったか、シアトル市街の南の外れにあった寂れたビルで操業したアマゾンで、書籍以外を買うという発想にはなりにくいのである。

今回の教訓は「無理に時代の流れについて行こうとして足掻くよりも、現代に生まれ育って来た異次元の世界で暮らしている者たちに頼れば何とかなるものだ」ということ。実は、私のPCには長男がチャンとアマゾンで買えるように設定していた。だが、たった一度ある本を買ったときに、どうやら2回クリックしてしまったようで、同じ本が2冊現金引き換えで配達されて、懲りてしまったのである。「あーあ、時代の変化に乗り遅れた後期高齢者は辛いぜ」なのだ。