新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「それでは掃除夫の仕事がなくなるのではないか」

2022-12-05 08:18:32 | コラム
日本のサポーターはキチンと清掃してゴミを持ち去る:

これは「我が国のサポーターの方々は何処の国の試合会場に行っても、試合終了後には観客席をキチンと清掃し、自分たちが出したゴミを持ち去ることが外国で賞賛されている」という美しい話しである。このような「飛ぶ鳥跡を濁さず」のような道徳心を表す統制が取れた行動は、我が国の美徳であると言って誤りではあるまいと思う。このような賞賛されるべき行動は、W杯が開催されているカタールのスタジアムでもキチンと励行されたそうだ。

これについて、何処の局だったかで「それでは、主催者側が雇用した掃除夫たちの仕事がなくなりはしないか」というコメント(カタカナ語だ!)をしていた人がいた。私は「非常に興味深く、且つまた微妙な文化比較論でもあるのでは」と受け止めた。私が好んで用いる表現に「駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」という古い言い慣わしがある。

私はこの語句は「我が国にも古賀が表すような身分・階級制度があったこと」も意味しているのかと考えている。しかし、戦後に民主化された我が国には最早人を身分や階級で差別することは消滅したと思っている。ところが、上記のコメントではカタールには「掃除夫」という職務に従事する階層があること表しているかと思わせられた。

そこれ、このような身分・階級制について、これまでに見聞したことを述べていこう。先ず、インドに駐在された商社マンから聞いた話である。インドにはカースト制度があるとは聞いた上で赴任されたそうだ。社宅には門番、料理人、掃除夫(雑役夫)お手伝いさんのように、色々の仕事を分担する人たちがいた。その中で最下層と思わせる者が非常に良く働くので、他の職種に格上げしたら如何かと家主に提案したそうだ。

これは一言の下に却下されたそうだ。その理由は「その者はその仕事をする階層に属しているのだから、変更はできない」だったそうだ。彼は「厳しいと感じる前にインドのカースト制の厳格さをあらためて知った」と回顧していた。私はそういうものかと思って聞いたが、何処か別世界の異文化の話かと思って聞いていたし、実感がなかった。

その何年か後かの1991年に、初めてタイ国に団体で観光旅行にも似た出張をしたことがあった。移動は全てバスだった。そのバスにはタイ国で生まれ育った日本人の男性ガイドも乗っていた。そのバスでは乗降の度ごとにステップと地面の間に小さな台を置く仕事をする少年も乗っていた。彼は常に敏捷に行動し、乗客に対する姿勢も鄭重で、皆が好感を持った。そして誰だったがガイドに「あの子はあれほど良く働くのだから、もっと良い仕事をさせたらどうか」と。

タイ語を自在に話すガイドの反応は「それはあり得ないのです。あの少年はあのような仕事をする階層に属しているのだから、職種の変更はあり得ません」だった。乗客一同がシーンとなったほどの衝撃があった、私もタイ国にもそういう身分制度があったのかと知り得た次第だった。インドには我が国よりも近いという立地だから、インドの文化というか身分制度の影響もあるのかなどと考えていた。

そのガイド氏の説明では「タイという国はその独特の言語の為に何処からも侵攻されたことがなく、また他国の人が統治しようと試みても、タイ語の習得が非常に困難であるから、民心の掌握は不可能だと言われている」だった。後になって知ったことだが、確かにタイ語にはインドネシア、マレーシア、シンガポールと共通する挨拶の言葉もないようだった。

少し趣を変えた話題になるが、アメリカ乃至は西欧諸国にも他の職種とは異なる独自の仕事があると思っているので、その点を振り返ってみよう。それにホテルの職種である「ドアマン」(=doorman)か「ポーター」(=porter)を挙げておきたい。海外で経験されたと思うが、ある程度以上のホテルに入るや、ボーイさんが飛んできて「荷物をお持ちしましょう」と来る。それに対して、我が国の方の反応は屡々拒否して自分でフロントデスクまで持って行ってしまうのだ。

これは誤りであるとまでは言わないが、素直に彼らの荷物を任せるべきなのだ。理由は簡単で、彼らはその行為によって得られるtip(=チップ)が収入源なのだから、それを奪ってはならないのだ。奉仕してくれる人に荷物を持たせる事は偉そうに振る舞うのではなく、彼らの文化がそういう職種を設けていると解釈すべきなのだ。これと同じ職種は空港にもsky capとかのように、赤い帽子をかぶった者たちがいる。

“tip”の制度も理解しておく必要があると思う。アメリカでのことだけを取り上げると、レストランに入ると入り口に“Please wait to be seated“の看板があって、案内人が人数を聞いて席に案内される。我が国のように「空いている席にお座り下さい」ではないのだ。この案内人はアメリカでは「メートルデイー」(maitre d’)と呼ばれていて、各ウエイター/ウエイトレスに偏ることなくチップが行き渡るように、テーブルに振り分ける仕事をしているのだ。

彼らの収入源ではチップが圧倒的な部分を占めているので、公平になるようにする必要があるのだ。だが、店によっては全員が得たチップを集めて頭数で割って分配することもあると聞いている。

ここまでで漸く冒頭の掃除夫の話しに戻ると、あのコメントをした方はこのような西欧文化と文明における身分と職種の制度を心得ておられたので、あのような心配をされたのだろうと思う。だが、アメリカやカナダではウエイター/ウエイトレスの仕事には学生のパートタイムで働いている例が多いと聞いている。実際に、我々夫婦がカナダのオンタリオ州トロントのレストランで出会ったウエイターはトロント大学医学部の日系人の学生だった。

なお、Wikipediaによれば、インドでは「カースト制度」とは言わずに、ヒンズー教の「ヴァルナ・ジャーテイ制」と言っているそうだ。